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更衣室で女子制服に着替えた後、職員室に行って再度教頭先生に挨拶、その後、教頭先生・宇田先生と一緒に校長室・理事長室にも行って再度挨拶した。最後に千里はあらためて教頭先生と宇田先生に御礼を言い、学校を後にした。
千里は女子制服姿で校門を出る時、再度校舎、そして南体育館《朱雀》を見て胸にこみあげてくるものがあった。
JRで旭川駅まで行き、空港連絡バスで旭川空港まで行った。千葉には制服のまま行ってもいいかなとも思っていたのだが、考え直してふつうのセーターとスカートに着替えた。
私もう卒業しちゃったもんね。
そう思った時、千里は今月初めに見た「3つのドア」の夢を思い出して、つい笑ってしまった。貴司、ごめんねー。私のおちんちんをあげられなくて。でもおちんちんが2本あるとズボンの前後にファスナーが必要だし、後ろのおちんちんからおしっこする時は手の使い方が大変だと思うよ。
女子制服は脱いだものの、セーターの上に着ているコートは学校指定の女子用のコートである。これは大学生になっても使ってていいかな、と千里は思った。
やがて美輪子の車に乗った母が到着した。
「お母さん、来てくれてありがとう。おばちゃんもありがとう」
それで千里と母は美輪子に見送られて羽田へと飛んだ。シューター教室の生徒たちからもらった花束は美輪子に持ち帰ってもらった。
羽田からは空港連絡バスと市内の路線バスを乗り継いでC大学のキャンパスに行く。
「今になって思ったけど、あんたその格好で入学手続きしたら何か言われないかね」
「大丈夫だよ。私、受験票は性別女だったし」
「それ受験票と学校の調査票の性別が違ってたら問題にならない?」
「大丈夫だよ。私、学籍簿も生徒手帳も女だったし」
「えーーー!?」
千里の言う通り入学手続きは何の問題もなく済んだ。お昼を食べた後、不動産屋さんに行って、格安のアパートを契約した。
そこが共益費込みで11,000円という超格安であったのは、近隣のガス爆発事故に遭っていてあちこち弛んでおり、雨漏りが酷いからということであった。千里は雨漏りくらい平気と思ってそこを借りたのだが、すぐに後悔する羽目になる。
その日は母と一緒に千葉市内のホテルに泊まったが、翌日母は東京見物してから帰るということであった。千里は朝御飯だけ母と一緒に食べてから横浜に移動し、KARIONの今回のツアー最後のライブに出る。
今回のツアーはだいたい夕方からの公演が多かったのが、この日だけは12時開演であった。
「みなさん、どうもお疲れ様でした」
「次のツアーは5月にやる予定ですので、もしお時間の取れる方はまたお願いします」
などという声も掛かっている。
蘭子はほんとに色々忙しいようで、ライブが終わるとすぐにどこかに出かけて行っていた。千里も打ち上げはパスさせてもらい、横浜から京急・浅草線・京成の直通電車に乗って2時間ほど揺られて千葉県内I市の自動車学校に行く。
※東京の地下鉄の両端が他社に相互乗り入れしている路線は5つある。千里は大学院卒業後はこの中の半蔵門線ルートをヘビーに利用することになる。
・中央林間(東急)渋谷(半蔵門線)押上(東武)東武動物公園など
・日吉(東急)目黒(南北線)赤羽岩渕(埼玉高速鉄道)浦和美園
・本厚木など(小田急)代々木上原(千代田線)綾瀬(JR常磐線)取手
・元町中華街(みなとみらい線/東急)渋谷(副都心線)小竹向原(西武)または和光市(東武)
・羽田空港など(京急)泉岳寺(浅草線)押上(京成など)成田空港など
なお副都心線の開業は2008年6月で、当初は「右側」の小竹向原・和光市での相互乗り入れだけだったが、これだけでも三社が絡む複雑な運行であるためちょっとしたトラブルが収拾不能な事態を引き起こして開業即大混乱となった。「左側」東急との相互乗り入れは2013年に開始された。
千里はこの日の夕方、その自動車学校の合宿コースに入校した。
