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■春卒(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-03-27
青葉は3月11日(金)に高岡に戻ってきてから《ゆう姫》からお前は卒業しなければならないと言われたことを再度考えていた。
ふと壁に掛けている高校の女子制服を見る。今回の福島行きではこの制服も持っていった。
しかしもう自分は高校を卒業したんだもん。もうこれを着たりしてはいけないんだと考えた。そして青葉は唐突にあることを思いつき、制服の冬服・夏服、それにあまり痛んでいないブラウスを2枚、紙袋に詰めた。
タロットを数枚引いた。
「うん。多分ここに行けば彼女と会えるかな」
と独り言のように言う。
そして母に
「ちょっと出かけてくるね。お昼くらいに戻る」
と言って家を出た。
絢人は「はあ」とため息をつきながら校舎から少し離れた飛び地にある第2体育館を出て学生服姿で道路を歩いて校舎の方に戻るところであった。4時間目は体育だった。柔道をしたが、人を攻撃することにためらいを感じる絢人には心理的に辛い種目だ。相手を攻撃したくないからさっさと負けるようにしている。
もっともクラスメイトの男子は絢人とあまり組もうとしないし、寝技などは絶対に掛けない。どうも体育の先生もそれを感じているようで、相手の技が掛かり損ねても「鐘崎の負け」と宣言してくれる。
体育の後は本当は女子トイレに入りたい気分だったけど、たくさん女の子たちが入っているようなので、女子トイレの前までは行ったものの、中に入る勇気なんて無くて、そのまま戻って来た。職員室の近くの多目的トイレに行こうかな。
実は絢人は3学期に入ってから1度も校内で男子トイレを使用していない。
そんなことを考えていた時、絢人は突然
「鐘崎さん」
と呼ぶ声を聞いた。
見ると先日卒業した3年生の川上さんだ。彼女は戸籍上は男性だが女生徒として通学していると聞いていた。彼女は絢人にとっては憧れであると同時に彼女のことは雲の上の人のようにも思えた。
自分も女生徒として通学したいよお。でも誰にもそんな気持ちを打ち明けられないでいた。
「川上先輩?」
と言うと、彼女は寄ってきて笑顔で紙袋を渡した。
「これ私が使っていた制服だけど、良かったらあげる」
「え!?」
「女子制服着たいでしょ?」
絢人はドキッとした。
なんで川上先輩はそんなこと知ってるの〜〜〜?
「鐘崎さん、女の子なんだもん。女子制服を着て当然なんだよ」
「・・・・はい」
「お母さんに思い切って打ち明けてごらんよ。この制服、急いで持って来たから、夏服とブラウスはクリーニング済みだけど、まだ冬服の方は洗濯してないの。悪いけど一度クリーニングに出してから着てね」
「はい!」
「じゃ頑張って女の子してね」
と言って彼女は笑顔で手を振って去って行った。
そこにクラスメイトの寺尾結理花が寄ってきた。
「鐘崎さん、どうかしたの?」
「これ先輩にもらっちゃった」
「あれ?これうちの女子制服?」
「うん。でもどうしよう?」
「制服は着ればいいと思うよ。鐘崎さん、女子制服、似合いそうって前から思ってたよ」
「そうかな?」
「恥ずかしいなら、うちの茶道部の部室に来ない? うちの部室サボり部員が多くてあまり人が来ないから、こっそり女子制服を着てみるのにもいいよ」
「お邪魔しようかな・・・」
「じゃ、放課後、別棟1階の茶道部部室に」
「うん!」
と絢人は笑顔で答えた。
少し時を戻して、青葉が高岡から福島へアクアで走っていた3月5日(土)の午後。千里は札幌P高校のコーチで、バスケット日本女子代表のアシスタントコーチでもある高田裕人からバスケット協会の事務局に呼び出された。
「9日・水曜日にリオデジャネイロ・オリンピックに向けたバスケット女子日本代表の候補選手18名が発表される」
「そうですか。強い人が選ばれるといいですね。私応援してますから」
「君、また何か適当な理由つけて逃げるつもりでしょ?」
「え?まさか、私代表候補なんですか?もっと凄い人たちがいると思いますけど」
