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■春約(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-09-23
青葉はアパートの荷物の中に、千里姉が制作中だった楽曲のデータが入ったパソコンあるいはハードディスクがあるはずだと思った。そこで新島さんに電話を入れる。新島さんは驚いていたが、結局彼女自身が名古屋に来るという話であった。
東京12:50-14:31名古屋
青葉が病院に辿り着いた時、千里(千里1)が名古屋で参加していたバスケットチームの赤星さんという人がお見舞いに来ていた。たまたま連絡ごとがあって千里の携帯に電話して事件を知り、驚いて駆けつけて来てくれたらしい。
そして青葉が到着して間もなく新島さんも到着する。
「でも何か雨でも降りそうな気配ですね」
「荷物の回収、早めに行った方がいいかも」
それで青葉と新島さんはすぐにアパートの方に向かうことにしたが、赤星さんも「力仕事なら戦力になりますよ」と言ってくれたので、3人で回収作業に行くことにした。
赤星さんが車で来ていたので、彼女の車で現場に向かう。
現場では多数の人が瓦礫の中から回収作業をしていたが、青葉はすぐに信次の会社の人を識別して声を掛ける。
「お疲れ様です。川島の親族の者です」
「それはこの度はお気の毒でした」
「作業代わりますね」
「雨が降りそうな雰囲気だから、早く済ませた方がいいです。それまで私たちも作業します」
「すみませーん」
この現場では、所有者がハッキリしないものが多いので、無事そうなものは誰のでも構わないから、取り敢えず各自回収しておき、あとで仕分けしようという方針ということであった。
「軽トラを持って来ているんですよ。そこの青いサンバーなのですが」
「分かりました。大事なものとかが無いか、そちらを先に見ますね」
それで青葉は軽トラ(建設会社の名前が入っているのですぐ分かった)の荷台の中に入っている物を確認し、また他の人たちが持って来ている軽トラも見せてもらったが、ハードディスクやパソコンっぽいものは見当たらない。
青葉はじっと現場を見て《探査》をした。
「あった」
と声を出すと青葉はその場所に行く。
「ここを50cmほど掘りたいのですが」
と青葉が言うと
「任せて」
と赤星さんが言って小型のスコップで瓦礫を掘る。
「ノートパソコンだ」
それを手で掘り出すと、液晶画面は割れているし、キーボードのトップもかなり飛んでいるが、多分ディスクは大丈夫だろうと思った。ハードディスクは厳重にシールドされているので、普通に水に浸けたくらいでは平気である。
ビニール袋に入れて赤星さんの車の荷台に載せてもらう。
青葉は近くに外付けハードディスクとかUSBメモリーとかがないか“探査”してみた。
「あ、ここだ」
青葉は手で掘って、パソコンが埋もれていた近くからUSBメモリを掘りだした。幸いにもキャップが閉めてある。これはこのまま読めるかも知れない。
キャップを開けて丁寧にティッシュで拭いた。これもビニール袋に入れ、そのまま新島さんが自分のバッグに入れた。
「どちらも東京に持ち帰って、専門家にデータを救出させるよ」
と新島さん。
「ええ、それで行きましょう」
そのほか大事そうなものを中心に回収作業は進んだが、夕方、雨が降り出したので、今日の作業は終了とする。湾岸地区に大家さんの知人が借りている倉庫があり、そこにみんな集まって、所有者のはっきりしない物を全部出して、見てもらい、それで大半の物が本来の持ち主の所に戻った。一部本当に誰のか分からないものがあり、それは大家さんが預かることにした。
川島家の荷物に関しては、結局会社は回収に使用した軽トラをそのまま貸してくれるということだったので、青葉がその車を運転して東京に行き、あとで返しに来ることにした。実際の千葉への移動は翌日か翌々日になりそうだったので、それまでは会社で預かってくれることになった。
新島さんは現場で回収したパソコンを持ってすぐ東京に帰るということだったが、青葉は彼女に言った。
「自宅に置いていたデータはそう無いと思うんです。今日の姉の状態を見た限りでは一週間くらい仕事になりそうにない気がします。新島さん、姉の作業部屋の方にも寄ってもらえませんか。何を持ち出してもいいですから。中には急ぐ曲もあったかも知れませんし」
「ああ、住まいとは別に作業場所を確保していたのか」
結局赤星さんにそのマンションまで送ってもらった。彼女とはそのマンションの入口のところで別れた。
