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■お気に召すまま2022(10)

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広瀬みづほが「30分経過」と書かれた板を持ち画面を通り過ぎる。
 
法衣姿のオリバー・マーテクスト副牧師(揚浜フラフラ)がやってくる。
 
「ようこそ、オリバー・マーテクスト先生(*55) 。私とこの娘を結婚させてください。式はここでやりますか?あるいは先生の礼拝堂まで出向いたほうがいいですか?」
とタッチストーンは訊く。
 
「花嫁をあなたに渡す父親役は?」
とマーテクストは尋ねた。
 
「女は物では無いので、誰かにもらういわれはありません。純粋に私とこの娘が夫婦になるだけです」
とタッチストーンは答える。
 
「花嫁を花婿に引き渡す役がいなければ正式の結婚式はおこなえない」
とマーテクストは言う。
 

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その時、後方で様子を見ていたジェイクズが出てくる。
 
「失礼ながら私がその父親役をしましょうか」
 
「おお、これは憂鬱さん。思わぬ所で会いましたね」
「しかしあんたこの娘と結婚するの?」
 
「はい。牛に頸木(くびき:牛に車をひかせるための道具)をつけるように、馬に手綱(たづな)をつけるように、鷹狩りの鷹に鈴をつけるように、騎士が剣を持つように、貴婦人が宝石を付けるように、ブリーチング(*53)前の男の子がスカートを穿くように、男の娘がドレスを着るように、私たちはひとつになりたいのです」
 
「しかしこんな場所で結婚式するの?」
「いけませんか?」
 
「無宿者同士ならいざ知らず、あなたのような教養ある人が森の木の下で結婚式は無いでしょ。ちゃんと教会に行きなさい。そしてもっとしっかりした司祭(*54)に式をあげてもらいなさい。来なさい。私が教会に連れていくから」
「分かった」
 
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ここでタッチストーンは『愛しのオリバー(sweet Oliver)』という歌を歌う(*52).
 
「(ハイトーンで)ああ、大好きなオリバー、ああ、勇敢なオリバー、私を一時(ひととき)も離さないで」
 
「(ロートーンで)こっちに来るな、向こうに行け、お前とは結婚式をしない」
 
そしてジェイクズ、タッチストーン、オードリーが画面右へ立ち去る。
 
「なんか俺いつも馬鹿にされてるけど、気にしないもんね!」
と言ってオリバー・マーテクスト(揚浜フラフラ)も立ち去る。
 

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(*52) 当時流行っていた流行歌である。1番では女が男(オリバー)に言い寄るが、2番では男がその女を邪険にするという形式になっている。オリジナルのメロディーが不明であるため、今回は醍醐春海(暇そうにしていた7番!)が曲を付けている。
 

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(*53) 前述のように昔は幼い男の子はスカートを穿いていたので、スカートを一応卒業してズボンを穿くようになることをブリーチングと言った。ただしこのくらいの時代までは、成人男性がショートスカートを穿くこともあった。女性はロングスカートであり、ショートスカートは男性用の服である。概してタイツの類いと組み合わせる。
 
タイツだけで、ズボンもスカートも穿かず、コッドピース!(codpiece)だけというパターンもあった。コッドピースが発達?したのが現代の男性バレエダンサーが身に付けているサポーター(ダンスベルト)や男性アスリート用のジョックストラップ (jockstrap) である。
 

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(*54) オリバー・マーテクストは"vicar"と書かれている。ここでは副牧師と訳したが、普通は単に牧師と訳す。同じ“牧師”と訳される"rector"より地位が低い(給料が約半分)。vicarの下には更に無給!のperpetual curate という牧師もある。
 
元々vicar ということばはラテン語の vicarius から出た言葉で“代理”という意味。副大統領 vice president などの vice と同語源である。それでここでは副牧師と訳した。
 
日本ではrector, vicar, pastor, reverendは全部単に牧師と訳されているが、各々の地位はそれぞれの宗派によりかなり異なるのでこれらのことばの一般的な説明は困難である。実際、英国国教会(*56) においても、priest, rector, vicar, team rector, team vicar, perpetual curate などは各々の地区での歴史的経緯でそう呼ばれているだけであり、国教会全体で統一的な基準があるものではない。
 
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そもそもプロテスタントや国教会での牧師というのは聖職者ではない。単にその役目を果たしているだけの存在であり、町内会長や学校の校長などと同類の仕事である。だからカトリックの司祭は教会の仕事をやめても司祭だが、プロテスタントや聖公会の牧師は教会の仕事をやめたら、ただの人である。
 
