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■春秋(2)
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ほかにケイが、サマーガールズ出版の備品のフルートを何本か出して来てくれた。
春の福島のライブで青葉自身が借りて使ったヤマハのフィネス YFL-777。オフセット、リングキイ、Eメカ。総銀、引き上げ。
ムラマツのDS。インライン、リングキイ。Eメカ。総銀。引き上げ。これは風花の愛用品と同じモデルである。
結果的に青葉は、ヤマハ・サンキョウ・アルタス・ムラマツという日本の主要フルートメーカーの製品を1つずつ吹いてみたことになる。
「ヤマハが好みです」
と青葉は言った。
「まあヤマハは優等生だからね。個体差も少ないし。でもたくさん練習すればムラマツとかサンキョウの方が良い音が出るようになるんだけどね」
と七星さんは言っている。
「サックスを選ぶときも似たようなことをおっしゃいましたね!」
「そうそう。それでヤナギサワになったね」
「でもたぶん私、フルートはサックスほど一所懸命は練習しないと思うんですよ」
「だったらヤマハが無難かもね」
とケイも言った。
「ところでこういう写真を入手したのだが」
と言っておもむろにマリが写真の“プリント”を出してくる。
(マリは携帯に写真を入れておいても、頻繁に過剰電流が流れて携帯が壊れてしまうのである)
千里が額に手をやって苦笑している。
「これ高校生時代のちー姉?」
と言って青葉が驚いたようにその写真を見る。
夕焼けか朝焼けかは分からないが、海岸っぽい所で女子高生っぽい服(ブレザーにチェックのスカート)を着た千里が長い髪を風にたなびかせて、フルートを吹いている様である。
物凄く美しい。
「千里可愛い!」
とケイが言う。
「千里が高校3年間、女子高生をしていたという証拠写真だよ」
とマリは言っている。
「木管フルートだね」
と七星さんが言った。
「うん。材質はグラナディラ。今回は選考対象じゃないだろうと思って持って来なかった。チェコ製の木管フルートだよ。実は冬山修行をしながら吹くのに使っている。冬山では金属の楽器は指にくっついて吹けないから」
と千里。
「いや冬山でフルート吹こうというのが凄い」
とケイ。
「だって私、時間無いし」
「無いだろうね!」
「ソルダードとドローンの差って考える必要あるんでしょうか?」
と青葉が質問すると
「私やケイなら気にしない。七星さんなら気にする」
と千里が言う。
「だったら私もたぶん気にしなくてよさそう」
と青葉が言うと、七星さんも笑っていた。
「ヤマハのフルートの場合、安い方から、スタンダード、フィネス、イデアルというランクがあるんだけど、ドローンでもいいのなら、フィネスでいいのかもね」
「ということになると、このYFL-777ですか」
「ただそれオフセットなんだよね〜」
「このクラスでインラインのモデルは無いんですか?」
「あるけどEメカが付いてない」
「うっ・・・」
「いや、インラインでEメカ付けるのは構造上結構難しい」
と千里が言う。
「インラインでEメカということになると、最高級仕様のイデアルになるね。ソルダードのYFL-897、ドローンのYFL-897Dがある」
「お値段が違いそう」
「ソルダードが92万円、ドローンが74万円」
「ああ。20万も違うのか」
「そりゃソルダードは作るのに物凄く手間が掛かる。ちなみにフィネスは495,000円」
「イデアルのドローンにしようかな」
「ちなみにイデアルを考えるなら、コンセプトモデルのビジューとかメルヴェイユというのもある」
「それはどう違うんですか?」
「まあ音の響きの好みだね」
「ああ」
「それは実際に楽器店で試奏させてもらって確認するといいかも」
それで結局、このメンツでぞろぞろとヤマハの楽器店に行ってみた。楽器店の人は顔なじみの七星にとても親切で、展示用の楽器を快く試奏させてくれた。
先にイデアル(YFL-897D)を吹く。吹いてみて青葉はびっくりした。
「なんでこの楽器、こんなに鳴るんですか!?」
「凄いでしょ」
「ええ」
「それとこれ、さっき冬子さんの所で吹かせてもらったフィネスより軽い気がするのですが」
「物理的な重量ではフィネスよりイデアルのほうが重いはずなのですが、イデアルを軽く感じる方がけっこうおられるようです」
とお店の人も言っている。
続いてメルヴェイユを吹いてみる。ここでまた青葉は驚く。
「このフルート、音が物凄く豊かですね」
と青葉。
「平均律ではないのには気付いた?」
と七星さんが尋ねる。
「はい」
「よく音が響くような音程設計がされているんだよ」
「なるほどー」
続いてビジューを吹いてみた。これを吹いた後、青葉は何とコメントしていいか分からず、少し悩むようにした。
「これもしかしてメルヴェイユの方が後から開発されました?」