青葉は予め千里のバッグから取り出しておいた合い鍵(どれがこのマンションの鍵かは《ゆう姫》が教えてくれていた)でマンションの中に入った。
「凄い楽器群!」
「まあ楽器の置き場にしていたようですね。でもここより東京の拠点のほうがもっと多いです」
「さっすがぁ! 私、自分が弾くピアノくらいしか楽器持ってないのに」
新島さんはここに置いてあるハードディスク全部と、パソコン3台を持ち帰りたいということだったので、青葉はだったら姉のアルトを使えばいいですよと言い、結局青葉が名古屋駅近くの駐車場に置いてあるアルトを取ってきて、ふたりで頑張って荷物をアルトに乗せ、新島さんはアルトを運転して東京に戻っていった。
警察の検屍が入ったので、信次の遺体は7月5日夕方、引き渡された。桃香と太一は話し合い、千葉で葬儀をすることにして、信次の愛車ムラーノに遺体を乗せ、桃香と太一・康子が同乗して、夜通し走って千葉に向かうことにした。
信次の遺体は180cm×53cmの棺に納め、荷室と後部座席の左側を使用して乗せる。ムラーノの室内は広く、荷室の後ろからインパネの所までの長さは290cmほどある。それでこの棺を乗せても、助手席を少しだけ前に出せば、助手席にも充分人が乗れる感じだった。後部座席も左側は棺でふさがっているが、右側はちゃんと人が乗れる。
それで太一が運転席、桃香が助手席、後部座席の右側に康子が乗ることにしたのである。
青葉は大丈夫かな?と心配したものの、まあ太一さんが運転するのならいいだろうと思った。そういう訳でムラーノには(生きている人間は)3人しか乗らないので、桃香が「じゃ千里は新幹線で帰そう」と言い、太一が運転する車は出発して行った。
しかし、千里の様子を見ると、とてもひとりでは危なそうである。
うーん。。。。これは、ちー姉を今のムラーノに同乗させて、お母さんに新幹線に乗ってもらったほうがよかったのではと青葉は思う。
だったら軽トラの移動はあらためてくることにして、自分が千里姉に付いていった方がいいかな?とも思ったのだが、その時、高橋課長が
「奥さん、まだショックを受けたままのようですね。誰か付き添いさせましょう。どっちみち、うちの社員も何人かお葬式には列席させたいし」
と言う。それで高橋は近くに居た男性社員に呼びかけた。
「水鳥君、すまないけど、川島君の奥さんを千葉まで送ってってあげてくれない?そしてそのまま2泊して、通夜と葬儀の手伝いをしてあげて」
高橋がそう言った時、同じ部屋にいた別の社員が物凄く変な顔をしたのを青葉は覚えている。それと青葉が奇妙に思ったのは、女性である千里姉を男性社員に送らせるということである。女性社員でこういう用事に使えるような人がいないのだろうか? いや建設会社なんて男社会だろうから、女性で出張とか命じられるような人はいないのかな?と青葉は思い直した。
「はい。分かりました。お送りしてきます」
とその水鳥と呼ばれた男性は言う。その人は少し顔色が青かったが、やはりショッキングな事故だったからかなと青葉は思った。
「千葉駅に着いたら、ここに電話して下さい。迎えに行かせます」
と言って青葉は彪志の電話番号のメモを渡した。
「そちらは奥さんの妹さんでしたね?川島君のオフィスに置いている私物も持って行きます?」
と高橋課長が言うので
「はい。できれば」
と青葉も答え、数人の社員の手で、信次の机の内容物、ロッカーの内容物が軽トラに積まれた。そしてブルーシートを掛けてしっかり留めた上で青葉は軽トラを運転して東京に向かった。
一方、桃香や太一たちであるが、浜名湖SAまで来た所で桃香が
「太一さん、精神的にお疲れでしょう。私が運転代わりますよ」
というので、
「じゃお願いします」
と言って、太一が狭めている助手席に窮屈ながらも乗り、桃香が運転して車は出発する
そしてそこから20分間、太一と康子は地獄的恐怖の体験をするのである。
太一は、もしかしたら自分も母ちゃんも信次の後を追ってあの世に行くことになるのでは、という気がしたと後から言っていた。
たまらず太一は
「すみません。腹の調子が悪いんで、次のPAでもSAでもいいから停めて下さい」
と桃香に言った。
「あら、夕方に食べたサンドイッチが悪かったですかね?」
などと言いながらも小笠PAに入れて駐める。
それで太一はトイレに行って来てから(康子もついでにトイレに行く)、太一は言った。
「だいぶ楽になりました。でも桃香さんもあちこち連絡したりして大変だったでしょう?俺はほとんど何もしてないから、俺が運転しますよ。桃香さんは寝ていてください」
