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■女子中学生のビギニング(13)

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(C) Eriko Kawaguchi 2022-02-19
 
16日の午後、留萌に帰る両親を見送った後、千里と玲羅は、結局富士子さんの部屋に行き、明理・輝耶の姉妹とおしゃべりしていた。千里がカフェでパフェを食べたことを全く覚えてないので、輝耶が呆れていた!
 
夕方4時頃、自分たちの部屋に戻り着替える。千里はセーラー服を着て、玲羅は黒いドレスを着る。川夫さんがマイクロバスを旅館に持って来てくれたので旅館に居た人たちはそれで斎場に入った。
 
バスに乗った人:−
 
(4) 初子・浩子・雪花・春桜
(4) 玉緒・心子・南奈・海美
(5) 龍男・秀子・富士子・明理・輝耶
(5) 光江・顕士郎・斗季彦・千里・玲羅
 
合計18人(+運転した川夫)。
 
バスは女性たちを斎場まで連れて行った後、男性たちを“運搬”しに川夫さんの家に向かった。
 
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通夜が始まるまでの間に、棺の顔の所のふたを開けて、みんなであらためてお別れをした。
 
18時頃から人が集まるので、浩子さんと、川夫さんの友人女性が受付に立っていた。19時すぎ、司会者が「これより通夜を始めます」と案内する。お坊さんが入場し読経を始める。これが30分くらい続くので、椅子席で良かったぁと思った。正座だと結構辛いところである。
 
またこういう場所は冬季には結構冷えることがあり、スカートだと辛いこともあるのだが、ここはしっかり暖房が入っていて暖かくて良かった。実際には女性でも結構ズボンの喪服を着ている人がいた。やはり寒い場合に備えてだろう。
 
読経が終わると焼香になる。故人の妻・初子、第1子の海斗と妻の浩子、第2子の大湖と妻の玉緒、第3子川夫と夫の小足、そして故人の弟の龍男と秀子、故人の妹の天子(光江が手を引いている)、と続いた後は、親族一同適当にお焼香した。千里と玲羅は最後のほうで焼香している。
 
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親族の焼香が終わると、友人や近隣の人のお焼香が続き、お焼香が終わると喪主の挨拶があって、通夜は終了する。
 

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通夜が終わったのは20時半くらいである。
 
休憩所に入り、仕出しのお弁当が配られるのでそれをいただく。ここも椅子席なので助かる。千里と玲羅は明理・輝耶姉妹に誘われてそちらに座ったので、結果的に、龍男・秀子夫妻とも近くの席になった。
 
「秀子さんのお名前って、もしかして前畑秀子からですか?」
と千里は尋ねた。
 
「そうなのよ。私が生まれた年にベルリン・オリンピックがあって、今の若い人たちでは知らない人も多いけど、水泳の平泳ぎで、実況のアナウンサー(河西三省)さんが『前畑ガンバレ、前畑ガンバレ』ってひたすら連呼して、前畑自身は金メダル取ったのよね」
 
「すごーい」
と玲羅が言う。玲羅は前畑秀子なんて知らないだろう。
 
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「日本人女性初のオリンピック金メダルだったから日本中が凄い興奮で、今なら間違い無く国民栄誉賞だったと思う」
 
「勲章か何かもらえなかったんですか?」
「どうだろう?」
と秀子さんは首をひねるが、龍男さんも知らないようだ(*11).
 
「でもまあそれにあやかろうというので、私の名前は秀子になったのよ」
 
(*11) 当時は特に何も無かったようだが、戦後の1964年になって紫綬褒章をもらっている。彼女は1つ前の1932年ロス五輪では銀メダルで、帰国後の祝賀会で「なぜ金メダルを取れなかった?」と責められたらしい!それで本当はロスで引退するつもりが後4年頑張り、美事に金を獲得した。ベルリンに行く時は「メダルを取れなかったら死んでお詫びするしかない」といった悲愴な覚悟で行ったという。
 
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「秀子さん、水泳は?」
「金鎚」
「あらぁ〜」
「秀子という名前なのに全く泳げないとはって、随分言われたよ」
「そんなこと言われても困るなあ」
「名前で泳ぐわけでもないしね」
 
そこに天子さんが自分の湯飲みを持ってやってきた。食事は終わったようだ。普通に椅子を引いて腰掛ける様は、天子が目が見えないなんて思いも寄らない。彼女は「見えないけど分かる」と言う。
 
もっともランドルト環の0.5の所までちゃんと言い当てられるのは“見えないけど分かる”の範囲を超えていると思う。天子さんはスーパーで介護無しで普通に買物をして、お肉なども必要なグラム数の物を買ってくることができる。そして失明で免許は返上したものの本当は運転ができる!しかし医者は「これで見えるはずがない」と言うらしい。
 
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「いちばん威勢のいいのが死んじゃって、わたしたち2人になっちゃったね」
と天子は、しみじみと言う。
 
