[*
前頁][0
目次][#
次頁]
オーランドが走り去った後に、コリン(藤原中臣)とタッチストーン (Martin Grotzer) が現れる。タッチストーンは黒と赤の菱模様の服を着ている。
「タッチストーンさん、田舎生活はいかがですか?」
とコリンが訊く。
タッチストーンは答える。
「そうだなあ。それ自体は良い暮らしだが、田舎生活だからつまらない。役人や貴族との面倒な儀礼をしなくていいのは気楽だが、人とのふれあいが少ないのは良くないね。自然が豊かなのはいいが、都会じゃないのは寂しい。素朴な食事なのは健康に良いけど、俺のお腹は物足りない。おやじさんは何か哲学があるかい?」
とタッチストーンはフレデリック邸に居た時と似たような感じで話す。
「まあ大した思索も無いけどね。病気は重くなるほど辛い。金と力と満足を追求する奴には3人を越える良友が居ない。雨の本質は湿りであり、火の本質は燃焼。餌をたくさんやると羊は太る。夜が起きる原因は太陽が無いことだ。大した知恵も技術も無い奴に限って、自分はいい教育を受けられなかったと文句を言う」
とコリンは自説を述べる。
「いや、あんたは自然の哲学者だよ」
とタッチストーンはマジで彼を褒めた。
2人がしばらく話している所にギャニミード(ロザリンド)がやってくる。
「お。我々の新しい女主人の兄上殿だ」
とコリン
ギャニミード(ロザリンド)は木々に貼り付けられた紙に書かれた詩を読む(男声)。
『東の端から西の端まで』
『どんな宝石もロザリンドには及ばない』
『彼女の名前は風に乗って』
『世界中に知れ渡るだろう』
『どんなに美しい絵画も』
『ロザリンドの前ではかすんでしまう』
『ロザリンドは美しすぎてその顔を記憶に留められない』
『しかしその美しさだけは心に刻まれるのだ』
タッチストーンが
「出来の悪い詩だなあ。その辺のくたびれたおばちゃんがぞろぞろ歩いているみたいだ。こんなので良いのなら俺なら8年間詩を書き続けられるよ。まあ、食事と睡眠の時を除いてね」
などと言っている。
ギャニミードが
「お前は黙ってろ」
というが、タッチストーンは
「俺でもこの程度は詠める」
と言って、でたらめな詩?を詠む。
『牡鹿が尻を欲しければ』
『差し出しましょうロザリンド』
『猫が恋人欲しければ』
『ここに居るよロザリンド』
『冬の衣服が欲しいなら』
『剥ぎ取ってやろうロザリンド』
『刈り入れするときゃ束ねて縛り』
『荷車に乗せようロザリンド』
『甘い木の実にゃ渋い皮』
『そんな木の実がロザリンド』
『甘い香りの薔薇の花』
『棘(とげ)もあるのがロザリンド』
「お前天才だな」
とギャニミード(ロザリンド)は呆れて言う。
「お気に召しましたか?」
とタッチストーンは平然として言う。
「私が読み上げた詩はあちこちの木に取り付けてあったものだ」
「へー。変な実(*28) のなる木もあったものですな」
「そうだ。その木にお前を接ぎ木して、その上に更にメドラー(*29) を接ぎ木してやろう。そしたらお前は頭が無くなって立派な脳無しになれるぞ」
「旦那様はなかなか良い発想をなさいますよ」
とタッチストーンはロザリンドに感心している。実際これがフレデリックなら途中で激怒して物を投げ付けられている。
(*28) 野暮な解説だが、木に詩の書いた紙が付いてたというので、それを木になった実と曲解している。
(*29) メドラー Medler は日本語では“西洋花梨”というが、花梨とは全く別の種類の果実である。日本の枇杷(びわ)がこの果実に似ているため、西洋では枇杷(びわ)のことを Japanese Medler と言う。
エイリーナ(シーリア)がやってくる。多数の紙の束をもっていて、それを読んでいる。
『なぜここは荒れ果てた土地なのか』
『人が住んでないからか?違う』
『全ての木に言葉を吊し』
『その木々が物をいえばすぐに開けた町になる』
『ああ、人生は短く』
『あっという間にその行程を走り去る』
『差し伸べられた掌(てのひら)で』
『人生の全てが覆われる』
『友と友の堅い誓いも』
『簡単に破られてしまう』
『しかし麗しき枝々に』
『あるいは全ての文末に』
『私はロザリンドと書こう』
『この文を読む人全てに教えたい』
『全ての精霊の真心が』
『この小さな宇宙にあることを』
『だから天はひとりの身体を選び』
『そこに全ての美徳を』
『注ぎ込むことにしたのだ』
『天は今抽出した』
『ヘレネ(*30) の心ではなく美しい頬を』