と言って運転を交替した。
水鳥羽留は信次の突然の死に4日は早退し、その夜は一晩泣き明かしたのだが、この日は課長が自分と信次の関係を知っているのか知らないのか、たくさん彼に関する作業に関わらせてくれて、羽留は信次の遺品をしばしば抱きしめたりしながら、お仕事をしていた。
奥さんを千葉まで送って行ってと命じられたのは仰天したのだが、これは自分にしかできないことかも知れないという気がした。それで茫然自失状態の奥さんをガードして名古屋駅までまずはタクシーで移動。東京駅までの新幹線切符を買おうとしたら、千里が
「あ、新幹線の切符ならあります」
と言って回数券を1枚渡してくれる。
「わあ、こういうのお持ちなんですね」
「私、東京でたくさんお仕事があるから、毎週土日に東京に通っていたんです。川島も土日は忙しくて、毎週土日出勤していたから、ちょうど良かったし」
と千里が言う。
羽留はギクっとしたが、
「そうなんですよ。川島室長はいつもお忙しいようでした」
と言って、話を合わせておいた。
さすがに罪悪感が羽留の心を苛んだ。
しかし・・・信次ったら、奥さんは元男だと言っていたけど、それ絶対嘘だ。この人、どう見ても天然女にしか見えない。羽留も微妙に性別意識が揺れているので、その関係上、男装女や女装男を見分ける目が発達している。この人はどうにも女装男には見えないのである。
もしこの人が元男だというのであれば、生まれてすぐに性転換したとかでないとあり得ない!
千里は新幹線の中で窓の外(既に暗い)を見ながらぼーっとしていた。羽留も実は放心状態に近かった。
私もこの人も愛していた人を失ったんだなあ、と思うと羽留の心には微妙な連帯感ができていた。車内販売が来たのでアイスクリームを2個買って千里に渡す。
「ありがとう」
と言って千里はアイスを食べているが、やはりぼーっとしたままである。羽留もほとんどぼーっとしながら食べていた。
しかしこのアイス、冷えすぎ〜!と思う。
物凄く冷たい。
それでハンカチを取ろうとしてバッグを開けたら、指が何か紙に触れた。
ハッとして取り出す。
千里に見られないようにバッグの中で広げていたのだが、千里が気付いて
「あら、何かの書類?」
と言う。
その時、羽留は、自分でも驚くようなことを言ってしまった。
「あのぉ、会社の書類なんですけど、ここ奥さんに書いて頂きたいんですが」
と言って、その書類を差し出す。
すると千里は
「あ、すみませんね。色々お手数おかけして」
と言って、その書類の“妻が書くべき欄”に記入してくれた。
その間、羽留は、うっそー!?何で私こんなこと言っちゃったの?と思う一方、この人自分が何に記入しているか分かってないの〜?と思っていた。
千里の後ろの子たちはざわめいていた。
「どう思う?」
「問題無いと思う」
「俺もそう思う」
「うーん・・・」
と悩んでいる子もいたが、結局みんな中止させるほどのことではないという結論に達した。
「そもそも本人は死んでいるから、この書類は無効」
「うん。提出しても拒否される」
「じゃ、全く問題無いな」
信次の遺体と一緒にムラーノで千葉に向かっていた桃香や太一たちは、7月6日午前中に千葉に到着したが、太一と康子の希望で、信次の遺体を千葉の病院の医師に診せた。
信次の遺体のあちこちにかなり深刻な悪性腫瘍ができていることが検屍の時に発覚し、なぜこれを4月に手術した時に発見できなかったのだ?と康子が憤慨したからである。実際信次の遺体を見た医師は
「これは事故に遭わなくても一週間以内に死亡していたと思います」
と言った。
もっとも医師は本当は建材に潰されたのと癌とどちらが死因なのか悩んだ。この状態では生きていること自体が信じられなかった。普通はここまで酷くなる前に死亡するので、常識的に考えて、こんなに癌が進行することがあり得ないのである。
しかし癌の兆候が春の段階でも発見可能であったかどうかについて医師は言葉を濁した。
太一たちは別の医者にも診せたが、似たような意見だった。
康子は医療過誤訴訟をしたいと言ったが、太一は
「こちらの先生も言っていたように、今は確かに酷い状態ではあるけど、春の段階でも酷かったかどうかは分からない。癌って、物凄く勝負の速いケースがあるから」
と言って、康子の考えには賛成しなかった。
この件については弁護士さんの意見も聞こうということになった。
それで7月7日午後、信次の遺体は荼毘に付し、その後葬儀も行った。
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