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■夏の日の想い出・港のヨーコ(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-11-01
2008年12月中旬に発売された週刊誌がローズ+リリーのマリとケイの実名を勝手に書き、私が戸籍上男性であったことが日本中に大きな衝撃を与えたのだが、この騒動の結果、私も政子も、親に無断で歌手活動をしていたことがバレ、ローズ+リリーは活動停止に追い込まれた。
私と政子は週刊誌の報道があったその日の内に記者会見を開き、私の性別問題について説明した。
「ケイは女の子ですが、ケイの中の人は男子高校生みたいですね」
と私は笑顔で自分の性別を明かすとともに《中の人は男の子だけどケイは女の子》という言い方で《設定性別》を主張した。
「放課後になると、魔法の杖で変身して、女子高生アイドルになって、マリと一緒に歌を歌うんです」
などと言ったら、この記者会見を聞いていたおもちゃメーカーから「女子高生アイドルになれる変身の杖」なるものが発売されることになり、杖とマイクのセットと、それにウェストがゴムになっていて男性でも穿けるミニスカート付きのフルセットとで、合計数十万個売れたらしい(売れた大半はスカート付き)。日本には女の子になりたい男の子がそんなにいるのか!?
と私は思ったのだが、この時期、若者向けラジオ番組に
「ケイさんのお陰で自分に正直に生きる決心が付きました」
などと言って、女装外出を始めたとか、自分が女の子になりたいことを友人や家族にカムアウトした、という視聴者のメッセージが多数届いた。
更にテレビ局の中には性転換の特集番組を急遽放送する所まであり、性転換美女タレントさん数人を呼んでトークさせたり、女装グッズを売っているお店を紹介したり、国内で性転換手術を手がけているお医者さんへのインタビューまで流したりしていた。
「まあケイちゃんのおかげで女装者が200万人、性転換者が1万人は増えた」
などと後から、雨宮先生から言われたりした。通販で女物の下着や服が買えるセシールやベルメゾン・フェリシモなどの売上が増えて、株価が上がったなんて話まであった。
「内需拡大で総理大臣から表彰されてもいいくらいだよ。だって女装にハマった子はその後、継続的に女物の服を買うからさ」
とも雨宮先生は言っていた。
確かに女装者の中でフルタイムになって(男物は買わなくなって)しまう人は一握りであり、多くの女装者は男性としての生活も持っているので結局、洋服を男女2人分買い続けることになる。女装はほんとに消費拡大に貢献しそうだ!?
この最初の記者会見では私の性別についてだけ説明したのだが、数日後、その騒動で発売延期になったCD『甘い蜜』と2月のツアーの予定について聞かれた△△社は、同社とローズ+リリーの契約が白紙に戻ったことを明らかにせざるを得なかった。
「マリさん・ケイさん側が契約を破棄したんですか?」
「いえ、実はこの契約はそもそも保護者の承諾を得ていなかったのです」
「じゃ、そもそも契約が成立していないまま活動していたんですか?」
「実はそもそも御両親との話し合い自体を持っていなかったのです」
「それは言語道断では?」
私と政子の自宅の周囲や学校に大量の記者が押し寄せてきた。性別問題を明らかにした時は、興味本位の取材という感じだったのだが、契約問題については「ケイさん・マリさんの見解が欲しい」という声があった。
しかしこの時点では私も政子も各々の父との話し合い中であり、見解が出せる状況では無かった。
ともかくも、自宅周辺にも、最初の内は学校周辺にまで記者が大量に居たため、私と政子はその後しばらく学校にも行くどころか家の外に出ることさえできず、自宅に籠もって過ごすハメになった。私と政子が一切家の外に出てこないので一部のマスコミは親戚の家などに退避しているのではという憶測もしていた。
