広告:まりあ†ほりっく 第5巻 [DVD]
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■春色(6)

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カーブの多い山道(県道18号)をひたすら走ってきた往路に比べて、新しくできたばかりの能越自動車道を通る復路は快適だった。ただしトンネルの連続である。1760mの七尾トンネルをはじめ、小栗トンネル、麻生トンネル、と幾つもののトンネルを通って能登半島東岸に出るが、富山県側でも数百メールの長さのトンネルが10個ほど氷見北ICに辿り着くまでつらなっている。
 
「全然空が見えない」
「うん。地下高速って感じだね」
「東海北陸自動車道とかも凄いよね」
「あそこもひたすらトンネルだよね」
 
桃香は助手席でずっと「鷹狩り」をしていたが電波が弱い区域や圏外の区域が多く、なかなかうまく狩れないようであった。
 
「こらぁ!こんな所で町娘出てくるな! 時間が無いんだぞ!」
「嘘!?なんでここでここの電波が入る?」
などと桃香は叫んでいる。
 
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「電波の弱い地域って、ちょっとした地形次第で意外に遠くの基地局の電波を拾っちゃうんだよね。天然のパラボナアンテナができていたりするんだ」
と千里が言う。
「珠洲市の一部で新潟のFM放送が聴ける地域があるらしいですよ」
と日香理も言う。
 
「あ、そこトンネルに入る前にちょっと停まって」
と桃香。
「高速でそんな無茶言わない」
と千里。
「ああ!圏外になっちゃった」
「鷹狩りには下道を通らないと難しいかも」
 
それでも後で確認すると狩りたかった「空」の中で狩りそこねたのは1つだけで目的の「空」はほとんど狩れていたようであった。
 
「でも道がまっすぐなのはいいなあ」
と大半の子の意見。
 
「県道18号も国道415号も凄いカーブばかりだからね」
 
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やがて車は高岡北ICを降りて伏木の町に入り、吉田君を先に自宅前で降ろしてから美由紀・日香理も各々の自宅前で降ろして青葉の自宅まで戻った。
 

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3月9日(月)。この日、富山県の県立高校生は10-11日に高校入試が行われるので、その準備のため、早いところでは午前中、遅い所でも15時頃で授業は打ち切られた。この日は部活も禁止で青葉たちのT高校では1時半には全員強制下校となり、先生たちが教室を見回り、残っている生徒を追い出した。
 
それで青葉も2時には自宅に戻る。それから青葉・朋子・桃香・千里の4人で借り物のエルグランドに乗り、岩手に向かって出発した。この車で高岡に行ったあと大船渡まで走ることは冬子の了承済みである。
 
伏木万葉大橋・新庄川橋を越え、国道415, 472を走る。立体交差の鏡宮交差点で8号線と交わり、ひたすら南下して小杉ICから北陸自動車道に乗った。
 
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能登・高岡近辺から北陸道の新潟・東京方面に乗る時はこの小杉ICを使うことが多く、鏡宮交差点はひじょうに交通量の多い交差点である。能越道方面から来た場合も、実はかなり離れている小矢部砺波JCTまで回り込むより、高岡北ICでいったん降りて8号線を走りあらためて小杉ICから乗った方が早いこともあるのである。
 
なお「新庄川橋」は「((新庄)川)橋」ではく「新((庄川)橋)」である。庄川に掛かる新しい橋ということで長さ417-418mのワーレントラス橋である。また、伏木万葉大橋は橋自体がS字型をして湾曲して架かっている美しい橋で長さは610mある。2009年8月に完成したもので、この橋ができるまで両岸の行き来には渡し船(如意の渡し)が利用されていた。
 
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富山には氷見漁港の美しい斜張橋・比美乃江大橋、射水市の長さ3600mの新湊大橋、その新湊の遊覧船コースにも入っている「屋根のある橋」東橋など、見る価値の高い橋が多い。
 

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運転は千里と朋子が交代で運転することにしていた。借り物でしかも新車を桃香に運転させて万が一にも傷つけたりしたら申し訳無いということで今回も桃香はドライバー役からは排除されている。
 
「ふたりとも疲れている時は青葉運転してね」
などと朋子は言っていた!
 
