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やがて桂川PAが見えてくる。千里はそこに入れて車を駐めた。駐車枠に停止させてセレクトレバーをPにし、パーキングブレーキを入れる。ヘッドライトを消し、窓を閉めてからエンジンを停めた。
「ちょっと無免許運転しちゃった」
「お巡りさんに見つからなくて良かったね」
「私、京都駅から帰る。ごめんねー。こんなところまで運転してきて」
「いいよ。八つ橋でも買って帰るよ」
車を降りてドアをロックする。その時、初めて貴司はそのことに気づいた。
「あ、千里、お化粧してる」
「貴司からお化粧品もらったし、試してみた」
「千里、すごく可愛い」
「いいの?私に浮気して。彼女がいるのに」
と千里はわざわざ貴司の罪悪感を刺激するような言い方をする。貴司が何だか困っている。
そんなことを言っていた時、警官の制服を着た男性がこちらに近づいてくるのを見る。千里はギョッとした。しかし警官は言った。
「ルームライトが点いたままですよ」
「あ、済みません。ありがとうございます」
と女声で言って千里は手に持っていたキーでロックを解除し、運転席のドアを開けて運転席の所のルームライトを消した。それで警官も一礼して、向こうに行った。
ミス〜。これたぶん貴司を「去勢」した時に点けたまま私消すの忘れてたんだ。でも免許証の提示求められなくて良かったぁ!と千里は思ったが、実際にはそうではなくて、その後、自分がお化粧するのに点けた後の消し忘れである。
「今女の子の声使った」
と貴司が指摘するが
「気のせい、気のせい」
と千里は男声で答える。
「取り敢えず休憩しようか」
「うん」
それで千里は貴司にキーを返して一緒にPA内の建物に入る。フードコーナーで一緒に朝食を取り、少し休憩した。
その後、今度は貴司が運転して京都市内に行った。ふたりで一緒に八坂神社を訪れ、先斗町界隈まで散歩する。千里が女装でお化粧もし、長い髪をたなびかせて(人前では)中性的な声や女性的な声で話すので、貴司は千里とこれまでしたたくさんのデートの様々なシーンを思い出しつつ、やはり僕は千里が好きなんだ、ということを再確認していった。
少ししゃれた日本料理店に入る。
「ここ高いのでは?」
と千里が言うが
「いいよ。千里との4ヶ月ぶりのデートだもん」
と貴司は言ってみる。
「うーん。国体やウィンターカップで顔は見たけど、至近距離で会ったのは1年ぶりだと思うけど。それとも4ヶ月前に誰か可愛い女子高生とでもデートして一緒にケーキ食べてセックスでもしたのかな?避妊具付け忘れるくらい夢中になって」
「・・・・・。やはり11月に千里うちに来たんだ?」
「へー。11月に誰か可愛い女の子とセックスしたんだ?」
貴司と千里は見つめ合って微笑んだ。
「でも避妊具つけずにセックスしたら赤ちゃんできちゃったかもね」
「・・・千里まさか妊娠した?」
「秘密」
「え〜〜!?」
千里は携帯を開いて《出産予定日計算》のサイトを開く。
「11月11日に受精した場合は8月4日が出産予定日だなあ」
「ごめん。千里、ほんとに妊娠したの?ちゃんと認知するから」
「あ、明日は戌の日だよ。戌帯つけなくちゃ」
「ほんとに赤ちゃんできたんだ!?」
「でもU19世界選手権が7月23日から8月2日だから、赤ちゃんなんか産んでる訳にはいかないなあ」
「わあ、申し訳無い!」
「仕方ないから出産は6年後まで延期しよう」
「へ?」
しかし千里はその件については訊かれても微笑むだけで何も説明しなかった。やがて食事が運ばれてくるが、さすがに美味しい!