「十四八さんって、活発な方でした?」
「うん。中学でも身体壮健・成績優秀の文武両道。足も速かったし剣道が強かった。戦後になってからだけど七段と師範の資格を取ってるよ。中学校時代もお前の成績なら二高に行けるぞと言われていたのに、自分はこの国を守ると言って少年兵に志願して海軍に入ってしまった」
 
と龍男さんが言うと
 
「にこう?」
と玲羅が訊く。
 
「第二高等学校だよ、仙台の。今の東北大学」
と富士子さんが説明する。どうもこの付近の昔話はかなり聞かされている雰囲気だが、龍男さんは、話を聞いてくれる人ができたとばかり、口調が熱くなってくる。
 
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「頭いいから東京・船橋の海軍通信所に配属された」
「お父ちゃん、船橋は千葉県だよ」
「うん。東京府千葉県だよ」
 
うーん。まあいいか。
 

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「ニイタカヤマノボレの暗号文を発信した通信所ですね」
 
「そうそう。海外の極秘情報がどんどん飛び込んでくるから、昭和20年2月のヤルタ会談の情報も幹部クラスは知っていて、8月には戦争は終わるという噂が当時の所員の間で流れていた」
 
「それ物凄い極秘情報ですね」
「あくまで噂として流れていただけだけどね」
「まあ言えませんよね」
 
「しかし八戸(はちのへ)は8月15日の全面降伏で救われたんだよ」
と龍男さんは言う。
 
「8月17日に大空襲が予告されていたからね」
「きゃー」
「やられていたら、俺もアマ(*12)も死んでたと思う」
 
(*12)“アマ”は天子の愛称。ただし天子の本来の読みは“てんこ”である。
 

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「当時は(青森県)八戸に住んでおられたんですね」
「でも元は北海道ですよね」
「うん。親父(三蔵)は広島村(現北広島市)の出身で、お袋(キク)は岩見沢村(現・岩見沢市)の出身で、ふたりは札幌で出会って結婚したんだよ」
 
「もしかして恋愛結婚ですか?」
 
「そうそう。当時は“何て、はしたない”と言われたらしいよ」
「昔は結婚相手って親が決めるものであって、勝手にくっつくのは極めて乱れたこととみなされたみたいね」
と富士子が言うと
「うーん・・・」
と玲羅が悩んでいる。
 
「でも、よほど好きだったんでしょうね」
「そうだと思う」
 
「それで三蔵さんは全国的な機械メーカーに勤めていて、八戸に転勤になった。どうも恋愛結婚に対する世間の目から逃れるのも目的のひとつだったらしいけどね」
「あぁ」
 
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「それでうちの兄弟は5人とも八戸で生まれたんだよ」
「5人?十四八さん、浄造さん、龍男さん、天子さん以外にもう1人居たんですか」
「いちばん上に“さっちゃん”という女の子がいたんだよ。でも戦争の混乱で音信不通になってしまって」
「私は“さきちゃん”はまだ生きてると信じてるけどね。だって時々夢に見るもん」
と天子は言っている。
 
霊感の強い天子さんが言うなら、本当に生きているかも知れない、と千里は思った。
 
「“さき”姉は、昭和27年にお嫁さんに行ってしまったんだよ。相手が内務省のお役人で結婚してすぐに九州の宮崎に飛ばされた」
「それはまた北から南へ大変ですね」
 

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「でも親父は赤紙で招集されて、“さっちゃん”はお嫁さんに行って、十四八兄貴は少年兵に志願して入隊してしまうし、あとはお袋と、浄造兄に俺と“あま”の3人が残った」
 
「当時何歳くらいですか?」
「“さっちゃん”がお嫁に行った後て、十四八兄は入隊したよな?」
と龍男は天子に確認する。
「そうそう。“さきちゃん”の結婚式の時は十四八兄さんは居た」
と天子は確認する。
「当時、浄造兄さんが16歳、龍兄さんが13歳、私が11歳だったと思う」
と天子。
「数えでですよね?」
「うん。そうそう」
 
「そして終戦の年になるんだけど、米軍の空襲がほんとに凄かった」
「あれ?空襲の前に終戦したんじゃなかったんですか?」
「大空襲の前にね」
「小空襲はあったんだ!?」
「小空襲、中空襲あったよ」
「ああ」
「7月頃から何度も空襲があった。8月9日には米軍のB29が100機くらい来た」
「きゃー」
と玲羅が悲鳴をあげるが
「B29ではなくグラマンF6Fだったと思う」
と涼雄さん。
「そうだっけ。でも八戸の蕪島沖に到来した帝国海軍の海防艦・稲木がこの米軍の大編隊と壮絶な戦いをしたんだ。米軍機を次々と撃墜して米軍機は八戸市街地まで行けない。最後は多数のロケット弾を撃ち込まれて撃沈するけど、“八戸の盾”となって市を守り抜いた」
 
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「なんか凄い」
とこの手の話題にあまり興味の無い玲羅も感動している。
 