この人物の名前は当時流行っていた「愛しのオリバー」に合わせて作られた名前と思われる。
 
なお、ジェイクズは priest に式を挙げてもらおうと言っている。ここでは司祭と訳した。これは一般にしっかりした訓練を受けていて、充分高い地位にある牧師を表す。日本語でも司祭と訳されることが多いが、カトリックの司祭とは、呼称は同じでも意味は全く異なる。基本的には牧師の一種にすぎないし、カトリックの司祭と違って結婚も可能である。
 
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ちなみに現代ではカトリックの司祭にも結婚している人は結構居る。実は司祭の資格を取る前なら結婚可能なのである。司祭になったら結婚できなくなる。だからみんな結婚してから司祭になる。プロテスタントや聖公会の司祭は、司祭になった後でも結婚できる。
 

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(*55) カトリックの司祭は一般に「神父様(Father)」と呼びかけられるが、プロテスタントや聖公会の牧師は日本では「先生」と呼ばれることがある(多分宗派によっても違う)。英語だと Preacher, Minister, Reverend, Doctor などが使用されるようだが、これも宗派によって事情は違うようである。
 

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(*56) イングランド国教会(Church of England/ C of E) は、エリザベス1世の父・ヘンリー8世の離婚問題(*57) に関するローマ教皇との揉め事をきっかけにカトリックから独立したもので、イングランド国王がその首長の地位を務める。
 
南部の「カンタベリー管区」と北部の「ヨーク管区」の2つの管区(province)に大主教(archbishop) がいて、この2人が事実上の教会トップである。管区は多数の教区に別れており、その長は主教(bishop) と呼ばれる。
 
プロテスタントに分類されることが多いが、分離独立の経緯から実際にはカトリックとプロテスタントの中間("Via Media")の教理やシステムを持つ。但し教会の中には、カトリック色の強い高教会(High Church) 、プロテスタント色の強い低教会(Low Church) がある。他にも自由学的に広教会(Board Church) 更には微妙な教会もあり、かなりの個性がある。
 
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修道会は当時は解散命令が出て全て解体されたが(詳細後述)、現代ではまた復活している。
 

イングランド国教会を発端として世界的に広がる教会組織を聖公会(Anglican Communion) という。その多くはイングランド国教会またはスコットランド聖公会(後述)の系統に属している。イングランド国教会および聖公会は、クェーカー、メソジストなどのルーツにもなった。
 
アイルランドではイングランド国教会が成立した直後にアイルランド国教会(Church of Ireland) が組織され、ほとんどのカトリック教会がカルヴァン派に転向した。そのため、アイルランド国教会には現代でも低教会系の教会がとても多い。アイルランド国教会はイングランド王をその首長と定めている。現在ではアイルランドの国教ではなくなっているため、アイルランド聖公会とも呼ばれる。
 
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スコットランドには現在スコットランド国教会(Church of Scottland) と、スコットランド聖公会(Scottish Episcopal Church) が並立している。後者がイングランド国教会とつながりのある教会で、アメリカ聖公会などもこの系統に属している。ただし、スコットランドでは現在聖公会は少数派であり、キリスト教長老派に属するスコットランド国教会が最も大きな勢力を持っている。これはイングランド国教会とは無関係の教会である。
 

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(*57) ヘンリー8世は6回結婚している。
 
(1) (1) Catherine of Aragon "princess of Castile" (1509-1533 divorced)
 
イスパニア王女。本来はヘンリーの兄アーサーの妻だったが、アーサーが15歳で亡くなったので、スペインとイングランドの関係維持のため、ローマ教皇の特別許可により、その妻を“譲られた”。
 
メアリ王女(後のブラッディ・メアリ)を産む。しかし王子を産まないまま彼女が40歳を過ぎてしまったので、王は彼女を離婚してもっと若い女と結婚したいと思った。しかしローマ教皇が離婚を認めなかったので、ローマ教会からの決別を宣言。イングランド国教会を創設し、カンタベリー大司教から離婚の許可をもらった。
 
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(2) Anne Boleyn maid of Catherine (1532-1536 beheaded)
 
カザリンの侍女だった。彼女と結婚したいために王はカザリンと離別した。離婚手続きに時間が掛かったため、ヘンリー8世は半年ほど重婚状態にあった。
 
エリザベス王女(後のエリザベス1世)を産む。大騒動を起こして結婚したものの、彼女が最初に産んだのが↑の通り王女で、次は男児だったが死産だった。
 
それで王は怒って、彼女に姦通の濡れ衣を着せて処刑してしまう(巻き添えで王妃の身の回りの世話をしていた男性が姦通相手と言われて一緒に処刑された)。
 
男の子を産まないと斬首刑にされる!
 