車は北陸道をひたすら東行し、新潟中央JCTから磐越道に入り、郡山JCTから東北道に入った。
 
また、過去に青葉が彪志の運転する車で大船渡に向かった時はだいたい一関から国道284号を通るルートで気仙沼市に出てそこから海岸沿いに北上していたのだが、今回は花巻から釜石自動車道で釜石市に出てそこから海岸沿いに南下するルートを試してみた。
 
途中適宜休憩しながら進行する。(千里運転)名立谷浜SA(1600-1800)(朋子運転)阿賀野川SA(2000-2100)(千里運転)安達太良SA(2230-000)(朋子運転)長者原SA(200-300)(千里運転)花巻PA(400-430)(朋子運転)釜石市内のコンビニ(530-700)と進んで最後釜石から大船渡までのカーブの多い道は千里が運転した。
 
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名立谷浜SAで夕食、安達太良SAで夜食、釜石市内の駐車場の広いコンビニで朝食を取っている。大船渡に到着したのは3月10日朝8:30頃であった。
 
桃香が
「花巻から釜石まですごくいい道だったから、これはいいと思ったが、最後はやはり凄い道だった」
などと言っていた。
 
「だから寝ておくといいよと言ったのに」
と千里は言っている。
 
「大船渡の道路事情はまだ30-40年は改善されないでしょうね」
などと青葉は言った。
 
桃香は花巻まで寝ていて、そのあと釜石自動車道を走る区間は起きて景色を見ていた。この日の天文薄明は4:24, 夜明けが5:19, 日出が5:53であったものの、あいにくの雪であった。しかし桃香は
 
「遠野の民話がどういうところで生まれたのか、その一端を感じた」
などと言っていた。
 
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佐竹家に寄ると、盛岡の大学の4年生・真穂が戻って来ている。
 
「ちょっと早いけど真穂さん、卒業おめでとうございます」
と言って青葉は昨日高岡で桃香が買ってくれていた花束を渡す。
 
「ありがとう!」
と嬉しそうに言って真穂は花束を受け取った。
 
「真穂さんの卒業式は何日ですか?」
「24日なのよ。既に論文の審査も終わってるし、それまではすることがないんだけどね」
 
「アパートは引越ですか?」
「うん。今住んでいる所は大学生・専門学校生限定になってるから、市内で別の場所にアパートを借りる。家賃が今まで4万だったのが6万になっちゃうから大変」
 
「私は仕送りしなくて済むようになるから楽だ」
などと母親の慶子は言っている。
 
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「こちらに仕送りしなくてもいいから、結婚資金は貯めておいてよね。私はとても結婚式の費用なんて出してあげられないから」
「大丈夫。私、結婚とかしないから」
 
どこの娘も困ったもののようである。
 
「お仕事は4月1日から?」
と千里が訊く。
 
「そうそう。1日に入社式をするらしい。全社の新人社員を1ヶ所に集めてセレモニーやるんだって。紺色のビジネススーツで、立ったら膝が隠れて、座ったら膝上5cm以内のもの、アクセサリー禁止と指定された」
 
「めんどくさいね!」
「男はスカート丈とか何も言われないのに」
「いや、男にスカート穿かせるわけにもいかないし」
 
「いや。うちみたいに振袖着て来いというのよりはマシだよ」
と桃香が言っている。
 
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10時頃、彪志が母と一緒に車で来たので、一息付いてもらってから出かけることにする。
 
車は3台もあると大変なので、エルグランドに8人乗り込んで1台だけで行くことにした(千里・桃香・青葉・朋子・慶子・真穂・彪志・文月)。運転はこの付近の道に明るい慶子がすることにした。
 
最初に青葉の父が亡くなった場所に行き、青葉が般若心経を唱えるのに全員唱和して冥福の祈りを捧げた。続いて母とそのボーイフレンドが亡くなった場所、祖父母が亡くなった場所に行き、最後に未雨が亡くなった場所に行って各々祈りを捧げる。
 
