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■春約(3)
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午後からは§§ミュージックにちょっと顔を出してから、帰りの新幹線に乗った。
そして夕食の支度をしていたら、信次が帰宅するので
「お疲れ様。そろそろだろうと思ったから、お風呂入れてたよ」
と言う。
「ありがとう」
と言って、信次が浴室に行くと、お湯が溜められているのだが、ちょうど浴槽の7割くらいまで溜まった所である。信次はお湯の栓を締め、服を脱ぎだした。
信次としては“ある理由で”千里とキスしたりする前に、身体をよくよく洗っておかないと“やばい”のであるが、千里はそんな信次の事情には気付いていないようであった。
このようにして、信次と千里の新婚(?)生活は始まっていった。信次は毎週週末には徹夜で会社に泊まり込んで仕事をしているようなので(土日は会社の設備が自由に使えて仕事が進む、と言っていた)、それをいいことに千里は土曜日の朝から日曜日の夕方まで、東京に行って来て、主として音楽関係の作業を進めるのと同時に、日曜日の午前中にはレッドインパルス2軍の練習場に顔を出して、出てきている選手と手合わせしていた。
なお、この間、千里3は6月いっぱいまで国内で合宿をしており、7月3日からスペイン遠征の予定が入っていた。
また千里2はずっとアメリカでWBCBLをやっていた。
ところで青葉の方であるが、2018年5月24-27日東京辰巳水泳場でおこなわれたジャパンオープン水泳で“日本代表に選ばれないようにしようと”努力したにも関わらず、青葉より上位で入った選手がドーピング違反になったり、フライングとされたりで失格し、思いがけず女子800m,1500mで優勝してしまう。それで8月9-12日に東京辰巳水泳場で行われるパンパシフィック水泳に日本代表として出ることになってしまった。
この大会には既に4月の日本選手権で1-2位になった幡山ジャネと永井蒔恵も出場が決まっている。彼女たちは8月18-24日にジャカルタで行われるアジア大会にも出場する。
さてK大水泳部の活動だが、5月27日(日)に中部学生短水路選手権水泳競技大会が昨年同様日進市で行われたので、出場資格のあるメンバーで行ってきている。青葉はジャパンオープンとぶつかったので不参加である。6月3日(日)には石川県の記録会があったが、青葉は富山県人なのでどっちみち関係無い。
そして実際問題として青葉は5月28日から6月3日まで東京北区の味の素ナショナル・トレーニング・センター(以下"NTC")で日本代表の合宿に入ったのである。
青葉はここに入ったのは、昨年7月に千里1がここで合宿中に(無断)外出していて一度死亡し、すぐ蘇生したものの様子がおかしかったので、心配して付いてきて、練習とその後の練習試合の様子を見た時以来2度目である。しかし選手として入るのは初めてだ。
そして初めてであることもあり、青葉はバスケット女子代表の合宿をやっている最中の千里3と同室にしてもらった。千里3の合宿日程(予定)はこのようになっている。
2018.04.15-25 日本代表第1次合宿 NTC
2018.05.01-07 日本代表第2次合宿 NTC 32名
2018.05.13-20 日本代表第3次合宿 NTC
2018.05.25-30 日本代表第4次合宿 NTC
2018.05.30 日本代表、Aチーム(16名)とBチーム(13名)に分割
2018.06.01-19 Aチーム第5次合宿
____.06.08 強化試合(東京)台湾代表
2018.06.25-7.2 Aチーム第6次合宿 NTC
2018.07.03-14 Aチーム、スペイン遠征(マヨルカ島)
2018.07.20-27 Aチーム第7次合宿
2018.08.01-10 Aチーム第8次合宿
2018.08.15-22 Aチーム第9次合宿
2018.08.28-9.5 Aチーム第10次合宿
2018.09.06-18 Aチーム海外遠征(アメリカ→スペイン)