『クレオパトラの威光を』
『アタランテ(*31) の俊足を』
『ルクレティア(*32) の貞節を』
『それらの美徳がロザリンドには集まり』
『神々の会議で定められ』
『多くの顔・多くの目・多くの心より』
『最も愛しき手技が与えられた』
『これらの贈りものが天より与えられた彼女』
『私は彼女のしもべとして、共に生き共に死にたい』
(*30) ヘレンあるいはヘレネ(Helene) はギリシャ神話に出てくる女性。スパルタ王の娘だが絶世の美女であった。トロイ王子パリスに誘拐されたのがトロイ戦争の直接の原因とされる(根本的発端は“黄金の林檎”事件)。
(*31) アタランタあるいはアタランテ Atalante はギリシャ神話に出てくる俊足の女狩人。カリュドーンの猪狩りにも参加した。
(*32) ルクレティア Lucretia は古代ローマの女性。夫が不在の時にローマの王子セクストゥスにレイプされそうになるがあくまで抵抗した。しかし最後は『お前を殺して隣に男奴隷の死体も置き、姦通していたかのように装うぞ』と言われて屈した。事件後セクストゥスは告発され、これをきっかけとしてローマの王家は追放され、ローマは共和制に移行した。
「なんか壮大な詩だなあ」
とエイリーナ(シーリア)は言う。
ギャニミード(ロザリンド)はあくびをしている。
「あ?終わった?なんか退屈でぼくは途中で眠ってしまったよ」
とギャニミード(ロザリンド)は男声で言う。
「きゃっ。お兄様居たの?コリンやタッチストーンまで。あんたたちどこか行ってよ」
とシーリアが驚いて言う。実はシーリアは詩を読みながら歩いて来たので、そこに人が居ることに気付いてなかった。
「なんか行けと言われてるから退散するか」
と言ってタッチストーンとコリンが立ち去る。
「なんかあちこちの木に紙が掛けてあったのよ。読むだけでも恥ずかしい。ロスも聞いたの?今の詩?」
とシーリアは訊く。
「まあ聞いたけど詩としては形式が無茶苦茶」
とロザリンドは女声で答える。
「形式くらい、いいんじゃない?」
「詠んでる内容も酷いもんだ。小学生並みの詩だよ」
「ま少し変ではあるね。それよりロスの名前があちこちに大量に書かれてるんだけど」
「“驚きは9日続く”という言葉があるけど、リアが来る前に既に7日過ぎてた感じだね(自分も既にたくさんそれを見たということ)」
とロザリンド。
「ねぇ、これ誰が書いたんだと思う?」
とシーリアは訊く。
「男の人?」
とロザリンドが尋ねる。
「ロスが自分の首飾りを掛けてあげた人よ。あ、赤くなってる」
とシーリア。
「ねぇ誰なの?」
「分かったくせに何を言ってんだか」
「だから教えてよぉ」
「自分で想像しなさい」
「リア、あの人を見たの?帽子かぶってた?ひげを生やしてた?どんな服着てた?」
「知ーらない」
「私どうしよう?こんな男のような格好している所見られたら。私あの人にこの格好で遭遇したら何て言えばいいの?」
「恋してる人の質問に答えるより、塵の数を数える方が楽ね」
そこにオーランドとジェイクズが近づいてくる。
「あの方だ!隠れて見てましょう」
と言ってロザリンドとシーリアは岩陰に隠れる。
オーランドと“メランコリー”ジェイクズは何やら不思議な会話をしている。
「お付き合いくださってありがとう。でも僕はひとりで居たかった」
「僕もひとりで居たかったけど、儀礼上ご一緒させて頂きました」
「ではこれで別れましょう。再度会わないことを祈っています」
「私も会わなければいいなと思っています」
「今後は恋歌など貼り付けて木を傷めるようなことはしないでくださいよ」
「今後は僕の歌を勝手に読んで歌を傷つけないようにしてくださいよ」
「ロザリンドと言いました?あなたの思い人は」
「はいそうです」
「気に入らない名前だ」
「別にあなたを喜ばせるように名付けた訳ではありません」
「背の高さは?」
「私の心臓くらいの高さ(*37)」
「なるほどね。しかしあなたは金細工職人の奧さんとでも知り合いか。あなたの喩え方は、指輪の刻印などにありがちだ」
「自分ではむしろ普及品の壁掛けに書かれてる言葉かなと思ってますが」
「あんた、わりと頭の回転が速いと思うよ。アタランテの俊足並みの速さだよ。あんた自分はまともな教育受けてないから知能が劣っていると言うけど、結構しっかりした頭脳を持っていると思う」
とジェイクズは、少しマジにオーランドを評価した。
「ここに座って一緒に世間を批判しませんか」
とジェイクズは言うが。
