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■女子中学生のビギニング(8)

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しばらく話してから、光江さんは千里たちを連れて斎場を出、近くのマクドナルドに入った。
 
「でも2人だけで大変だったでしょ。おごってあげるから何か食べなよ」
と光江さんは言ってから
「顕士郎たちには内緒でね」
と付け加えた。
 
それで千里はフィレオフィッシュとドリンク、玲羅はビッグマックのLLセットを頼んでいた。
 
「でも十四八(としはち)って変わった名前ですね」
と玲羅が言う。
 
「大正十四年の八月生まれだから」
と千里が言うと
「生まれた年月を名前にしたのか!」
と玲羅は驚いている。
 
「だから十四春じいさんと同じ方式」
「じゃ同い年?」
「そうそう」
 
「天子おばあちゃんとこって何人きょうだい?」
「4人だったけど、1人は戦争中に亡くなった」
「戦死?」
「いや、空襲でやられたんじゃなかったかな」
と千里。
「ああ。そんな話だった」
と光江。光江もそのあたりは不確かである。天子はあまり昔のことは語りたがらない。多分いろいろ辛いことも多かったのだろう。
 
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「でも面白い話は知ってる」
と光江さんは言う。
 
「天子さんのお父さんは三蔵さんって、これは明治33年生まれだから」
「お父さんも語呂合わせなのか!」
「それで子供たちの名前が、十四八、浄造、龍男、天子」
と光江さんは4兄弟の名前を紙に書いてみせた。
 
「何か感じるものはない?」
という問いかけに玲羅は首をひねっているが、千里は分かった。
 
「西遊記ですか!」
 
「そうなのよ。自分の名前が三蔵だから、4人の子供に三蔵法師のお供の名前を付けようとした。猪八戒から十四八、沙悟浄から浄造、玉龍から龍男、そして4人目の女の子にソラと付けようとして命名ルールが奧さんのキクさんにバレた」
 
「3人目で気付いて欲しかったなあ」
 
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「ソラなんて女の子の名前として変だと言われて、空からの連想で天子と付けた」
「今の時代なら、ソラちゃんって結構いますけどね」
「昭和の初期には聞いたことない名前だったかもね」
「名前には流行もありますからね〜」
 
なお、空襲で若くして亡くなったのは、2番目の浄造さんということだった。
 
「でも西遊記で名前付けていくなら、普通孫悟空から始めませんか?」
と玲羅が疑問を呈する、
 
「最初の子供が十四八になったのは、年月で名前を付けるということて、八が入っていたのは偶然だったらしい。でも2番目の子供の名前を考えている時に思いついた、と」
 
「なるほどー」
 
その時、玲羅が気がついた。
 
「ここの家の苗字“彩友”(あやとも)は音読みしたら“さいゆう”になりますよね」
 
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「うん。“さいゆう”で三蔵さんなら、子供にそういう名前付けたくなるよね」
と光江さんは笑っていた。
 
「でも、十四八は別にして西遊記シリーズを付ける構想もあったらしいよ。空男、龍男、浄造、戒子とか」
「へー」
「でも2番目に龍男と付けようとして辰年でもないのに龍男は変だと言われたらしい」
「あれ、だったら3番目の龍男さんは辰年ですか?」
「午年なのよね〜」
「あらぁ」
(実は辰月辰日 1930.4.7)
 
「だから龍男さんはいつも生まれ年を誤解されてたと」
「8月生まれのカンナちゃんみたいなものかな」
と千里は何気なく言ったが、どこかで笑い声がした気がした。
 

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光江さんは、浩子さんからコピーをもらったと言って系図を広げ、そこにウメさんと十四春さんを書き加えた。

 
「キクさん・ウメさんの兄弟の名前は分からないのよね〜」
と言って、不明分の所はOを書いている。
 
「十四八さんの子供たちの性別が分かりにくい」
「十四八さんは海軍に入った。戦後は海上自衛隊で掃海艇に乗っていた」
「海軍の伝統をつなぐ部隊じゃないですか」
と千里が言う。
 
