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■娘たちのフィータス(6)

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異変に気付いたのは、ちょうど部活が終わって帰宅して、偶然にも阿倍子の体調メンテを始めようとしていた青葉であった。
 
やばい!
 
と思った青葉は千里に電話した。
 
「分かった。貴司に連絡して何とかする」
「うん」
 
貴司はその時間帯、会社が終わって、バスケ練習のため市川ラボに向かう新快速の中に居た。千里は貴司の位置を把握した上で《くうちゃん》に頼んだ。
 
「OKOK」
と言って、くうちゃんは貴司を電車の中から千里中央駅の前に転送した。
 
「わっ。何だ何だ?ここはどこだ?」
と思わず声をあげるが、目の前に阿倍子が倒れていて、周囲に心配そうにそれを見守る群衆がいるのに気付く。
 
「阿倍子さん!」
と声を掛けて傍に寄る。
 
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「貴司さん?」
と阿倍子は目を開けると嬉しそうに言った。
 
「すぐ病院に行こう」
貴司は阿倍子をぐいっと抱き抱える。
 
「あんた、その人の知り合い?」
と周囲の人から質問された。
 
「はい、家族です」
と貴司が答える。
 
「車ある?」
「いえ」
「タクシー停めてあげるよ」
と言って、流しのタクシーを停めてくれた人がいた。
 
「あ、レジャーシート持ってるよ」
と言って、タクシーの後部座席にレジャーシートを広げてくれた人がいた。(実は千里の眷属《とうちゃん》である)
 
それで貴司はタクシーの後部座席に阿倍子を運び込むと、そのレジャーシートの上に寝かせた。
 
「すみません。近くて申し訳無いのですが、**産婦人科まで」
と言うと、タクシーは出発した。
 
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「やれやれ」
と千里は呟くと、貴司のスポーツバッグおよび、水たまりに落ちたタコヤキと阿倍子の傘を拾った。
 
「たいちゃん、悪いけど、あそこの屋台のたこ焼き、1パック買ってマンションに置いといて」
「OKOK」
 
「でも京平君の身体が掛かっているんでしょ?千里心配しないの?」
と訊く者もある。
 
「顔色見ただけで分かったよ。全く問題無い。たぶん、自分は気分が悪くなったりしないだろうか?という不安が引き起こしたもの」
 
「へー!」
 
実際、《びゃくちゃん》も頷いているので、どうも本当に問題無いようである。
 
「何より、京平本人が私に助けを求めていないし。あの子、すやすやと寝ている」
「へー!!!」
 
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それで千里は阿倍子の傘も彼女に託すと、スペインに戻してもらった。スポーツバッグは雨に濡れてしまったので、外側をよく拭き、中身は洗濯機に放り込んだ。明日の(日本時間の)夕方までには乾くだろう。
 
タコ焼きは捨てるつもりだったが、もったいない気がしたので、パックを開けてみるとパック内部まではあまり泥水が浸入していないことに気付く。それで水洗いしてペーパータオルで拭いてみたら結構行けそうだった。オーブントースターで焼いてから、イカリのタコ焼きソースを掛けて食べたら美味しかった!
 

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阿倍子は病院で診てもらったが、千里が想像した通り、特に何も問題は無いということで赤ちゃんも無事だった。しかし貴司はそのまま数時間病院で阿倍子に付いていて、深夜一緒にタクシーで帰宅した。その晩はずっとマンションに阿倍子と一緒にいた。
 
「あれ?たこやきがある」
「あれ〜?私それ落とした気がしたのに」
 
何か記憶が混乱しているのだろうということにして、レンジで温めてから一緒に食べた。
 
翌日の朝御飯は、千里が「京平のためだし」と言って、阿倍子の分まで作ってマンションに届けたので、それを貴司は阿倍子と一緒に食べて、出勤して行った。(阿倍子は貴司が朝御飯を作ってくれたと思った)
 
なお、千里は毎朝市川ラボに泊まる貴司に朝御飯をデリバーしている。実際にはその時間はスペインでは夜中で自分の夕食を作るついでである。おかげで貴司は毎朝千里の手料理の朝御飯を食べられているが、要するに餌付けである!
 
