[携帯Top] [文字サイズ]
■夏の日の想い出・辞める時(12)
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
ひまわりと入れ替わるようにデビューすることになった明智ヒバリは見たところ独特の空気を持っている少女だった。
彼女はデビュー前の挨拶回りと言って、うちのマンションに総マネージャーの田所さんと一緒に来たのだが、その時ちょうど和実と千里も来ていた。そして2人とも言った。
「ヒバリちゃんって、物凄い霊感持ってるね」
「え?そうなんですか?私、テストの勘とかも全然当たらないのに」
と本人は驚いて言っている。
しかし和実と千里は顔を見合わせた上で和実が代表するように言った。
「そういう世俗的な勘ではなくて、もっとハイレベルな霊的素質を持っている。教祖様になれるタイプ」
「わあ。教祖様もいいなあ。私、30歳くらいになって歌手引退したらヒバリ教とか始めてみようか」
などとヒバリが言うと
「それ40歳くらいになってからにして」
と田所さんは困ったように言っていた。
年明けに開かれた○○プロの取締役会で、保坂早穂さんが特に発言を求め、ローズクォーツの営業成績問題について詳細な資料を提示して浦中副社長を追及した。浦中さん本人も、あれはどうにかならないか?と思っていたらしく腹心の大宮係長をUTPに副社長として送り込んできた。
そして大宮副社長・私・タカの三者会談で、私はとうとう正式にローズクォーツを離れることになった。ただし実質的な「名誉ボーカル」という形で、籍だけは置いておくことにした。
今後は年に1度くらいゲスト的にボーカルとして参加するも、制作やライブなどにも一切関わらず、ローズクォーツの営業と制作に関しては大宮さんが直接指揮を執ることになった。
2010年6月にマキ・タカ・サトと引き合わされて、ローズクォーツを結成して以来3年半のおつきあいになったが、実際には音羽や浜名たちに指摘された通り、実際の私のローズクォーツでの活動は結成1年後の2011年の6月の東北地方避難所の絨毯爆撃で実質終了しており、その後は、半ば名ばかりのボーカルであった。
私がローズクォーツを離れることになったので、このあと実質バンドの音楽面を統括することになるタカをマンションに呼んで、その日はビールやウィスキーを飲みながら、ピザとかチキンとか食べながら、ゆっくりとお話をした。途中でサトも呼び出して、私と政子とタカ・サトという4人の会話になった。
「ヤスさんやマキさんは呼ばなくていいの?」
と政子が心配するが
「ヤスは実際問題としてケイはとっくの昔にローズクォーツを辞めていると思っている」
とサト。
「うん。当初はサポートメンバーということにしていたのを、ほぼ1年前の2012年11月から正式メンバーになってもらった。その時、2013年はローズ+リリーのライブを年間6回やりますと発表している。その時点で自分は脱退するケイの代わりに加入することになったんだと思っていると思う。だから、こういう話をするのは今更」
とタカ。
「マキの場合は、ケイが辞めたと知ると、自分が頑張らねばと考え込みすぎて自滅しかねん。だから当面放置でいい」
とサトが言っている。
「でもすぐ知ることになるのでは?」
と政子が言うが
「いや、マキはたぶんケイがやめたことに30年くらい気付かない」
とタカは言っていたが、実際にそうなった!
