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■春約(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-09-22
そういう訳で千里3は《すーちゃん》を自分の直接の眷属にしてしまい、翌5月30日の合宿を代わってもらって、まずは午前中に★★レコードに赴いて氷川さんに会った。
「ああ、あのライブラリのデータ化ですか。いいですよ。でも何にお使いになるんですか?」
「いえ。今年はたくさん曲を書いてますでしょ。うっかり既存曲とそっくりの曲ができても気付かないよなと思って、そのチェックに使いたいんですよ」
「なるほどですね」
それで氷川さんは実家に、千里が雇った学生を入れてコピー作業をさせることを許可してくれた。
「でもケイちゃんの所とかなりダブっている分もあるかも」
「CD番号/LP番号を見てそちらとダブっている分はスキップします」
「それなら無駄になりませんね」
午後からは松原珠妃を放送局で収録が終わった所をキャッチした。
「おお、鴨乃清見さんか!でもあんた何度か会ってるよね?」
と言って、彼女は千里と握手し、コピーはどうぞどうぞと言われた。
「でもそのmp3からメロディーを抽出したライブラリというのに凄く興味がある。私もアクセスできるようにできる?」
「もちろん、完成したら、松原さんにはアクセスキーをお渡しします」
と千里も笑顔で答えた。
実際に作業する学生については、氷川さんにも松原にも顔写真と名前をメールすることにした。
松原珠妃と別れた後、千里は《きーちゃん》に呼びかけた。
『私を青島パームビーチホテルに転送してくんない?』
『うーん。ま、いっか』
それで千里は自分が青島海岸に来ていることを認識する。千里は目の前にあるリゾートホテルの中に入っていった。
《せいちゃん》は5月14日でJソフトの仕事が終わって3年間の激務から解放された後、どこかのんびりした場所で休養するといいよと《きーちゃん》に言われ、宮崎県の青島海岸にある有名なリゾートホテルに入り、海岸の見える部屋でボーっとして過ごしていた。
海の幸をふんだんに使った料理も美味しいし、足つぼマッサージなどしてもらうと、疲れが芯から取れていくような気がした。
(龍の足つぼがどこにあるかは作者もよく分からない)
持って行っていた服が女物ばかりだったので、男物の服も買おうと宮崎市内のスーパーまで出かけて行ったのだが、ふと気付くと女物の着換えばかり買って帰ってきていて、思わず「なぜだぁ!?」と叫んだ。
(きーちゃんが苦笑していた)
どうも3年間の女装生活ですっかり女装が身体に染みついてしまっているようである。このことは取り敢えず放置することにした。
しかし最初の3〜4日は純粋に休暇を楽しんだのだが、勾陳などと違って女遊びする趣味も無いし、飲酒などの習慣も無いので、次第に暇をもてあましてきた。(彼はお酒もせいぜい週に2〜3回、ビール1缶程度を飲むくらいである)
そろそろ何かしたいなあと思っていた5月28日の夜、唐突に千里から直信があり、びっくりする。
『せいちゃん、こういうソフト作れる?』
と訊かれるので
『それなら以前作ったことある。Waveファイル、マックならAIFFだけど(*1), そこから最も目立つ音のピッチを認識して音名に変換する。だから歌入りの曲なら多くの場合、ボーカルの音を認識するけど、間奏とかなら最も目立っている楽器の音を拾う』
『うん。それで問題無い』
(*1)WindowsのWaveファイルとMacintoshのAIFFはPCMデータを符号付きで格納するか符号無しで格納するかの違いだけで、実質同等のファイルである。初歩的なプログラムで相互変換できる。
『重唱の場合は声質の違う人の歌はかなり分離できる。男女のデュエットとかは全く問題無い。合唱の訓練を受けた人同士の歌や姉妹のデュエットは結構間違う。実はKARIONの和泉の声と蘭子の声はふたりとも合唱の発声法を使っているから声質が似てて時々混線していた。でもかなり頑張って間違い率を0.1%くらいまで抑えられるようになった。マナカナのデュエットはメチャクチャになったけどあれは解決方法を思いつかない』
『マナカナはいいや。waveじゃなくてmp3とかだったら?』
『それは元々Waveを圧縮したものだから元に戻せばいい。これは変換ライブラリがあるよ』
『大量にあるCDをmp3に変換しておいてさ、それからそのプログラムで音名のデータに変換してデータベース化しておいたらさ、新しい曲を作った時にそれがどれかと似てないかみたいなチェックってできる?』
