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■春暁(9)

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(C)Eriko Kawaguchi 2020-07-10
 
2020年1月、〒〒テレビの石崎部長はせわしく何度も金沢と東京の間を飛び回っていた。
 
まず日本水連に行き、まだ川上(青葉)本人には言ってないが、〒〒テレビのスイミングクラブを作り、川上を含む女子のトップクラスの選手数人を所属させるとともに、現在使用している“プライベートプール”の他に一般用プールや多数の遊泳用プールも作る予定で一般会員(男女)も募集する予定であること、現在、その運営のための法人を設立準備中であることを説明して了承を得る。
 
日本水連からは、まだ公表はできない話として、川上は既に日本代表に内定していることが説明され、取り敢えず今年夏の東京オリンピックまでは勤務時間に配慮してほしいと要請される。そこでテレビ局としても、レギュラーの報道番組などでは、あまり使わず“撮りため”ができる取材番組での起用を考えていることを話して了承された。
 
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その後、日本スイミングクラブ協会の事務局を訪れ、現在スイミングクラブの設立を準備中であることを説明して、加盟のための条件などを確認するとともに、登録用紙などをもらった。
 
一方金沢ではテレビ局の法務部を動かして、法人設立の準備を進めさせていた。
 

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〒〒テレビのキー局である◇◇テレビ(新橋)に行き、川上を買っている響原部長と面談。腹案として持っていた、有名作曲家を川上にインタビューさせる番組の企画を提示して、協力を求めた。
 
響原は
「それ、うちで制作したいような企画だ」
とは言ったものの、川上がオリンピックまではフル稼働できないので、彼女に負荷があまり掛からないように撮り溜めできる番組が欲しいのだと説明して了承してもらう。
 
そして制作費は基本的に〒〒テレビが出すものの、撮影などで◇◇テレビや系列局でも協力してもらえないかと申し入れ、それも了承される。響原からは◇◇テレビ系列で遅れネットでもいいから全国放送したいと言われ、それは石崎は了承した。金額的な問題は後日あらためて話し合うものの、響原からは、撮影協力するかわりに無償利用という線を提示され、これは石崎も持ち帰って検討すると言った。
 
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多忙なのは承知で、川上と縁の深いローズ+リリーのケイとも面会。企画している番組の趣旨を説明し、訪問する作曲家についてこちらで考えていたリストを見せて、意見を聞いた。
 
「初回、東堂千一夜さんというのは動かないでしょうね。現在の日本の流行歌業界で最高の大御所ですから」
と最初の訪問者についてはケイは賛意を示し、必要なら撮影に同行してもいいと言ってくれた。
 
石崎は2回目が東郷誠一、3回目が山本大左とリストに書いていたのだが、ケイは
「東郷誠一先生の前に、東郷先生の師匠である東城一星先生と、その弟弟子(おとうとでし)の木ノ下大吉先生をとりあげるべきです」
と言った。
 
実はその2人が、東堂千一夜の数少ない(生きていて消息の明確な)直弟子なのである。東堂先生の直弟子は全部20-30人いるはずだが、あまり名を残せなかった人もいるし、ある程度名前が知られていても、既に亡くなった人や、消息不明の人も多い。実際問題として、東城一星は世間的にはほぼ“失踪者”扱いだし、木ノ下大吉先生も昨年突然“松本花子”の窓口として注目されたものの、“元作曲家”と書かれることが多い。
 
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「いや、木ノ下大吉先生はとりあげるべきかどうか悩んだんですよ」
「川上は以前、明智ヒバリも絡む事件で木ノ下先生とコンタクトを持っていますから、川上が行けば、ご機嫌でインタビューに応じてくれると思いますよ」
 
「ああ、関わりがありましたか。それは助かります。気難しい方ともお聞きしたので」
「まあ散々業界に翻弄されたから、警戒心は強いですけどね。でも礼儀を持って接すれば、ちゃんと対応してくださる方です」
 
「ではぜひ取り上げましょう。しかし東城一星先生の所在はご存じですか?」
 
「貨幣経済と無縁の所で暮らしておられます。あそこは電話も無いし、郵便も届かないんですよ。そもそも住所が無いし」
 
「なんか凄い場所ですね」
 
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「私、雨宮三森先生、チェリーツインの桃川春美、そして木ノ下大吉先生の4人が場所を知っています。あとは先生の娘さんも場所を知っていますが、失踪以降1度も会ってないらしいです。かなり嫌っているようですね」
 
