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■春約(11)
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レッドインパルスの関係者が信次の死のことを知ったのは少し遅れてである。
「結婚したというのは妄想じゃなくて本当だったのか!?」
と驚き、小坂代表と黒江コーチ、2軍の山笠コーチが千葉の川島家まで行き、香典を出してお線香をあげたが、この時、千里(千里1)とは会っていない。
実は《きーちゃん》が連れ出して会わせないようにしたのであるが、千里は今スペインにいるはずだから居なくて当然である。葬儀で緊急帰国したのでスペインとの練習試合には出なかったのかと小坂代表たちは思っている。
ところが千里(千里3)は7月15日に元気な顔でスペイン遠征から帰国する。そして遠征から戻ったことを報告に、レッドインパルスの本部にやってきた。
「大変だったね。力を落とさないでね」
と黒江コーチが言う。
「へ?何のことですか?」
と千里3はしらばっくれて言う。
「えっと・・・ご主人が亡くなられたんでしょう?」
「ご冗談を。私そもそも結婚もしてないし。彼氏はいるけどピンピンしてますよ」
と千里3は笑って答える。
黒江コーチは事務方の川西靖子と顔を見合わせた。
「彼氏って、例の人?」
と靖子が訊く。
「すみませーん。不倫で。でもセックスはしてませんから」
「言ってたね!」
「あの馬鹿、他の女を妊娠させてしまって。だからその女性が赤ちゃん産んで、そうだなあ、1年くらいまでは待ってあげますが、落ち着いたら取り返します」
「うーん。。。マスコミに報道されないようにね」
「もちろんです」
「じゃ休みとか必要無い?」
「ワールドカップまでは休み無しです。その後はすぐWリーグも始まるし。ガンガン行きますよ。日本代表の活動が終わるまでチームにはご迷惑掛けますがワールドカップ優勝してきますね」
と千里は笑顔で答えた。
それで結局チーム関係者は
「きっとこのことは早く忘れて頑張りたいのだろう」
と勝手に解釈して、この件は千里3には言わなくなった!
信次の葬儀は7月7日に終わり、朋子や津気子などは翌日8日に帰った。
“青葉”は7日の葬儀が終わってから「合宿所に入ります」と言って別れたのだが、それは実は代役さんで(玲央美の後ろに入り、《きーちゃん》に玲央美ごとスペインに転送してもらった)、本物の青葉は7月6日の通夜が終わったところで
「ちょっと出かけてくる」
と桃香に言って、そのままNTCに入った。なお合宿に必要な道具は、朋子が通夜に出るため東京に出てきた時に、持って来てもらっている。
NTCに入ると、水連の人に到着したことを報告してその日はNTCの選手村で割りあててもらった部屋に入り泊まった。これは前回の合宿で入ったのと同じ部屋で、どうもここは千里姉の指定部屋になっている感じである。
そして翌7月7日(土)には他の選手と一緒に成田空港に向かい、スペインに渡航した。。
NRT 7/7(Sat) 11:15 (JL7089 A330-200) 18:30 MAD 14h15m
MAD 21:50 (IB8648 CRJ-900) 22:55 GRX
GRX 23:10 (Bus) Sierra Nevada 25:00 Sierra Nevada
海外に出るのは高校2年の時に研修旅行(実質修学旅行)に行って以来、3年半ぶりである。あの時はパスポートが男だったから、入出国だけでなく、施設見学の時も揉めたなあ、と懐かしく思えた。
むろん今回はノートラブルである。
到着したのは夜中の1時だが、日本では朝8時に相当する。むろん青葉はグラナダ空港(GRX)への国内便の中でも、その後のバスの中でも、ひたすら寝ていた。
7月8日は朝から早速練習である。
昨日着いたメンバーは時差ぼけで、体調の悪い人が多かったようである。しかし青葉はひたすら寝ていたので、時差とは関係無く最初から全力で泳ぐ。
「調子いいじゃん。時差ぼけは大丈夫?」
とジャネから言われた。
「私はいつも不規則な生活してるから時差関係ないです。今回は本気でジャネさん抜きますから、覚悟してて下さい」
「OKOK。無駄な努力しててね」
と言ってジャネは笑っていた。
標高2300mで空気が薄いことで、体力が出ない人、息が苦しそうな人(軽い高山病だろう)、も結構いたが、青葉は平気である。むしろ抵抗とかが少なく、身体が動きやすいような気さえした。
そういう訳で、7月8-14日は、千里3は海面に近いマヨルカ島、青葉は高地のシエラネバダと全然違う環境ではあるものの、ふたりともスペインで合宿をしていたのである。
一方、千里2は日本での多少の工作のほかは、アメリカでまだWBCBLの方をしていたのだが、7月21日にWBCBLが終了すると、スワローズのキャプテンと代表に
