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■夏の日の想い出・やまと(2)
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「だけど今回は千里もうまく谷間に入ったね」
と私は彼女に言った。
「うん。先月オリンピックが終わって、来月からはWリーグが始まるから、今月だけ動けるんだよ」
「クラブチームだったら、今日はやばかったね」
「そうそう。今日は全日本クラブバスケットボール選抜大会やってるから」
千里が3月まで在籍していた40 minutesはその大会に出ている。3位以内に入れば11月の全日本社会人バスケットボール選手権大会に出て、そこで2位以内になるとお正月のオールジャパンに出場する。雪子や暢子など、3月までの千里のチームメイトたちは、そこで千里の所属しているレッドインパルスと戦い、勝ってやると張り切っている。
今回の祝賀会は、出席者も多岐にわたっていた。
稚内のラーメン屋さんからは従業員の人たちと更に常連のお客さんまで来てくれていた。美幌町のマウンテンフット牧場からはオーナー夫妻ほかスタッフ数人に利用者さんまで2人来ている。春美さんの出身地・奥尻島からも古い友人が何人か来ている。函館には美鈴さんの親族が多いので、そちらから結構来ている。他に親族として川代さんという母娘が来ていたが、そちらとの関係は「説明困難」と言っていた。しかし理香子が「多津美ちゃんは私たちの従妹、でも実は妹〜」と、その母娘の娘について言っていた。その多津美(小4)も理香子のことを「お兄ちゃん」と呼んでいた。
「しずかと織羽にも私のことお兄ちゃんと呼べというのに、お姉ちゃんとしか呼ばない。多津美はちゃんとお兄ちゃんと呼んでくれるから好き〜」
などと理香子は言っていた。
理香子は今日はドレスを着ているものの、結構「男の子になりたい」らしく、「長男」と名乗ることもあるものの、女の子の服を着ること自体には抵抗感は無いという。スカートもたくさん持っているらしいし、ふだんもセーラー服で学校に行っていると言っていた。
彼女は、中学では女子サッカー部もあるにも関わらず男子サッカー部に入り、エースストライカーになっていて、全国大会まで行ったらしい(中高生のサッカーでは男子チームに女子が入ってもよいことになっており、実際結構な数のそういう選手が存在する。逆に女子チームの男子選手は少なくとも公式大会参加は不可)。理香子はサッカーする時は男物の下着を着け、男子のチームメイトと一緒に平気で着替えているという。彼女は下着は男物と女物が半々と言っていた。
もっともサッカーする時は春美が買ってあげている、スポーツ用品メーカーのプロ仕様のしっかりしたスポーツブラを男物のアンダーシャツの下に付けている。彼女のプレイはそのブラに助けられている面も大きいと春美は言っていた。
「あれ付けてると、おっぱいが無くなったかのように軽快に身体が動くんですよ」
と理香子は言っていた。
それを聞いた政子が
「男の子でもショーツの下にしっかりしたアンダーショーツ付けると、まるでおちんちんが無くなったかのように軽快に動けるらしいよ。外見的にも付いてないみたいに見えるらしい」
などと言い出すので
「女子中生の前で何を言っている?」
と注意しておいたが、理香子は
「ええ。その話は聞いてます」
などと言っていた。
祝賀会には、むろんチェリーツインのメンバーは全員来ている。ふだんふらふらとしていて居場所が不明確な秋月・大宅のふたりも今日はブラックスーツを着て裏方として頑張っているし、桜川陽子(少女X)は振袖姿で祝賀会の司会をし、普段は男装していることも多い桜木八雲(少女Y)も今日は少女Xとおそろいの振袖(柄が同じで色違い。Xは赤でYが青)を着て、祝賀会の発起人に名を連ね、会計を担当するとともに、招待客に挨拶をして回っていた。
芸能関係者の結婚式では、祝賀会の会費以外に一般常識と懸け離れた額の祝儀を置いて行く人がいるので、彼女のような芸能関係者が会計に入っていないと対処しきれない。
