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千里と津気子が旅館を出たのは12:30くらいだが、タイヤ交換の仕上がり時刻は13時半と言われていた。しかし津気子は千里と相談したいことがあったのである。それでタクシーをオートバックスではなく、その向かい側にあるイオンに付けてもらった(このイオンは1987年にオープンしている)。
「オートバックス、このショッピングモールにあるんだっけ?」
「道路の向かい側なんだけど、あんたにちょっと相談したいことがあって」
「うん」
それで2人はイオンの中にあるマクドナルドに入った。
千里が“カクニパオ”(角煮包)のセット、津気子はコーヒーだけを頼んだ。
「実は、弾児さんが転勤になるのよ」
と津気子は話を切り出した。
「旭川に来てから長かったね」
「そうなのよ。5年間旭川に居たのよね。もっとも旭川の中で1回勤務する局は変わっているけど」
「郵便局って特定郵便局を除けば2-3年で転勤になるみたいだよね」
「そうらしいね。旭川の前は紋別市で、その前は釧路町とか言ってたけど、釧路市って最近市制施行したんだったっけ?」
「お母ちゃん、釧路町は釧路市の東隣の町だよ」
「え〜〜!?釧路市と別に釧路町ってあるの??」
などと母は言っている。
「紛らわしいよね。郵便物の宛先間違いが無茶苦茶多かったと弾児おじさん言ってたもん」
「面倒くさいから合併しちゃえばいいのに」
「合併協議はしてるみたいだよ(*10)」
「ああ、くっついた方がいいよね」
「福井県の越前市と越前町とかも、ここで同じで、隣接していて名前が同じで紛らわしいんだよね」
(*10) この合併協議会は解散してしまったので2022年現在でも両者は合併していない。2006年には四万十市に隣接した四万十町が誕生してこの類が1つ増えた。
「まあそれでさ。弾児さんは旭川に来てもどうせまた2年くらいで転勤だろうからというので一時的に、天子さんのアパートに同居していた。でも弾児さんたちが引っ越すと、天子さんが1人あのアパートに取り残される」
「ああ、分かった」
「以前は十四春さんと2人暮らしだから、まだ良かったんだけど、天子さんは目が見えないからさ。目の見えない年寄りを1人置いておくのは危ないじゃん」
「どうすんの?」
「光江さんは、引越先に一緒に来て下さいと言った。でも天子さんはもう旭川に40年住んでるから、ここから動きたくないと言った」
(天子は1960年に十四春と結婚して以来旭川に住んでいた)
「動きたくない気持ち分かる。特に目が見えないと慣れない街に住むこと自体が不安だよ」
「そうなのよね」
「おじさん、どこに転勤になるの?」
「辞令は今月中に出るらしい。まだはっきりしないけど、札幌か稚内になりそうという話」
「全然方角が違うけど」
「なんか欠員が生じてるらしいよ。それでシーズンでもないのに転勤らしい」
「普通は4月かな」
「うん。多くは4月だけど10月の異動もあるらしい。でも今回は欠員補充だからイレギュラーに12月転勤だって」
「辞令が出たらすぐ移動しないといけないんでしょ?」
「1週間程度らしいよ。前札幌に居た時の上司さんなんて、秋田への転勤を3日前に言われたらしい」
「きゃー」
「まあそれで光江さんと話してたんだけど、選択肢は4つだと思うの」
と津気子は言った。
「1つは無理にでも弾児さんの転勤先に連れて行く」
「うん」
「1つはうちに同居させる」
「へー」
「これは転勤先が稚内あるいは道外になった場合の選択肢。札幌はまだいいけど気候の厳しい稚内は、腰痛を抱えている天子さんには辛いと思うし、道外だと環境が変わりすぎるから」
(筆者注.実際には旭川の方が稚内より寒い!「稚内は寒いから腰痛に響く」というのは、引っ越したくない天子の言い訳)
「うちに住むスペースある?」
「何とかするしかない。引っ越すお金無いし」
引越のお金というより家賃だろうなと千里は思った。市営住宅の家賃は物凄く安い。しかしその安い家賃をうちは滞納させぎみである。民間のアパートの家賃はとても払えないだろう。
「1つは旭川からどうしても動きたくないというのであれば、旭川市内の老人ホームに入ってもらう」
「うーん・・・」
「そしてもうひとつは天子さんに今のアパートで1人暮らしさせて、ヘルパーさんを頼む」
「3番目と4番目はコスト的にあまり差が無いと思う。だったら3番目より4番目の方がいい。天子さんは本当に1人で充分やっていける。老人ホームに入れたら、目が見えないからと自由に行動もさせてくれないだろうし概してああいう所は世話のしすぎだから、たぶん早々に惚けてしまう」
と千里は言った。
「実は光江さんも私もその意見」
「じゃ3は無しで」
「老人ホーム案は弾児さんから出て来たのよ。弾児さんは天子さんの世話で光江さんに負担を掛けているのが申し訳無いんだと思う」
「でも天子さんは光江さんにとっても存在が大きいと思うよ。天子さんって優しいもん」
「そうなのよね。天子さんって、まず文句言うことないって。家事については光江さん流を受け入れてそれに合わせてくれるし、料理失敗してもむしろ文句言ってる息子たちをなだめてくれるし。だから自分の母よりも相性がいいって光江さんは言ってた」
「それで4のケースになった場合の支援体制も考えないといけないんだけど、うちに同居することになった場合、本当にどうやって住もうか」
と津気子は言った。
多分これが主題なのだろう。支援体制の方は主としてお金の問題だ。お金無いけど!