「批判できるのは欠点だけの自分ですね」
とオーランド。
「まああんたの欠点は恋をしていることだな」
「その欠点はあなたの最大の美徳とも交換しませんよ」
「実はあなたとお会いした時は阿呆(*36)を探していたのです」
「阿呆を見付けたければ、川に行くといいですよ。水の中に沈んでいるから」
「水面に自分の顔が映るというオチですな」
「それも映らなかったら、あんたは空虚だ」
「あなたと二度と会いたくないですね(*35)」
「私も二度と会いたくないですね(*35)」
「でもそろそろおいとましよう。永遠にさようなら、恋する旦那(*33)」
「お別れできて幸いです。永遠にさようなら、憂鬱な旦那(*34)」
それでジェイクズは立ち去る。
(*33) 原文 farewell good signior Love. シニョールはイタリア語の男性敬称。
(*34) 原文 Adieu good Monsieur Melancholly. ムッシューはフランス語の男性敬称。ついでにアデューはフランス語で2度と会わないだろう(会いたくない)時の別れ言葉。
(*35) むろん反語的に言っている。この2人の会話は一部を除いて逆の意味で交わされており、2人は実際にはかなり意気投合している。
(*36) タッチストーンのこと。原作で“タッチストーン”という名前が出てくる箇所はひじょうに少なく、多くは clown (道化:どうけ), Fool (阿呆) などと言われている。 Fool は蔑称ではなく職業名である!“アホなことを言ったり、アホなことをして”笑わせるのが仕事なのである。
なおクラウンとピエロとジェスターの違いを説明しようとすると恐らく10ページ以上を要する。シェイクスピアの作品で道化が重要な役割を果たすものとして『リア王』もある。あの作品に出てくる道化は単に fool と呼ばれている。
日本の古代の宮廷にも“俳優(わざおき/わざひと)”と呼ばれる人が居て、滑稽なことをして人々を楽しませていた。大化の改新の発端となった乙巳の変で、中大兄皇子(後の天智天皇)は、俳優に命じて蘇我入鹿の剣を取り上げさせて、丸腰になった所を襲撃して殺害している。
無礼講の存在であるゆえに、権謀術数に巻き込まれることもあったであろう。
なおシェイクスピアの時代に『お気に召すまま』でタッチストーンを演じたのは、Robert Armin という役者さんである。シェイクスピアの作品群においては2代目の道化役になり、彼が『リア王』や『十二夜』『冬物語』などの道化を演じている。
初期のドタバタ喜劇の時代に道化を演じたのは William Kempe という人で、この道化役の交替で、シェイクスピアの作品そのもののテイストが変化したとも言われる。Kempeが単純に観客を笑わせていたのに対して、Arminは客に色々考えさせる笑いで、この人がなければリア王のあの道化は成立しなかったろう。
今回の映画でタッチストーンを演じているMartin Grotzer(35歳)はドイツの若手コメディアンである。たぶんオーランド役のシュメルツァーより売れている!
(*37) オーランドを演じているシュメルツァーの身長は190cmで、その胸の位置はだいたい137cmくらいである。ロザリンドを演じるアクアは、こんなに低くない。アクアの身長は158cmで、実際にはシュメルツァーの肩付近にアクアの頭頂がある。ヒールのある靴を履いていればもっと高い。
だいたい男性の乳首の高さは身長×0.72, 肩甲骨の高さは身長×0.81くらいである。190×0.81=154cm.
(女性の乳首の高さは乳房が重力で垂れるため男性より少し低い。肩甲骨の高さは男女でそう違いは無い)。
エリザベス朝時代、人間の背丈は全般的に今より低かったものと思われるが、当時としてたぶん長身の180cmの役者さんかオーランドを演じ、15-16歳の少年俳優がロザリンドを演じたとしても、恐らく身長は150cm程度はあったのではないかと思う。それならやはり肩付近に頭頂は来ていたであろう。
ロザリンドは物凄い演技力が必要な役どころで、恐らく一座の花形若手俳優が演じたと思うので、それより低い年齢というのは考えにくい。
オーランドが「ロザリンドの身長は自分の胸付近」と言っているのは恋に落ちて相手をより可愛く想像しているので、ものすごく小さな姫様と思い込んでいる結果であろう。
[*
前頁][0
目次][#
次頁]
お気に召すまま2022(7)