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■春逃(14)

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3月7日、代表選考会で東京に出て来ていた津幡組の大半は熊谷からA318で帰還したが、青葉は熊谷までは一緒に来たものの、A318には乗らずに、コテージ“つばめ”に入った。
 
ここで“つばめ”というのは、コテージ“さくら”とほぼ同じ仕様のコテージを郷愁リゾート内の少し奥まった場所に建てたものである。
 

 
この“つばめ”に至る道路は、“つばめ”利用者専用であり、ゲートが作られていて、部外者はその道路にも進入することができない。高度にプライバシーが保たれている。
 
ただし、室内の様子は防犯カメラが撮影していて、AIが常にチェックしている(プール監視カメラAIの進化形)ので、犯罪行為が行われている疑いがあれば、ホテルの警備員が踏み込みますという宣言がなされている。これは“さくら”も同じである。
 
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(実際には元警察官・元自衛官で構成する特殊チームが対応することになっている。銃こそ持っていないが、戦闘能力はかなり高い。訓練は欠かしていないが、幸いにもまだ出動するはめになったことは無い)
 
そしてこの“つばめ(燕)”は、年間契約専用なのである(年間400-600万円)。40日分の料金でコテージがいつでも利用できるというシステムである。実を言うと最初は“分譲”を考えたのだが、利用者の多くは企業ではないかと考え、それなら固定資産として計上しなければならない分譲方式より、経費として処理できる年間予約型のほうが、利用率は高くなるという意見があり、年間予約方式になった。
 
そして§§ミュージックはこのコテージを取り敢えず2棟年間予約したのである。特に青葉が入ったコテージは、11-12月にもワンティス・トリビュートアルバムの制作をした特殊仕様コテージNo.7721(夏には舞音の制作でも使用した)をそのまま移設したもの(8021)と、それと同じ仕様で新たに建設したコテージ8022である。
 
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今回青葉は、前回と全く同じものが良いだろうということで、8021に入っている。
 

そして青葉はここで、11月と同様に、南田容子と立花紀子を助手に“若杉千代トリビュート・アルバム”の編曲をすることになったのである。青葉は4月の日本選手権まで熊谷の郷愁50mプール(千里姉の私物)で水泳の練習をしながら、編曲作業。
 
(結局青葉は自分が建てた新居になかなか泊まれない:12月の作曲家アルバムで日帰り訪問しただけ!)
 
このアルバムのトリビュート版を歌うのは、Takasaki Sisters つまり、高崎ひろか、松梨詩恩、水森ビーナの三姉妹である。
 
きっともう“姉妹”でいいのだろう。ビーナちゃん、去勢して尿道短縮手術も受けたらしいし。それでおしっこは完全に女の子と同じになったとか。排尿機能の無いペニスは事実上クリトリスと同じだし、おっぱいも膨らんできつつあるらしいし。それで女子生徒扱いにしてもらって女子校に転校したというから。それなら、もうほぼ女の子でいいだろう、と青葉は思った。
 
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楽曲は20曲である。
 
『銀の首飾り』(1959)
『雪の砂浜』(1959)
『水のような娘』(1960:フランス映画の主題歌:別名『河はよんでる』)
『月影のナポリ』(1960:ミーナのカバー)
『愛の讃歌』(1961:エディット・ピアフのカバー)
『レッド川の谷間』(1961:アメリカ民謡:別名「赤い河の谷間」)
『イルカの恋』(1962)
『あなたは私に夢中』(1962)
『ランデブー』(1963)
『電車のあの人』(1963)
『金と銀のロマンス』(1963)
『眼鏡のあなた』(1964)
『花言葉』(1964)
『本日、恋はお休み』(1964)
『振り向いた時』(1965)
『私はあなたの子猫ちゃん』(1965)
『南国からの手紙』(1966)
『街の中のソリテア』(1967)
『恋の教え』(1969)
『忘れてないわ』(1972)
 
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若杉千代の楽曲は4期に分けられる。
 
1959 デビュー曲『銀の首飾り』とそれに続く『雪の砂浜』は戦後間もない頃からの“初期歌謡曲”の流れを汲んでいる。
 
1960-1961 この時期は盛んに洋楽カバーを歌っている。ここでは4曲取り上げるが、実際には10曲くらいカバーして、ほぼ全部がそこそこ売れている。
 
1962-1967 ザ・ピーナッツ『ふりむかないで』のヒットにより“和製ポップス”の可能性が注目され、日本人作曲家によるポップスが作られるようになった。千代の大ヒット曲はこの時期に集中している。
 
1968- この後はあまり大きなヒットに恵まれていない。
 
今回取り上げる楽曲の分類はこのようになる。
歌謡曲期 2曲
洋楽カバー期 4曲
和製ポップス期 12曲
後期 2曲
 
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ここで歌謡曲期と洋楽カバー期の6曲を“正確に歌える”水森ビーナが、和製ポップス期の12曲を“乗りの良い”松梨詩恩が、後期の2曲を情緒ある歌い方のできる高崎ひろかが歌うことになったのである。
 
「つまり私の歌は不正確で、情緒が無いということでしょうか」
と、松梨詩恩はややカチンと来て言ったらしいが、白河夜船社長は
 
「君は歌よりドラマが本職だし、君の強みは親しみやすさと可愛さだから」
と言っていたとか?
 