最初の時間に基本講習、次の時間にシュミレーター講習を受けると、その後はいきなり実車である。千里はこれまでしばしば車を運転している。先月20日には矢部村から北九州空港までを運転したし、8日には京都市内で運転している。
という訳で、操作はスムーズである。
「乗ったらすぐシートベルトしてね」
「はい」
「じゃエンジン掛けて」
「はい」
と言って千里はブレーキを踏んだままエンジンを掛け、(もう夜なので)ライトを点灯させた。更にセレクトレバーをPからDの位置に移動させる。
「・・・・・」
「どうかなさいましたか?」
「いや。クリープで発進して」
教官はまだクリープというものを教えていない。しかし千里は
「はい」
と答えると、右ウィンカーを付けて車の周囲をぐるっと目視確認したあと、ブレーキを踏んでいる足を少し上げる。車がゆっくり動き出す。千里はコースの入り口でまた右ウィンカーを付け、目視で後方確認してからコースに入った。速度を40km/hまであげる。すぐにカーブがあるが、千里はアウト・イン・アウト、スローイン・ファーストアウトで華麗に走り抜ける。
「・・・・」
「何か?」
「いや。えっとこの直線を時速30kmで走って」
「はい」
千里はスピードメーターを見てジャスト30km/hまで落とし、車を走らせた。(普通の初心者はここまで15km/h程度で走ってきているので30km/hまで速度をあげるのを結構怖がる)
「あ、そこのS字に入ってみようか」
「はい」
千里はバックミラーを見てからウィンカーを点け車の速度を落とし、右後方を目視確認した上でS字路に入る。徐行できれいにS字を抜け、ウィンカーを点けて左右をよく確認してから右に出た。操作も車の進行もひじょうにスムーズである。
「えっと君、免許の再取得だっけ?」
「いえ。初めての取得ですが」
「原付か自動二輪か持ってた?」
「いいえ」
「・・・・・」
「どうかしました?」
「君、これまでも運転してたでしょう?」
「えー?運転は初めてですよぉ」
「嘘つけ!」
千里はたじたじとなる。
「まあいいけどね。せっかくここまでお巡りさんに見つからずに来たんだから、ちゃんと免許取るまでは運転は控えるようにね」
「はい」
「でもこれならあまり教えることないな。でもこの機会に運転の基本を再度勉強してしっかり押さえるといいよ」
「はい、そうさせて頂きます」
麻依子は困惑した。
高校卒業後の進路について随分迷ったのだが、千葉県で実業団チームを持っている会社にL女子高の先輩が居て「うちに来る?」と誘ってくれたので、そこに行くことにした。麻依子は国体では優勝を経験したものの、やはり旭川N高校を中心とするチームと世間ではみなされていた(実はメンバーはL女子高の部員の方が多かったのだが)。L女子高としては3年間に1度もインターハイに行くことができなかった。それで大学などからの勧誘も、あまり魅力的なものは無かった。
同じ学年の他の子たちは北海道内の大学や企業に行くようであったが、麻依子は東京方面に出たい気持ちがあった。とは言っても大学への進学は考えにくい。国立に入る頭は無いし、私立は学費が高い。L女子高では特待生だったので学費が不要だったのだが、高校3年間で明確な実績を残せなかった以上、大学で特待生にしてもらえそうな所はない。
そんな時に先輩からの勧誘があったので、そのチームが現在関東の実業団4部のチームではあったものの、その話に飛び付いたのである。今は4部でも自分が入れば1期で3部に上げてみせるという思いがあった。それを見て少し強い子が次の年入ってくればすぐ2部にも行けるだろうし。
(注.リアルでは関東の女子実業団は2部までしかありません)
それでその会社に入社することにし、誓約書なども出して4月からはOLバスケ部員かな、と思っていたのだが・・・・
この日、業務の研修のために会社に出て行った麻依子に、業務部長が難しい顔をして言ったのである。
「実は当社の女子バスケット部は今月いっぱいで廃部することになりました」
はあ?だって私、ここのチームに入るためにわざわざ北海道から出てきたのに。チームが無くなるんだったら、どうすればいいのよ?