「ああ、知ってた?」
 
「掃海隊は帝国海軍の中で、アメリカが進駐してきても唯一解散させられなかった部隊なんだよ」
と千里は玲羅に説明する。
 
「戦争中に日本近海にたくさん機雷が設置されていたから、それを取り除く必要があった。それで海軍の中で掃海隊だけが残された。戦後すぐは海上保安庁の傘下になっていて、その後海上警備隊が組織されるとそちらに移籍されて、海上警備隊が海上自衛隊に改組された」
 
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「よく知ってるね」
 
「父が10回くらい話してました。父は自衛隊にも入りたかったらしいですが、試験に落とされたらしいです」
「あ、試験に落ちたという話は聞いたことあった」
 
「お父ちゃんが自衛隊の試験に受かる訳無いよ。露助(ろすけ)にはロケット撃ち込んで、ぶっ潰せとか言ってるもん。危険思想の持ち主だとみなされると思う」
と玲羅は言っている。
 
「ロシアの警備艇に追いかけられて、すんでで日本領海まで逃げ切ったこともあったらしいからね」
と千里は言う。
 
「国境近辺で操業してると、それあるだろうね」
と光江も言う。
 

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「でも十四八さんは海軍魂の人だから、この家系では金曜日はカレーだって」
「あ、金曜日のカレーは、いい習慣だと思いまーす」
と玲羅は言っている。
 
千里たちの家でも武矢が帰港してくる金曜日はカレーにすることが多い。父は帰港して陸(おか)にあがってから食べるカレーが楽しみなようである。何かの都合でカレーが無いと不機嫌である。
 
「自衛隊は転勤が多いから、子供が日本各地で生まれてる。そして海軍魂で、子供たちに水に関する名前を付けた。舞鶴で生まれた最初の子は海斗(かいと)、大湊で生まれた2番目の子は、海の次は湖だなというので大湖(だいご)にした」
 
「“だいご”と読むんですか」
 
「たいてい“たいこ”と読まれる。ついでに“こ”が付いてて女の子かと思われる」
「あ、中村晃湖(あきこ)さんの“こ”だ」
「うん。でも晃湖(あきこ)は占い師名で、本名は普通の“子”を使って晃子だけどね」
「あ、そうだったんだ」
 
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「でも大湖さんの奧さんは玉緒さんで、“お”がつくから音で聞くと男と間違えられることがある」
「それで夫婦そろって性別を誤解される訳ですね」
「そうそう。子供の保護者欄で逆に書かれてたりとかは、しよっちゅうだったらしい」
 
「そして佐世保で生まれた3番目の子は川夫」
「川夫さんは結婚してないんですか」
「えーっと・・・」
「何か問題が?」
「川夫さんは男の“お友達”と暮らしてたのよ」
「ああ、そちらか」
「3人の中でいちばん性別が明快な名前なのに」
「いや、セクマイの人には男らしい名前の男性が多いというのは昔から言われてる」
 
「それで十四八さん夫婦はその家に同居していた。正確にはそこに一家が住んでいて、長男が独立し、次男が独立して両親といちばん下の子が残った」
「ありがち、ありがち」
「そこに川夫さんが彼氏を連れて来たみたいね」
「じゃ、ふたりの関係は両親も認めていたんですか?」
 
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「お母さんの初子さんは許容的だったみたい。十四八さんは不満だったみたいだけど、卒中で動けないし、力仕事などはその彼氏に依存してたから、文句言えなかったというのが実情じゃないかって天子さんは言ってた」
 
「川夫さんは女役?」
「まあ見れば分かるわ」
 
「でも川夫さん夫妻・・・夫妻と言っていいんだろうな。十四八さんが暮らしやすいように、2人でお金を出し合ってバリアフリーの家を建てて、一家はそこに住んでいた」
 
「えらーい」
「凄い親孝行だよね〜」
と光江さんも言っている。
 

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「そうだ。郵便局の加藤さんは、この系統とは違うんですか?」
と千里は尋ねてみた。
 