それで政子の方は本当に1ヶ月家に籠もりっきりの生活を送ったのだが(その間、凄まじく暗い詩を書きまくり、ずっと付いていたお母さんが心配して何度も私に連絡してきた)、私の方は実は結構出歩いていた。
最初は週刊誌の報道があった翌日である。私は父に自分で政子の両親に謝りたいと言い、父もその私の気持ちを理解してくれたので、夜になってしまったが、連絡を取り合い、こちらから会いに行くことにした。
父は私に男物の服を着ろと言ったが私は反対した。うちの家も政子の家も周囲に多数の記者が集まっている。今政子の家に行けばたくさん写真を撮られビデオでも撮られるのは確実なので私が男装していれば、格好のネタを提供するだけだと言うと、父はブスっとした表情ながらも私の主張を受け入れた。私の実名を報道した週刊誌にしろ、それに驚き学校や友人などに取材したテレビ局なども、私の男装写真を1枚も入手できなかったのである。
私が男の子の格好した写真って、小さい頃のとか探そうとしても無いよな、と私も思った。テレビには私の中学の卒業アルバムや修学旅行の記念写真、野球部の応援に行った時の写真とかが出ていたが、どれも女子制服や女の子の服を着ている写真であった。
「お前、なんで卒業アルバムでセーラー服着てるの?」
「卒業アルバム制作委員の子にハメられた」
「野球の応援でなぜミニスカート穿いてチアガールしてる?」
「その衣装を押しつけられた」
母が笑って
「この子は周囲から見たら、女の子の服を着せたくなっちゃう子なのよ」
と言ってくれたが、父は不快そうな顔をしていた。
結局、ブラウスにセーター、ロングスカートという女学生っぽい服装で出かける。車を出してもらい、両親と一緒に政子の家まで行ったが、記者が取り囲んでいる中車を動かすのはなかなか大変だった。父がカッカしていてその精神状態で運転するのは危険だといって代わりに運転してくれた母は車を直接政子の家のガレージに入れたので、せいぜい車の外から写真を撮られたり、車を降りた所を家の外から望遠で撮られたり程度で済んだ。
私は政子の家に行くと最初に
「大事なお嬢さんをお父様・お母様にきちんと話をせず、こういう活動に誘いこんでしまい、大変申し訳ありませんでした」
と床に頭を付けて謝罪した。私の父も
「うちの変態息子のせいで、大騒動に巻き込まれてしまい申し訳ありません」
と政子の父に謝ってくれたが、私は自分の親から変態息子などと言われると若干ムッとした。
「いやいや、頭をあげてください。ずっと昨晩から政子に付いていてくださった★★レコードの秋月さんや、先程会ってきた△△社の津田社長と話して、むしろ誘い込んだのはうちの娘の方だというのは聞いております。それに今思えば、10月頃に冬彦さんが電話してくださったのがこの件ですよね?」
とお父さんは言った。そのあたりの経緯はひじょうに微妙なものがあるのだが、今はあまり細かいことを言っても仕方が無い。政子は随分泣きはらしたような跡があった。
「取り敢えず例の『暫定契約書』は無効であると宣言して、即時芸能活動の停止を申し入れました」
「こちらも同じく『暫定契約書』は無効を宣言してきました」
ともかくも最初の10分で、双方和やかなムードになる。
なごやかになった所で、母が「まあ、これでも」と言ってウィスキーを取り出す。父の同僚から、お土産にもらった本場物のハイランド・モルトウィスキーである。私が冷蔵庫から氷を出して来て、水割りを作って政子のお父さんと自分の父に勧める。政子の母と自分の母、それに政子にはカルピスを作って出した。
「お、ありがとうね」と政子の父。
「お前、気が利くな」ちうちの父。
「これ美味しい!」と政子の父。
「私も初めて飲みましたが美味しいですね!」とうちの父。
なんかそれで結構双方の父は打ち解けた感じがあった。男の人のこういうのっていいなと少し思う。
「冬ちゃん、うちの冷蔵庫の勝手を知ってるみたい。私、氷とかあったっけ?と考えてしまった」
と政子の母。
「私、冬にいつも御飯作っててもらったから」
と政子が言うと
「あらあら」
と政子のお母さんは微笑んでいた。
