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■春老(13)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-07-24
戦いは1分以上続く。
青葉は内心焦っていた。
千里からエネルギーをもらっているので、何とか自分と《雪娘》《海坊主》の3人をフルパワーで動かし続けている。それでも相手は強い。
苦戦しながら《海坊主》の方を見ると、《海坊主》も結構苦戦している気がする。
負けたら・・・・自分が死ぬことになる。
まだ死にたくないから、ここは絶対に倒さなければならない。しかし本当に相手は手強かった。
そして青葉の感覚で2〜3分戦っていた時のことであった。
一陣の強い風が吹いてきたので青葉は思わず目の所に右腕を当てた。
そして目を開けた時、目の前の相手は消滅していた。
『雪ちゃん?雪ちゃんが倒したの?』
『分かりません。今一瞬私も意識が飛んでしまって。気づいたら何も居なかったです』
『まさか逃げた?』
《雪娘》は少し考えるようにしていたが言った。
『逃げてはいません。消滅したと思われます』
ハッとして《海坊主》の方を見る。
『海ちゃん、どうした?』
『突然消滅した。どうなってんだ?逃げたのか?くそー!あと少しで倒せそうだったのに』
青葉が戸惑うようにしていると、いつの間にか出羽の八乙女のサブリーダー・美鳳さんがそばにいた。
「美鳳さん!?」
「青葉も雪娘も、修行がなってないなあ。海坊主はわりと頑張った。でも、あんたたち3人、剣道部にでも入って鍛える?」
「それやると、剣道部の怪異に巻き込まれそうだから遠慮します。美鳳さんが助けてくれたんですか?」
と青葉が尋ねると
「私たちがこの手のものに直接手を出さないこと知ってる癖に」
と美鳳は言う。
それはそうなのだ。神様は俯瞰するのみであり、決して人間のあり様に干渉しない。
「まあ、お姉ちゃんに感謝しときな。今うまい具合に向こうは紅白戦のハーフタイムに突入したんだよ。タイミングが悪かったら、あんたたち負けてたよ」
千里がどうも出羽に絡んでいるっぽいのは、菊枝から聞いて知っていたのだが、美鳳さんから直接千里のことを聞いたのは初めてであった。
「今度、鰤でも送っておきます」
「じゃ、サービスでそいつだけは私が連れて行ってあげるよ。禁固300年の刑だ」
と言って美鳳は倒れているサトギを軽々と抱えて!姿を消した。
しかし・・・・何か疲れたなと青葉は思った。まるでハーフマラソンでも走った後のような激しい疲労だ。
筒石さんは戸惑っている。
「川上!? 今、何が起きてたの?」
「何も」
「今チャンバラしてなかった? なんか凄い巨大な怪獣みたいなのがいて」
ああ、あの<親玉>は、さすがに筒石さんにも見えたんだ!?
「気のせいでは」
「最初に変な鬼の金棒みたいなの持った男が襲ってきたんだけど・・・あれ?いない。逃げたのかな。警察に通報しようと思ったのに」
などと言った時、
「あ、マソさん」
と筒石はまだ呆然とした表情で立っているマソに気づいて呼びかけた。
「私・・・何してたんだろう?」
と彼女は言っている。
青葉は地面をチラッと見たが、彼女が持っていた小刀も消滅している。
「マソさん、少し泳がない?」
と青葉は言った。
「え?でも私、足が・・・」
とマソが青葉にだけ聞こえるような小さな声で言う。
「大丈夫ですよ。マソさん強いから片足だけでも十分泳げますって」
と青葉も小さな声で励ました。
それで青葉は筒石とマソをヴィッツの後部座席に乗せ、市民プールに行った。青葉が
「デートのお邪魔したお詫びに」
と言って、まとめて入場料を払い中に入る。
更衣室の前で分かれる。青葉は筒石の視線に気づいて言った。
「部長も女子更衣室に来ます?」
「いや、それは無理」
手を振って分かれ、青葉とマソは女子更衣室に、筒石は男子更衣室に入る。
「あ、私、水着持って来てない」
とマソは言うが
「きっと持ってますよ。荷物見てみて」
と青葉が言うとマソは自分のバッグを見ている。
「あ、入ってた」
と言って競泳用の水着を取り出した。
「格好いいですね」
「これ日本選手権に出た時のだ」
それでいざ着替えようとするものの
「私、恥ずかしい」
とマソが言い出す。
「大丈夫ですよ。誰も見てませんって」
と言って励ます。
それで何とかプールに出る。
「マソちゃん、足は?」
筒石は今初めてマソの義足に気付いて驚いている。
「交通事故で失ったんですよ。それでこの人、事故に遭う前はオリンピック代表になるかもという凄い選手だったのが、泳ぐ自信失っちゃって」
と青葉は説明する。
「そうだったのか。知らなかった。ごめんね。気づいてあげられなくて」
「ううん。私特に何も言わなかったし」
それで筒石さんと青葉で励ましてマソを水に入れた。彼女の義足は笹竹に持たせておいた。マソは最初はおそるおそるであったが、すぐに自分がちゃんと泳げることに気づく。
片足のキックがうまく効かないので左右のバランスが取りにくそうだったが、1往復もするうちに、ちゃんと片足だけでも進行を制御できるようになる。
このあたりがさすが日本代表レベルの運動神経である。
「マソちゃん、ちゃんと泳げるじゃん」
と筒石。
「うん。自分でもびっくりした」
とマソ。
マソは結局25mプールを30往復以上した。最後の方はペースが乗ってきて筒石もかなり頑張らないとマソに置いて行かれそうになるくらいであった。
「マソちゃん、マジでオリンピックレベル。男子に出てもいいくらい」
「あ、私性転換しちゃおうかなあ」
「それは勘弁して〜」
