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■春老(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-07-23
青葉がホテルに戻ったのは、もう夜11時くらいである。
今日は密度の高い1日だったなあと振り返る。しかし社長にも言ったが、まさかこんな大変そうな案件が、1日で片付いてしまうとは思いも寄らなかった。
ステラジオのホシちゃん、精神的に辛いだろうけど立ち直って欲しいな、と思った時、青葉は水泳部のほうの事件の中で、死亡者中唯一の女性だったジャネさんという人のことを考えてしまった。
彼女は事故から精神的に立ち直ることができなかったんだなと思う。ああいうスポーツやっている人には、鋼の心臓を持つ人と、物凄く繊細な人の両極端があるような気がしてきた。
お風呂に少しゆっくりと入ってから寝ることにする。
身体を拭いてしばらく裸のまま涼んで、その後裸の上にそのままガウンを着てベッドに潜り込む。
「お休みなさい」
と言って寝ようとした時、電話が掛かってくる。冬子である。
青葉は
「私は高岡に居ます、私は高岡に居ます」
と自分に言い聞かせてからオフフックした。
「おはよう、青葉」
「おはようございます、冬子さん」
「それでね。今度のツアーでの演奏なんだけど、一昨日の地震で熊本は凄い被害出てるみたいじゃん」
「はい。あれ凄いですね。九州ってあまり地震無いのに。お城まであんなに崩れるなんてびっくりしました」
「それで政子が熊本の応援ソングを作ると言って」
「はい」
「『もっこす清正公』という曲を書いたんだよ」
「もしかして政子さんが曲まで書いたんですか?」
「五線紙の上に斜線を引いたり波線で揺らしたり」
「現代音楽っぽいですね」
「まあ私にしか読めない譜面だったから、普通の人が読める譜面に変換するのは私がやった」
「なるほどー」
「それで今回のツアーではその曲を毎回冒頭に入れることにした」
「あ、その譜面を追加ですか?」
「いや、この曲は私のアコギ1本で演奏する」
「へー!東北ゲリラライブの時のスタイルですね」
「そうそう、そうなんだよ」
「でもその1曲入れた影響で予定が変わってしまって。例によって演奏曲目は毎日微妙に変えるんだけど、構成上の都合で『女神の丘』を半分くらいの公演に入れることにした」
「はい」
「それであの曲は龍笛が入っているんで、まあ青葉なら問題無いだろうけど、念のため練習しておいて欲しいと思って連絡したんだよ」
そこまで冬子が言ってから、青葉は「忘れてた!」と思った。冬子から先月福島に行った時に、ゴールデンウィークのツアーでは龍笛頼むね、と言われていたことをすっかり忘却していたのである。
えーん!これ老化現象かなぁ。
慌ててローズ+リリーのツアー日程を確認する。
初日は・・・・4月29日・沖縄?
ちょっと待て。筒石さんを守るためには29日から5月5日くらいまでは彼の近くに居る必要がある。
「あのぉ、済みません、冬子さん」
「うん?」
「実はそのぉ、霊的な仕事の都合でどうしても今回のツアーに参加できなくなってしまって」
「え〜〜〜〜〜!?」
と冬子は驚いてから言う。
「それ困るよ。他のパートなら演奏できる人誰か見つかるけど、龍笛は人を選ぶ。下手な人には吹かせたくない」
「あっと今田七美花ちゃんとかはダメかなあ」
「彼女にはこのツアーで笙を吹いてもらうんで」
「うちの姉は・・・・忙しそうだな」
「どうだろう?青葉がどうしてもダメなら千里に訊いてみるけど。でもこんな直前になってから言わないでよ」
温厚な冬子さんが珍しく怒っている。いや、怒って当然だ。しかしこちらも筒石さんの命が掛かっている。
「ほんとに申し訳ありません。ちょっと人一人の命が掛かっているもので」
「うーん。それならやむを得ないだろうけど、困ったなあ」
それで冬子は「ちょっと代理演奏者が見つからないか何人かに訊いてみる」と言って、いったん電話を切った。
冬子からの電話は30分後に掛かってきた。
「千里は合宿中で不可だった」
「あ、そうか。そうですよね」
「天津子ちゃんはゴールデンウィークは信者さんたちと富士山に登るツアーなんだって」
「ああ。最近彼女には、信者さんが付いちゃってるみたいなんです」
「教祖様なのかな。でも青葉も教祖様だよね?」
「まあお年寄りの信者さんが多いですけど。天津子ちゃんは若い信者が多いみたい」
「あはは。彼女なら若い子が崇拝してしまいそうだよね」
むむむ。それやっぱり私は年寄りくさいのかなあ、と青葉は一瞬悩んでしまった。
「鮎川ゆまは南藤由梨奈のツアーとまともにぶつかるんだよ」
「ああ」
「他にも何人か訊いてみたんだけど急なことで都合がつかなくて。それで結局、千里が禁断の吹き手を紹介すると言ってきた」
「禁断の吹き手ですか!?」
「誰だろうね」
「それは分かりませんが、千里姉が紹介するのなら確かな腕の人だと思います」
「うん。私もそう思ったから、その話でお願いすることにした」
「そうでしたか。でも演奏者が見つかって良かった」
「うん。青葉も無理しないでね。青葉っていつも自分のキャパを超えた仕事の仕方してるからさ」
「ありがとうございます。気を付けます」
と青葉は答えた。
いつもこちらが冬子さんに言っていることを逆襲された感じだ!