「また来年来ますね」
と言って、フランスに渡航し、LFBのマルセイユに
「また来ました。今年もよろしくお願いします」
と言い、チームに合流した。LFBは10月13日に開幕する。
《きーちゃん》はアメリカやフランスに呼ばれたり、スペインに呼ばれたり、日本で工作をしたりで、大忙しであった。《せいちゃん》のプログラムの手伝いもするつもりだったのだが、とてもそこまでの余裕が無い。矢島さんを雇って良かった!と思った。とにかく忙しすぎるので
『私が2〜3人欲しい!』
などと言ったら、
『そんなこと言っていたらあんたも分裂しちゃうよ』
と《つーちゃん》から言われた。
なお、千里3と青葉がふたりともスペインに行っている間、《松本花子》の方は鮎川ゆま・清原空帆・イリヤの3人が中心になって進めていた。
《せいちゃん》は「演歌」を自動生成するプログラムを矢島さんの協力もあり、7月いっぱいに書き上げることができた。それでさっそく8月頭から(一部はお試しで7月下旬から)、歌う曲が無くて困っていた演歌歌手に提供され始め、彼らが制作したCDは8月中旬(一部は上旬)から発売され始めた。
販売すべきCDが無くて困っていたレコード会社が、色々な便宜を図って彼らの制作を後押ししたので、かなり短時間でCDリリースに至ったのである。実際、マスターができた翌日発売などという凄いケースもあり、歌手本人が驚いていた。
演歌のCDはだいたい数千枚しかプレスしないので数時間で完成する。それで朝工場に持ち込むと午後には発送可能になることも結構あったのである。都内くらいのCDショップには社員が手で持って持ち込んだりもした。
そういう訳で、7月中旬から8月までに松本葉子・松本花子が生み出した楽曲は90曲に及ぶ。小樽ラボに並べられた高速パソコンがだいたい1日に1曲くらいのペースで作品を作ってくれる。制作に使用しているマシンはこの時点で8台なので、本当は1ヶ月半あれば8曲×45日=360曲ほどあるのだが、イリヤさんの所での編曲作業が1曲3日掛かるので、6人のスタッフで45日間稼働しても112曲にしかならない。
Museはスパコンなので簡単には増設できないが、松本花子はパソコンで動作しているので、いくらでも増設できる。
しかしこの時点ではまだ自動編曲システムが稼働していないので、結局編曲待ちの曲が溜まっていっていて、販売できる状態まで行った曲が90曲に留まったのである。
イリヤはスタッフを増員することにし、新たなアレンジャーの募集を掛けた。
なお、小樽ラボのマシンは最初に導入したメーカー製のパソコンがYamada-1, Yamada-2, ..., Yamada-10と呼ばれ、その後それを置換した自作パソコンがYamada-11〜20と呼ばれている。この時期は最初に導入した3〜10のマシンで作曲システムの方を動作させていた。
(1,2は開発用に使用している)
千里3と青葉は、演歌の生産のメドが立ったことから、次はポップスかなと言っていたのだが、鮎川ゆまが言った。
「ケイ風作品の方を先にやりましょうよ」
「おお!それがいい」
それで《せいちゃん》と矢島さんは、《ケイ専用作曲システム》を作ることにした。幸いにも最初にケイの自宅のライブラリをコピーしたので、ケイの作品は全てデータベースに入っている。
それでふたりはケイが好むモチーフを抽出した。そしてこれを多用して、更にシンプルな和音を中心に曲を作ると、まるでケイが中高生時代に書いたような曲になるのである。
この年千里3はケイ名義の曲を70曲、また大西典香など“上島ファミリー”のメンツも70曲書いてくれたことになっているが、実際には千里3が書いたことにした作品の大半と、上島ファミリーの人が書いてくれたことになっている物の半分くらいが、この、青葉と千里3が作ったシステムが生み出した楽曲だったのである。この付近の処理は天野貴子(きーちゃん)が新島さんや秋風コスモスと話して調整している。
それで実際には千里3は8月以降、ケイ名義の楽曲はほとんど書いておらず、むしろ琴沢幸穂や醍醐春海名義の曲を“ゆっくりとしたペースで”書いていた。青葉も量産曲はそちらに任せたので、大宮万葉名義の曲だけを本当に書いていた。
《ケイ風作品》を書くプログラムは8月中旬に完成して早速稼働させたのだが、その応用で《アイドル歌謡》を書くプログラムも8月末までにできあがった。これは「フレーズライブラリ」の交換だけで作ることができる。
それで、これも曲が無くて困っていた多数のアイドルたちが、楽曲をもらえるようになった。
千里3や青葉たちは、このシステムで作った楽曲の一部を東郷誠一ブランドで発表した。それでネット民たちは東郷誠一ブランドに新しい作曲家が加わったことを認識し《東郷L》と命名したが、すぐにこの東郷Lの正体が松本花子であることにも、ネット民たちは気付いた。
8月7日(火).