「それは無理も無いでしょう。家族を捨てて失踪しちゃったから」
「木ノ下先生の経済的な支援があったからこそ生きてこられたんですが、顔も見たくないと言ってますね」
 
「ああ。あれ?娘さんでした?息子さんがいたような気がしましたが」
「娘さんですよ」
「じゃ勘違いしてたかな」
と石崎部長は言った。
 
まあ勘違いということでいいだろう、とケイも思った。
 

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そういう訳で、有名作曲家のお宅訪問インタビュー番組は、このような順序でおこなわれることになった(日付は放送予定日)。
 
東堂千一夜(1943) 4/05
東城一星(1954) 4/19
木ノ下大吉(1957) 5/10
東郷誠一(1965) 5/24
山本大左(1966) 6/07
すずくりこ(1966) 6/21
松居夜詩子(1962) 7/05
(東京五輪7/22-8/09で中断:五輪以降も番組を制作するかは未定)
 
女性作曲家ですずくりこが松居夜詩子より若いのに先に来るのは、すずくりこが数少ない、鍋島康平(東堂千一夜の師匠)の弟子格だからである。だから東堂千一夜の次でもいいくらいなのだが、年齢が若いので後に回した経緯がある。
 

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ところで、昨年6月の株主総会でのクーデターで★★レコードの経営陣から排除された村上時二郎前社長・佐田博栄前副社長および彼らの元上司の息子・無藤鴻勝が設立した新レコード会社MSMであるが、
 
年末の決済ができず、銀行取引停止になって事実上倒産したことが年明けに報道された。MSMは、結局1枚のCDも発売できないまま消滅することになった。村上・佐田・無藤、それに営業部長・取締役の肩書きで経営に参加していた卍卍プロの三ノ輪会長は、各々個人的にもかなりの借金を抱えることになった。
 
卍卍プロも連鎖で閉鎖されることになった。これでしばしば億単位の損失を出しながらも「倒産しないのが業界の七不思議」とも言われた卍卍プロがとうとう消滅することになった。
 
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佐田博栄の息子(?)は★★レコードに残留していて、営業部次長付けになっていたのだが、MSMの倒産に伴い、辞表を提出した。しかし鬼柳次長は慰留し、彼(?)も辞表を撤回して、親は親として、自分は自分で頑張ると言った。
 
「ところで、ボクを奥さんじゃなかったら愛人にでもしてもらえません?」
「すまないけど、僕は不倫はしたくないので」
 
と鬼柳は彼(?)の個人的な誘いを丁寧に謝絶した。
 
「ところで君、女装したいなら女装で勤務してもいいけど」
「女装はしませんよ。ボクは男の子だもん。知ってる癖に」
「ちょっと他人が聞いたら誤解しそうな発言しないで」
 
彼(?)が鬼柳さんを“寝取る”までの気持ちはないことを奥さんは理解しているので、奥さんも彼(?)には優しくしてくれている。可愛いアクセサリーとかをプレゼントすると、喜んでつけているようである。
 
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彼(?)の性別については、本人のビジュアルを見て
「おたくは女性社員でズボンを穿いて勤務する人もいるんですね」
 
と言うお客様はよくある。
 
女子社員たちと名前で呼び合っているし、お昼も女子たちと一緒に食べていることが多いので、彼(?)のセクシャリティはかなり微妙である。しかしズボンと言うなら氷川さんなどもズボン派である。そもそも★★レコードには女子社員はスカートを穿けなどという社員規則は存在しない(男子はスカートを穿いてはいけないという規則も無い!)ので、実は制作部にはズボン派女子も数人いるのだが、営業部でズボンを穿いている女子(?)は彼(?)だけである。
 
「ボク、鬼柳さんの赤ちゃん産みたいなあ」
「そういう発言も人に誤解されるからやめてよ」
 
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「だったら、私とは結婚してくれないのね?」
と氷川真友子は言った。
 
「すまない。僕は佳南と結婚することにした。彼女は妊娠しているんだよ」
と彼は言った。
 
「私も妊娠してるのに」
 
「ほんとに申し訳無い。認知もするし、妊娠中の病院代や出産費用に養育費もちゃんと払うから」
と彼は謝った。
 

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ラピスラズリ(東雲はるこ・町田朱美)のデビューシングルは3月初旬に発売する方針で1月中に制作が行われることになった。§§ミュージックでは、わりと多く使われている花園光紀さんの『亜麻い雨/Red+Blue=Purple』という作品である。
 
お正月は、“回文組”のひとり、崎山マネージャーに付き添ってもらって、12月中に作っていたプロモーション用音源を持って、放送局その他に挨拶回りなどしていたのだが、1月10日、2人は事務所に呼ばれた。
 