「それでも米軍は8月17日に大規模な空襲をすると予告していた」
「そして終戦ですか」
「うん。でも奴らは翌日8月10日にも来た」
「しつこい」
 
「その時に、浄造兄貴と、ミナさんが焼夷弾にやられて死んだんだよ」
「ミナ?」
と千里が訊くと
 
「“さきちゃん”のお母さん」
と天子がコメントする。
 
「あれ?お母さんは、キクさんじゃないんですか?」
「お父さんも違うけどね」
「ああ」
 
「あの子のお父さんは関東大震災で亡くなったんだよ」
「あらあ」
「その時ミナさんは大きなお腹を抱えていて。元々親しかった親父を頼ってきた」
「ということは“さき”さんは、大正12年か13年の生まれですか」
と千里が訊くと
「甲子(きのえね)の生まれだから大正13年生まれ」
と天子が言う。
「甲子園ができた年ですか!」
「そうなのよ」
 
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「まあ。それで私たち一家と一緒に暮らしてた。血の繋がりはよく分からないけど、俺たちは“さっちゃん”は自分たちの姉という感覚だった」
と龍男さん。
「うん。基本的に姉妹と思って育った」
と天子。
 

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「ミナさんが亡くなったことだけでも“さっちゃん”に伝えたかったんだけど、当時お袋がかなり手を尽くしたものの連絡は取れなかった」
「情報統制の厳しい時代でもあったしね」
「うん。どこが空襲されたなんて情報は軍事機密」
「戦後はますます混乱したし」
 
「まあどこかで元気してることを祈るしかない」
と龍男さんは言った。
 

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その日は斎場で会食をしたので、旅館に戻った後は、そのままお風呂に入った。
 
今日はお風呂の中で雪花(ゆきか)・春桜(はるみ)姉妹(中3・中1)と遭遇し、結構おしゃべりしていた
 
「春の桜と書いて“はるみ”なんですけど、よく“はるお”と読まれちゃうんですよね」
「でも“お”で終わったら男の子みたい」
「あんた、いっそ男の子になって、お嫁さんもらって“彩友”の苗字を残す?」
「お嫁さんもらうのもいいなあ」
「輝耶さんも、お嫁さん欲しいと言ってた」
「玲羅ちゃんも、お嫁さんが欲しい顔をしている」
「まあ性別なんて自分で選べばいいものだしね」
「そうですよね〜」
 

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部屋に戻ってから玲羅が言う。
 
「そうだ。お姉ちゃん、指導碁してよ」
「OKOK」
 
それで玲羅が鞄から囲碁セットを出してプラスチック製の二つ折りの碁盤を広げる。中に入っている碁笥を取りだして、白を千里に渡し、黒を自分が取る。置き石を5つ置いた所で千里から打ち始めた(*13).
 

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それで打っていく。指導碁なので、玲羅に考えさせるように千里は打っていく。大失敗したような場合は
「ここはこうするべきだったね」
と言って、石を戻して打ち続けた。
 
それで20分くらいやっていたが、そのあたりでどうにもならなくなり、玲羅は投了する。しかし千里は言った。
 
「玲羅、だいぶ強くなった。5-6級の力があると思うよ」
 
「あ、部長さんからは今4-5級って言われた。囲碁部ではずっと部長さんと打ってるのよ」
と玲羅。
 
「それは勉強になるね」
「お姉ちゃんとは今5子だけど、2級の部長さんとは定先(*13)で打ってるから、やはり感覚が違うのよね〜。防具無しで戦ってる感じで」
 
「そうそう。置き石のハンディって大きいからね。でも今のままなら、部長さんと互先(*13)になるのは時間の問題だろうね」
 
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「でもお姉ちゃんはなんでこんなに強いんだっけ?」
「(P神社の)宮司さんに教わったからね」
「ああ、宮司さん強いんだ?」
「六段の免状持ってるよ」
「すごーい」
 
「でも六段は30代の頃に取ったものだから、今ではせいぜい二段くらいと本人は言っていた」
「ああ、やはりスポーツと同じで年取れば衰えるよね」
「やはり50歳くらい越えると、落ちていく方が大きいと思うよ」
 

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(*13)五子というのは、玲羅が置き石を5つ置いていること。黒が置き石した後、白が打ち始める(コミ無し)。一般に級位・段位1つの差が置き石1個の差と言われるので、本当に部長が2級で玲羅が4級なら置き石2個相当だが、部長は指導碁のためにあえて差を大きくしているのだろう。置き石2個本当に置いたら指導してあげる余裕が無くなる。千里と玲羅も真剣勝負にするなら置き石が多分7-9個必要。
 
互先(たがいせん)とはハンディの無い戦いで“握り”で先攻(黒)を決めて、コミ6目半で勝負する戦い。定先(じょうせん)とは、両者の間に僅かな実力差がある場合に用いられるもので、置き石は無いが下位の者が常に先攻でコミ無しで行われるもの。
 
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互先の場合はコミに“半”があるため必ず勝負が付くが、置き碁や定先では引き分け(持碁(じご))が発生することがある。
 

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女子中学生のビギニング(13)

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