チェリーツインの関連でζζプロから、兼岩会長、青嶋部長、同じ事務所のしまうらら、松原珠妃、谷崎潤子・聡子姉妹、丸口美紅、遠上笑美子、そしてリダンダンシー・リダンジョッシーの8人などが来ている。
私がちょっと驚いたのが、丸山アイである。彼女(彼?)は今日は振袖姿の女装で、祝賀会のピアノ演奏係をしていたが、アイはζζプロではなく∞∞プロの所属である。
「アイちゃん、チェリーツインに関わっていたんだっけ?」
「関わっているか関わってないか微妙」
とアイが言っていたら、リダンリダンの信子が近づいて来て、背中からアイの首の所に抱きつき
「アイはチェリーツインのライブに1度参加したことあるんですよ。アイとしてのデビュー前だけど」
と信子が言っている。
「へー」
「ぼくがピアノ弾いて、春美さんがドラムスという構成で演奏した」
とアイは言っていた。
春美はチェリーツインのキーボード奏者だが、けっこうキーボードをサポート・ミュージシャンに任せて自分はドラムスを打つこともある。
「でもアイちゃんと信子ちゃんって仲良かったんだ?」
と私は訊く。
「お互いデビュー前からの親友なんですよ〜」
と信子が言っている。
「そうだったんだ!」
「同じ2014年組だしね」
「あぁ」
「ぼくと信子と、フェイの3人は同い年なんです」
とアイが言う。
「フェイだけ2013年デビュー。よくその3人とあと数名の匿名人物で会ってるよね」
「へー。そんな関係が」
「会う場所はどこかの女湯で」
「うーん・・・・」
もしかしたらクロスロードと似た集まりができているのかな?と私は思った。
「アクアが高校生なら仲間に引き込みたい所だけど。女湯入りたいでしょ?とか言って」
「それは勘弁してやって〜」
と私は言っておくが、あの子、女湯に味を占めている気がするなあとも思う。
「唆して性転換手術受けさせよう、なんてよく言っているんだけど」
「ああ、そう言う人は多い」
「騙して性転換手術受けさせよう、なんていう意見もある」
「ああ、うちのマリもよく言ってる」
そういえば、アイもフェイもアクアに女性ホルモンを(騙して?)飲ませた前歴があったなと思い起こす。
「アクアには『誰でもできる自己去勢』という本を渡しといた」
「ぼくはDian35を1年分渡しといた」
などと2人は言っている。
アクアが男の子の身体のまま成人するのはほとんど困難かも知れないなと私は時々思う。
★★レコードの担当・坂上さんと忙しいはずの加藤次長まで来ていた。もっとも加藤さん自身は「森元(課長)が忙しすぎて死にそうな顔をしていたから代わりに僕が来た」などと言っていた。
この他、関わりのある人として、私と政子、千里、雨宮三森先生、KARIONの和泉などが来ているが、私が最も驚愕したのが、雨宮先生と一緒に来場した東城一星先生であった。
「東城先生、いらっしゃったんですね!」
と私。
「雨宮に強引に連れてこられた」
と東城先生。
「下界に降りてきたのは20年ぶりらしい」
と雨宮先生。
「下界の様子はどうですか?先生」
「SFの世界に来た気分だ」
「そうかもですね!」
東城一星先生は少なくとも戸籍上は男性であるが、この日は、女性用の礼服を身につけお化粧もしておられた。但し下はスカートではなくズボンである。
「僕は性別が無いからね。だから性別が曖昧なジーンズとかで来ようかと思ったんだけど、男の礼服か女の礼服かどちらかは着てくださいと雨宮が言うから、女性用のズボンタイプにした。でも女性用の礼服着るならお化粧もして下さいと言われて化粧までさせられた。まあどうせ僕は男子トイレは使えないしね。女子トイレ使うのはちょっと勇気いるけど」などと先生はおっしゃっていた。
東城先生は実際には道内某所で自給自足の生活をなさっており、先生の住まいには電気もガスも水道も電話も無いし、先生は携帯電話も持っておられない。住所も存在せず、郵便でさえ届かない。
先生は時々訪れる雨宮先生や桃川春美から世間の様子を聞いていた(以前は木ノ下先生もよく来ていたという)。今回はその桃川との絡みで、20年ぶりに山を下りてきたということであった。
東城先生の来場には驚いた人が多く、兼岩会長に捉まって昔話に花を咲かせておられたし、加藤次長なども「やはり僕が来てよかったようだ」と言って、随分先生と話し込んでおられたようである。