「君たちの出演するレギュラー番組が1本決まったから」
と川崎ゆりこ副社長は言った。
 
「ほんとですか!嬉しいです。どんな番組なんですか?」
と朱美が嬉しそうに言う。
 
「地方局の番組で月2回くらいの放送なんだけどいい?」
「テレビですか?」
「うん。テレビ。実は金沢の〒〒テレビなんだよ」
「わっ。地元でしたか」
 
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「作曲家の大宮万葉さんが主宰する番組」
「へー!」
「実は大宮万葉さんは今まだ大学生なんだけど、4月から〒〒テレビのアナウンサーになるんだよ。それで『作曲家アルバム』という番組を制作することになった」
 
「大宮先生、お忙しそうなのに、就職する必要あったんですか?」
「まあ色々浮世の義理があるようだね」
「へー」
 

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それで川崎ゆりこは番組の企画書(まだ草案)を2人に見せて、番組の趣旨を説明する。2人は東城一星はもとより、東堂千一夜の名前も知らなかった!
 
それで50年くらい前から活躍している大作曲家さんなんだよと説明する。そして、各回で、その作曲家の作品を若手歌手に歌わせたいということで、石川県の地元出身でもあるし、ラピスラズリを使おうということになったことを説明した。
 
「それで東堂先生の回で歌う曲はこれね」
と言って、川崎ゆりこは2人に楽譜(ピアノ譜)を渡した上で、白百合花住が歌った『涙のスタートライン』の音源を聴かせた。
 
「あ、これは聴いたことがある」
と朱美は言ったが、はるこは聴いたことが無いと言った。
 
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朱美はミーハー(死語)なお母さんの影響で、流行歌にわりと強いが、はるこは親があまりそういう音楽を聴いていなかったようで、知識がないようだ。
 
演奏方法については、主としてゆりこ・朱美の2人で話し合い、ピアノのみの伴奏で歌うことを決めた。それで北区の研修所(兼女子寮)内のスタジオに技師さんに来てもらい収録することにする。朱美のピアノ伴奏で、はるこがメインメロディーを歌い、朱美もピアノを弾きながら三度唱する形で演奏を収録した。朱美はまだ聴いたことがあっものの、はるこは初見だったのに、3回も歌うと、ゆりこの耳で完成の域に達したので、OKを出し、技師さんにマスタリングしてもらった。
 
これをCDに書き込んで、東堂先生の所に持ち込むことにする。また2人が歌っている所をビデオでも収録したので、放送ではこれを流してもらうことにする。
 
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2回目の放送で使うのは東城一星さんの『白鳥サンパ』なのだが、これは朱美も知らなかった。しかし2人とも譜面を見ると数回の練習でちゃんと歌えるようになった。これも朱美のピアノ伴奏で2人で歌ったのだが、ゆりこは、せっかくだから、バレエ衣装をつけようと言った。
 
それでふたりにバレエのレオタードとクラシックチュチュまでつけさせる。バレエができる門脇真悠に来てもらって指導してもらう。ふたりはさすがにトゥシューズは履けないので、普通のバレエシューズを履くが、チャイコフスキーの『三羽の白鳥』の曲をCDで流しながら、それっぽく踊らせると、2人とも運動神経が良いようで、1時間くらいの練習で、かなりまともになる。真悠も「素人ならこのくらい踊れたら充分でしょう」と言ったので、その様子を撮影。これを入れてビデオを編集することにした。
 
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(後日、アクアの時間が取れる時に、アクア・門脇真悠・高島瑞絵の3人に踊らせたものも収録して数秒間だけ混ぜている。この3人は全員バレエを習っていたので、ちゃんとトゥシュースで踊れる:男子だったはずのアクアや真悠がなぜトゥシューズを持っていて踊れるのかは、あまり深く突っ込まない)
 

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ラピスラズリのデビューシングルの収録の方は、ちょうど時間の取れた“乙女地区”(姫路スピカのバックバンド)(*3) が演奏してくれて、1月下旬に1週間ほどかけて収録。2人がディズニーランドで遊んでいる様子を撮影したPVも編集して、2月中旬までにはビデオも完成した。発売日は3月4日(水)となることが決まった。
 
(*3)実はベース以外は、桜野みちるのバックバンドをしていたチォリーズである。2018年12月でみちるが引退したので丸ごとスピカが譲り受ける形になった。チェリーズのベースというのは、花ちゃん(山下ルンバ)で、彼女自身が2019年春にソロデビューするので、脱退することになった。
 

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