「君と佐藤玲央美、花園亜津子と高梁王子の4人は代表候補ではなくて、もう代表で確定だから」
「玲央美ちゃんも亜津子さんも王子も凄い選手ですからねー。でも私もなんですか?」
「君も充分凄い。でも君ってこれまで何度も日本代表から逃亡した前歴があるからさ」
「そうでしたっけ?」
「まあ今度はオリンピックだから、君に逃げられては困るんで、君とは長い付き合いになる僕に釘を刺しといてくれと言われてね」
「うーん。まあ高田さんからそこまで言われたら、逃げる口実が見つからないです。私、去年なんて妊娠中に合宿して、出産直後にユニバーシアードやっちゃったから、今更妊娠や出産も理由にできないし」
「ああ、やはり去年村山が出産したのでは?という噂は本当か」
「戸籍上は別の人が産んだことになってますけどね。理論的には私は出産能力が無いはずだし」
「そこら辺の事情は佐藤からもいろいろ聞いてるけど、君の周囲では物理的な事象に歪みが生じているっぽいんだよね」
「まあ不思議なことは色々ありますね。でもどういう人が選ばれるんですか?」
「これ誰にも言うなよ」
そう言って高田さんは千里に来週発表予定のリストを見せてくれた。
PG 比嘉優雨花(BM) 武藤博美(EW) 森田雪子(4m)
SG ★花園亜津子(EW) ★村山千里(RI)
SF ★佐藤玲央美(JG) 前田彰恵(JG) 広川妙子(RI) 湧見絵津子(SB) 渡辺純子(RI)
PF 平田徳香(SB) 鞠原江美子(--) 大野百合絵(FM) 日吉紀美鹿(BM) ★高梁王子(JG)
C 金子良美(FM) 夢原円(SB) 森下誠美(4m)
「この★を付けているのは確定。怪我したとしても直前まで回復を待ってメンバーに入れたままにする。それから所属は4月以降のもので書いているから、今の所属とは異なる場合もある」
と高田さんは言った。
「それって私のことですね?」
「そうそう」
そこでもう高田さんはリストをしまってしまう。
「去年のアジア選手権のメンツから随分若返りましたね」
と千里は言う。
実際昨年のフル代表に居たのは比嘉・武藤・花園・村山・佐藤・広川・平田・鞠原・金子の9名で、ユニバ代表から森田・前田・湧見・渡辺・大野・夢原の6名が組み入れられている。高梁は別格としても、Wリーグではない森下が入れられたのは40 minutesのオールジャパン3位の原動力の1人とみなされたからだろう。日吉は先日のオールスターでの活躍でリスト入りしたのではないかと千里は思った。
「去年、フル代表とユニバ代表で試合やったらユニバ代表が勝ったじゃん」
「そんなことがありましたね」
「それで宮本さん(協会の専務理事)は女子代表は実は今の25歳前後の層がいちばん強いのではと言うんだよ。このリストは宮本さん自身がたたき台を作って山野さんと僕で調整した。だから君たちの世代が主役だよ」
「武者震いがします」
と千里は答えた。
「よしよし」
「鈴木志麻子や加藤絵理は落選ですか?」
「発表するリストには入れてないけど、その2人と三輪容子・鞠古留実子は合宿に参加してもらう。現時点では補欠だな。もっとも今の18人の中からも本番までに最低6人は落ちる訳だけど」
留実子がまた代表合宿に参加する。。。。久しぶりだ。千里は旧友の代表活動復帰に心を躍らせた。
高田さんに「ちゃんと代表活動に参加します」と約束して協会を出た千里は、すぐに鞠原江美子に電話を掛けた。
さっき見たリストで江美子の所属が(--)になっていたのである。
「なんでエミの所属が無所属になってんのさ?」
「何でもう知ってるの!?まだどこにも公開してないのに。いや、それが2月に準々決勝で敗れた所で解雇通告された。公式には3月末で退団だけど」
「うっそー!?」
「今親会社の株が下がりぎみだしさ、為替相場もさすがに円安に行きすぎたから今後は円高に進んで輸出業は苦しくなることが予想されるし。来期は予算が削減されるんだよ。それで今年実績の無かった選手は切られた」
「実績無かったって、使ってもらえなかったじゃん」
「私、監督にあまり評価してもらえなかったからなあ」