2018.09.22-30 ワールドカップ(スペイン・カナリア諸島テネリフェ島)
ひたすら合宿をやっていて、他のことをする時間は全く無い。それで結局千里3はこの年に起きた重大事件を知らないまま過ごすことになった・・・・と千里2は思っていた。
「青葉、水泳ずいぶん頑張ったんだね」
27日の夜、水連事務局で代表選出を告げられた後、そのままNTCに連行されるように!?連れていかれて合宿所に入り、千里姉の部屋に入った時、千里姉(千里3)は言った。
青葉は困ったような顔で答える。
「代表に選ばれないように頑張ったつもりだったのに・・・」
「は?」
上島問題の関係で大量に曲を書くはめになり、一方では就活の準備も始めないといけないのに、代表合宿とかやってたくないのにと言うと、千里3は笑う。
「やりたくなければ水泳部やめればいいのに」
「退部届け出してるのに握り潰されてるんだもん」
「青葉も下手だね〜。練習に出ていかなければ済むことじゃん」
「だって、頭数足りないから来てよとか言われるし」
千里は呆れたように笑っていた。
「でも青葉、アナウンサー志望なんでしょ?」
「うん」
「中央局のアナウンサーになるには、日本代表の経歴くらいあった方がいい」
「へ?」
「だって中央局のアナウンサーに応募してくる人の中には、ミス何とかに選ばれたとか、元有名アイドルとか、国体優勝者とか、チアリーディングの全国大会で優勝したとか、そういうクラスがゴロゴロいるんだよ。何も肩書きが無くてそういう子たちに対抗するのは厳しい」
「うーん・・・」
「だから今度のパンパシフィック?それでジャネさん破って金メダル取りなよ。国際大会の金メダリストなら、かなり有利になる」
「うーん・・・・・・」
国際大会の金メダリストとかになったら、年中合宿ということになって、全く時間が無くなって大学も卒業出来ないと言うことは!?と青葉は将来が不安になった。
でも・・・金メダルは取ってみたいなと少し心が動いた。
「ところで私水連の人から、パスポート持ってますか?と言われてうっかり『はい』と答えたんだけど、もしかして高校時代に取ったのって使えないよね?」
と青葉は尋ねた。
「いつ取ったんだっけ?」
「2015年1月」
「ということは2020年1月まで有効。でも青葉、性別が違うじゃん」
「そうなんだよ。去年性別変更した時に、健康保険証とかは切り替えたけど、パスポートのことは忘れていたんだよね。あれどうすればいいんだっけ?」
「記載事項変更でも行けると思う」
「それどうなるの?」
「パスポートの余白欄に『性別を女性に変更済み』というメモが書かれる」
「それ嫌だ!」
「まあ入出国で間違い無く揉めるよね。切り替え申請もできるはず。そしたら新しいパスポートが発行される」
「良かった。そしたら合宿が終わって高岡に戻ったら申請すればいいのかな?」
「それだと遅くなるよ。青葉さあ、お母さんに電話して、申請書類を取ってきてもらいなよ。そしてその場で書いて、お母さんにはすぐ高岡に戻ってもらって、書類提出」
「それって代理人でもできるの?」
「申請は代理人でもできる。書類に代理人の名前を指定する欄があるから」
「へー」
「受け取りは必ず本人」
「なるほどー!」
それで青葉は合宿の統括をしている水連の人にパスポートは取り直したいと言って許可をもらった上で、母に電話した。それでまずはこのまま合宿に入ることになったことを伝えた上で、新しいパスポートを取らなければならなくなったので、申し訳無いが明日朝一番に、富山駅前の《マリエとやま》内にある旅券センターに行って書類を東京まで持って来てくれないかと頼んだ。
「それ高岡では申請できないの?」
「高岡だと受け取りまでに日数が掛かる上に、営業時間が短いんだよ」
「へー!」
高岡支所で申請・受取りする場合は富山の本庁でやるより2日余分に掛かる。更に富山だと開庁時間が9:00-16:30なのに高岡は10:00-16:30なのである。その場合、東京往復していると閉庁に間に合わない。
※書類を受け取り、東京往復して、書類提出が間に合う連絡
富山10:05-11:54大宮12:02-12:18赤羽
赤羽13:25-13:40大宮13:50-15:57富山