『それはできるけど、音名から更に階名に変換してデータベース化しておかないといけない。でもその変換は調性だけ認識すればいいから作れると思う』
『作るのにどのくらい掛かる?』
『1ヶ月かな。でも骨格になるプログラムはあるから、うまくすれば1週間でできるかも』
『了解。また連絡する』
『あ、うん』
《せいちゃん》は千里は霊的な能力を喪失していて“心の声”を使う力も無くしていたと思っていたので本当に驚いた。しかもこの夜は多分1000kmくらい彼方からの直信である。
1時間ほど後、再度直信がある。
『さっき話したのとは別に色々相談したいことがあるから、近い内にそっち行っていい?』
『いいけど・・・俺の居場所分かる?』
『さっき話している時に分かった』
『さすが!』
話している相手の周辺が見えてしまうのは千里の持つ基本的な能力である。しかし千里は昨年一度死んだ時にそういう力も失っていたはずである。
『そうそう。この件、他の子たちには内緒でね』
『分かった』
そして5月30日の夕方、ホテルのドアをノックする音がある。
「私。入れて」
千里の声なのでドアを開けて部屋に入れる。
「これお土産〜」
と言って、千里は《せいちゃん》に《東京ばな奈》を渡す。
「ありがとう」
「それでさ。こういうことをしたい訳よ」
と言って千里は《埋め曲・自動作成システム》のことを話した。
「作れると思う」
と彼は言った。元々端末系のソフトを書き慣れている《せいちゃん》はこういう疑似人工知能的なプログラムも大好きである。
「ただジャンルにもよる」
「ジャンル?」
「演歌やフォークなら割と簡単」
「なるほどー」
「ポップスでもアイドル歌謡とかは比較的楽。使用する音が少ないから、作る手間も小さいんだよ」
「分かる気がする」
「ジャズとかは難しい。ブルーノートに入ることで演算量が凄まじく増える」
「ケイが使っているようなグリーンノートは?」
「むしろ昔のケイの曲なら行ける」
「なるほどぉ!私はそちらが好きだ。多分マリちゃんもそちらが好きだ」
「恐らくローズ+リリーのファンもそちらが好きなんだと思う。だってケイのヒット曲って大半がケイが中学生くらいの頃に書いていた曲なんだよ」
「言えてる言えてる。ケイ本人は進化してきたと思っているけど、実はファンの心から乖離してきているんだよね」
「ポール・モーリアとかも迷走時代があった。ラテンに走ったり、ロマンティック・レーザーみたいな不思議な音楽の世界に走ったり」
「ファンは『恋はみずいろ』とか『蒼いノクターン』とかの世界が好きだからね」
「それで『再会(あなたを決して忘れることはできなかった)』で元の世界に戻った」
「まさにあれは元のポールモーリアの世界に再会した曲なんだよな」
「じゃさ、昔のケイみたいな曲を量産するシステム作ろうよ」
「それなら出来ると思う」
「でも千里かなり元気になってる。どうしたの?半月前に見た時とは全然違う」
「私はいつも元気だよ」
「千里が復活してきてるなら、俺も頑張るか」
「じゃ、この作業手伝ってくれる?」
「もちろん」
と言って、彼はこのプログラムに取り組んでくれた。
「そうだ。私、暗号鍵を変更したから交換しておきたい」
「分かった」
それで千里3は《せいちゃん》の手を握って通信用の暗号鍵を交換した。これでふたりは他の誰にも聴かれないまま通信することができる。
《せいちゃん》はホテルでは作業しづらいから、どこか適当な作業場所を確保できないかと千里に言った。
「きーちゃん、出ておいでよ」
と千里はカーテンの陰に向かって言う。
《きーちゃん》が頭を掻きながら出てくる。
「さっきからそこに居たの〜?」
と《せいちゃん》が驚く。
「だって男性の部屋に女の子の千里を1人だけ入れる訳にはいかないじゃん」
「俺は自分の主を襲ったりしないぞ」
「だろうけどね」
「それにどう考えても、腕力では俺より千里の方が強い」
「そうかな?」
「きーちゃん。どこかにマンション借りてさ。通信環境整えて、パソコンも3〜4台買ってくれない?」
と千里は言った。
「いいよ。宮崎がいい?」
「九州はこれから暑くなりそうだから涼しい所がいい」
「じゃ北海道にするかな」
「ああ、涼しそうだ」
2018年は猛暑になったので、この選択は結構正解であった。
それで《きーちゃん》は札幌の北、小樽市郊外の3LDKの中古(大古?)家屋を70万円!で千里の名義で買っちゃったのである。