「これほんとに美味しいね」
「さすがお一人様1万円だけのことあるね」
「すごーい。これ1万円もするの?貴司お金持ち〜」
「お金持ちじゃないけど、たまには頑張ってみる」
そんなことを言っていた時、お店の外にある電光掲示板にニュースが流れていたのだが、そこに《白邦航空、西湖航空との合併交渉決裂・倒産確実》というタイトルが流れた。
「え?白邦航空が倒産するの?」
「ああ、かなりの経営難に陥っていたみたいだよ。それで中国の西湖航空が支援するという話があっていたんだけど、やはり安全保障上の問題で、国内の航空会社に中国の資本が入るのは問題だという話があって、政府が露骨に反対していたんだよ。西湖航空側は日本の航空法にひっかからないように資本比率は32%までに抑えるとは言ってくれていたんだけどね。それに政府も反対するからといって、何か別の救済策を出してくれる訳でもなかった」
「でも白邦航空が倒産したら、スカイ・スクイレルはどうなるのよ?」
と千里はうっかり声を調整するのを忘れて女声で言ってしまった。
佐藤玲央美が4月から入団することにしたスカイ・スクイレルは白邦航空が所有しているチームである。彼女は既に入団の契約書も交わし、21という背番号を付けたユニフォームを着て笑顔で主将・監督と握手する姿が、バスケット関係のニュースサイトに掲載されていた。
「うーん。さすがに会社が倒産したらチームも解散だと思う」
と貴司は答える。貴司は今女声問題に突っ込みたい気分だったが、この話の流れではさすがにそれは指摘できない。
玲央美は・・・玲央美は!?
千里は親友の身の振りようを心配した。
その日、千里は貴司に京都駅まで送ってもらい、新幹線で東京に戻った。そして神田のネットカフェで泊まった。
翌朝30日。千里は起きた時、生理が来ているのに気づく。そろそろやばいかなと思い昨夜はナプキンをして寝ていたので良かったが、ネットカフェのトイレでナプキンを交換しながら、昨日来てたらやばかったなと思った。
その日は京葉線で千葉方面に移動し、幕張の運転免許試験場でペーパーテストを受けて合格。2012.04.03まで有効の、緑色の帯の運転免許証をもらった。
『えへへ。これで私もう無免許運転にはならないね』
『まあ千里よくここまで、おまわりさんに見付からずに来たよ』
と《いんちゃん》が言っていた。
この日千里はこのままいったん北海道に戻り、引越の準備をしてから再度千葉に出てくるつもりだったので、羽田の方に行こうとしていた。それで運転免許試験場を出てから海浜幕張駅の方に向かっていた時。
急ブレーキを掛ける音がして、続いてガチャンという鈍い音がする。
見ると青いモビリオが電柱に激突している。
千里はそばに歩み寄ると中の人に声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
「痛たた。いや猫が飛び出してきたのを避けようとして。あれ?醍醐ちゃんだ」
「毛利さん!?」
取り敢えず車をバックさせて電柱から離す。
「派手に凹んでますね〜」
「今修理する金が無いから放置かなあ。あの猫に修理代請求したい気分だ」
「猫ちゃんは無事?」
「だと思う」
「だったらいいですね」
「俺のことは心配しないのかよ?」
「でも左のライトも破損しているみたい」
「仕方ない。それだけ交換するか」
「ところで毛利さんは大丈夫ですか」
「ありがとう。やっと心配してくれたね。ぶつかった時の衝撃でハンドルに胸をぶつけたのがちょっと痛い」
「それってもしかしてシートベルトしてなかったんですか?」
「あんなかったるいの、できないよ」
「私はしないと不安だけどなあ。でもとにかく病院に行った方がいいですよ」
「でもこのスコアを雨宮先生に届けないと」
「FAXで送れば?」
「いやすぐ近くだし時間が迫ってるから持って行ったほうが早い」
「場所はどこです?」
「幕張メッセ」
「なるほど! ほんとに近くだ!」
なんでも、そこで1時間後に開催されるライブで使用する曲のスコアを、今書き上げたらしい。なんて泥縄なんだ!
