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■春順(3)
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ある日、お昼を食べている時に渚紗から千里は訊かれた。
「千里、私をスターターにするために40 minutesを辞める訳じゃないよね?」
「何それ?」
「千里がいる限り、私は控え選手でしか居られない。それは納得の上で私はむしろ千里から少しでも技術を盗もうと思ってここに入った。でも千里って、すぐ自分を犠牲にしようとする性格だからさ」
と渚紗は言う。
確かに渚紗は優秀なシューターだ。たぶん実業団の強豪やWリーグの中堅以下のチームであれば確実にレギュラーになれる素材である。しかし彼女は2014年春にTS大学を卒業した後、いくつかの球団からの誘いを断り、40 minutesに入団した。彼女がプロ選手になることに両親が難色を示したのがひとつの要因だったようである。両親は中学と高校の教諭免許を取った彼女に教師になって欲しかったようで、実際渚紗も教員採用試験を受けたものの、落ちてしまう。
「私、コネとか無いしなあ」などと彼女は言っていた。それでふつうの会社に就職はしたものの、バスケができる環境を求めて40 minutesに入った。
彼女にはとりあえず1〜3月は月10万円の活動支援金を支給し、4月からは年俸408万円(月額34万円)で契約することで合意している。しかし彼女は会社を12月20日(給与計算基準日)付けで辞めてしまった(ボーナスまではしっかりもらった)ことをまだ親には言っていないらしい。
「私はむしろ渚紗がいたからこそ、渚紗に負けないよう頑張らなくちゃと思ってこの2年間やってきたよ」
と千里は笑顔で答えた。
「確かに2014年春に千里を見た時は正直、ややがっかりした感じはあった。でもその後の回復が凄かった。やはりサンって凄いんだとあの時期私は思っていたよ」
と渚紗は正直に言う。
「リトが居なかったら、その回復は無かったかもね」
と言って千里は微笑む。
「じゃ、私、千里が辞めた後、その背番号もらっちゃおうかなあ」
「うん。いいよ。33に変更してもらっても。ユニフォームは橘花がまた調整してくれるよ」
40 minutesのユニフォーム(L/XL/XXL - 雪子と誠美は特注サイズ)は未使用在庫があるので、新入団選手があった場合は、橘花が内職的にそれにネームと背番号を入れてくれているのである。
「私が33を付けてたらさ、他のチームが『あ、あの凄いシューターだ』と思うじゃん。それでガッカリされないように私、頑張るよ」
「うん。橘花や夕子が34とか23とか選んだのもそういう励みにするためだと思う」
と千里は笑顔で言った。
「うん。23や34を付けてへなちょこなプレイはできないよね。32や33もね」
と渚紗も答える。
23は何と言ってもマイケル・ジョーダンの背番号として有名だが、最近ではレブロン・ジェームズもこれを付けている。32は偉大なるマジック・ジョンソンの背番号である。伝説的なスリーポイントの名手フレッド・ブラウンもこれを付けていた。
34はシャキール・オニールやアキーム・オラジュワン、レイ・アレンなどが付けている。千里が付けている33も実は人気番号でパトリック・ユーイングの番号であり、スコッティ・ピッペンやアロンゾ・モーニングもこれを付けている。
「レッドインパルスでは背番号は何になるの?」
「決まってない。来月中旬に2次ラウンドが終わったあたりで、退団する選手、入団する選手とかがだいたい確定するから、その時点で調整すると言われた。今は仮の番号ということで93番を付けているんだけどね」
「33を使っている選手は居ないの?」
「居ない」
「じゃ33を下さいと言いなよ。千里の実績があればそのくらい言えるでしょ?」
「そうだなあ。それもいいかな」
「そしたら来年のオールジャパンでは、33の私と33の千里で対決できる」
「うん。それはやりたいね」
1月5日、△△△大学の願書受付期間が始まったので、青葉は初日に願書を提出した。いよいよ受験シーズンの到来である。