「今でもよく2DKに4人暮らしてると思ってたけど、何とか5人寝るしかないよね」
と言って、千里は方眼罫のレボート用紙(必要になるから持っていた:千里の日常)をバッグから出すと、しばらく何通りかの布団レイアウトを描いていたが、やがて
「あ、分かった」
と言った。
「何かやり方ある?」
「2段ベッドを買えばいいんだよ」
「あぁ!その手があったか」
と母も感心している。
「奥の部屋に2段ベッドを置いて、私と玲羅が寝る。寝相の悪い玲羅が下段だろうな。お祖母ちゃんにはその横に布団を敷いて寝てもらう。ベッドでもいいけど」
「いいと思う」
「じゃ天子お祖母ちゃんが留萌に来ることになった場合はその手で」
と千里は言ってから
「お祖母ちゃんは札幌にも留萌にも行きたくないと言いそうだけどね」
と付け加えた。
「そんな気がするのよね〜」
と津気子も言った。
母は最後に言いにくそうに
「あとね。天子さんが1人で暮らすことになった場合、全自動洗濯乾燥機とか、食器洗い機とか買ってあげた方がいいと思うのよ」
「それはあった方がいいね。ルンバも買ってあげたら?」
「なんだっけ」
「全自動掃除機だよ。勝手に部屋の中を掃除してくれる。棚とか机とかはちゃんと回避する」
「面白いものがあるんだね!」
「去年発売されたばっかり」
「世の中進歩してるね」
「既に1970-80年代のSFの世界を越えてると思う」
「そうかも」
と言ってから母は
「あのね、あのね。凄く言いにくいんだけど」
と言った。
やはりそこへ来るか。でも、まいっか。
「留萌に帰ってから用意するよ。いくらくらい必要?」
「ごめんね、ごめんね。50万とか無理だよね」
千里は苦笑した。
「何とかするよ。天子おばあちゃんのためだもん」
「ありがとう!」
しかし今日もらった報酬の半額が飛んだな、と千里は思った(今現金で渡せるけど、今渡したらさすがに母が仰天するだろう)。
13:10になったので「そろそろ終わってるかも」と言って、マクドナルドを出て道路を渡りオートバックスに向かう。
「あ、そうだ。お母ちゃん、お願いがあるんだけど」
と千里は言った。
「私の剣道部の先輩がね。ちょうど釧路に来てたけど、留萌への最終連絡の列車を逃しちゃったらしいんだよ」
「ありゃ」
「それで明日留萌で用事があるからどうしても今日中に行く必要があるらしくて。うちの母が今日留萌に帰ると聞いたら、その車に同乗させてもらえないだろうかと言ってきた」
「先輩って、男の人?女の人?」
「もちろん女性だよ」
「ああ、そうだろうね」
と母は言った。
「頼めない?免許も持ってるから、何ならお母ちゃんと交替で運転していってもいいって」
「それは助かるかも知れない」
それで千里と津気子はオートバックスでタイヤ交換の終わっていた車を受け取ると、釧路駅に向かい、“朝日瑞江”さんをピックアップしたのである。
「すみません。助かります。あらためて御礼しますから」
「女子大生さん?」
「大学2年です。でも免許は大学入学早々取って、一応これまでの走行距離は3万kmくらい。昨シーズンも冬の道を走りましたから」
「3万kmも走っているなら安心かな。普段は何に乗ってるの?」
「中古のRX-7なんですよ。50万を2年ローンで買いました」
「RX-7乗りさんなら安心だわ!」
それで千里と津気子は“瑞江”を乗せて旅館まで戻った。父に瑞江を紹介するが彼女が美人なので機嫌がいい。留萌に行ける最終連絡を逃したと聞くと
「それは大変でしたね。狭くて汚い車で良ければどうぞ乗って下さい」
と彼女を歓迎した。
それで13:45頃、車は出発して行った。
この後、ヴィヴィオはこういうコースで帰ることになる。
釧路-池田 110km 40km/h 2:45 津気子
池田-清水 50km 100km/h 0:30 瑞江
清水-滝川 137km 55km/h 2:28 瑞江
滝川-沼田 33km 100km/h 0:20 瑞江
沼田-留萌 38km 40km/h 0:57 津気子
小計 7:00
休憩(池田IC傍ローソン,秩父別PA)小計30分
合計7:30
到着時刻 21:15
瑞江を21:10に留萌駅で降ろしたが、父が21時までに帰りたいと言っていたのを過ぎてしまったので、瑞江は
「すみませーん。私の運転が未熟だったから遅れてしまって」
と謝った。しかし父は
「いえいえ。このくらい全然問題無いです。俺は車内でも寝てたし」
と言って、ご機嫌だった。母は美人にデレデレする父に蹴りを入れたくなったらしいが!
しかし父だけでなく、母も助手席で結構寝ていたようである。
千里がミミ子に運転してもらったのは、母の運転では“出港時刻(朝5時)までに留萌に到着出来ない”おそれがあったこと、そして何よりも2人だけなら喧嘩するのが確実なので、他人を同伴させることで、父が抑制的になることを期待したからであった。
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女子中学生のビギニング(12)