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■夏の日の想い出・港のヨーコ(11)

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ところで2月2日に話を聞いた80社の中に∴∴ミュージックと△△社は入っていなかったが、畠山社長と津田社長からは「当然獲得を目指す」ということを言われていた。それ以外の、以前から私と関わりのあったプロダクションは参戦していない。
 
ζζプロは看板歌手の松原珠妃が私を自分の所からデビューさせることを拒否しているので参戦せず。$$アーツはAYA, &&エージェンシーはXANFUSを抱えていて各々競合するので参戦せず、§§プロはこの時期、移籍問題で揉め事が起きていて、そちらに手が取られており参戦できず。そして○○プロは「きっと△△社が君たちを獲得するだろうし」と言って、また共同プロデュースすれば良いという姿勢で直接の獲得には参戦しなかった。そして獲得に参戦していない故に○○プロは自由に私達と接触することができた。翌年私達がUTPと契約するまで私達は実際、★★レコードの町添さんと、○○プロの丸花さんの指示で動いていたのである。
 
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そういう訳で私達の獲得を目指して争う事務所は17社であった。(これが1年後までに、△△社・∴∴ミュージック・##プロの3社に絞られていく)
 

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手紙を書き終えて木曜・金曜はひたすら寝て体力を回復し、次の週末2月7-8日は札幌と福島であった。私はこの時期は父が仕事が忙しく金曜の朝から月曜の夕方まで会社に行きっぱなしになっているのをいいことに泊まりがけで出かけて行った。母が
 
「あんた、歌手活動を自粛すると言っていた気がするけど」
と言うが
「伴奏の仕事だよ〜」
と言って私は出かけて行く。実は先週までは「ステージ上で歌わないでね」と言われていたのだが、今週からは丸花さんから「歌っても良い」と言われていた。要するに2月2日の交渉解禁日までは、停めておいたということのようであった。
 
「それにあんた女物の服を持って出かけてない?」
「出かける時はスカート穿いてないよ」
 
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そんなことを言って私は「どう見ても女の子のパンツルックにしか見えない」
ような格好で家を出て、奈緒の家で普通のスカート姿に着替えると羽田へと行った。
 
でも11日の名古屋からは
「私がスカート外出許可出すから、うちからふつうの格好で出かけなさい」
と母が言ってくれたので、私は普通に女学生っぽいセーターとスカートにハーフコートといった出で立ちで出かけるようになった。
 

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この時期は記念日続きなので、今回のKARIONのライブでは色々無料配布品も設定していた。2月14日バレンタインの岡山公演では1口チョコレート、3月3日雛祭りの「女子限定ライブ」ではミニ菱餅、3月6日「弟の日」の「男子限定ライブ」では雛あられを配っている。
 
3月7日(土)。この日は久しぶりに《まともに》政子の家を訪れた。朝8時に普通に自分の家の玄関から出て、タクシーでいったん絵里花さんのお父さんがやっているケーキ屋さんに行き、まだ開店前だが頼んでいたケーキを受け取り、それから政子の家の前でタクシーを降り、玄関から家の中に入った。堂々と出入りしたのは、最初の報道があった翌日以来である。途中2度訪問したのは忍び込みであった。
 
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私が純粋に女の子っぽい服で訪問したので、一瞬お母さんは私を認識できなかった感じであった。ここまで2度夜中に訪問した時は忍者みたいに黒尽くめの衣装だったし、2月頭に学校の校長室で会った時は私は学生服である。
 
「そうしてると普通に女の子に見えちゃう」
と政子さんのお母さん。
「そりゃ冬は女の子だもん」
 
お母さんが紅茶を入れてくれて(政子はこういう時に動く気は無い)、一緒にケーキを食べながら、年末以来のことをあれこれ話したが、その後、お母さんが「2時間ほど出かけてくる」と言って外出し、私達をふたりきりにしてくれたので、私達はその日、インサートこそしなかったものの、本当に激しく愛し合う感じの睦み合いをした。でもそれによって、私達の絆はまたしっかりしたし、政子の精神力もまた回復した感じであった。
 
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1月末に伊豆のキャンプ地に行き、KARIONのライブを見た日、政子は「1000年くらいしたら、私ステージに復帰する」と言った。でも、この日を境に政子は「500年くらいでいいかな」と言い出した。政子の時間感覚は指数関数的な気もする。
 

