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玲央美は「どうしたものかなあ」と思って町を歩いていた。
正直バスケットは高校3年のウィンターカップで燃え尽きてしまった感があったのを、十勝先生や狩屋コーチ・高田コーチの励まし、そして兄や姉との話し合い、そして何よりも玲央美がここ1年半ほど最大のライバルと思って来ていた千里からもプロ入りを勧められ、それで勧誘してきていたプロチームのひとつ、白邦航空のスカイ・スクイレルに入団することにした。
ところが母体の白邦航空自体が今月末で倒産することが確実な情勢である。まだ公式な伝達は無いものの、チームの解散は必至だ。チームが消滅するだけでなく、そもそも勤め先が無くなる。
東京に引っ越すのに結構なお金を兄に出してもらって出てきている。今更北海道に戻る訳にもいかない。そもそも北海道に戻っても、折り合いの悪い母の所では暮らしたくない。1DKに住んでいる兄の所に居候するのはさすがに無理。いくら兄妹でもお互いに着替えるのにも困るだろう。函館の姉は結婚しているが、姑さんとの関係があまり良くないらしい。どうにもならない場合は置いてくれるかも知れないが、あまり歓迎されないだろう。
つまり玲央美は帰る場所も無いのである。
取り敢えず近くにあった食堂に入り、何気なくラーメンの大盛りなど頼んで、ぼんやりとあたりを見ていたら「女子電話オペレータ募集」という張り紙があるのに気づいた。
「これ近くの会社ですかね?」
とラーメン屋さんの女将さんに訊いた。
「ええ、そうですけど・・・・募集しているのは女性なんだけど」
「私、女ですけど」
「うーん。。。。そうねぇ、あなた上手に女の声が出せるのね。それなら女性に準じた人ということで雇ってもらえるかもね。取り敢えず連絡してあげるね」
あはは・・・もしかして、私、オカマさんと思われた?
XANFUS初の全国ツアーは3月31日(火)の福岡公演で終了した。今回のツアーでは金沢が売り切れたが、他の4会場も7−8割客が入ってまずまずの成果であった。4月下旬に発売予定のアルバムの中の曲もいくつかライブでは披露して前宣伝も上々である。
それで福岡市郊外の海鮮料理店で打ち上げをしていたら斉藤社長に電話がかかってくる。どうも相手は★★レコードの南さんのようである。
「分かりました。至急調整します」
と言って電話を切る。
「どうしました?」
と三毛(mike)が訊く。彼女は実はXANFUSのリーダーである(但しこの頃から以降はXANFUSのリーダーは曖昧にしてmikeはPurple Catsのリーダーを名乗るようになる)
「実は今度発売するアルバムなんだけどね」
「ええ」
「10曲でリリースする予定だったんだけど、★★レコードの営業部の方から10曲では少なすぎると言われたらしいんだよ」
「何曲にしてくれというんですか?」
「12曲」
「うーん・・・・・」
「それいつまでにですか?」
「4月2日(木)の朝10時までに改訂版のマスタリングまでしたものを工場に持ち込まないといけない」
「え〜〜〜!?」
「実質1日で2曲追加して再度マスタリングまでしないといけないんですか?」
「うん」
「1曲はあれにしましょうよ。途中で没にした『縞々ペンギン』」
と黒羽(noir)が言う。
「そうだなあ。でも微妙にノリが悪かったからなあ」
「あれ、いっそのこと民謡っぽくできませんかね」
とサポート・ミュージシャンとして音源制作とライブの両方に参加していたスリーピーマイスの寺入さん(ティリー)が言う。
「民謡〜!?」
「いや、あれ演奏していて思ったんですよ。これそのままペンギン節とかになりそうって」
「うむむむむ」
「想像がつかん」
それで寺入さんは自分の愛用の電子ギターを取り出すと、音色に三味線を設定し木製のピックを三味線のバチのように使って『正調縞々ペンギン節』!?を弾き語りしてみせた。
「面白い!」
「これ行けるかも!」
「バックダンサーは浴衣着て躍ってもらおう」
「よし、それ採用」
と斉藤社長がノリで言う。
「ミッキー君、構わない?」
と社長は作曲者の三毛に尋ねる。
「まあ、いいですよ、この際」
と彼女は苦笑している。
「じゃもう1曲はどうしましょう?」
その時、数分前から織絵と美来が視線で会話していたのが
「あのぉ、もしよかったら」