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貴司と千里は話し合い、1月いっぱいで“毎日”家政婦を頼むのは終えて週2回にするつもりだったのを、阿倍子の体調がまだ不安定であることから、当面週3回(日水金)にすることにし、阿倍子には引き続き病院に行く日(原則火曜日)以外は外出禁止・絶対安静を言い渡した。何か急に食べたくなった場合は出前を取るように言った。阿倍子も先日約束を破って外出したら倒れたことから、ちゃんと守ると言った。この週3回の体制が3月いっぱいまで続いた。
 
なお阿倍子のお母さんはずっと名古屋の病院に入院したままである。退院した場合、カロリーコントロールができない(隙あらばおやつなどを食べようとする)ので、インシュリンの定期的投与が必要なこと以外、体調としては悪くないものの、病院の個室に入れておかざるを得ないのである(相部屋だと同室患者からおやつをもらってしまう)。この人の場合、身体より精神の問題という感じもある。
 
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12月に給料遅配を起こした貴司の会社は1月も2日遅れで給料が支給され、先行き不安感から、退職者が出始めていた。このため一部の部署が機能麻痺に陥る状況も出始めていた。リストラが行われるのではという噂も出ていた。
 
千里は当面自分が生活費の面倒は見るから退職して他のチームに移りなよと言ったのだが、健康保険の問題もあるし、引越が妊娠に悪影響を与える可能性もあるから、阿倍子の妊娠中は無理と貴司は答えていた。
 

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2015年1月28日.
 
日本のバスケット界を再建するためのFIBAタスクフォース『JAPAN 2024 TASKFORCE』が設立されたことが発表され、また同日第1回目の会合が開かれた。その中心となるチェアマンには日本サッカー協会最高顧問(元Jリーグ・チェアマン)の川淵三郎が就任した。他のメンバーは下記である。
 
川淵三郎:日本サッカー協会キャプテン
インゴ・ヴァイス:FIBA中央委員会メンバー(ドイツ)
青木剛:日本オリンピック委員会副会長(水泳)
岡崎助一:日本体育協会専務理事(文部省)
梅野哲雄:日本バスケットボール協会・会長代行(元修猷館バスケ監督)
林親弘:川崎ブレイブサンダース(NBL)部長
木村達郎:琉球ゴールデンキングス(bj)社長
萩原美樹子:早稲田大学バスケットボール部・女子部ヘッドコーチ
中村潔:株式会社電通・執行委員
境田正樹:四谷番町法律事務所・弁護士
 
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川崎ブレイブサンダースは実はプロ化に最も消極的だったので敢えてここに取り込んだという事情があった。ここが同意してくれたら、他も追随するだろう。
 
川淵は「Jリーグを作った男」である。30年前、1980年代のサッカー界では、プロ化を目指す一部のチームと、あくまで社員福祉の一部と考え、社員選手中心で運用したいチームとの間で、溝ができようとしていた。
 
川淵はむしろサッカーのプロ化に反対の立場だったのだが、ヨーロッパのプロリーグの視察を命じられ、渋々渡欧する。ところが現地でプロクラブチームの情報を収集し、様々な人と会う内に、すっかりプロ化推進派に転換したのである。彼がこの出張中に見い出したのが、サッカー日本代表を飛躍的に強くしたマリウス・ヨハン・オフトだった。
 
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川淵はプロ化に消極的な日本サッカーリーグ(JSL)に見切りを付け、上位組織である日本サッカー協会(JFA)内に「プロリーグ検討委員会」を設置。ここをベースにして半ば強引ともいえるプロ化の推進をした。これは当時まだ55歳だった川淵のバイタリティーが生み出したものともいえる。最初の参加チームとなる10チーム(オリジナル10)も選定。この時は、プロチームのレベルに達していないと思われる住友金属が積極的だったので、わざと屋根付き15000人収容のスタジアムが無いと認められないと言ったら、鹿島市長が「作ります!」と言って、本当に作り始めたので、ヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)が落選して住友金属(鹿島アントラーズ)が入ることになった。しかも川淵が『弱すぎる』と思っていたそのアントラーズが第1シーズン・ファーストステージで優勝するという嬉しい誤算もあったのである。
 
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川淵は、この時、ちょうど進行中であった1994ワールドカップ(開催地アメリカ)の予選とJリーグのスタートを重ね、サッカー関係者が驚くほどの観客動員を実現して、誰もが信じていなかった、プロサッカーリーグのスタートを成功させた。
 
その後、サッカー界はこの“Jリーグ”を頂点として、J1/J2/J3/JFL といったヒエラルキー構造を作り上げ、プロもアマも一体となったチーム運営がなされるようになり、チームは全国津々浦々に作られ、少年サッカーは少年野球以上の盛り上がりとなるようになってきた。
 
この日本のサッカー界の現状が、今回はFIBAから理想的なスポーツ運営の姿とみなされ、その流れを作った男である川淵をスカウトした。
 
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そして今や78歳となった“老兵”は、それに応えてくれたのである。
 

(**)筆者は当時サッカーのプロ化という話に、90分掛けて点数が1〜2点しか入らない試合に観客なんて来ないのでは?採算が取れないのでは?と懐疑的だったのですが、図らずもJリーグの広報用CDの編集の一端に参加することになりました。
 
私がしたのは、Adobe Premiere, Macromind Director を使って、東京で制作されたフルバージョンの広報用“マルチメディア”(ゲーム感覚で様々な物の解説をする作品:後にこの用途はFlashの独擅場となった)のダイジェストを作る作業でした。
 