年末にセンター試験の志願票訂正届けを出したヒロミはこの日、新しい受験票を受け取った。前の受験票は呉羽大政・男であったが、新しいのは呉羽ヒロミ・女と書かれている。その「女」という印刷を見てヒロミは感動しているようであった。
「受験場所も変わった?」
「場所は同じだけど、教室番号が違う」
「たぶん、前の教室は男ばかりで、新しい教室は女ばかりなんだよ」
「ああ、そうかもね」
「私たちのとは随分違うね」
と言って隣から空帆が覗き込む。ヒロミの教室番号は231だが、空帆のは208になっている。青葉は216だが、これは理系と文系で受験科目が異なるからだと思った。
「たぶんヒロちゃんは最後に追加する形で入れられたからじゃないかなあ」
「心細くなったら、208番教室にいる私たちを呼んでね」
「216番教室にいる私でもいいよ」
「万一性別を疑われたら、私たちが証言してあげるからね」
1月9日、千里たちの40 minutesは千里のライバルである花園亜津子が所属するエレクトロ・ウィッカに負けてしまい、千里たちは今回のオールジャパンでは3位に留まった。青葉は千里に電話した。
「残念だったね」
「あっちゃんの気魄に負けたよ」
「でもきっと花園さんもちー姉に負けたと思っているよ、今日の試合」
「まあ痛み分けかもね。でも試合ではこちらの負け。それはどうにもならない」
「でもこれで銅メダルでしょ。日本の頂点の大会で銅メダルって凄いよ」
「私、高校時代もインターハイで2年連続銅メダルだったから」
「でも3年の時はウィンターカップで銀メダル、国体で金メダルじゃん?」
「国体はメダルが無いんだよ。賞状と賞品の椎茸くらい。賞状は本体は学校に保管してカラーコピーを参加したメンバー全員に配ったけどね」
「あ、そうだったんだ?」
「あとはU18アジア選手権では金メダルもらったくらい」
「そっちが更に凄い気がする」
「じゃ次は青葉が受験でメダル取る番だよ」
「受験にはメダル無いよ!」
「K大学に合格したら私が金メダルあげるから頑張りなよ」
「うん」
1月11日(月)、宮城県某所国道を疾走する赤いGT-Rは、やがて細い脇道に折れて、海岸そばで停車した。
「ワイルドで素敵な運転だった」
と男は言った。
「そう?私自分の運転を褒められたの初めて」
と女は言った。
「彼女が亡くなったのが、このあたり?」
「分からないけど、たぶんこの付近だと思う。遺体は結局見つからなかったし」
「それって行方不明のままになっているの?」
「ううん。死んだのは確実だったから、お父さんの手で死亡届が出されている。お墓もあるよ。実はお墓には毎年3月11日にお参りしているけど、ここに来たのは初めて」
「遺体が見つからなかったら失踪宣告したの?」
「いや。失踪宣告には7年必要だけど、震災で大量に行方不明者が出たから遺体が見つからなくても死亡届を受け付けたんだよ」
「そうだったのか」
2人は車外に出る。1月の宮城県は寒い。特に海岸は風で無茶苦茶寒い。
男がローズマリーの花束を海に投じる。彼女の大好きな花だったと女は聞いていた。そういえば女が男と彼女を最初に見た時も、男がローズマリーの花束を持っていたことを思い起こす。
ふたりで合掌して黙祷を捧げた。
「でも女連れで来て良かったの?」
「あいつが生前言っていたんだよ。自分はなぜか20歳まで生きられないような気がする。もし自分が早死にしたら、新しい彼女を連れて墓参りに来てくれって。そうしないと安心して来世に生まれ変われないと言ったんだよ。だから今夜はこの付近で泊まって明日、お墓にも一緒に来て欲しい」
1991年5月4日生まれの彼女が震災で亡くなったのは19歳10ヶ月のことであった。女は実は彼女と同じ誕生日なのである。そのことから女は男と急速に親しくなった。但し女は7:18東京生まれ、彼女は22:53盛岡生まれで、ふたりのホロスコープは昼夜が逆であるため運命はかなり対照的になる。
女は7年ほど前に男と初めて会った時、その彼女に妙な影があったことを思い起こしていた。おそらく何か家系的なものがあったのだろう。あの頃、既に青葉と知り合っていたら何とかしてあげられなかったかなあとも思うが、青葉自身もあの震災で家族をまるごと失っている。
「でも、私、吉博の彼女じゃないけど」
と女は言った。
「今から彼女になって欲しい」
「私、竹美さんの代わりにはなれないよ」