(3) Jane Seymour (1536-1537 died in childbed)
 
エドワード王子(『王子と乞食』のモデル)を産むが、お産で亡くなる。
 
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待望の男の子だったがエドワードは病弱でヘンリーを不安にさせた。
 

(4) Anne of Cleves "lady in picture" (1540.1.6-1540.7.12 divorced)
 
画家ホルバイン(Hans Holbein)が描いた絵の中の女性。ドイツ人で英語も話せなかった。彼女とは絵姿だけを見て惚れ込み、実際に会ったのは結婚式の4日前であった(本人も唐突に3日後にイングランドの王様と結婚してと言われて仰天した)。でも結婚してみると王の好みでは無かった!それで半年で離婚している。
 
(5) Katherine Howard (1540-1542 beheaded)
 
アン・オブ・クレーヴズの侍女。彼女はアン・ブーリンの従妹で、ジェーン・シーモアの再従妹でもある。彼女には夫がいたが、強引に王と結婚させられた。しかも結婚後にその元夫と通じていたと言われて処刑された!全く酷い話である。元夫は王との結婚後は彼女と関係を持っていないと主張したが認められなかった。
 
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結局、国王と結婚するというのは斬首刑になるということである!
 
(アラビアンナイトみたいな話だ)
 
(6) Catherine Parr (1543-1547 survived)
 
物凄く強い性格の女性で頭も良く知識も豊富でヘンリーをうならせたという。ある意味恐妻ぶりを発揮して、以後、ヘンリーはあまり浮気をすることができず、彼女は王と最後まで添い遂げた。彼女はプロテスタントだったのでカトリック派が彼女を陥れようとしたこともあるが、彼女を信頼している王が守り抜いてくれた(逮捕しに来た役人を「帰れ!」と言って追い返した)。
 
ヘンリーが亡くなった翌年(1548)に没している。また彼女は子供の教育にも熱心で、ヘンリーの3人の子供を分け隔てなく可愛がった。彼女のおかげでメアリとエリザベスは王位継承権者としての地位を回復した。
 
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ヘンリー8世が亡くなった後はエドワードが8歳で即位してエドワード6世となるが病弱で15歳で亡くなってしまう。その後は本来はメアリが継ぐべきだったが、メアリが熱心なカトリックであることから反動を恐れた人たちにより、遠縁の王女、ジェーン・グレイが国王の地位に就く。
 
しかしメアリはその即位に異議を唱え、自分の支持者とともに王宮に乗り込んでジェーンを拘束。斬首刑にしてしまう(クーデター)。
 
国王になるというのは斬首刑になるということである!
 
ジェーンが王位にあったのは9日間。処刑された時はわずか16歳であった。彼女の王位は短期間であったため、Queen Jane ではなく Lady Jane と呼ぶ人が多かったが、現在のイングランド王室は彼女が正式の国王であったと認定している。
 
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王位に就いたメアリ1世はイングランドのカトリックへの復帰を宣言。予想通り、これに反発する人を次々と処刑。子供を含む大量の殉教者を出した。そのため彼女は“血のメアリ”(Bloddy Mary) と呼ばれる。
 
メアリの母はスペイン王室の出身であり、メアリ自身も周囲の反対を押し切ってスペイン王フェリペ2世と結婚したので、当時はイングランドがスペインの属国と化す危険があった。更にこの結婚によりイングランドはスペインとフランスの戦争に巻き込まれ、唯一の大陸領土であったカレーを失っている。戦争は国家財政も圧迫した。
 
メアリは王位についてから5年ほどで病死している。彼女が亡くなった時、人々は恐怖政治から解放されたことをお祝いしたという。
 
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メアリの死後は、プロテスタントのエリザベス1世(当時25歳)が即位し、国王優越法を制定して、再度イングランド国教会を設立する。この法律により異端法は厳しく制限されて殉教者は減り、カトリックとプロテスタントが共存できる社会が作られていくことになる。エリザベス自身はプロテスタントだが、自ら十字架を身に付けるなどカトリックの人たちが喜ぶ行動もとって融和の方針を示す。彼女の治世下で本当に“中道的”国教会の礎が築かれることになる。
 

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