信子の性別訂正(性転換手術に伴う変更では無く半陰陽なので訂正ということになる)は、問題無く認められ、信子は2014年2月4日(火・立春・大安)付けで戸籍上女性となった。同時に信一から信子への改名も認められている。
通知を受け取った信子はすぐに運転免許証を書き換えた。運転免許試験場に行き、性別変更届けを書いたが、こういう書類が試験場に置いてあるなとは以前から思っていたものの、自分がそれを書くことになるとは思いもよらなかった。
その日の内に女の写真で鹿島信子の名前になっている免許証を発行してもらったが、それを手にして、信子は
「ほんとにぼく、女の子になっちゃったんだなあ」
と独り言を言った。
信子は人前では意識して「わたし」とか「あたし」と言っているものの、実はまだ個人的には「ぼく」という自称の方が出やすい。
しかし千里に言われたように、12月12日の28日後の1月9日に2度目の生理、そして更に28日後の2月6日に3度目の生理が来て、本当に女としてのサイクルができていることが明確になった。次は恐らく3月6日頃来るのだろう。
信子は免許証の氏名変更・再発行の手続きが終わると、すぐにパスポートの申請をした。
実はデビューと同時にリダンダンシー・リダンジョッシーの写真集を発売しようということになったのである。性別の微妙な信子の女らしい写真を提示することで、信子が本当に女の子であること、そしてこのバンドが《色物》ではない正統派の音楽ユニットであることを強調しようというζζプロ側の戦略なのである。この写真集作成の話は年末に新社長になった観世さんの提案らしい。
他のメンバーもパスポートの申請をしており、全員のパスポートが揃ったら大学の春休みを利用して3月頭にグァムに行き、数日掛けて写真の撮影、そしてデビュー曲のPVの撮影もしようということであった。
なお、メンバーは全員2月末までに現在している仕事やバイトを辞めることになっている。3月からはζζプロから暫定的に税込み月15万(手取り約12万)の給料が支給される。1人だけ正社員をしていた菊代がどうしても2月では辞められず新入社員が入ってくる直前3月20日付けの退職ということになったが撮影期間中は有休をもらえることになった。
千里は1月下旬、40 minutesの共同設立者である河合麻依子(旧姓溝口)・秋葉夕子とともに、東京都クラブバスケットボール連盟の事務局を訪れ、新しいチームを作ったので加入したい旨を伝えた。
「えっと、男子ですか?女子ですか?」
「女子で〜す」
「コーチ、それから公認審判の方はおられますか」
「はい。そろえました」
「加盟料がチームに対してこれだけと、選手、コーチに対して1人あたりこれだけ掛かりますが」
「はい。問題ありません」
「ちなみに選手は全員女性ですよね?」
「本人が女性だと言っているし、見た目は微妙な人もいますが、たぶん女性です」
「過去に性別検査受けさせられた子が数人いますが、全員ちゃんと女性と判定されました」
「その後性転換した人はいないはずです」
秋葉夕子はそもそも江戸娘の創立者でもあり、クラブの登録手続きをするのは2度目になるので、何をそろえればいいかが分かっており、登録用の書類に全く不備が無かったので
「さすがですね!」
と事務局の人から感心されていた。
「では東京都協会の承認を取って問題が無ければ一週間程度以内にそちらに加入コードをお知らせしますので、それで3月10日以降にTeam JBAのシステムからチームと選手、スタッフの登録をお願いします。その後加入料・年会費をコンビニ等でお支払いください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「Team JBAの使い方は分かりますか?」
「はい。大丈夫です」
「今登録してしまうと今年度の会費が掛かってしまいますから、来年度からでよければ3月10日以降でお願いします」
「分かりました。ありがとうございます」
2月12日(水)。信子は1年弱住んだ葛西駅徒歩20分の築45年のボロアパートから、ζζプロで確保してくれた新小岩駅から歩いて5分の築15年のオートロックマンションに引っ越した。家賃は事務所が負担してくれる。
(実は運転免許証にはこの新しい住所を先行して登録した。結局信子はこの短期間に、名前と性別と住所が変わった。まるで別人になった気分であるが同時にこれだけ変えると、本人確認の書類が結構大変で弁護士さんにも随分助けてもらった)