加藤亨さんと奧さんの澪さんは、十四春の葬儀の時、葬儀委員長を務めてくれたが、元々十四春の部下だった人で、天子さんの遠縁の親戚と聞いていた。
 
「あれは天子さんもよく分かってないみたいだけど、三蔵さんの兄弟の系統みたい」
「かなり遠いですね」
「確か三蔵さんの妹の・・・ミクさんと言ったかな」
「変わった名前ですね(*5)」
「明治39年生まれ」
「また語呂合わせか!」
 
「そのミクさんの息子に10月9日生まれの徳道さんって居て」
「語呂合わせは続く」
「その人の奧さんの又従弟が加藤亨さんだよ」
「物凄い遠縁ですね」
 
光江さんは系図にその加藤さんを書き加えてみた(やや不確か)。

 
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千里が数えてみると天子さんから10親等(ただし1ヶ所姻族に移動している)ということになるようだ。ただ、十四春さんと加藤さんは親族の集まりで遭遇したことがあり、それ以来、ほぼ親戚に準じた付き合いをしていたので、葬儀委員長を買って出てくれたらしい。
 
なお、光江さんが名前が分からず“O”を書いた、三蔵さんとミクさんの間に入るのがミナさん(明治37年生!)で、その娘が咲子であるが、その付近の事情は光江さんも知らなかったし、咲子さんの存在も千里は知らなかった(*6).
 

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(*5) この時期はまだ初音ミクの“活動”開始前である。初音ミクの最初のバージョンがリリースされたのは2007年8月。
 
(*6) 千里が知らない年表
 
1922 彩友ミナ(三蔵の妹:明治37生.18歳)が木花馬助(明治27 午年生.28歳)と結婚。馬助は東京に転勤し、ミナも一緒に行く。
1923.9.1 関東大震災で馬助が死亡。ミナは札幌の実家に戻る。
1924.3 彩友三蔵が道主キク(岩見沢出身)と札幌で結婚する
1924.4.8 17:51 馬助の忘れ形見となる木花咲子誕生。咲子は他人には自分は八戸生れと言っているが、本当は札幌で生まれている。
1924.10 三蔵が八戸に転勤になる。ミナは生後半年の咲子を連れて三蔵と一緒に八戸に移動する。
1925.3 村山十四春誕生(村山榮作と道主ウメの最後の子)
1925.8 彩友十四八誕生(彩友三蔵と道主キクの最初の子)
1927 彩友浄造誕生
1930 彩友龍男誕生
1932 彩友天子誕生。つまり天子は八戸生。
 
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十四八・浄造・龍男・天子の4人は、咲子の弟・妹のような感じで育った。両者の親族関係を本人たちはよく分かっておらず“姉弟/姉妹のようなもの”と記憶していた。それで千里は後に2人が又従姉妹くらいかなと思ったのだが、本当は従姉妹であった(ずっと後に、きーちゃんが調べてくれて確認された)。
 
1937.3 村山十四春が尋常小学校を卒業。すぐに漁船に乗る。
1939 彩友三蔵が招集され出征。
1942 木花咲子(18)が高園和彦(26)と結婚する。咲子は和彦の転勤により八戸を離れる、当時天子は10歳。
1942 彩友十四八が少年兵に志願し、海軍に入隊する。千葉県船橋の海軍通信所で勤務。
1944 彩友三蔵が南方で戦死。
1945.5 村山十四春が徴兵検査を受けて甲種合格(翌年1月入営予定だったが、その前に終戦したので十四春は戦争に行っていない)
1945.8.10 八戸空襲で、浄造とミナが死亡。咲子は和彦とともに頻繁に日本各地を移動しているため、キクは咲子と連絡が取れなかった。以降音信不通。
 
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1945.8.15 終戦。十四八はしばらく千葉県内の工場で働く。
1945.11 キクと龍男・天子は八戸から親の実家のある北海道岩見沢に戻る。
十四八もそれに合わせて岩見沢に行き農業をする。
 
天子と咲子が終戦前に最後に連絡を取ったのは1944年。千里のおかげで再度連絡を取ることができたのは2011年であり、実に67年ぶりであった。そして京平の力でふたりは2012年正月以降、毎年1回会うことができるようになった。
 
 
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