全然フォローされていない!
 

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まあ、姉にも妹(?)にも歌唱力で負けてるのは分かっているので、ケーキ6個やけ食いしてから、3月下旬からゴールデンウィーク前に掛けてアルバム制作に取り組むことになった。
 
青葉は正直、若杉千代というのは、名前しか聞いたことが無かった。しかしこの仕事が青葉に託されたのはやはり年代の問題である。
 
若杉千代のヒット曲がだいたい20-25歳くらいの時期に集中しているので、それと似たような年代の音楽家に今の時代に合ったアレンジをしてもらって、高崎三姉妹に歌わせたいという趣旨なのである。
 
当時、若杉千代が歌う楽曲の制作指揮、後には作曲をしていたのは、先坂朝男(1936-1997)さんで、千代が1942年生まれなので、歌手本人と非常に近い年代の作曲家さんが指揮していたのである。もっと上の年代の人が書いていたら、ポップスではなく歌謡曲になっていたであろう。
 
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なお、どうでもいいが朝男はアーサー王のもじりらしい。また偶然にも先坂さんは千代と同じ年齢で亡くなっている。
 
若杉千代は17歳で突然彗星のごとく現れ、25歳頃までの間に合計500万枚くらいのレコード(多くはドーナツ盤。ごく初期だけSP)を売ったと言われる。昭和戦後の大歌手のひとりである。1970年代以降は、テレビのクイズ番組の回答者、また音楽番組の司会などで活躍している。後にプロダクション“ユングツェダー”を設立。最初に売り出したのが実はワンティスだったのだが、高岡と夕香の事故死(2003)と、それに伴うワンティスの活動停止、更には千代自身の病死(2004)により、事務所は実質閉鎖された。
 
唐突にこういう企画が浮上したのは2022年が彼女の生誕80周年になるかららしい。どうもそれ以外に内情があるようだが、青葉としてはあまり首を突っ込みたくない。青葉にこの作業を依頼したケイもそのあたりは知らないようで、知っているのはコスモスだけのようである。
 
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ただ昨年11月の村上騒動で、千代さんがアクアの命を救ったことが明らかになり、若干話題にはなっていた。だから営業的なタイミングとしては悪くない。ただ、この企画は村上事件以前から進行していたっぽい。
 

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ケイから話を聞き、昔の音源を聴いてみたが、洋楽カバー以外は、全く聞いたことのない曲ばかりだった。しかも下手だし!下手なのは置いといて、これを今の歌手がそのまま歌ったら、いくら高崎三姉妹の歌といえども、全く売れないだろうと思った。
 
青葉はケイとコスモスに
 
「大きく変えますよ」
と宣言し、2人とも
 
「それでいい。元の曲をベースに新たな曲を書くくらいの気持ちで」
と言っていた。
 
なお大半の曲の作曲者・先坂朝男は亡くなっているが、∞∞プロの鈴木社長が息子さんと話した所、自由に換骨奪胎してくださいとおっしゃったということでほんとにまるで違う曲になっても構わないということだったらしい。
 

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実際の作業だが、マジで20曲の大胆な編曲をしていたら、それだけで1年掛かる。先のワンティスのトリビュートアルバムでは、松本花子のサブシステム“桜蘭真知”にあらかたアレンジをさせて、そこから青葉が微調整する形で進めた。それで1日1曲ペースで進められたのである。
 
今回若杉千代の楽曲を聴いてみて、青葉はコスモスと話し合った結果、松本花子のサブシステムのひとつ“中島朱美”(都会系演歌)に改造を掛けて、ハウスっぽくしてみてはどうかという案が浮上した(たぶんロック・アレンジでは詰まらなくなる)。
 
かなりの改造になるので、青葉の手には負えない。それで松本花子のプログラミングの元締めである矢島彰子さんに相談した所、試験的に改造してみましょうということになって、一週間くらいのメドで改造してもらえることになった。この改造版は“中島恭子”と命名することになった。マシンは“桜蘭真知”を動かしたマシンを再利用するらしい。“桜蘭真知”はワンティストリビュート版専用だったのでDVDにセーブして消す。
 
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そういう訳で、取り敢えず3月13日くらいまではこちらの作業が無くなったのでその間、青葉は水泳の練習に専念しようと思った。
 
この間に助手の南田容子の手で、編曲する20曲のメロディーとギターコードをシステムに入力してもらう。
 
立花紀子は物資調達や連絡の係である!
 
