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■春秋(6)

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「当時、卵子は近々採取予定のものが数個確保できるという話だった。ところが、精子は冷凍のものが2個だけ残っていると言われた。それで卵子提供者がホルモン剤で調整して代理母さんの生理周期に合わせ、排卵直前の状態にした卵子を提供者の卵巣から取得する。これがこの時5個あったらしい。この卵子が入ったシャーレに、解凍した精液を流し込み、受精して分裂し始めるのを待った」
 
「実際にはこの1回目の5個の卵子が全て受精したものの、実際には4個だけが胚まで育ったので、2個を代理母さんの子宮に投入し、2個は冷凍保存したそうです。2個投入したものの1個だけが着床し、それで産まれたのが理香子だということでした」
 
「理香子が生まれて1ヶ月くらいした所で、次の子を作ろうと言って、冷凍保存していた2個の胚を別の代理母さんの子宮に投入しましたが1個はそもそも冷凍か解凍時に壊れてしまっていたようで、1個だけが着床し、それで産まれたのが、しずかです」
 
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「そしてしずかが産まれてすぐに、次の体外受精を行いました。僕たちは子供は2人も居れば充分だからと言ったのですが、当時、母たちは有稀子さん自身が妊娠できなかった時のための《予備》の子供が必要だったんですね」
 
「この精子提供者の精子はこれが最後になるので、体外受精もこれが最後ということでした。卵子は7個採取して、やはり同様にシャーレの中に解凍した精液を流し込んで受精させました」
 

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「それはタイミング的に2003年9月下旬ですよね?」
「そうです」
「もしかして十勝沖地震の時期ではありませんか?」
と青葉が訊くと、亜記宏は難しい顔をし、小さな声で言った。
 
「川上さん、織羽が性分化障害を起こしたことと、地震は関係あるでしょうか?」
「やはり、地震の時、胚を育てている最中だったんですね?」
 
「そうなんですよ。胚はシャーレの中で人工授精させてから5日ほど育てるのですが、その途中で十勝沖地震が起きました。その衝撃で7個の卵子の内3個が死んでしまったらしいんです」
 
2003年9月26日に十勝沖地震が起きて、北海道は大きな震度に見舞われている。実際にはこの時の人工授精を実施したのが9月24日、胚移植をしたのは29日らしい。
 
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「じゃ残った胚も傷付いた可能性がある訳ですね」
「お医者さんを含めて誰にも言ったことが無かったのですが、個人的にはひょっとしてという思いはありました」
 

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しばらく何も言っていなかった千里が発言する。
 
「今回出てきた仮説、多津美ちゃんも実は春美さんの子供なのではないかというのを説明するためには、多津美ちゃんはこの時、移植されずに冷凍保存された胚を織羽ちゃんが生まれた1年後に解凍して有稀子さんの子宮に投入したことになりますよね」
 
「そうなると思います」
と亜記宏は考えながら言った。
 
「その場合に疑問があるのは、障害のある子供が産まれた時と、一緒に人工授精させておいた胚を、よく使う気になったなという点なのですが」
と千里は指摘する。
 
この問題はみんな悩んだ。
 
「当時、この体外受精を主導していたうちの母と洲真子さんがふたりとも既に亡いので、実情は分かりませんけど、織羽は確かに性分化障害だけど、遺伝子には異常が無いので、だったら問題無いと考えた可能性はあります」
 
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「なるほど」
 
「そして一方で、たぶん駆志男さんの精子では受精卵が育たないということがほぼ明確になって、有稀子さんの年齢の問題もあったから、この残っている胚を使っちゃおうという話になった可能性もあります」
 
「ああ」
 
2005年当時、有稀子は既に35歳である。多津美の妊娠はまさにラストチャンスに近かったであろう。
 
「でも性分化障害は織羽ちゃんが産まれた時に分かったと思うのですが、当時その子供の受け取り拒否みたいなトラブルは無かったんですか?」
と千里は尋ねる。
 
「私たちは代理母の契約をする時、産まれてくる子供がどんな状態であったとしても受け取り拒否しませんし、代理母さんには一切迷惑を掛けませんという契約書に署名していました。それに性別の曖昧な子の扱いには、あんた慣れているだろうから、何とかなるよとうちの母が私に言ったんですよ」
 