実はそれで私はオリジナル10のチーム名も覚え、リベロとかカテナチオとか、今まで知らなかったプレイスタイルの名前も覚え、オフサイド・トラップなどの作戦を学ぶことになり、それで興味を持って、サッカーの中継なども見る内に、これはひょっとするとプロ野球を越える人気が出るかもと思うようになりました。
 
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広報用CDの最後に入っていた20分にも及ぶゴール・ラッシュのビデオですが、これには“レンダリングやっと終わった!72時間掛かった”といった感じの隠しコメントが埋め込まれていました。よほど嬉しかったのでしょうが、このオリジナルを編集した人の重労働ぶりが伺われました。たぶんその72時間のレンダリングを10回以上やる羽目になっています。
 
(恐らく今のPCでやればこの程度の長さのレンダリングは5分くらい?)
 

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2015年2月2日(月).
 
この日は、アクアのファンクラブの初回入金(入会金+年会費で税込み5400円)の振込最終日(この日までに振込を終えた人には会報の初号を郵送する)だったのだが、この日までに振込を終えた人は、20万人を越えた。
 
先行してファンクラブが活動開始していた品川ありさ・高崎ひろかのファンクラブ会員数はいづれも6万人ほどで、これでも充分多い。XANFUSが4万人、AYAが8万人、である。ちなみにローズ+リリーのファンクラブ会員は50万人くらいだが、恐らくアクアのファンクラブ会員数は、あっという間にこれを抜くものと思われた。
 
§§プロでは、この入会手続きを処理するため、データ入力センターと契約して常時20人程度のスタッフを派遣してもらうと共に、プロダクションやイベンター・レコード会社などに過去に勤めていた人を中心に“完全コネ”(要推薦状)で50人ほどの臨時スタッフを雇った。
 
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最初は5人しか雇っていなかったのだが、『これではとても無理』ということで、どんどん増員するとともにデータ入力センターとも契約した。それも最初10人の契約だったが、間に合わない!というので20人に増やしてもらった。急に人数が必要になったので、九州や北海道の支店から応援で来てくれた人もあったようである。
 
作業のために都内のマンションを3室(1室は休憩用)借り、ヘッドセット付き電話と(USBを殺した)パソコンのセットを40台ほど並べ、警備員まで雇って24時間体制で作業をしてもらった。入会申込みは大半はネット登録してもらい、その登録情報を元にこちらから郵送した振込票(金額訂正不可)でコンビニ・郵便局から振り込んでもらう方式である。大半の作業は自動で進む。これらのシステムは∞∞プロのシステム部が開発し、長年他のタレントのファンクラブで運用してきているので今更バグが出たりはしない“枯れた”システムである。
 
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しかし、ネット登録されたデータをプリントして別納郵便で発送する作業、登録された写真が不鮮明だったり、ペットや人形!の写真、素顔が分からないほどの濃厚メイク(聖飢魔II並み!)だったり、明らかに登録された年齢・性別と異なる場合などの問い合わせ、発送した振込票が戻ってきた場合の問い合わせ、住所・氏名・生年月日・性別などの修正依頼の処理、データに変な所が無いかチェックする作業、そして名寄せによる二重登録のチェック、などなどで膨大な人間の作業が必要だった
 
性別については「性別は実態と合わせてください」と広報している。戸籍上は男性でも実際女性として生活している人は、男性として登録されるとライブ会場の入場で揉めるのは必至である。それでそういう人はちゃんと女性として登録して欲しいと広報している。ファンクラブ会員以外の人がライブ会場で入場する時に公的な身分証明書として男装の写真が貼られた運転免許証を持っているのに本人が女装だった場合、入場に時間が掛かる場合もある(こちらの手間も掛かる)。そういう人はファンクラブに入って女性として登録しておいてくれると、こちらとしては嬉しい。
 
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そういう訳で、男性として登録されているのに写真が女性にしか見えないというので、問い合わせて、結果的に性別を修正してもらうことになったケースも多々あったのである。(この男女逆のパターンもある)
 
ファンクラブの発足予定日は3月8日なのだが、これらの作業は、申し込みを受付始めた1月5日から始めて実際は(2月2日までに入金された分が)3月1日まで掛かった。スタッフは引き続きどんどん登録される入会申し込みの処理に追われ、進学の関係で3月いっぱいで辞めるスタッフもいるので、新たなスタッフ採用が必要で、田所や沢村はその面接に追われていた。
 

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2月4日(水).
 
この日、男子の分裂しているリーグの一方、bjの代表者会議が行われたのだが、JAPANタスクフォースの境田はこの会場に乗り込み、bj全チームの代表と名刺交換して、そのひとりひとりと話し合い、各クラブと率直に意見を交わした。bj側はそもそもプロ化するためにJBLから飛び出した経緯があったこともあり、プロリーグ創設には積極的で、きちんとした運営がされるのであればbjを脱退して新リーグに加盟するのには前向きな姿勢であることを確認した。
 

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