「筒石さんも一緒に性転換すればいいかも」
「え〜〜!?」
「でもマソさん、これだけ泳げたら満足した?」
と青葉は尋ねた。
「満足したかもー」
とマソは笑顔で言った。
「じゃ上に行こうか?」
「うん。行く」
マソは
「川上さん、筒石さん、ありがとう」
とふたりに感謝の言葉を言うと、すっと姿を消した。
「マソ!?どこ行ったの?」
と筒石さんが慌てている。
「成仏したんですよ。あの子、幽霊だったから」
「嘘〜!?だって俺、あの子とセックスもしたのに」
「幽霊だってセックスくらいしますよ。牡丹灯籠の話はご存じないですか?」
「え〜〜!?」
「セックスした時は彼女の足に気づかなかったんですか?」
「うん。恥ずかしいから絶対にあかりをつけないでと言うから暗い中でした」
「彼女、私たちに感謝すると言っていたし。来世はまたきっと水泳選手に生まれ変わりますよ」
青葉はそう言って、彼女があがって行った上方を見上げていた。
・・・・が「へ?」と思った。
何だろう?これ。
5月3日。青葉は金沢市内で圭織と会って、事件の報告をした。
「結局、筒石さん振られちゃったか」
「でも死ななくて済んだから。襲ってきた男の幽霊を回し蹴りした時はびっくりしましたけど」
「前に死んだ3人の部長って、みんな運動能力はあまり無かったし」
「そうなんですか!?」
「うちの部は4年生で、練習にはマジメに出てくるけど、大会にはあまり出られない子に部長をやらせるのが伝統。部長やってたなんて、就職に有利になるじゃん。ただ、溝潟君のあと適当な人がいなかったし、部長が3代続けて死んでみんな尻込みしてたから、実力No.1で幽霊とかジンクスとか一切信じてない筒石君が俺がやってやると名乗り出たんだよ」
「なるほどー」
「しかしそのマソさんだけどさ」
と圭織さんは言う。
「はい」
「それ絶対自殺じゃないよ」
「やはり、そう思いますか?」
「そんな人が死ぬ訳無い。片足でだって両足の人より速い速度で泳いでやるとか言って人の倍練習すると思う」
「そうかも知れません」
「ジャネさんもきっと意識を取り戻したら、また頑張って練習するよ」
青葉は目をぱちくりさせた。
「あのぉ、ジャネさんって亡くなったんじゃないんですか?」
「生きてるけど」
「え〜〜〜!?でもでも、圭織さん、ジャネさんが病院の窓から飛び降りて亡くなったって言いませんでした?」
「ううん。ジャネは飛び降りはしたんだけど、3階だったからさ。その高さから飛び降りて死ぬ訳無い」
「生きてるんですか?」
「飛び降りたので頭を打ってさ。意識を失ったまま。もう1年くらいかな。ただ、医者は物理的な障害は無いはずだから、やがて意識を取り戻す可能性はあると言っている。だからお母さんが毎日ずっとそばで話しかけているんだよ。話しかけるのがいちばんいいらしいからさ、ああいうの」
「良かった」
青葉は心底良かったと思った。ひとつの命が失われずに済んだのは、本当に良かった。
「私を連れて行って下さい。回復のお手伝いができるかも知れません」
「ほんと?」
それで青葉は圭織と一緒に、ジャネが入院しているK大学病院に行った。
お母さんは枕元で本を読んであげていた。
「いや、お医者さんから話しかけてあげてくださいと言われたものの、1年も経つと話のネタが無くなっちゃって」
などとお母さんは言っていた。
「落語の本を読んでいたんですか?」
「ええ。こういうの読むと、この子、喜んでいるような気がして」
青葉は考えた。もし可笑しい話に反応して喜んでいるとしたら、それは植物状態ではなく「最小意識状態」と考えられる。
こちらの呼びかけに対して反応しない場合、大きく分けて3つのケースがある。ひとつは昏睡状態(Coma)、つまり深く眠っていて神経系統も止まっている状態である。全身麻酔はこれに近い状態を人工的に作り出すものだ。
2つめが「閉じ込め症候群(Locked-in syndrome)」である。これは意識はあるのに、それに対して反応する運動中枢がいかれている状態。つまりこちらの言っていることは全部分かっているが、手足も動かず言葉も話すことが出来なくて、自分の意志を伝える手段が無い状態だ。
3つめがいわゆる「植物状態(vegetative state)」で、昏睡状態と違って覚醒はしている(覚醒と睡眠のサイクルがある)ものの、意識が無いという微妙な状態である。植物状態が4週間以上続く場合はpersistent vegetative state(持続性植物状態)と呼ばれる。日本語の医学用語では最近「遷延性意識障害」と呼ばれている。
ところが近年、今まで植物状態と思われていた患者の中で、実は僅かながらも意識を持っているケースが結構あることが分かってきた。
例えばある患者は鏡を近くに持って行くと、眼球がそれを追尾した。またある患者は「テニスをしている所を想像してみて」と言ったら、脳がちゃんとそのような想像をしているような動きをしていることが、脳スキャナーにより観察された。
このような患者は意識が全く無いのではなく、ひじょうに小さな意識が働いているとして、これを「最小意識状態(Minimally Conscious State)」と呼ぶことにしたのである。
そして実際、多くの植物状態の患者が、最小意識状態を経て、意識回復に至ることが分かってきている。それはいまや「奇跡」ではなくなってきているのである。この意識の働きを強めるため、電気刺激を与えたり、また効果があるとされる薬の投与などの治療も行われている。
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