実際にはずっとフルートの練習をしていたようだ。彼女のフルートもなんとか高校生の吹奏楽部程度にはなってきていた。12月中旬頃のレベルからはかなり進化したようである。この子、結構努力家だなと青葉は思った。
 
3月8日、花ちゃんから青葉に電話がある。
 
「思ったんですけど、松梨詩恩が歌う分はハウスでいいと思うのですが、ビーナが歌う分はポップ系、高崎ひろかが歌う分はいったん演歌系でアレンジしてからポップスに引き戻すくらいのほうがよくないでしょうか」
 
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「そうか。元々の洋楽の曲はそのままポップスがいいね!」
「はい。ビーナは歌唱力がありますし」
「だね!」
 
ということで、取り敢えず洋楽カバーの4曲については、松本花子のポップス担当ザブシステム・南海妃呂にアレンジさせることにした。それで南田容子にはこの4曲を優先して入力してもらう。彼女は8日の午後には4曲全部入れてくれたので、青葉はその4曲をまとめて南海妃呂にアレンジさせる指示を出してから、泳ぎに行った。
 
これが翌朝、3月9日には出来上がっていたので、9日の昼過ぎまで掛けて調整を掛けた。南田容子に試唱させてみると、わりといい感じである。それでこの4曲は先行して花ちゃんに送信した。ビーナが物凄く多忙なのでいつ録音ができるかは分からないが、時間の取れた時に歌わせるということだった。
 
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千代の初期の2曲についても南海妃呂(ポップス系)にアレンジさせた。これを9日の夜に青葉が調整を掛け、翌10日の朝、南田容子に試唱させて確認。これも花ちゃんに送った。これでビーナ担当の分は全て青葉の作業は終わった。
 

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洋楽カバーの4曲は下記であった。
 
『水のような娘』
 
1958年フランスのコメディ映画『l'eau vive』(直訳:生きている水)の主題歌。突然3000万フランの遺産を相続した若い女性オルタンス(Hortense)が信頼できる後見人を確保するまでの物語。この曲は映画のクライマックスで全く異なる2つの場面で同時に歌われる。「彼女はまるで生きた水のような娘だ」と歌っており、若杉の曲のタイトルは映画タイトルの意訳である。この曲は『河はよんでる』のタイトルで「みんなのうた」に取り上げられ、小学生の合唱曲として愛されているが、そちらの歌詞は原詩と全く無縁のものになっている。
 
『月影のナポリ』
イタリアの歌手・ミーナが歌った『Tintarella Di Luna』(直訳:月の色合い)のカバー。ザ・ピーナッツや森山加代子が『月影のナポリ』のタイトルでカバーしているので、若杉版も同じタイトルを踏襲している。
 
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『愛の讃歌』
フランスの歌手エディット・ピアフ『Hymne a l'amour』のカバー。ピアフが航空機事故で亡くなった恋人マルセル・セルダンに捧げて歌った歌という話が広まっているが、実際には航空機事故の前に書かれていたらしいし既に別れていたらしい。恐らくは彼の突然の死で、ピアフ自身にとっても、プロモーション側にとっても、意味合いが変わってしまったのだろう。日本では越路吹雪のカバーが有名だがピアフの歌とはかなりテイストが違う。若杉の歌い方のほうが原曲に近いと青葉は思った。
 
『レッド川の谷間』
アメリカのカウボーイ・ソング『Red River Valley』のカバー。インディアンの女の子と村を去る白人男性との別れを歌った曲。男性歌手が歌う場合は、カウボーイと村を去る女の歌に若干の歌詞が置換される。この曲はしばしば『赤い河の谷間』と訳されているが、Red Riverというのは川の名前なので、固有名詞を翻訳してはいけない。Doctor Whiteを“白い博士”と訳しちゃったようなものである。
 
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青葉は花ちゃんと話し合い、高崎ひろか分も先行させたほうが良さそうとして、こちらも先に、中島朱美にアレンジさせた。青葉はこれを3月10日の午後に1曲調整し、11日の午前中にもう1曲を調整した。
 
この調整をしながら感じたことを全部矢島彰子さんに送っておいた。プログラム改造の参考になるはずである。
 
ともかくも3月11日夕方には、この2曲を花ちゃんに送信することができた。高崎ひろかは時間が取れるので、たぶん来週中には録音完了になると花ちゃんは言っていた。
 
そういう訳で水泳に専念するぞ、と思いながらも8曲のアレンジを4日間でしてしまったのだが、3月12日と14日は、丸一日泳ぐことができた。
 

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