と発言する。
「これ私の友人が作った曲なんですけど、1曲足りないのでしたら、これ使ってもらえないでしょうか?」
それで『Down Storm』と書かれた譜面を見せると、みんな「うーん」と悩む。
「なんか同じパターンの繰り返しで詰まらないって気がするなあ」
と斉藤社長は言う。
「同じく。作りも素人っぽいし」
と三毛(mike)。
しかし、譜面を読みながら小声で歌っていた黒羽(noir)は
「素人まではいかないけど、あまり曲を書き慣れてない人の作品だと思う。このBメロとか、ここの間奏とかは着想が天才的。どっちかというとこのBメロをAメロにすべき。何度か突き返して書き直させていたら、けっこう良い曲にまとまるかも」
と言った。
「微妙。判断保留」
と白雪(yuki)。
「でもホントに今から誰かに曲書いてと言っても間に合いませんもん。これ入れちゃいましょうよ」
と騎士(kiji)が言った。
譜面を覗き込んでいた寺入さんが少し考えてから言う。
「これってディスコだよね?」
「はい。ダンスナンバーです」
と美来が答える。
「私に預けてくれません?うちのアレンジ担当(レイシーのこと)にダンスナンバーっぽくアレンジさせてみますよ」
と寺入さん。
「でも時間が無いよ」
「大丈夫です。朝までに書かせます」
「きゃー」
「これ元のデータある?」
「Cubaseのプロジェクトデータなら持ってます」
「じゃそれコピーさせて。あの子にメールするから」
「はい」
それで音羽はUSBメモリーを寺入さんに渡した。
「この中のDOWN STORMという曲です」
「了解。正調ペンギン節は私がスコア書きますね。朝までに」
「えっと私たちが読める譜面になります?」
「みなさん、三味線の文化譜は読めますよね?」
「五線譜にしてください!」
1年前、2008年の春、愛沢国香は東京の実業団チームに入るつもりで高校卒業後東京に出てきた。ところが、国香が入ったチームに、4月中旬になってから強力なメンバーが入って来て、国香は弾き出されてしまった。
どうしたものかと思っていた時、札幌P高校OGで一時はWリーグにも参加していた堀江希優(172cm PF)とばったり遭遇する。
「あ、確か旭川R高校の矢沢さんだったよね?」
「すみません。旭川A商業を卒業した愛沢です」
「ごめーん」
それで話を聞いていたら、彼女と愛知J学園OGでやはりWリーグ経験者の母華ローザ(184cm C)と2人で「千葉ローキューツ」というクラブチームを1年前(2007年春)に作ったのだと言う。なお、母華ローザはフランスからの一家揃っての帰化者である。彼女が5歳の時に一家で日本に移住して日本国籍を取っている。
ローキューツは後付けで「籠球+Cute」と説明しているが、実はローザと希優で作ったチームというのも最初はあったのである。
「最初はその2人と、他にインハイ上位や大学バスケで活躍経験のある子2人(岐阜F女子高出身の山高初子・福岡C学園出身の渡口留花)、あとは人数合わせ的に、取り敢えずバスケ経験者を入れて12人にしてスタートしたんだけどね。鱒沢さん、そういう事情で空いてるのなら、よかったらうちのチームに入らない?」
「すみません。愛沢です」
「ごめーん。私、全然固有名詞が覚えきれなくて」
この人、バスケでは一度ウィンターカップでBEST5になるほど強かったけど、学校の成績は全くダメで、毎回赤点取るから、正答をそばに置いてそれを書き写させて追試合格にしていたという噂があったからなあ、と国香は思った。まあ私も一度お情けで追試合格にしてもらったこともあるから人のことは言えないけどね。
それで国香はアルバイトの傍らローキューツに入り16番の背番号をもらったのだが、最初から戸惑う。
「あれ?今日キャプテンは?」
「なんか会社から仕事で急な呼び出しがあったらしいです」
と6番の背番号をつける石矢浩子が言う。彼女はインターハイの経験者だけあって「人数合わせ」メンバーの中では割とうまい。
「副キャプテンは?」
「今日大会があることうっかり忘れていて、今ハワイだそうです」
と浩子。
「じゃ今日のキャプテン代行は?」
「国香さんやってください。今日来ているメンバーの中ではいちばん上手いし」
「むむむ」
そういう訳で大会があっても、主将・副主将の出席率がひじょうに悪く、いつも国香か浩子がキャプテン代行をしていた。そしてその内、2人とも練習にも全く出てこなくなり、事実上の幽霊部員になってしまったのである。