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と亜記宏が言うと、春美は苦笑している。
 

「次に明らかにしておきたいのが、2007年のできごとです」
と天津子は言った。
 
「この年は実に様々なイベントが起きています。表にまとめてみました」
と言って、天津子はプリントした表を示す。
 
2007.04 交通事故で駆志男死亡・実音子入院。
2007.06 弓恵死亡。
2007.07 四十九日。亜記宏は稚内に修行に行く。
2007.08 春美の会社倒産。
2007.11 春美の自殺未遂
2007.11 実音子死亡
 
「イベントはこの後、2008年に食堂の爆発、騨亥介さんの自殺、洲真子さんの認知症発症、そして亜記宏さんと子供たちの逃避行開始と続きます。一連の出来事は、2009年2月初旬、織羽ちゃんが私に保護されたことでひととおり終了しますが、ここで片付いた背景には、織羽ちゃんが、実音子さんの描いた呪いの呪符を無効にしてしまったことがあることは、以前お話しした通りです」
 
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と天津子は説明した。
 
「あれ?」
と亜記宏が表を見ながら言った。
 
「春美の自殺未遂と、実音子が亡くなったのって、同じ頃ですか?」
 
「その話をしようと思いました」
と天津子は言った。
 
「実音子さんが亡くなった日時は戸籍上に記録が残っています。11月12日の夕方17:52です。そして、春美さんが自殺未遂した日時なのですが」
と天津子は言葉を切って
 
「千里さんどうぞ」
と言った。
 
「春美さん、その日付は覚えておられないでしょう?」
 
「はい。後で訊かれたのですが、私自身記憶が無かったし、私を助けてくれた紅姉妹にしても、そういうの何かに記録しているような人じゃないし、私は最初の頃、ただここに滞在していただけなので、牧場にも記録が残ってないんですよ」
 
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「春美さん、自殺未遂の直前にペニスの切断手術を受けましたよね?」
と千里は訊いた。
 
「あ、はい」
「それで退院する時に、同様の手術を受けようとしていた高校生に声を掛けましたでしょう?」
「あ、はい。それ私言ったの・・・かな?」
と春美はそれも不確かなようだが
 
「私が以前聞きましたよ」
と天津子が言っている。
 
「ああ、私ってホントに記憶が無い」
と春美。
 
「その声を掛けられたのが私の友人なんですよ」
と千里は言った。
 
「え〜〜!?」
 
「彼女はその手術を受けに行ったものの、春美さんに唆されて逃亡してしまった。手術を予約した日は彼女は手帳に書いていました。当時の手帳を探してもらい、おかげで日付が11月12日と確定しました」
 
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春美も亜記宏も、厳しい目をしている。この2つの日付が同じ日だというのは偶然とは考えられない。
 
「春美さんは旭岳に登って、美しい山の景色を見ながらここで死のうと思ったということです。つまりこれは日没前なんです。当日の日没は16:09です。しかし大宅さんたちが駅員さんから不審な女性がいたと聞き、探しに行ったのはもう日が暮れた後だったそうです。当日の日暮れは16:48です。つまり春美さんが自殺しようとしたのは16:00頃で、おそらく17:00頃に救出されたものと考えられます」
 
と千里は説明した。
 

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「もしかして、春美が自殺を図ったのは実音子の呪いで、実音子が死んだのは、春美が生還し呪いが失敗したので、その呪い返しにやられたとか?」
と亜記宏が言った。
 
天津子も青葉も千里もその質問には答えなかった。
 
「僕は春美が自殺を図ったというのに少し違和感を持っていたんです。こいつ自殺なんてものからはいちばん遠い存在だし」
と亜記宏が言うと
「私だって死にたくなることくらいあるよ、こういう浮気者を恋人に持ったら」
と春美が抗議している。
「ごめーん」
と亜記宏は謝っている。
 
