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■春暁(10)
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ところで石崎柚布部長が、作曲家の訪問リストを作っていた中で、実は最初、東堂千一夜の次の2人目としてリストアップしていたのは、上田正(まさし)先生だったが、2019年末に30年ぶりという海外に住む友人に会いに行った後、体調を崩して亡くなってしまったので、リストから外していた。
鍋島康平大先生の弟子で、2019年時点で存命(で消息が明確)だったのは、実は東堂千一夜、上田正、スノーベル(ゆきみすず・すずくりこ)の3組だけであった。
上田正(1940-2019)は時代的には1970年代に盛んに活動していたが、1980年代に入ってからは、ほとんど作品を書かなくなり(たぶん枯渇してしまった)、その後は、音楽評論家的な活動で、様々な賞の審査員になったり、音楽番組にゲスト出演したりしていて、そこそこの年収を得ていたようである。音楽学校の役員などにも名前を連ねていたりした。
上田正には、ひとりだけ子供がいて、上田京(みやこ 1962-)という女子である。彼女自身はあまり音楽的な才能は無かったようである。ピアノは習っていたが、人に聴かせられるレベルではなく、歌もうまくなかった。それで有名作曲家の娘ということでタレントにならないかという話はあったものの、お母さん!の上田葉子(元歌手 1938-2015)が「この子には才能無いから」と言って、全部断ってしまったらしい。
「女はさっさと結婚した方が幸せなんだよ」と言うお母さんの勧めもあり、京は早い時期に結婚した。1982年に20歳で、高校の先輩である八雲信幸(1960-)と結婚し、1984年4月9日に男の子・春朗を産む。ところが、春朗を産む直前!の4月5日に信幸と離婚し、出産直後の4月10日に信幸の弟である八雲信繁(1960-)と結婚して、1985年3月20日には男の子・礼朗を産んだ。
つまり春朗と礼朗は“同じ女性が別の夫との間に産んだ同学年の年子”という、凄い存在である。こんなケースは世界中探しても他には無いかも知れない。
ちなみに、産む直前に離婚したのは待婚期間を作らないためである。離婚した女性は待婚期間中に出産すると、その後はすぐに他の男性と結婚できる(民法733条2-2)。
だから、京は出産の時、入院時は八雲京で、出産当日は上田京だったが、退院時は再び八雲京だった!!(お医者さんが出生証明書を書くのに悩んだ)
更に実は、八雲信幸・信繁は単純な兄弟ではなく一卵性双生児である。京はその2人から同時にプロポーズされ、どちらか一方に決めきれなかった。それで京は実質2人と!結婚してしまったのである。京は戸籍上は最初に信幸と結婚し、その後、信繁と結婚しているが、性的な関係は一貫して双方と常時持っている。こういう関係は3人ともに最初から納得ずくである(但し3Pはしないルール:セックスの時はお互いを独占するというポリシー)。また京は自分の2人の夫のどちらにも「のぶちゃん」と呼びかける。言い間違えても大丈夫なようにである!(本当に見間違える時もあるらしい)
それで実を言うと、春朗・礼朗の本当の父がどちらなのかは、誰にも分からないのである。信幸・信繁が一卵性双生児なので、遺伝子鑑定で父親を判定することも不可能である。実際問題として2人の子供の養育費は、信幸・信繁が共同で出しているし、ふたつの家は実は同じマンションの別の階にあって、母はふたつの家を日常的に行き来していたので(晩御飯など両方まとめて作っちゃう)、春朗と礼朗は、従兄弟のように育った。
ふたりは従兄弟感覚ではあったが、法的には異父兄弟である。しかし本当は実の兄弟である可能性もある。また異父兄弟だったとしても、父同士が一卵性双生児なので、結局同じ遺伝子を受け継いでいる。
そしてとても面倒なことに、この2人の内、従弟の礼朗は生まれつき女性指向があり、自分のことを女の子だと思っていた。そして小さい頃からたくさん遊んでくれた、従兄の春朗が好きだったのである。