「代わりになって欲しいなんて思っていない。竹美に代われる人は居ない。そして僕は純粋に君のことが好きだ」
「私、子持ちだけど」
「あの子、可愛いじゃん。あの子の父親になってもいいよ」
女は少し考えてから言った。
「私、男性恐怖症だから、たぶんセックスしようとしたら怖くなって逃げ出すと思う」
「セックスはしなくてもいいよ。実は僕も竹美以外の子とセックスする気になれないんだよ。でもキスくらいはできる?」
「そうだなあ。キスくらいは我慢できるかも」
それで男は女にそっとキスした。
「逃げなかったね?」
「自分でも偉いと思った」
「じゃセックスはしないけど、恋人ということにならない?」
「それでいいのなら、なってもいいよ」
「今夜も一緒に泊まってもタッチはしないから」
「そうだね。並んで寝るだけなら私も朝まで逃げずに居られるかも。50cmくらい離れていたら」
女はこれまで自分の男性恐怖症を克服しようとして何度も男性とデートを試みたものの、過去にたった2人を除いてはホテルから途中で逃げ出している。もっとも1人は「本当に男であるかどうか」が怪しかったが。
「50cmも離れたらベッドから落ちちゃうから5cmくらいじゃダメ?」
「努力してみる」
それで2人は再度キスした。
その後であらためて海に向かって一緒に合掌した。
「竹美ちゃん、3月11日はまた来るね」
と若葉は海に向かって言った。
青葉はトラベリング・ベルズの相沢孝郎さんから電話を受けた。
「10日が五十日祭だったんで、その霊祭が終わった後、臨時取締役会を開いて。結局俺が社長に就任することにした」
「ではKARIONの方は?」
「それが悩ましい所でさ。例の問題の決着を付けてから考えたいと思っている。それで、その問題なんだけど、やはりあまり会計に関する知識の無い自分が見ても旅館の帳簿にはかなり疑問点があることが分かった」
「ああ、やはりでしたか」
「とりあえず現在の経理担当者はその職から外した。スタッフから反発されることは覚悟で。取り敢えず、うちの女房の妹が、以前病院の事務やってて簿記の知識があるんで暫定的な担当にした。その義妹もこの帳簿はおかしいと言っている」
「なるほど」
「会計ソフトとか使ってなくて、伝票式会計でもなくて、いまだに昔風の帳簿式の簿記なんだよ。ところが行と行の間に無理矢理割り込ませた記載とかたくさんあってさ。その名目がまたどうにも変なんだよね」
「あぁ・・・」
「それで会計事務所入れて監査させることにしたんだけど、どこがいいのかよく分からなくてさ。奈良市のK会計事務所という所と、茨木市のY会計事務所という所を取り敢えずの候補と考えているんだけど、どちらがいいか占ってもらえないかと思って」
青葉は易を立てた。
「K会計事務所は震為雷、Y会計事務所は地火明夷。Kでは物事が動きません。Yなら光が射してきて隠れていたものを照らしてくれます」
「ありがとう。やはり大阪がいいかも知れんな。それで不正が明確になった場合の処理なんだけど、俺に何かヒントくれない?」
「沢風大過。原則通り進めるべきです。変に情けをかけると、かえって禍いを招くと思います」
「確かにね」
「それにですね。ここで泣いて馬謖(ばしょく)を斬ることが、この社長は手強いぞというのを社員に示すことができます。社員ってわりとドライですよ。長年恩のある人が首になったとしても、そのことより自分の身の保全が大事なんです。この社長はやり手だと思ったら付いてきてくれますよ」
「その言葉は肝に銘じたい。しかしあんたと話してると、まるで60-70歳の易者さんと話してるみたいだ」
「よく言われます」
「最後にひとつ。KARIONのことについて占って欲しい」
「山雷頤の上爻変。地雷復に之く」
「サンライイってこないだ出たのと同じ?」
「ええ。大阪の易者さんが出した卦ですね。ここではつまり相沢さんが抜けると、中に大きな穴が空くということですよ」
「うーん。。。辛いな」
「でもそこから地雷復で、復活していきますから、相沢さんが抜けた場合の痛手は大きいけど、何とか回復に向かいますよ」
「そうでないと困るよなあ。ありがとう」
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