「実音子さんは、おそらく自分の死期をだいたい悟っていたのだと思います」
と千里は言った。
 
一同が暗い顔をする。
 
「それで自分が死んでしまったら、きっと亜記宏さんは喜んで春美さんと再婚するんだろうと思った。結局自分が亜記宏さんと結婚している間も、亜記宏さんの気持ちはずっと春美さんに向いていた。実音子さんとしては、それがきっと許せない思いだったんでしょうね」
 
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と千里は静かに語った。
 
場の雰囲気は、それ以上の説明を求めていないと青葉は感じ取った。
 
しかし・・・千里姉は自分のこと棚に上げているよなあとも思う。
 

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「さて、ここまではまだ前哨戦です。いよいよ問題の核心に迫りたいと思います」
と天津子は言った。
 
「私たちは以前『ボタンの掛け違え』的に、亜記宏さんが実音子さんと急接近し、結果的に亜記宏さんと春美さんの関係が壊れてしまった経緯について話し合いました」
 
それはもう5年も前のことになる。あれ以降、天津子はずっとこの問題について考えていたものの、どうにも「パズル」がうまく組み立てられなかったのだと言った。
 
「それで亜記宏さんって、結局実音子さんとは1度しかセックスしてないんですよね?」
と天津子が言う。
 
「はい、そういうことになります。2001年1月6日のことです」
「それ本当にセックスしたの実音子さんでした?」
「え!?」
 
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「例えばですね。部屋を暗くして、その間に別の女性と交替していたとか」
 
「え〜?そこまで疑われると自信ありません」
「実際、その1度しかセックスしたことがないのであれば、間違い無くその人だと断言するのは難しいかもね。比較のしようがないから」
と春美は言う。
 
「そしてもし本当にそれが実音子さんだとしてもですよ。間違い無くヴァギナに入れましたか?」
と天津子は訊く。
 
「え〜〜〜!?」
と亜記宏は思わぬ質問に声を挙げる。
 
「それも、そう言われたら、自信が無くなってくる・・・・」
「アキって、それまで女の子のヴァギナに入れた経験が無いよね?まあ、私以外にも昔から恋人がいたのなら分からないけど」
と春美が言う。
 
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「春美以外では付き合った子はいない」
「つまりセックスしたのは実音子さんと1度、有稀子さんと3度以外は私としかしてないということかな?」
「うん」
 

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「実はですね。私もあまり呪(のろ)いを掛ける類いの魔術には必ずしも詳しくなかったのですが、例の春美さんの写真の裏に書かれた呪符ですが、あれを最近になって呪い関係に詳しい人に見せたところ、あの呪符は性交の経験の無い人が書かないと効果が無いという話だったのですよ」
 
「へ?」
 
「ですから、あの呪符が効果を発揮していたということは、実音子さんは性交の経験が無かったとしか考えられないのです」
と天津子は言った。
 
「後ろ使っていてもアウトだよね?」
と千里が言う。
 
「うん。後ろはアウト。お口ならセーフ。すまたや脇の下もセーフ」
 
と天津子は言った。さすが千里さんはそのあたり詳しいなと天津子は思う。一方、青葉は、ちー姉っていつも素人を装うくせにこういう知識が凄すぎるんだよなあと思っていた。きっとちー姉は「表」も「裏」もかなりの経験を積んでいる、と青葉は思った。
 
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しかし・・・タネを明かすと、実は千里は天津子の思考を無意識に読んだだけである!千里は実は無意識に他人の思考を読んでしまい、結果的に勝手に相手から「この人凄い」と思われている部分が大きい。
 

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「あと、実音子さんの子宮に胚を投入したという話、それから育たなかった胚を人工流産させたという話、それは実際に亜記宏さんが見た話ですか?」
 
「あ、いえ。その時期、ちょうど僕はやむを得ぬ仕事上の急用で海外に出張していたので、本人と本人のお母さんから聞いたのですが・・・まさか」
 
「それも嘘という気がします」
と天津子は言う。
 
「私はですね。そもそも実音子さんが生物学的には女性ではなかったのではと考えているんですけどね」
と天津子が言うと
 
「え〜〜〜〜!??」
と亜記宏と春美が叫ぶ。
 

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