荷物は大したことないので、軽トラを借りてきて運んだ。実は8人中5人が引越になったので(既にオートロックのマンションに住んでいた花純と小枝&三郎以外の5人)、共同で軽トラを借りてきて、お互いに協力して1日で5人の引越を終えた。
小枝と三郎の姉弟が暮らすマンションでお疲れ会を開く。ここだと充分な食料があるという事情もある。
「しかし疲れた〜!」
「5回引越やったからね〜」
特に重たい家具などは、男性3人が頼りなので(もとより信子は非力だし、女の身体になってから筋力が大きく低下している)、この3人はクタクタになったようである。
「まあビールでもと言いたい所だけど未成年飲酒は固く禁止だって、しつこく言われたからね〜」
ということでサイダーで乾杯した。
「でもどうせなら全員同じマンションなら楽なのに」
「それ万一熱狂的なファンができたりすると危険だから」
「でもだいたい近くに集まっている」
「正隆のマンションがわりと中央付近にある」
「うん。俺の所に全員が集まりやすいようにと配慮してくれたみたい」
「男女が分離されている気もする」
と地図をあらためて見ながら言う。
「私のマンションが緩衝地帯になってるのかも」
と信子。
「うん。北側から順に清史・正隆・信子と並んでいて、信子の南東に詩葉、南西に菊代のマンションがある」
「確かにこの5人は集まりやすい」
「マサちゃんのマンションと信子のマンションが駅をはさんで南北にあるから、疲れていて自分ちまで帰るのが辛い時は、キヨちゃんはマサちゃんのマンションに、詩葉と菊代は信子のマンションに泊まっちゃうといいかもね」
「女子のマンションには男子メンバーの立ち入り禁止って言われたから、それが無難なパターンかもね〜」
信子は2月28日(金)の勤務で、バイト先の居酒屋を退職した。仲の良い数人の同僚たち(男子2人女子5人!)に送別会をしてもらったが
「いや11月中旬の休みから復帰した時に、なんか妙に色気があるなと思ったんだよねえ」
「香料の匂いがするけど、お化粧とかしてるのかなあとか思った」
「こんなに可愛くなっちゃったら、デート申し込みたいくらいだと思ったけど歌手デビューするんなら、きっと人気出るよ」
などとこの日は随分おだてられた感じもあったが、信子は気分が良かった。
グアム行きは土日を避けて3月3日(月)の昼前成田発の便で出発することになり、3日朝8時に成田空港現地集合ということになった。
それで前日2日は美容室に行き旅の荷物の準備などをする。女としての海外旅行というので少し不安があったので、荷物を小枝さんにチェックしてもらった。
「下着はあと5セットくらい増やしていい」
「そんなに〜?」
「その日の気分で色々着たくなるから」
「そっかー」
「ナプキンが必要なんだっけ?」
「だって生理あるもん。前回2月6日だったから、次は3月6日になりそうなんだよね」
「へー!生理まであるって凄いね」
と小枝さんは何だか感動?していた。
明日は体力使うだろうから早めに寝ようと思い、お風呂に入って8時頃寝た。自宅にお風呂があるっていいなあ、と信子は思った。結局、電車に乗っての銭湯(女湯)通いは11月下旬から2月上旬まで3ヶ月弱続いたが、その間に早紀には10回くらい会い「よく会うね〜」と言い合った。
バンドでデビューの話が進んでいることも話したが、
「いいなあ。私も歌手やりたいなあ」
などと言っていた。
「早紀ちゃん、歌うの?」
「シンガーソングライターになれたらなあと思ってるんだよ」
「凄い。曲も書くんだ?」
それで2度ほど、お風呂の後で一緒にカラオケに行ったが早紀は本当に歌がうまかった。自作曲を見せ合ったが、お互いかなり刺激になった感じである。
「うちの事務所の人、紹介しようか?」
「今の自分の作品ではただの歌手にされそうだから。もう少し作品を洗練して作りためてから売り込んでみるよ」
「うん。頑張ってね」
夜12時頃目が覚めた。
あんまり早く寝たからかなあと思う。8時に成田に着くためにはこのマンションを5時半に出ればいいはずである。もう一眠りした方がいいと判断する。取り敢えずトイレに行ってから寝直すことにする。
それでトイレに行き、パジャマのズボンを下げ、ショーツを下げて便器に座る。
おしっこをするが、その時、物凄い違和感があった。
ん?
と思って自分の股間を見た時、信子はそこにとんでもないものを見た。
「え〜〜〜〜〜〜!?」
と声を挙げたまま、信子は数分間思考停止してしまった。
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
夏の日の想い出・辞める時(12)