青葉は日曜日の最終新幹線で高岡に帰還した。
18日・月曜日に大学から戻ると、朋子が
「高知の弁護士さんから連絡があって、こないだの高知行きの交通費を振り込んだって。これ明細」
と言って朋子はメールをプリントしたものを見せる。
交通費は一部その場で現金で仮払いしようかという話もあったのだが、女性親族たちから、高額の現金は落とすと怖いし、旅の途中だと「飲み代などで」男たちが使い込みそうという意見があり、帰宅後の振り込みに統一したのである。
「伏木から金沢駅まで能越道・北陸道経由で54km、燃費10km/Lで計算して5.4Lをリッター140円で計算して756円に高速料金1190円、往復で3892円。公共交通機関部分が金沢から新大阪まで特急で7650円、新大阪から伊丹空港まで630円、伊丹空港から高知空港まで20700円の合計28980円。これの往復を私と青葉の2人分で115,920円。合わせて119,812円。青葉の口座に入れたって」
エスティマのETCカードは行く時は千里の、帰りは紗希のを使用している。エスティマのレンタカー代も千里のカードに課金されている。各々が請求しているはずだ。最後にガソリンを入れたのは彪志なので、それは彪志が請求したであろう。
「ありがとう。確認する」
と言って青葉は自分のパソコンを取り出してACアブプタをつなぎ起動する。
「うん。その分入ってる」
「でもこれ米原を経由した分はノーカウント?」
「標準的なルートで計算したのかもね」
(湖東経由でも湖西経由でも運賃は計算の特例で同じになるのだが、特急料金は新幹線乗継ぎ割引を利用しても割高になる。新大阪と米原は隣の駅ではないので特定特急料金の対象外なのである)
「あ、それが公平かもね。そもそもうちなんかは金額が少ないから、北海道や沖縄から来た人たちを優先してあげなくちゃ」
「そうそう。でも今回は急なことで私も青葉にお金は頼ったけど、入学金とか授業料とか所得税とか払った直後で、青葉大変じゃなかった?」
「ちー姉が貸してくれたお金があったんで何とかなった」
「良かった。けど、千里にも負荷掛けたね」
「ちー姉には洋服代も出してもらったしなあ。でも高知の人たちはお金足りたのかな?」
「なんか高額の香典を包んでくれた人がいて、結局JR東海株は売却しなかったらしい」
「へー!」
「もっとも咲子さんが相続税を払うのに多少売却しないといけないらしいけどね」
「払える分だけ動産を遺してくれたのがありがたいね」
「全く全く。相続税が払えなくて住んでる家を売却するハメになるってよく聞く話だもん」
「ついでに言うと、その家を売却して得たお金にも税金がかかる」
と青葉が言うと
「税務署ってあくどいね」
と朋子は言った。
(ただし相続税納税額の分までの売却代金は非課税)
19日(火)。昼休みに青葉が学食で星衣良たちと食事のあとおしゃべりしていたら近くの席に吉田君が来た。
「吉田、学生証は交換してもらった?」
「いや、それがさぁ」
と言って、吉田君は学生証を2個並べる。
「うん?」
「こちらが最初にもらった学生証。性別が女になってる。こちらは昨日作り直してもらった学生証。ふりがなが『くにお』になってる」
「は?」
吉田君の名前は邦生と書いて『ほうせい』と読むのが正しい。
「あれ〜、なんでこうなっちゃったんですかね?と言って学生課の人が学生証の中身を確認してもらったら、やはり性別は女のままだった」
「それって、女で『ほうせい』と読むのはおかしいから、きっと『くにお』だろうと気を利かせてくれたのでは?」