一方青葉は個人会社の件で顧問契約を結んでいる霧川司法書士に電話して、明日自分の戸籍謄本と住民票を取って、夕方富山駅前で朋子に渡して欲しいと頼んだ。こういう書類は親族なら取れるのだが、あいにく青葉には戸籍上の親族が存在しないので、こういう場合、弁護士や司法書士にしか取れないのである。(青葉は成人したので朋子による未成年後見も終了している)
朋子はその日の内に青葉の自室机の中に入っている男性時代のパスポートを取り出し、自分のバッグに入れた。また会社の上司に電話して明日休ませて欲しいと言い、口頭で了承してもらう。
翌28日(月)。早朝から電車で富山駅まで行く(伏木7:42-7:56高岡8:01-8:20富山)。それで駅のすぐそばにある《マリエとやま》の旅券センターが開くのを待って1番で飛び込み、性別変更に伴う切替申請をする旨を言って申請書類をもらう。そして青葉に言われた通り、10:05《かがやき508号》に乗った。これを一つ前の9:45《はくたか558号》に乗ってしまうと、到着が《かがやき》より16分も遅い12:10になってしまうのである。
一方青葉は昼前に許可をもらって合宿所を抜け出し、赤羽駅まで行っていたので、改札口の所で朋子と落ち合い、駅ビル(ビーンズ赤羽)内のレストランで食事をしながら書類を書いた。
「でも海外ってどこに行くの?」
「まだ分からないけど、ひょっとするとスペインまで行くかも」
「大変ね!」
母には交通費とお小遣いを渡した。
「申請の手数料は要らないんだっけ?」
「それは受け取る時に払うんだよ」
「なるほどー」
それで母は慌ただしく大宮駅に戻り、無事13:50の《はくたか565号》に乗った。そして16時前に富山駅に着くと、霧川司法書士の代理という事務員の霧川裕子から、青葉の戸籍謄本と住民票を受け取る。
「わざわざ済みませんね」
「いえ、仕事ですから」
「あら?あなたも霧川なんですね。お嬢さんですか?」
と朋子は彼女の名刺を見ながら言う。
「あ、いえ息子です」
と霧川裕子。
「へ?」
「おかしいなあ。私よくお嬢さんですか?とか言われるんですよね〜。私って女に見えますかね?」
「えーっと」
朋子は肩までのセミロングヘアで、ばっちりお化粧もして、グレイのビジネス用スカートスーツを着ている霧川裕子を見ながら、どう返事したらいいのか困惑した。彼女(?)の声も女性の声にしか聞こえない。胸もEカップくらいありそうに見える。
女性にしか見えないんだけど!?
もしかして男の娘なの!???
しかし女の子になりたい男の子とかであるなら、わざわざ息子ですなどと言わず、堂々と「娘です」と名乗るだろう。そもそもそんなこと言わなければふつうに女性としてパスしている。
朋子は少し悩んだものの、しかし彼女の性別は些細なことである。ともかくも御礼を言って、すぐに旅券センターに行き、書類を提出した。なお、この時に青葉の男性時代のパスポートは返納した。これは穴を開けて無効化したものを新旅券受取り時に返してくれることになっている。
朋子にとってはなかなかハードな1日であった。
「疲れたぁ!お小遣いももらったし、鱒寿司でも買って帰ろ」
と言って、駅構内で富山の“ますのすし”を買って自宅に戻った。
富山17:36-17:54高岡18:15-18:23伏木
さて青葉本人は、28日、パスポートの申請の件で赤羽駅まで行き母と会った以外は、ひたすら練習であった。ここでは細かいフォームの調整とかスタートの仕方とかの指導は無い。水泳はリレーを除いては個人競技なので、張り詰めた緊張感の中、みんなひたすら練習をしている。
それはそれで青葉は身が引き締まる思いだった。
「で、代表の練習どうだった?」
と夕食後に部屋で会ったとき、千里姉(千里3)に訊かれた。
「練習量が凄まじい」
「まあ朝から晩までやってるからね」
「夕食後もプール開放しているらしいから、行って練習してくる」
「行っといで。ここに来るのは練習の虫ばかりだよ。その姿勢や態度を見習うのも、日本代表を経験して得られること」
「そうかも」
千里3と話して、青葉は少しだけやる気を出した。
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