単純な従兄妹であるなら(礼朗が法的な性別を変更すれば)結婚可能だが、ふたりは母親が同じなので、結婚することができない(実際には父親も同じである可能性さえある)。しかし礼朗は高校時代に春朗に「好き」と告白しており、春朗も最初から彼の気持ちは分かっていたので、キスしてあげた。でも自分たちは結婚できないのだから諦めろと言った。それでも礼朗が諦めきれない様子なので、春朗は高校3年の時に、1度だけ彼を抱いてあげた。そしてこれを最後にもう自分への思いは断ち切れと言い、礼朗も納得した。(以上は春朗の見解)
高校を卒業すると、春朗は地元の大学に行ったが、礼朗は親の反対を押し切って東京の大学に行き、2人は離れ離れになったので、お互いの関係も希薄になった。
大学在学中から、春朗は詩作の才能を見せ始めた。ある時、上田正の弟子の作曲家が急いで(実は1時間以内に)曲を作らなければならなかった時にどうしても歌詞を思いつかなかった。それで「うちの孫に書かせてみよう」と言って連絡して書かせたら、それがヒットしてしまった(凄い印税をもらった)。それをきっかけに春朗は作詩家として活動するようになった。
一方、礼朗は大学を出ると2007年に★★レコードに就職。A&Rとして活動し始める。彼が女性的な雰囲気を持っていることもあり、上司の北川奏絵係長は主として女性アーティストを担当させてくれたが、担当したアーティストと良好な関係を持つことができた。“女心が分かる”ので、アーティスト側も快適だったし、礼朗がそばに居ても、そこに男がいるような気はせず、緊張しないのである。実際みんな平気で礼朗の前で着替えたりしていた。
2年目にチェリーツインを担当して、彼女たちをブレイクさせることに成功。その後も、サイドライト、ステラジオ、丸山アイなどを担当して成功に導き、いつしか“ブレイク請負人”と呼ばれるようになる。(但し女性アーティスト限定)。
ちょうど作詩家として活動しはじめていた春朗と兄弟であることはお互いに言っていなかったのだが、ある時2人が似ていることから兄弟であることに気づいた加藤課長が「君が春朗さんを担当する?」と尋ねたものの
「お互い、甘えが出るから、できれば他の方を」
と礼朗が言ったので、担当はしないことにした。実際春朗の書く歌詞は大半が演歌であり、ポップス歌手を主として担当している礼朗とはそもそもあまり接点が無い。
でも実は礼朗としては、春朗と会うと、彼への思いがこみあげてくるので、あまり会いたくないのである。
なお、春朗の方は、大学を出た後、公認会計士事務所に勤め、会計士の資格取得を目指していたのだが、作詞の仕事が忙しくなりすぎてそちらは退職し、作詞家の専業になっている。
ところで礼朗は2008年に去勢手術を受けようとして、患者の取り違えに遭い、誤って性転換手術されてしまった!
病院は陳謝して、損害賠償などにも応じると言ったが、自分は元々女になりたかったので全然問題無いと言って、損害賠償などは辞退した。ただ、この病院にかかる限りは、以降病院代は(風邪などの治療でも)無料ということになり、正直、礼朗は得した思いだった。
去勢手術のために礼朗は数日休暇を取っていたのだが、性転換手術をされた場合は、普通は最低でも半月程度の休養が必要である。
しかし休みの延長ができないので、礼朗は手術を受けてから、わずか3日後に新幹線で福岡まで行き、サイドライトのライブに立ち会いをしている。
ローズ+リリーのケイは性転換手術の3日後にライブで歌ったという話だったけど、自分も似たようなことをする羽目になるとはと、この時、礼朗は思った。
なお、礼朗は性転換したことを会社に報告すると、首にされそうで恐かったので何も報告していない。せっかく女の身体になったのに、ずっと男の服を着て10年以上“仮面男子”をしている。
もっとも女性の身体になっていることは、女子社員たちにはだいたいバレており、多くの女子社員と、礼朗は名前で呼び合う。彼(彼女)はだいたい「のりちゃん」と呼ばれるが、名前自体、女子社員たちの合議?で「礼江」と改名されてしまい、勝手に「制作部・八雲礼江」の名刺まで作って渡された。
「八雲礼朗の名刺は回収するから、以降礼江の名刺を使ってね」
「すみません。礼朗の名刺も使わせてください」