「部員のみなさんには大変申し訳ないのですが、長引く不況の折、会社の経営状態にゆとりがないので、福利厚生費をどうしても削らざるを得ないのです」
あ、そうか。こういう企業ではスポーツチームって「宣伝塔」ではなくて社員のための「福利厚生」なのか。
「今月末で廃部届けを実業団連盟および千葉県バスケット協会に提出します。他のチームへの移籍を希望の方は証明書を発行しますので申し出てください。また普通の社員として引き続き勤務することも可能です」
えっと個人的にはどこかに移籍したいけど、その移籍先を探すのは、関東に全くコネとか無いから無理。そもそも旭川からここに引っ越してくるのに、私いっぱいお金使っちゃったよー。身動き取れないじゃん!!
3月25日(水)、初めてのXANFUS全国ツアー初日は金沢市文化会館(850席)で幕を明けた。高岡在住の音羽のお父さんが娘の初の本格的なホールでの公演だというので、100枚(31万5千円!)もチケットを買い取って仕事返上で営業して回り売りさばいたのも功を奏して、今回のツアーで唯一のソールドアウトである。
公演はXANFUSの6人にサポート・ミュージシャンやバックダンサーまで入れてパワフルなサウンドで盛り上がった。バックダンサーの中には音羽と一緒にPatrol Girlsの臨時メンバーとしてParking Serviceの北陸方面のライブで踊ったことのある子も数人居て、音羽とハグしたり三毛と握手したりしていた。
光帆(美来)の友人の日登美は本番前から中に入れてもらって楽屋で話していたし、ライブ終了後もまた楽屋に行った。日登美は以前美来と一緒にレッスンを受けていたこともあったので、三島さんが覚えていて
「またやらない?」
と誘っていたが
「受験勉強が忙しくなるので」
と言って断っていた。
「でも織絵は大学受験はどうすんの?」
「行かない。XANFUSが全く売れなかったらやめて受験勉強するという約束だったんだけど、売れ掛けているから、もうこちらに専念するよ」
「それもいいかもね」
ライブ後のサイン会も終わってから
「疲れた〜。何か美味しいものでも食べに行こう」
などと話が出る。
「織絵ちゃん、この近くなんでしょ?どこか美味しい所とか知らない?」
と美来が訊くが
「高岡市内なら分かるけど、金沢はあまり詳しくないなあ」
と織絵。
「もう寒ブリは終わったんですかね?」
と日登美が尋ねると
「終わって今ちょっと味が落ちている時期。もう少ししたらまた脂が乗ってくるんだけど」
と織絵は言う。
「今の時期だとホタルイカがシーズンなんですけどね」
「ああ、食べられる天然記念物ね」
「そうそう」
ホタルイカは「群れで光っている景色」が天然記念物なので、ホタルイカ自体は食べてもいいし、この時期は「ホタルイカの身投げ」といって大量のホタルイカが浜辺に押し寄せて来て打ち上げられるので、地元の人が採り放題の状態になる(厳密に言うと密漁かも知れないが、地元の住民が自分たちで食べる分を採る程度はうるさく言わない。なおホタルイカは寄生虫がいるので充分ゆでるか-30℃以下で4日以上冷凍する必要がある:家庭用の冷蔵庫は-12℃程度にしかならないので無理)。
「お店とか行かなくてもうちに来れば好きなだけ食べさせてあげるよ」
などと織絵のお父さんが言う。
「あ、行く行く」
と美来。
「日登美ちゃんも一緒に来る?」
と織絵が誘う。
「いいのかな。じゃ、お邪魔しちゃおう」
と日登美。
「あ、でも途中、1ヶ所寄ってからでいい?」
と織絵。
「どこ寄るの?」
「病院。実は友だちが入院しているのよ」
「病気か何か?」
「ううん。怪我なんだけどね。携帯しながら自転車で走っていて、道が途切れているのに気づかなかったらしい」
「ああ、それは危ない」
「じゃ、お見舞いも一緒に」
ということで美来と日登美が織絵と一緒に病院に寄ってから織絵の実家に行くことになったのである。