それで結局千里が助手席に同乗して幕張メッセまで走り、千里が通用口前に停めた車の中で待っている間に、毛利さんは走って行って、何とか雨宮先生にスコアを届けたようである。しかし戻って来ると、毛利さんはその場に座り込んでしまった。
「ちょっと痛いかも」
「病院に行きましょう」
それで毛利さんを助手席に座らせ、嫌がるのをシートベルトをちゃんとさせ、千里が運転席に乗って、病院まで行くことにした。毛利さんが「なじみの所に行って欲しい」というので都内まで行くことにする。千里は自動車学校の卒業記念にもらった若葉マークを車に貼り付け出発し、国道14号に乗った。
「毛利さん、この車、ハンドルをまっすぐにすると右に曲がるんですけど?」
「うん。以前事故った時に軸がずれちゃったんだよ。心持ち左にしておかないとまっすぐ進まない」
「毛利さん、左後ろの窓が閉まりません」
「ああ、その窓はガラスを手で持ってエイヤっと上げてからタオル挟んでズレ落ちないようにしないとダメなんだよ」
「毛利さん、右のドアミラーが動きません」
「ああ。それは手で直接触って動かさないとダメ」
そんな状態で少し走ってちょうど都内に入った頃、対向車線を走ってきた警視庁のパトカーが千里の車に停止を命じた。
「どうしたの? これ事故?」
と警官が訊いた。
「すみません。自損事故ですけど、事故証明は要りません。自費で修理します」
と助手席から毛利さんが警官に言う。
「ああ、あんたが運転していて事故ったの?」
「はい。痛たたた」
「彼が衝突した時に身体を打って気分が悪いというので、私が運転して今から病院に連れて行くところです。ヘッドライトが壊れていますが、その交換は病院に行った後でやります」
と千里も言った。
「念のためふたりとも免許証見せて」
と警官が言う。
それで千里が免許証を見せると
「あれ?これ今日もらった免許?」
と言う。
「はい、試験場から帰ろうとしていた時、ちょうど友人の事故に遭遇して」
と千里。
「事故ってどうしよう?と思った時、ちょうど友人が近くを通り掛かって助かったと思いました」
と毛利さん。
「なるほど」
と言って警官は千里の運転免許証を返してくれる。
わーい。警官に免許証の提示求められたの初めてだけど、ちゃんと免許証もらった後で良かった!
などと内心思っていたら、《いんちゃん》が呆れたような顔をしていた。
(以前宮崎できーちゃんが運転していた時に免許証の提示を求められたことがあったが、千里自身が運転していたわけではなかった)
それで次に毛利さんの免許証を警官は見たのだが
「あんた、2度も免停やってんの?」
と言って渋い顔をする。
「すみません。反省しています」
「あんた運転に向いていないのでは?」
「これに懲りて安全運転に気をつけますので」
そんなことを言いながらも警官は免許証を返してくれたが、ふたりとも呼気検査もされた。しかし怪我して病院に行くのなら、先導してあげますよ、と言うので、結局千里は警官の先導するパトカーに続いて毛利さんのモビリオを走らせ、こちらが行きたいと言っていた病院まで送ってあげた。
警官に御礼を言ってから、毛利さんを病院内に連れ込んだが、毛利さんは骨折していて、結局2週間も入院する羽目になった。それで毛利さんのお父さんに連絡したり、新島さんにも一報を入れたりで、その日はかなり遅くなってしまった。
疲れたなあ、と思いながら千里は毛利さんの病室を出て病院の1階まで降り、売店があったので飲み物とパンでも買おうかと思った。それで見ていた時、千里はふと売店に腹帯が売ってあるのに気づいた。
わあ、これ1度してみたいなあ。
千里は「あまり妊娠する自信が無い」ので腹帯なんてつけることも無いだろうと思っていたのだが、この時は唐突に「妊婦ごっこ」がしてみたくなった。今日は戌の日だしね!
それで食料と一緒にその腹帯を買った。そして貴司に
《こんなの買ったよぉ》
と言って携帯で写真を撮って送ってあげた。
何だか楽しい気分になる。その後、羽田まで移動して新千歳行き最終で北海道に帰る。千歳市内で1泊してから31日のお昼頃、留萌に帰還したが腹帯は見られると親が仰天しそうなので、見付からないように荷物の奥に隠しておいた。
一方29日(日)午後に千里と別れた貴司は会社から突然の韓国出張を命じられ、慌てて旅支度をして、30日(月)午前中の関空発ソウル行きで旅出った。韓国出張は秋にも1度あったので、その時パスポートは作っておいたのである。しかしソウルで初日の交渉をした後、いったんホテルに帰ったら千里からメールが来ている。それで開けて見ると腹帯の写真があるので仰天する。
《千里、ほんとに妊娠したの?帰ったら胎児認知の手続きするね》
と返信したのだが
《男が妊娠するわけないじゃん》
と千里からは返ってくる。
うーん。。。。
ところで貴司は実は29日の夕方、芦耶と映画を見に行く約束をしていたのだが出張の準備でそれどころではないので「ごめーん。また今度」と連絡しておいた。
しかし芦耶は突然貴司からデートの約束をホゴにされたことから、例の豪華なバレンタインチョコをくれた女の子(と芦耶は確信している)とデートするつもりでは?と疑った。
実際貴司はこれまで何度も仕事や練習と偽って他の女の子と会っていた前歴があるのである。