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「(男声で)じゃその彼女に代わって言おう。(女声で)あなたと恋人にはなりたくないわ」
「だったら僕は死んでしまう」
「死ぬのは誰か代わりの人に死なせておきなさい。天地開闢から6000年経ったと言われるけど、その間に恋愛で死んだ男なんて誰もいませんよ。よくトロイラスは恋のためにアキレスに殺されたとか言うけど、実際には恋愛と関係無く戦略上の問題で殺されただけです(*61)」
「レアンドロスは恋人のヘーローに会いに行くために海を泳いで渡っていて溺死したというけど、本当は海水浴に行ってて溺れ死んだのを悲恋話に仕立て上げられただけ(*62)。ヘーローだって死んだりせずに修道院に入って、のんびりと長生きしたはずですよ」
とギャニミード(ロザリンド)は言う。
「この手の話は全部大嘘。男はたくさん死んでるけど、恋のために死んだりすることはないです」
(*60) 原文は spit (唾を吐く)だが、下品なのでコップの水を飲むというのに置換した。
(*61) トロイラスはトロイの若い王子で、彼の存在がトロイ戦争の行方に影響を与えるため、ギリシャ側のアキレスにより殺害された・・・というのが実際にホメロスの『イーリアス』で描かれているトロイラスに関する話である。
ところが12世紀頃になって、トロイラスはグレシダという女性と愛を誓い合っていたという話が出てくる。彼女の父親はギリシャ側で参戦していたのでグレシダもギリシャ軍の父親の元に連れて行かれた。トロイラスは彼女を取り戻そうとしてアキレスと戦い、敗れたという話が付け加えられた。つまりこの話は後から出てきた筋立てであり、ここではギャニミード(ロザリンド)が言う通りなのである。
シェイクスピアはこのトロイラスがグレシダのために死んだという話を発展させた“問題劇”『トロイラスとグレシダ』を『お気に召すまま』の3年後、1602年に書いている。今日この戯曲を読むと多くの読者が困惑する。この劇の性格がつかめず、どう感想を持てばいいのか分からないのである。あまりにも前衛的?すぎて、この劇は実際には上演されなかったのではとも言われる。
(実はまとめる途中で放棄したものだったりして)
(*62) ダーダネルス海峡(*63) の東岸に住む青年レアンドロスは西岸の塔に住むアフロディーテの女神官ヘーローに恋をし、彼女とデートするために、頻繁に海峡を泳いでわたって彼女に会いに行っていた。しかしある夜、嵐の海に飲まれて死んでしまった。レアンドロスの遺体を見てヘーローは嘆き悲しみ自殺したという。
この話は古くから多くの作家や詩人に取り上げられ、ハッピーエンドの物語に改変した作者もある。
シェイクスピアはこの作品に何度も言及しており、『ヴェローナの二紳士』、『空騒ぎ』、『夏の夜の夢』でも書かれている。いづれにしてもシェイクスピアはこの話を美しい悲劇と捉えるのは好きでないようである。
筆者もヘーローは自殺などしなかったというロザリンドの意見に賛成。女はわりとドライである。ただ騒ぎになって女神官はクビになり、ロザリンドの言うように修道院とかには入ったかも。
(*63) エーゲ海とマルマラ海を区切る海峡がダーダネルス海峡である。一方、マルマラ海と黒海の間の海峡がボスボラス海峡である。つまり、
エーゲ海(ダーダネルス海峡)マルマラ海(ボスボラス海峡)黒海
とつながっているのでここまでは海。カスピ海は黒海とは切れているので湖(現代ではいくつかの運河と自然の川を経由して行き来できる)。
ギャニミードの説を聴いてオーランドは不快そうに言う。
「僕の本物のロザリンドにはそんなこと思ってほしくないなあ。実際僕は彼女がしかめ面しただけで死んでしまいそうだよ」
語り手「野暮な突っ込みだけどさっきロザリンドを遅刻で怒らせた時にオーランドは死んでないよね?」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)この手に誓って、ロザリンドのしかめ面ではハエ一匹死にませんよ。(女声で)でも来て来て。今度は少し優しくしいロザリンドになってあげる。何か私に頼んでみて。私『うん』と言っちゃうかもよ」
オーランド「じゃ僕を愛して、ロザリンド」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)はい。いいですよ。金曜も土曜も他の曜日も」
オーランド「ぼくと結婚してくれる?」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)ええ。あなたなら20人とでも」
オーランド「20人!?」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)あなたは良い人でしょ?」
オーランド「そうでありたいね」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)良いものなら、いくらあってもいいじゃない」
ロザリンドは立ち上がる。
ギャニミード(ロザリンド)は言う。
「(男声で)妹よ。お前が司祭だ。ぼくたちを結婚させて。オーランド、手を出して。妹よ、口上を」
オーランドも立ち上がり言う。
「お願いします。結婚させて下さい」
エイリーナ(シーリア)も立ち上がりはしたが
「私、司祭の口上分かんなーい」
などち言っている。
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)『オーランド、あなたは・・・』から始める」
エイリーナ(シーリア)「じゃ行こう。オーランド、あなたは、ロザリンドを妻にしますか?」
オーランド「はい」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)でもいつ妻にするの?」
「今すぐにでも。妹さんが僕たちを結婚させてくれたら」
とオーランド。
それでギャニミード(ロザリンド)はオーランドに言う。
「(男声で)だったら『ぼくは君を妻にしたい、ロザリンド』と言わなきゃ」
「ぼくは君を妻にしたい、ロザリンド」
とオーランドは言われた通り言う。
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)ここで司祭に尋ねてもらいたいところだけど(女声で)私はそなた、オーランド、を夫にします。(男声で)この娘、司祭から尋ねられる前に言ってしまった。まあ女は概して行動より思考が先行するものだ」
オーランド「女と限らず言葉は先行するんだよ。言葉には翼が生えている」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)さてロザリンドを手に入れることができたら、どのくらい彼女を妻にしてる?」
オーランド「永遠と1日」(*64)
(*64) 数学的集合論の観点からいえば“永遠と1日”ω+1 は“永遠”ωより大きな数である。この付近のシェイクスピアの数的な感覚は素晴らしい。一方で“1日と永遠” 1+ω は“永遠”に等しい。実際
「今日から永遠に作業してもらう」
「今日から1日と永遠に作業してもらう」
は同じことである。つまり無限の世界では加法の交換法則が成立しない。
これに対して、松たか子の『明日、春が来たら』の歌詞に「永遠の前の日」というのがあるが、ω-1 という数は存在しない。つまり1足して永遠になる数というのは存在しないのである。証明は簡単である。
ω-1 という数が存在するならそれはωより小さい。ということはそれは無限より小さい数である。ということはそれは有限である。しかし有限なものに1足しても有限である。ということはそれがω-1であったことと矛盾する。従って、そのような数は存在しない。(q.e.d.)