家は築50年でほぼ無価値。実質土地(50坪)の値段であるが、実際に見てみると妖怪が住んでいる!?以外は特に問題無かった。妖怪は《せいちゃん》自身が全部処分し、妖怪退治が済むと、していた雨漏りもしなくなった。
「これツーバイフォーじゃなくて木造軸組だから、大事にメンテしていけば、まだ多分20年くらい使えるよ」
「まあ壊れたら、建て直せばいいよな?」
「うん。そのつもりでいればいいと思う」
電話や電気の契約をしたり、最低限の掃除をするのに1週間掛かったが、その作業は暇そうにしていた!《げんちゃん》にやらせ、その間《せいちゃん》は札幌市内のホテルでプログラム作業を進めていた。
「こんな所で何するの?」
と《げんちゃん》には訊かれたが
「千里が去年の春に極秘指令を出していたのの処理なのよ」
と《きーちゃん》は説明しておいた。
なお、小樽を選んだのは、本州と北海道との通信ケーブルが小樽の隣の石狩市に来ており、通信環境が良いと思われたことと、札幌の近くなので、必要な物があった時に、すぐ買いに行けるというのがあった。それに札幌よりはずっと静かで集中して仕事をするのに良い。
なお、札幌まで出て行く時の便のために、中古のジムニー(658cc)を20万円!で買ってきた。軽自動車にしたのは、この家のある集落に入る道が狭いので、登録車より軽の方が助かるからである。
「ところで《せいちゃん》が持っている免許は女の子名義だよね」
と千里3は言った。
「あ、うん」
「もし警官に呼び止められて免許証の提示求められた時のために、車の運転をする時は、いつも女の子の格好しててね」
「え〜〜〜〜!?」
そういう訳で、ともかくも《せいちゃん》は、まずWaveファイルから音名更に階名に変換するプログラムを6月6日までに書き上げてくれたのである。このプログラムは、《きーちゃん》と《せいちゃん》が一緒に買ってきた
CPU:"Kaby Lake"Core i7-7700HQ(4core 2.8-3.8GHz)
MM:32GB (PC4-19200 = DDR4-2400)
Disk:512GBSSD+3TBHD
というスペックの最新鋭のパソコン(23万円)で1曲5分ほどの処理時間でmp3をWAVEに変換した上で音名→階名まで変換してくれた。
「これだと10万曲の変換に1年掛かる」
「パソコン10台くらい並べない?」
「そうしよう」
それでこの作業はパソコン10台で進めることになった。
「でもここ、結構山の中だからさ、冬とかに雪の重みで電線が切れたりしないかなあ」
と掃除をしてくれていた《げんちゃん》が言った。
「念のため自家発電機とか買っとく?」
「それがあれば安心かもね」
それでプロパンガスのボンベで稼働する三菱重工のMGC900GPを2台購入した。5kgボンベで10時間100V 850VAの電気(正弦波)を供給できる。パソコンの電源は1.5A、つまり150VA 仕様なので、もし停電しても2台の発電機で10台全部を動かし続けることができる計算になる。
「屋根にも太陽光パネルを敷こうよ」
「ああ、そのくらいやってもいいと思う」
「この家はボロ家だけど本格工法だから、太陽光パネルの重みに耐えるはず」
それで屋根の南側斜面にパナソニックの太陽光パネル(15kg 17万円)を2x10=20枚敷き詰めることにした。
この太陽光パネル(容量5040kw)が生み出す電気は1日平均16kwhで、10台のパソコンを24時間稼働させても使用する電気は3.6kwhにしかならないので、基本的には太陽光パネルだけで全ての電力をまかなうことができる計算になる。但し冬季は充分な発電量が得られない日が長期間続くこともありえるので、北海道電力との契約はキープしておいた方がよい、と《きーちゃん》と《せいちゃん》は話し合った。それで電力会社とは系統連系して余剰電力があったら買い取ってもらう方式にすることにした。
「ところで千里の奴、いつの間にあんなに元気になったの?」
と《せいちゃん》は《きーちゃん》に訊いた。
《きーちゃん》はしばらく考えていた。
「あんたまさか気付いてないの?」
「何に?」
「霊的な力を喪失した千里と、今この自動作曲システムをやってる千里は別人」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
「ついでにあんた3番のお仕事を手伝うと言ったから、既にあんたは3番の眷属になってるから」
「へ!?」
そういう訳で千里3は《すーちゃん》に続いて《せいちゃん》も自分の眷属にしてしまったのである。
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