そのあと££寺に行き、川上家・八島家の墓にお参りしようとしたのだが、お寺に声を掛けたら御住職の川上法嶺さんが出てきて
 
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「青葉ちゃん、お帰り。僕がお経をあげてやるよ」
と言いだす。
 
「ご住職、お忙しいのでは?」
「明日はね。そうだ、明日は青葉ちゃんも檀家回り手伝ってよ」
などと言う。
「まあいいですけど」
 
「もっともほとんどの所は法要はこないだの土日にやったんだよ」
「ああ、そうでしょうね」
「4年もたつとわざわざ坊さんまで呼んで法事する家は少ないしね。2年後の七回忌の時はまた忙しいだろうけど」
 

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そんなことを言って出てきた御住職は墓の前で長い長い経をあげてくれた。桃香があきらかに「まだ続くのか〜?」という顔をしていた。
 
なお、この墓に入っている仏様は、青葉の姉・未雨、両親の川上広宣・礼子、礼子の両親(青葉の祖父母)の川上雷造・市子、雷蔵の両親の川上法潤・桃仙、市子の妹の双乃子、市子の両親の八島陸理・賀壽子と10人である。そのうち5人が2011年の震災で命を落とした。
 
30分ほどにわたるお経が終わった後、青葉は慶子たちには寺で休んでいてもらって、住職・青葉・彪志・桃香・千里の5人だけでもうひとつのお墓にお参りした。それは母のボーイフレンド・平田さんのお墓である。
 
未雨と青葉の姉妹は小さい頃から、随分平田さんに御飯を食べさせてもらった。そして震災の時、ふたりが亡くなった位置から、ふたりは祖父母を助けに行こうとしていて間に合わずに津波に呑まれてしまったことが推察された。それ故に青葉はこの人を弔い、墓を建てたのである。死亡届も青葉の弁護士が出した。平田さんの親族については弁護士に調べてもらったものの、よく分からなかった。
 
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なお、平田さんが住んでいた場所は高台にあって、震災では無事であった。その土地については、相続者も居ないものの、平田さんは借金なども無かったようで(クレカの利用料金残高は青葉が支払った)、誰も相続財産管理人の選任を請求していない。そのためその土地家屋は平田さんの名義のまま放置されている。
 
固定資産税については青葉が代理で支払っており、除草・清掃・家屋の傷んだところの修理、庭の除雪なども、地元のシルバー人材センターに委託している。そのため4年間も主が居ないまま、その家は震災当時のまま、きれいな状態で維持されているのである。
 
桃香が「お経の長さは負けてくれ」などといったので、住職のお経は15分で終わったのだが、青葉が平田さんの家の現状について説明すると、桃香は考えるようにして言った。
 
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「それは青葉が特別縁故者を名乗り出る資格があると思う」
 
千里はそれに対して少し考えていたが
「そのままにしておいてもいいと思う。利害関係者が誰もいない訳じゃん。だったら、このまま青葉がそこの清掃を依頼したり、何なら植木を植えたり、自分の荷物を運び込んだりしててもいいと思う。それに誰も文句をつけない。そしてその状態が20年続けば、この土地は時効取得によって青葉のものになる」
 
「20年で時効なんだ!?」
「それが他人の土地であることを知らないまま占有していた場合は10年だけど他人の土地であることは知っていて占有していた場合は20年」
と千里は説明する。
 
住職も言う。
「実質自分のものと同様の感覚で使っていればいいよ。あそこは国道沿いではあっても、山の中で他の家からも離れているし、多分誰も欲しがる人はいない。資産価値としても恐らく200-300万円。多大な裁判費用掛けてまで取得しようとする人も無いと思う。だから勝手に使っていればお姉さんが言うように20年経てば青葉ちゃんのものになるし、誰か何か言ってきたら裁判をすれば特別縁故者として認められる可能性もあるし、それが認められなかったら青葉ちゃんが所有権の確定した人から買取ればいいんじゃないかな」
 
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「じゃ開き直っちゃおうかな」
「うんうん」
 
「この震災でたぶん、同様の状態になってしまった土地があちこちにあるよ」
と御住職は言った。
 

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