と青葉は訊いた。
「そうそう。ビジューができて、その後、吹きやすさとかを改良したのがメルヴェイユ」
「まあ、後は好みの問題だね」
と七星さんは言った。
青葉は5秒ほど考えてから決断した。
「個人的にはメルヴェイユの音の響きも魅力的なんですが、私の場合はむしろちゃんと平均律の音で出てもらった方が助かると思うんです。ビジューは吹きこなすと面白そうですが、私には荷が重いかも。ですから結局イデアルかな」
「うん、それでいいと思うよ。音階の問題は、また数年後に金製のフルートを買う時に悩むといいよ」
と七星さんは微笑んで言った。
「金のフルートなんて無理です!」
さっき試奏したのがイデアルのドローン・タイプだったのだが、七星さんの顔で、ソルダードも試奏させてくれた。
「これは違いがありすぎます」
と青葉が言った。
「青葉ちゃんくらいだと差が出るよね」
と言って七星さんは笑っている。
マリが
「何か違いがあった?」
とケイに訊く。ケイは
「私には分からない」
と言ったが、千里は
「結構明確に差が出たね」
と言っている。
「七星さんは差が出ないでしょ?」
「うん」
「ちー姉も差が出ないよね?」
「私はドローンばかりだし」
「そうか!」
「いや、千里さんの肺活量なら、ソルダードを充分吹きこなせるはず」
と七星さんは言う。
千里がマリやケイに説明する。
「今青葉が吹き比べた2本では、ソルダードの方はあまり鳴らなかったんだよ」
「じゃドローンの方がいいの?」
とマリが訊く。
「初心者にはね」
と千里。
「そういうことか!」
ケイも、なるほど〜という感じで頷いていた。
それで青葉は
「じゃイデアルの引き出し(ドローン)の方にします」
と言った。
「まああまりたくさん練習できないかもというのなら、その選択かもね」
と七星さんも言った。
そういうことで、青葉はヤマハ・イデアル・ドローンモデルのYFL-897Dを買うことにしたのである(インライン・Eメカ付き・総銀)。定価799,200円である。
9月20日。
海外の大会に行っていた貴司は帰宅すると玄関の前に妻の阿倍子と長年の恋人である千里が座って並んでこちらを睨んでいるので仰天する。
それでふたりの気迫というか「正直に答えなかったらおちんちん切断」という脅迫!に負けて、貴司は8月中に浮気をしていたこと、相手とは実はまだ切れていないことを告白した。
翌21日、千里はその浮気相手を呼び出し、千里と貴司と彼女の3人で話し合いを持ち、貴司と彼女が別れること、今後一切ふたりが会わないことを誓わせ、念書まで書かせた。その場で携帯のアドレス帳からお互いの連絡先を削除させ、一週間以内に彼女には携帯番号・メールアドレスも変更してもらうことも念書には盛り込んだ。貴司にも携帯番号とメールアドレスを変更させた。
ちなみに相手の女性は千里を貴司の奥さんだと思っていたようである。阿倍子ではなく千里がこの話し合いに出たのは、阿倍子は自分ではそういう交渉をする自信が無いと言ったからである。
そして・・・阿倍子は京平を連れてマンションを出てしまった。
貴司の浮気は頻繁すぎて今更なのだが、阿倍子としてもとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった感じであった。
そして22日。
千里は朝からその阿倍子が泊まっているホテルで、彼女の看病をしていた。怒りの感情が体調を狂わせてしまったようで、熱が出たのである。《びゃくちゃん》の見立てでは、風邪などでもなく単純に身体のバランスが取れなくなっただけだから1日寝ていれば治るだろうということだった。
「ごめんね〜。こんなにしてもらって」
と阿倍子も恐縮している。
「まあ今回は共同戦線ということで」
と言いつつ、そういうことを以前、緋那さんともやってたなあと千里は昔のことを思い出していた。
「ママ、びょうき?」
と京平が心配そうに阿倍子を見て言う。
「ごめんねー、京平。今日はユニバーサル・スタジオに連れていく約束してたのに」
「ママがびょうきなら、ぼくがまんするよ」
と京平は子供にしてはなかなか健気(けなげ)である。
「ああ、パパとママと3人でユニバーサル・スタジオに行くはずだったの?」
と千里が訊く。
「うん、お・・・ちさとおばちゃん」
うっかり『おかあちゃん』と言いそうになって『ちさとおばちゃん』と言い直したなと千里は思った。『おかあちゃん』というのは、千里とふたりだけの時のみ呼んでいいという約束をしているのだが、ちょっと気が緩んだのだろう。
その時、阿倍子が言った。
「ね、千里さん、今日はお時間ある?」
「あるけど」
本当はレッドインパルスの練習があるのだが、それは《すーちゃん》にやらせる手もある。彼女は嫌がるだろうが。さすがに試合に出す訳にはいかないものの練習なら何とかなるのではという気がする。
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春秋(2)