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「そうそう。こんなの取っちゃった」
と言って政子は封筒に入った書類を見せてくれた。
 
「診断書? う・・・・これは!」
 
それは政子の処女膜が完全に残っていることを診断したものであった。
 
「念のためって2ヶ所の病院で取ったんだよ」
と言って、もう1枚も見せてくれる。
 
「恥ずかしかったぞ。でもこれで万一百道良輔がごねて裁判になったらこれを提出すればいいから、今日は私、処女を捨てていいよ」
 
「えーっと」
「お母ちゃん帰ってくるの、お昼頃だろうから、まだ1時間くらい時間がある」
「ごめん。ボク本当はもう立たないんだよ。精子も無くなっているし」
 
「それは11月にも言ってたね。でも精子無いなら、生で入れても大丈夫だよ。多分。立たないのは、何とかすれば立つと思うけどなあ」
「ボクは別にいいから、政子が気持ち良くなるようにしてあげるよ」
「うーん。まあいいか」
 
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ということで、私達の睦みごとは続いていった。おちんちんが無いのなら指でもいいから入れてと言われたが、遠慮しておいた。
 

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最後はふたりとも眠ってしまった。部屋の戸がノックされて
「トンカツ買ってきたけど食べる?」
というお母さんの声。
 
それで服を着て居間に出て行った。山のように積み上げられたトンカツを見て政子が嬉しそうにする。私はそれを微笑みながら見ていた。政子が凄く満足そうな顔をしていたので、今日こそは私たちセックスしたと思われているよなと思った。
 

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13時すぎにタクシーを呼んで、政子の家を出た。最寄りの中央線の駅まで行く。特快に乗って東京まで行き、山手線で浜松町、そしてモノレールに乗って羽田まで行く。私の分のチケットまでチェックインして待ってもらっていて望月さんと一緒に15:20発の富山行きに乗る。16時半に富山空港に着き、タクシーに乗って17時頃、会場に入った。この日はKARION富山ライブである。
 
私が楽屋に入っていくと、和泉がじっと私の顔を見た。
 
「な、何か付いてる?」
「冬、マリちゃんと、やっちゃったでしょ?」
と和泉は言う。
 
「えっと、そのあたりはプライバシーということで」
 
「あれ?でも冬はもうおちんちん付いてないのでは?」
と小風。
 
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「レスビアンだよね?」
と和泉。
「えっと、友だちだけど」
「何を今更」
 
でもその日は私のピアノの音は《なまめしかった》と言われた。
 

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この日はこのまま富山に泊まり(「マリちゃんが居なくて寂しくない?」などとからかわれた)、翌日サンダーバードで移動して京都公演をする。そして翌週3月14日の横浜公演が今回のツアーの最終日だった(15日の日曜日からは音源製作が待っている)。
 
この日はホワイトデーなので『恋のクッキーハート』にちなんで、ハート型のクッキーを入場者全員(男女よらず)に配布した。
 
公演前に楽屋でおしゃべりしていた。
「怒濤のツアーも今日で最後か」
「始まる時は、いっぱいあるなと思うけど、最後になると寂しいね」
「次のツアーは多分ゴールデンウィークくらい」
と畠山さんは言う。
 
「でも洋子が横浜で演奏すると、港のヨーコ・ヨコハマだな」
とだじゃれが好きな小風が言った。
 
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「その後、横須賀でも演奏したら完璧だね」
などと言っていたら、私の携帯に着信がある。
 
ドリームボーイズの蔵田さんだった。
「洋子、今横浜だよな?」
「はい、そうです」
「じゃちょうどいいや。そちらの公演が終わったら横須賀に来て」
「何か仕事ですか?」
「まあ来れば分かるから」
 
ということで、私は公演後、打ち上げをパスして横須賀に向かうことになった。小風が
「やはり、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカになった」
と言って喜んでいた。
 

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私が横須賀に着く頃、蔵田さんからメールが入り、猿島行きの連絡船に乗る。夏なら海水浴客などもいるのだろうが、今の季節は釣人っぽい人が数人乗っているだけである。桟橋の所に蔵田さんが居て「こっち来て」というので付いて行く。映画にでも出てきそうな要塞島という感じだ。でも季節がらか全然人が居ない。まさか人気(ひとけ)の無い所でレイプされたりはしないよな?と一抹の不安を感じながらも一緒に歩いて行くと、やがて展望台に出た。そこに居るメンツを見て戸惑う。
 