それで正直戦力不足だなあと思っていた所、今年の春、うまい具合に旭川L女子高の元キャプテン溝口麻依子と遭遇し、入るつもりだった実業団チームが廃部になってしまったなどと言うので、これ幸いと勧誘して入団させた。
自分と彼女がいれば、今年はけっこういい試合が出来るのではないかなと期待する。浩子ちゃんも少しずつだけど強い所と戦う力を身につけて来ているからなあ、などと思うと気分が良かった。それでその日は同僚の女子社員に誘われて女子会に行ったあと、仲の良い子3人だけで更にスナックに行ってカラオケしながら飲み、ほろよい加減で夜の町を歩いていた。
「国香ちゃん、今日はご機嫌だね。彼氏でもできた?」
「別にそんなんじゃないですよぉ」
「もう、その恥ずかしがってるところが怪しいぞ」
などと言って1年上の先輩が国香をどついた。
すると国香は酔っているものだから足取りが不確かで、押された勢いで、危うく車道に飛び出しそうになった所を近くにあった標識の支柱をつかんでギリギリ留まる。そばを大型トラックがクラクションを鳴らして通り過ぎる。凄い風圧を感じた。
「危ない、危ない」
「あんなのに轢かれたら即死だね」
「助かったぁ」
と言って国香は支柱から手を離し、歩道側に戻ろうとしたのだが、ちょうどそこに転がっていた空き缶を踏んで転んでしまう。
「キャー!」
と国香が叫ぶ。
凄まじい急ブレーキの音を聞いた。
ドン!という鈍い音がする。
下半身に激痛が走る!
倒れた時、とっさに持っていたバッグを頭に当てた(この反射神経がさすがにスポーツ選手)おかげで頭は無事っぽいが、足が物凄く痛い。
「君大丈夫?」
と緊急停止した車から飛び出して来た中年男性が国香に声を掛けた。
取り敢えず身体が動かない(ショック症状である)。それに痛い。いやーん。これ、もし入院する羽目になったら春の大会に出られないかも?と思ったことを国香は覚えている。
千里は2008-2009の出羽の冬山修行は受験があるので日数を半分の50日にしてもらっていた。日本代表のみんなで一緒に月山に登った9月15日から10日間、国体が終わってから10月に10日間、アジア選手権が終わった後11-12月に25日間やって、これで45日になっていたので、あと5日ノルマが残っていた。それを4月1-5日にやった。
この5日間には鞠原江美子が5日とも参加した。
「江美子、凄くしっかり歩くようになったね」
と千里はまだ深い雪の中の出羽を歩きながら言った。
「ずっと鍛えていたから。私、受験は実質面接だけだったから暇でずっと毎日20km走っていたんだよ」
「すごーい」
「私、やはりスタミナが課題だったからね。千里は少しなまってない?」
「う。1-2月はひたすら勉強ばかりしてたからなあ」
「鍛え直さなくちゃ。世界選手権までにはしっかり勘を取り戻しておいてよね」
「うーん・・・世界選手権かぁ・・・」
「前回は16国中13位と悲惨だったけど今度はせめて8位以上を狙おうよ」
「私バスケやめたなんて言ったら信じる?」
「あ、それはありえない」
「うむむむ・・・・」
最初はそんなことを言っていたものの、何と言っても冬山修行の歩行コースは険しい。結局5時間ほど歩いたあたりから遅れがちになり、千里は《りくちゃん》に彼女をナビゲートさせた。
彼女は次の休憩ポイントで追いついてきたものの
「やはりまだまだだなあ」
と言っている。それでもこの日参加していた浜路さんは
「でも去年の10月頃に比べるとだいぶ歩けるようになって来た」
と褒めていた。
「ね、ね、千里の携帯の位置情報を取得させてもらえない?」
「ん?」
「他の人の携帯の位置をこちらの携帯に表示させるアプリがあるのよ」
「へー。でも電波が圏外なら使えなかったりして」
「うっ」
「でもいいよ。万一迷子になった場合はそれで下山できるだろうし。遭難死はまだされたくないから」
「あははは」
それで千里は位置情報を知らせるアプリを自分の携帯にインストールし、江美子の携帯を通知先に設定した。
その日江美子は、何度も遅れるものの、何度かはうまく電波を捕まえて千里たちの位置を知るのに成功し、本格的に道が分からなくなると《りくちゃん》にナビゲートされて、何とかみんなの休憩時間中に追いつくというのを繰り返し、最後まで歩ききることができた。