「でも、こんなこと言っては失礼なのは承知なのですが、そうしてると冬彦さん、美少女女子高生にしか見えませんね」
と政子の父は言った。
「いや、お恥ずかしい。こいつ性転換したいなどと言ってますし」
「いいんじゃないですか? タイにはそういう人がたくさん居ましたよ。うちの秘書も凄い美人ですが、元男の子なんですよ。10歳頃から女性ホルモン飲んでて、16歳で性転換手術したらしいです」
「若い内にやりますね」
「タイは徴兵制もあるし、その前に出家もしないといけないから、女の子になりたい子はその前に手術を終えたいみたいですね。そうすると坊さんにも兵隊にもならなくて済むので」
「なるほど」
「日本でも椿姫彩菜さんとか、きれいな方ですよね」
と政子の父は言ったが、うちの父は知らないようだった。
政子が「写真集あるよ」と言って持ってきて見せると
「この人、ほんとに男だったんですか!?」
と驚いていた。
私たちのここ数ヶ月の活動について、双方の親が、お互い情報不足の所が多くあったので情報交換し、分からない点は私やまだ居残ってくれている秋月さんなどに訊き、確認して行った。(政子に訊いても要領を得ない)
秋月さんについては、政子のお父さんは、申し訳ないので帰ってもらっていいですと言ったものの、政子のお母さんが、娘が物凄く頼りにしているようなので、可能でしたらあと数日一緒に居ていただけませんか?と言ったので、秋月さんは結局年内いっぱい一緒に居ますよと言ってくれた。実際この時点では、政子にとって秋月さんの存在は大きかった。秋月さんは家中からカッターなどの刃物を全部撤去し、台所の包丁なども鍵の掛かる引き出しに入れて政子が発作的に自殺したりしないよう、しっかり見ていてくれた。
私や私の父と話したことで、政子の父はかなり軟化した。それで翌日(21日)にふたりで弁護士を伴い△△社を訪れて津田社長と話し合うことになった。話し合いには途中から、○○プロの浦中部長、★★レコードの町添部長も加わり、結局、私たちの親と、△△社、○○プロ、★★レコードの間で、一定の妥協が成立した。
基本的には「暫定契約書」は無効であり、「唐本冬彦と中田政子は△△社と何も契約関係は存在しなかった」が、両者は今後も友好的な関係は維持する、という形を取った。
翌22日(月)。朝から友人の由維と若葉、更にもう1人の子が《◎◎女子高校》の制服姿で私の家を訪問してくれた。若葉は美しい栗色の髪に軽い天然パーマが掛かっていて、彼女はしばしばこの特徴ある髪でみんなに覚えられている。
そして30分ほどして、3人の少女が家から出てくる。すかさず記者が寄ってきて
「ケイさんのお友だちですか? ケイさんどんな様子でした?」
とインタビューを試みるが、由維は
「特にお答えする内容はありません」
とだけ言って、3人はそのままバス停の方へ歩いて行った。
由維・若葉と一緒に家に来てくれたのは実は有咲で、有咲の従姉が◎◎女子高校出身でまだ制服を持っていたので借りてきたのである。
そして、由維・有咲と一緒に出て行ったのは若葉の制服を着た私だったのである。
若葉が私の身代わりに家の中に残ってくれる。私は昨夜の内に若葉と同じような色の髪に染め、髪をたくさんのカーラーに巻き付けて寝てカールを付けておいた。それで私の高校とは違う学校の女子制服だし、記者たちはてっきり入って行った子がそのまま出てきたと思ってくれたのである。
私はこの後、この手法で度々外出することになる。カーラーでは取れやすいので1週間後に髪を傷めるのは承知でパーマを掛けてもっと若葉とそっくりにしたが、由維たちが入って行き、また出てくる風景は毎朝普通にやっていた(入れ替わらずそのまま若葉が出て行く日も多い)ので、その内記者たちは何も声を掛けなくなった。
「裏口とかからこそこそと出て行こうとしても見つかる。堂々と玄関から出てくればかえって問題無い」
という若葉の提案に乗ったのであった。
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