「根性が無いな。いいかげん男の格好で出社するのやめなよ」
「戸籍もさっさと変更すればいいのに」
北川さんは、会社のデータベース上で、彼(彼女)の性別を女に変更してしまった!それで実はそれ以来、八雲礼江・性別女と記載された健康保険証を使用している。実際、女の身体なので、健康保険証が女でないと、病院で面倒なことになる。それでこれは実は助かった。(礼朗は“通称”として登録されている。結婚後も旧姓を使っている女性社員や、韓国籍の人の通名などと同様の扱い)
社内のデータベースで女になっているので、2014年に★★レコード社内で性別移行の制度ができた時、女性のアーティストを担当していた担当者が女性→男性に移行したような場合、他の女性の担当者と交替する(及び逆のケース)というのが大量に発生した時も、礼朗(礼江)は、多数の女性アーティストを新たに担当することになった。
担当者が別の女性になるかと思っていた事務所側は、男の格好をした礼朗(礼江)が担当交代の挨拶に来た時は、え?と思ったものの、ブレイク請負人の異名がある彼(彼女)なので、文句は言わなかった。
実際その後、売れ行きが上がったアーティストが多い。
またアーティスト側も礼朗(礼江)をほぼ女性とみなして気を許していた。
礼朗(礼江)は、社内でのトイレは、女子社員たちからは女子トイレを使いなよと言われているのだが、“根性がない”ので男子トイレの個室を使っている。さすがに男子更衣室は使えないので、着替えが必要な時はだいたい誰か女子社員に連れられて行き、女子更衣室を使っている。
2015年、★★レコードのローズ+リリー担当・氷川真友子はイベントで偶然話したのを機会に、作詩家・八雲春朗と懇意になり、数回デートした。ふたりは結婚の可能性についても話し合ったのだが、条件面で折り合わなかった。
春朗は自分が育った家庭で母(八雲京)が半分しか家に居ないという環境であったこともあり、母親にはずっと自宅にいて欲しいという気持ちがあった。しかし氷川は結婚してもずっと仕事をしていたいと考えていた。そして仕事をしている以上、家に帰れない日もあると考えていた。実際、A&Rは出張も多いし、音源制作の追い込みや、ツアーの付き添いで長期間家をあけることも多い。そもそも音楽業界は一般社会と1日の時間が6時間くらいずれているので、仕事が終わるのは早い日でもだいたい夜10時すぎである。氷川は最初は音楽業界にいる八雲さんだから、そういうものを理解してくれるものと思っていた。
それで結局2人は破綻してしまう。
加藤課長からも注意されたので、お互いにわだかまりが残らないようにしようと話し、ふたりは最後に“記念のセックス”をした上で、きれいに別れ、お互い友人関係に戻ることにした。
心配してくれていたケイにもそう報告した。
しかし・・・
ふたりは完全に切れることができなかった。
2017年の秋(「郷愁」の制作混乱で氷川も精神的に参っていた時期)に旅先で偶然出会った時、ふたりはつい一緒に泊まってしまった。
そして、これを機会に、ふたりの関係は事実上復活してしまう。結婚はできないのだろうなとは思っていたし、八雲には別の恋人もいるようだったので、氷川は彼との結婚は考えないことにして、する時は確実に避妊するようにしていた。
ところが避妊に失敗してしまったのである。
2020年の正月、生理が来ないので、まさかと思って妊娠検査薬を使った氷川は+という表示を見て愕然とする。それで春朗に相談してみたのだが、彼のもうひとりの恋人も妊娠し、彼はそちらと結婚するのだという。
「私も妊娠してるのに」
とは言ってみたが、彼は認知もするし、出産費用や養育費も払うと言って謝った。
氷川も、元々この人と結婚できないのは分かっていたことだしと思い、彼の言葉を受け入れることにした。認知届は週明けにも書いて市役所に提出したいから、氷川に認知承諾書を書いてほしいと言うので、来週書いて送ると言ってその日は別れた。
(胎児認知には母親の同意が必要である。これに対して既に生まれている子供の場合は、母親の承諾が不要である!つまり赤の他人でも勝手に認知可能)、
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