ギャニミード(ロザリンド)は
「(男声で)“永遠”は外して単に“1日”と言いなさい」
と言う。
「ためだめ、オーランド。男は女を口説く時は春の4月だけど結婚したら冬の12月になるんだ。女も結婚前は緑豊かな5月だけど、結婚したら変わりやすい秋10月の空模様になる。やきもちを焼いてガーガーとガチョウのように騒ぎ、雨の前のオウムのようにうるさく、エテ公のように新しいものを欲しがり、猿のように欲望が強く、あなたが楽しいことがあった時でも泉の前のダイアナのように何でもないことで泣くし、あなたが眠くて仕方ない時にもハイエナのように笑う」
オーランド「ぼくのロザリンドがそんなことするかなあ」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)誓ってもいい。彼女のすることはぼくのすることと同じ」
オーランド「でも彼女は賢いから」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)そういうこともしないというのは知恵が無いということだね。賢ければ賢いほど気まぐれになる。女の知恵に戸を立てても窓から出てくる。窓を塞いでも鍵穴から出てくる。鍵穴を塞いでも煙突から出てくる」
オーランド「そんな妻を持ったら男は言わなければならない『その知恵どこに行く?』って」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)その台詞はその知恵を隣の家の男のベッドで見付けた時までとっておこう」
オーランド「そんな所見付かったら何て言い訳するのさ?」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)あなたを探してたの、とでも。女をもらったらその程度の知恵は付いてくる。逆にその程度の言い訳もできない女では、子供の世話を任せられない。馬鹿な女は馬鹿な子供を育ててしまう」
オーランド「確かに母親の知性は子供に影響を与えるだろうな。できたら浮気はしてほしくないけど。ぼくも浮気はしないからさ」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)ほんとかなあ」
オーランド「そうだ。悪いけど、2時間ほど席を外したいのだけど」
ギャニミード(ロザリンド)「(女声で)まあ、あなた無しで2時間も?」
オーランド「実は君のお父さんの公爵の招きで食事をすることになっていて。2時間後には必ず戻るから」
ギャニミード(ロザリンド)「(男声で)分かりました。でもまた約束を破って1分でも遅れたら、あなたはおよそ不実な恋人、ロザリンドという娘にはふさわしくない男。そう思うことにしよう(女声で)じゃ1時には戻るのね?」
オーランド「うん、大丈夫だよ。じゃちょっと行って来る。ぼくの可愛いロザリンド」
それでオーランドはロザリンドの手にキスをして画面左手に去って行った。
シーリアが言った。
「でもロス、さっきの会話で随分女のことを悪く言ってたね。私ちょっと頭に来てるんだけど。男の服を着てたら頭の中まで男になっちゃったの?」
ロザリンドは(むろん女声で)言う。
「ああ、リア、リア、リア。私の可愛いリア。私の愛の深さを知ってほしい。それはポルトガルの海(*65)より深いんだよ」
シーリア(まだ怒っている)は言う。
「そもそもあんたの愛情には底が無いんじゃないの?だから折角オーランド様が愛情を注ぎこんでも全部、下から漏れる」
ロザリンドは独りごとのように言う。
「あのヴィーナスの子供、気まぐれなキューピッドに私の愛の深さを測ってもらいたい」
ロザリンドは更に言う。
「ああ、オーランドが戻って来るまでとても待っていられない。私どこか木の陰を見付けて溜息ついてる」
「私は寝てる」
とシーリアは言って家の中に入ってしまう。ロザリンドは画面左手に歩いて行く。
(*65) 原文 the bay of Portugal.
ポルトガル最西端=ユーラシア大陸最西端のロカ岬 (Cabo da Roca) の沖合には深さ5000mを越える タグス海底平原 (Tagus Abyssal Plain) がある。ただシェイクスピアの時代にここが知られていたかどうかは不明。
もしかしたら、ポルトガル本土近くにあるルシタニアン海盆 (Lusitanian Basin) のことかも。この海盆の深さが調べてもどうしても分からない。あまり信頼できない情報で2500mくらいと書かれていたものもあった。(2200m以上あるのは確かっぽい)
この海盆の南端がタグス海底平原につながる。そしてその海底平原の南端に海面近くまで迫る大山脈ゴリンジ海嶺 (Gorringe Ridge) があり、その南側が有名な馬蹄海底平原 (Horseshoe Abyssal Plain) である。
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お気に召すまま2022(12)