「お早うございます」
と、とにかく挨拶する。
 
「やあ、お早う」
 
蔵田さんの所属事務所$$アーツの前橋社長、松原珠妃の事務所ζζプロの兼岩会長、○○プロの丸花社長、そして★★レコードの松前社長、という面々だった。
 
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前橋さん以外は、普段あまり表には出てこない人たちである。松前社長とはこれまで何度か挨拶を交わした程度だったが、町添部長と一緒にローズ+リリーのことをあれこれ気遣ってくださっていたようである。
 
「あのぉ、何かの密議でしょうか?」
「そうそう、悪いことの相談」
と言って丸花さんが笑う。
 
「冬ちゃんたちさ、今たくさんのプロダクションから勧誘されてるでしょ?」
と松前さんから訊かれる。
 
「現在10社です。勧誘初日に17社に絞らせて頂きましたが、各々と話をして、こちらのコンセプトを理解してくださる所として、その10社が残っています」
 
「冬ちゃんさ。いっそ自分たちの事務所を作っちゃいなよ」
と松前さんは言った。
 
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「へ?」
「君たちの交渉解禁日にプロダクションのスカウトさんたちに配った問診票を見たけど、専属契約か委託契約かという項目があったよね」
 
「はい。丸花社長の前でこういうことを言っては申し訳ないのですが、無効になった『暫定契約』は専属契約だったので、こちらの体力・精神力を遙かに越える仕事をするハメになって。あれでかなりマリが消耗してしまったので。その点をある人に相談したら、委託契約にして、こちらに仕事の裁量権を留保しないと、またそうなるよと言われたので」
 
「それは津田アキさん?」
「すみません。具体的な名前は勘弁してください」
 
「まあいいや。でも委託契約にするということは、やはり君たちの事務所が無いといけないでしょ?」
 
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「あ、そうか」
 

「原盤権のことも問診票にはあったよね。この業界、原盤権での揉め事は多いからね」
「はい。私は勝手に編集されたベストアルバム程度なら問題にしませんけど、あまりにも自分たちの考え方と違うアルバムとか勝手に売られても嫌なので、できたら、自分たちの所で留保したいと。レコード会社などと共有する場合でも、半分以上はこちらが資金を出して、代表原盤権をこちらに置いておきたいなと」
 
「代表原盤権なんて難しい言葉を知っているというのは絶対誰かに入れ知恵されている」
 
「あははは」
 
「でも原盤権を所有したいなら、そのための音楽出版社を設立した方がいい。それで著作権と原盤権をまとめて管理する」
「ああ」
 
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「だけどローズ+リリーの制作には億単位のお金が掛かるよ。それ全部自分で出せる?」
 
「まあ、できる範囲で制作すればいいかな、と。最初はTVスポットとかも無しで、youtubeとかにPVを流す程度の宣伝で」
 
「蔵田君は楽曲制作の協力費として、どのくらい払ってるの?」
「作曲印税・作曲著作権使用料の10%を洋子に、5%ずつを樹梨菜と大守に払ってます」
と蔵田さんは私達の作曲作業の分配金について説明する。
 
「じゃ今までかなりもらっているよね? どの程度貯金してる?」
「蔵田さんから頂いた分は全部貯金しています。もっとも頂いた額の半分は税金で消えていますが。基本的に私の活動費は伴奏とかダンスとかの仕事の報酬でまかなっていて、印税・著作権料の分は全部貯金です」
 
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「偉いな。樹梨菜は貯金ゼロだと言ってたから。国民健康保険が払いきれないなんて泣きついて来たから、こないだ滞納してた2年分まとめて払ってやったけど、お前ブランド物とかも買ったりしてないみたいなのに何に使ったの?と訊いても、無駄遣いしてないはずだけどと言ってた」
 
「まあ、そうなっちゃう人が多いよね」
「彼女の年収があれば国民健康保険は最高額が課せられるから確かに高くて払うのは大変だろうけどね」
「住民税・国民健康保険は前年の収入に対して掛かるから、計画的にお金を留保してないと辛いんだ」
 
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