ブリッツ・レインディアはシステマティックなチームだ。個人技の得意な江美子にはあまり合わなかったかも知れないという気がした。江美子は部品になるには規格外すぎるのである。
「どこか行く当ては?」
「これから考えようと思ってた」
「うちに来ない?」
と千里は反射的に言った。
「うちって40 minutes?」
「違うよ。レッドインパルス」
「でもレッドインパルスはもう来期の16人の枠、既に確定しているのでは?」
「挽木さんが引退することを昨日、内々に表明したんだよ。だから枠が1つ空くんだ。来る気があるなら、すぐにでも上と話しする」
「千里とチームメイトになるのもいいかな」
「うん!」
それで千里はすぐにキャプテンの妙子に連絡。妙子から小坂チーム代表に連絡が行く。小坂さんはその夜の新幹線で妙子・千里とともに名古屋に赴き、深夜のレストランで江美子と面会した。
そして江美子はその場でレッドインパルスへの入団を同意した。
最終的には球団同士の交渉でトレードという形になったものの、千里は思わぬ内部情報を得たことから抜け駆け的に貴重なチームメイトを得ることとなった。
青葉はT高校に行き自分の女子制服を絢人にプレゼントした後、帰る途中にヒロミと連絡を取った。それで結局、青葉・ヒロミに、ヒロミと同じ理数科でこの件に多少とも関わっていた空帆・杏梨も含めて4人で会うことにした。場所は青葉の自宅ということにし、3人はその日の3時少し前に、相次いで青葉の自宅にやってきた。
ちょうど東日本大震災が起きた時刻になるので4人で一緒に黙祷を捧げた。
その後青葉は福島土産の「ままどおる」を1箱開け、紅茶を入れてヒロミの話を聞いた。
ヒロミは当日のことをこのように語った。
卒業式が行われた3月3日、もう下校しようとしていた時に突然K大学医学類の教授から連絡があったらしいのである。
「良かったら明日こちらに来て、ちょっと健康診断を受けてもらえませんか?」
その話を聞いた同じクラスの杏梨はピーンと来たという。彼女は青葉がインターハイの直前に「健康診断」と称して、性別検査を受けさせられたことを連想したという。
「これきっとヒロちゃんが本当に女かどうか確認したいんだよ。きっと」
空帆なども入って話してみると、青葉が性転換していることの証(あかし)として病院の先生が書いた性転換手術証明書をK大学法学類の教授に提示したのに対してヒロミはそのような書類を提示していないことが分かる。
「ヒロちゃん、なんで手術証明書を提示しなかったのさ?」
「いや、そういう証明書はもらってなくて」
「それもらってないと性別変更の申請する時も困るのでは?」
「そうかなあ」
「でも実際に性転換済みなら、少し恥ずかしいかも知れないけど堂々と検査受けてくればいい」
と彼女たちは言った。
しかしヒロミは不安だった。
彼女は起きていて意識がある時は女の身体なのに、寝ている時や意識が朦朧としている時は男の身体になってしまうのである。検査中ちゃんと起きていたら問題無いと思うが、万一MRI検査とかの最中に眠ってしまったら・・・
それで不安を感じながら学校を出て歩いている時のことだった。
「あら、ヒロミちゃんだったね」
と声を掛ける女性が居た。
「あ、青葉ちゃんのお姉さん、こんにちは」
とヒロミも挨拶する。
ヒロミは2014年10月の伊香保温泉でのクロスロードの集まりで千里と顔を合わせている。
「何か悩み事でもありそうな顔をしている」
と千里が言うのに対してヒロミは
「青葉ちゃんのお姉さんって性転換手術してるんでしたよね?」
「そうだけど。私は中学1年生の夏休みに性転換手術を受けたんだよ」
「すごーい!」
と言ってからヒロミは
「良かったら、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」
と言うので、千里は
「じゃ軽く何か食べながらでも」
と言ってヒロミを何だか超高そうな料亭のような所に連れて行ったという。
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