「ということで再度作り直しということになったけど、連休に掛かるから、できあがるのは連休明けかもということで」
「じゃそれまでは女子学生のまま?」
「そうなるみたい。参ったぜ。こないだ学生寮に入っている友達の所に行って寮のゲートを学生証で通ろうとしたらキンコンとなって寮長さんが飛んできた」
「ああ。女を連れ込もうとしたと思われたんだ?」
「俺本人を見て、『あんた女には見えんね』と言われて通してくれたけど」
「あははは」
「いや、やはりここはもういっそ身体の方を直して女子学生に。名前はくにおちゃんでいいじゃん」
「よくないよー。俺が女になったら、たぶん嫁のもらい手が無いよ」
「うーん。顔も美容整形で」
金曜日(22日)の夜になって、春吉社長から電話が掛かってきた。
「一応、被害者の補償について、大堀君、舞鶴君、長浜君についてはだいたい妥結した。まだ正式な書類は交わしてないけど、補償する金額では合意できた」
「大変でしたね」
「あと残りは金沢のスナック経営者の人なんだけどね」
「ああ、はい」
「取り敢えず御遺族と連絡は取れて、明日僕が弁護士を連れて金沢に行って交渉することにしたんだけど、もし良かったら川上さんにも同席してもらえないかと思って。こういう心霊的なことをうまく説明できるか自信無くてね。芸能界の人間だと、けっこうこの手の話は信じてくれるんだけどさ。もちろんこれは別途料金を払うから」
「分かりました。明日ならこちらも大学が休みなのでいいですよ」
それで青葉は翌日、アクアを運転して金沢まで行き、金沢駅で社長と弁護士さんと待ち合わせた。タクシーで片町の裏通りにあるスナックに行く。お店は夕方から開けるらしいが、開店前の店内で話をしようということになった。お店は「数虎」という名前である。カズトラとでも読むのだろうか?スウコだろうか。掲示しているメニューを見るとこの付近のスナックにしては比較的良心的な値段に思えた。
交渉の場に出てきたのは70代の男性である。亡くなった人のお父さんということであった。
「世の中、そういうこともあるんでしょうね。それはまさに不慮の事故ですよ」
とお父さんは青葉の説明を理解してくれたようであった。
ここのスナック自体はその人が亡くなった後、奥さんが運営していたらしいが、実はここ1年くらい、その奥さんが体調を崩して休店がちになっており、もう店を畳もうかと言っていたらしい。
「ただ、畳むのにも銀行とかからの借入金を精算する必要があって。どうしようかと思っていたのですよ。それで補償金をいただけるということなら、それで払えるだけでも払えないかと思っていたんです」
とお父さんは言う。
「借入金はおいくらあるんですか?」
と社長が訊く。
「実は2000万円ほどありまして」
「だったら5000万円払いましょう」
お父さんはそんな金額を提示されるとは思ってもいなかったようで驚きの表情を見せる。
「ありがたいです。そんなにいただけたら、息子と孫の墓を建ててやれます。実は今納骨堂に入れたままで」
とお父さん。
「お孫さんも亡くなったんですか?」
「実はそうなんです。それで、嫁も意気消沈してしまって。体調を崩したのもそのせいで。その下にも2人女の子がいるから、それだけが心の支えになっている状態なのですが」
青葉は良くないことって続くんだよなと思った。
しかしともかくも、金額については妥結し、弁護士さんが用意しておいた書類にお父さんが署名捺印し、交渉自体は30分で終了してしまった。賠償金の支払いは和解の翌月末、つまり5月末におこなうことにした。
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