青葉は9-12日のパンパシフィック(東京辰巳水泳場)に出るため、少し早めに出てきて体調を整えようと思い、この日に高岡から新幹線で出てきた。実は昨日6日までは大学の前期試験が行われていたのでこの日の上京になった。
明日8日は、深川アリーナの付属プールで練習させてもらうことにしている。そこのプールはこの体育館を使用しているバスケチームの選手たちのトレーニング&クールダウン用で、一般には公開していないので、ゆっくりと泳げるのである。むろん青葉は千里のコネで利用許可をもらったのだが、“姉妹特別料金”5万円+(青葉から選手達への)お土産付き、と言われて「うっそー!?」と叫んだ。
(マネージャーの浩子が「お土産だけでいい」と言って5万円は返してくれた)
この日は到着が夕方になったので、彪志のところに泊まることにしていた。それで大宮駅で降りてバスでアパートの近くまで行く。
「ただいまあ」
と言って入っていく。
「なんか頑張って御飯作ってみた」
などと彪志は言っている。
「あ、食べる食べる」
と言って、彪志の手料理を食べた。そして何となくイチャイチャする。
「お布団行こうか?」
「その前にシャワー!」
「じゃ青葉から」
「うん」
それで青葉が先にシャワーを浴びて裸で布団に入って待っている。そこに彪志が1分!でシャワーを浴びて、大雑把に身体を拭いて布団に飛び込んでくる。
お互いに抱き合って愛撫しあう。
「でもこないだは参ったよ」
と言って彪志はそのことを青葉に話してしまったことを後で悔やむことになる。
「何かあったの?」
「こないだ母ちゃんが、ちょっと来てくれというから行ったらさあ」
「うん?」
「お見合いが設定されていて仰天したよ」
青葉はその話を物凄く不愉快に感じた。
「ふーん。それでお見合いしてきたの?」
「そんなことする訳無いだろ?俺には青葉がいるから見合いなんてしないと言って帰ってきた」
青葉もなぜそんなことを言ってしまったのか分からない。それを後で悔やむことになる。
「せっかくお見合いの話があったらすれば良かったのに」
「なぜだよ?」
「私が嫌になったんでしょ?お見合いするなんて」
「だから母ちゃんに騙されたんだよ。俺が何のために青葉以外の女の子とそんなことしなきゃいけないんだよ。母ちゃんが孫の顔みたいとか言ってさ」
この言葉は青葉の痛いところを突いてしまった。
「私は元男だから、赤ちゃんなんて産めないもん。その子に産んでもらいなよ」
「何言ってんだ?俺は別に赤ちゃんなんて気にしないよ」
これがきっかけになり、ふたりは言い争いになってしまう。
愛の確認をするつもりだったのに、すっかり冷めてしまった。
「私、帰る。彪志はその女の子とイチャイチャしたら」
「ちょっと待て。ちゃんと話を聞け」
「聞く必要無い。さよなら」
それで青葉は服を着てアパートを飛び出し、ちょうどそこに来たタクシーに飛び乗ってしまったのである。
「青葉!なんで勝手に怒るんだよ!」
と彪志はその去っていくタクシーに向かって叫んだ。
彪志も部屋に戻ってしばらくムカムカしていたものの、これは何とか和解しなければならないと思う。
青葉の携帯に電話するのだが出ない。
「全くあの馬鹿」
などとつい言ってしまう。
少し考えてみたのだが、青葉は桃香さんのアパートに向かうのではないかという気がした。
それで桃香に電話する。
「こんばんは。彪志君」
「すみません。青葉とちょっとした行き違いで喧嘩してしまって。アパートを飛び出していったんですが、そちらに行くかも知れないので、その場合、今夜泊めてやってもらえますか?私もそちらに向かいます」
「あはは。君たちでも喧嘩することがあるんだ? 分かった。こちらに来たら報せるよ」
しかし実際には青葉はこの夜桃香のところには行かなかった。
桃香のところに行くと、桃香から諭されそうな気がして、それは不愉快なのでホテルに泊まったのである。
更に彪志に唐突に会社から連絡がある。
「急で申し訳無い。ちょっと仙台まで行ってきてくれないか?」
「今からですか!?」
「君ならたぶん大宮22:10のやまびこ最終便をキャッチできるよね?」
「自転車で走れば間に合うと思います」
「それに飛び乗ってくれ。詳細は後でメールする」
「分かりました!」
それでやむを得ず彪志は自転車に飛び乗り、大宮駅まで走ったのだが、この後、彪志は一週間近く戻って来られなかった。
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