もっとも東城先生は
「僕はもう化石みたいな存在だよ。DAWもMIDIもダウンロードもボカロイドも3DもVRもブルーレイも分からないから」
と言って、加藤さんから
「分かっておられるじゃないですか!」
と言われていた。
実は桃川さんが先生のご自宅(というより小屋)を訪れるたびにyoutubeの動画を見せたり、Cubaseで打ち込みで音楽を作っていくところとかPremiereとかFlashとかで動画を作っていく所を実演してみせてくれている。それで先生は最近のテクノロジーのことも知っているのだが、桃川さんが先生の所に連絡係として行くようになる前は、携帯電話もメールも知らなかったらしく、初めて携帯電話を見た時はトランシーバーかと思ったらしい(圏外だったのを桃川さんが行くようになってから東堂千一夜先生がお金を出して近くに基地局を建ててもらったらしい)。
流行作曲家の系譜。
1960-1980年代に鍋島康平先生(1926-2009)が多くの作詞家と組んで多数のヒット曲を出した。この鍋島先生の直接の弟子に当たる人で現在も活動している主な作曲家は東堂千一夜先生(1943-)とスノーベル(雪鈴:ゆきみすず・すずくりこ)である。
東堂先生は鍋島先生の最後の直弟子と言われる。スノーベルは鍋島先生の弟子ではないのだが、ペアで歌手として活動していた時代、鍋島先生や東堂先生から曲を頂いていたので、結果的には鍋島先生の弟子格に当たる。
東堂千一夜先生の主たる活動時期は1980-1990年代で、多数の作詞家と組んでいるが、馬佳祥先生(1936-)とのペアが特に有名である。
鍋島康平
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東堂千一夜 ゆきみすず
┣━┳━━┓
東城 木下 ワン
一星 大吉 ティス
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東郷誠一
東堂先生の直弟子の中で最も活躍したのは木ノ下大吉先生(1957-)であるが、先生は2010年に突如失踪。その後自宅には戻ったが、引退を表明。いったん郷里の熊本に戻った後、沖縄に移住した。
ワンティスは発売したCDのタイトル曲はワンティス自身の作品であったが、c/wに東堂千一夜先生の作品を使用していたので東堂先生の「弟子格」とされる。ワンティスのメンバーでは、上島先生・雨宮先生・三宅先生・水上先生・海原先生が現役の作曲家として活動。また下川先生は多数のアレンジャーを雇って「下川工房」を運営し、楽曲のアレンジ作業で大きなセールスをあげている。
東堂千一夜先生の孫弟子に当たるのが東郷誠一先生(1965-)だが、東郷先生は2010年代以降で上島先生に次ぐ作曲量の多さで知られる。もっとも実際に東郷先生自身で書いているのはその1割程度(1割でもかなり多い)で、残りは「東郷ブランド」の作品とその筋ではみなされている。
実際に東郷ブランドの作品を書いているのは野潟四朗・香住零子・田辺龍行・吉原揚巻・樋口花圃・三田夏美・醍醐春海などの面々である。この他にも東郷誠一の名前で楽曲を提供しているのは常時20人程度、全部で100人くらいいると言われる。
そして、東堂千一夜先生の弟子で、東郷誠一先生の師匠に当たるのが東城一星(とうじょう・いっせい)先生である。東城先生は実は東堂先生の最初の弟子である。1980年代に、主として東堂千一夜先生のゴーストライターとして多くの作品を実際に書いていて自身の名前でも幾つかのヒット曲を出しているのだが、1992年に酔って有名女優をレイプしたとして訴えられ、その件自体では当該女優と和解して女優が告訴を取り下げたので刑事罰には問われなかったものの、作曲家を引退。その後消息不明になっていた。
東城先生の引退で、それまで東城先生が担当していた歌手への楽曲提供は半分を弟弟子の木ノ下先生(35)が、半分を東城先生自身の唯一の弟子であった東郷誠一先生(27)が引き継いだ(年齢はいづれも当時)。
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