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千里2は5月22日は、10時頃起きて彪志のアパートに出かけて行った。桃香も早月も寝ていたので、それを起こさないよう、できるだけ音を立てないようにして青葉の誕生会の準備を始める。
作業をしている時にアマゾンからの荷物(千里3が送ったシャンパン)が届く。これも他の人に見られると話がまた面倒になるので、自分の車に移しておいた。
12時頃、仮眠していた桃香が目を覚ますので、一緒にお昼ごはんを食べる。その後料理の下ごしらえの続きをしていたら、14時頃、朋子と青葉がやってくるので、千里2は料理の続きは朋子に任せてケーキやシャンパンを買ってくると言って出かけた。
ルミネに行って、不二家で予約していたケーキを受け取る。千里1は商品券を送ったつもりでいるが、実際には《きーちゃん》の介在でケーキ自体を予約しておいたのである。
それからサイダーやお茶なども買ってから帰った。この時、朝受け取っていたシャンパンも一緒にアパートに持ち込んだ。ついでに千里1が書いたバースデイカードを青葉に渡した。
18時頃から青葉の友人たちがやってきて、やがて彪志も帰宅するので、19時にお誕生会を始めた。
千里2は最近関女リーグ(関東大学女子バスケットボール・リーグ)で活躍中の奈々美に声を掛け、もしユニバーシアード代表とかに呼ばれたりしたら、どんどんスリーを撃つといいというアドバイスをした。
20時半頃、朋子が帰るというので千里も一緒に抜け出し、朋子を経堂まで送って行った。21時半頃到着し、千里は車を経堂に駐めたまま、アメリカに転送してもらって、日本時間の22-25h(=5/22 9-12h EDT)にスワローズの練習に参加した。その後、日本に戻してもらって、また深川の体育館で自主的な練習を3時間ほどする。
千里2のいつもの日常である。
一方、千里1は5月22日に合宿所での日本代表練習が終わった後、早めに仮眠を取って0時頃起き出す。そして夜通し『縁台と打ち水』の最終調整を行った。この楽曲は18日には《たいちゃん》がスコアを作り上げてくれていたのだが、その後自分の手で微調整を掛けていたのである。
明け方2時間ほど仮眠して、その後再度見直してから、冬子の所に送信した。これが“千里”が書いた《3曲目》である。
22日の夜は、青葉の友人たちが結局泊まり込んだので、彪志は台所の隅で小さくなって寝ていた。朝起きてきた青葉に朝御飯とお弁当まで作ってもらって会社に出て行く。お弁当を作ってあげたら、彪志は凄く喜んでいた。
青葉の友人たちも8時を過ぎると起きだし、10時頃までには全員退去。青葉自身も冬子との約束があったので、さいたま市内の料亭に出かけて行った。
それで桃香と早月だけが残ったのだが、11時頃、合宿所を抜け出して来て千里1がやってきた。
「ああ、青葉は出ちゃった?まだいたら、誕生日おめでとうを直接言いたかったのに」
などと言っているのは、もう桃香は気にしない。
「いよいよ明日からヨーロッパだけど、桃香も早月ちゃんも安定しているみたいだから大丈夫だよね?」
「まあ大丈夫だと思うけど」
桃香は“千里の病気はなかなか治らないようだ”と思っている。
「じゃ何かあったら連絡してね。日本とヨーロッパじゃ昼夜逆転しているからかえって夜中に何かあった時に私動けるかも」
「確かにね」
「お土産何か欲しいのある?」
「そうだなあ。スペインならアリオリソースでも」
それで千里1は合宿所に戻っていった。
(経堂のアパートで寝ていた)朋子は13時頃、(冬子と会っていた)青葉は14時頃、彪志のアパートに戻って来て、ふたりは一緒に新幹線で高岡に帰還した。千里2はこの日は桃香の所には行かず、翌5月24日にいつも通り午後から大宮にやってきた。
桃香は青葉経由で、冬子から早月の誕生祝いに100万円もらったことを言い、お返しはどうすればいいだろうと尋ねた。
「あとで早月ちゃんの写真撮って、それをプリントして、お礼状と、商品券を1万円分くらいでも入れて送ればいいよ」
「100万円のお返しが1万円でいいの?」
「冬子はお返し無しでも気にしないだろうけどね」
「ところで青葉が、入院費が100万円くらい掛かったんじゃないかと言ってたけど」
「さすがにそんなには掛かってない」
「そうか。良かった」
「実際には82万円くらいだよ」
「そんなに掛かったの!?」
「出産一時金の42万円と追加給付の10万円が出たのを私にくれない?あと30万は私が持つから」
「すまん。でもこの100万円はどうしよう?」
「桃香、ショッピングローンの残高をそれで精算したら?」
「そうするか!」
5月31日、東アジア選手権に出る男子代表12名が発表されたが、貴司の名前はそこには無かった。千里2は貴司に電話して
「残念だったね。また頑張ろうよ」
と言った。
「うん。やはり実力が足りなかったかなあ」
と貴司が言うので
「貴司に足りないのは、練習だと思う。特にハイレベルの練習。貴司、マジで、今の会社やめてBリーグに行きなよ。貴司なら絶対取ってくれるチームあるよ」
「でも今の会社に恩があるし、今僕は主将でもあるし、辞めるに辞められない。それにBリーグの給料では生活が成り立たない」
「それとも性転換して女子のWリーグに来る?」
「なんでそうなる!?」
「でもそちらの会社、かなり崩壊寸前のような気がするよ。経済的な問題なら、取り敢えず今のマンションは出て、もっと安いアパートとかに引っ越した方がいいと思う」
「そうだなあ」
「最悪、私が経済的に支援するよ」
「さすがにそういう訳にもいかないし・・・」
貴司としても結婚しているのに他の恋人から経済的な支援を受けるというのは罪悪感を感じるだろう。まあ罪悪感を感じるなら離婚して私と結婚してくれたらいいんだけどね!と千里は思う。
貴司の会社は2006年に若い社長が就任してから、バスケット部にテコ入れをしてくれた。大阪の3部リーグにいたのが、2007年に船越監督を招請。同年3部で優勝して2部昇格。2009年には2部で優勝して1部に昇格した。貴司が加入したのは2部にいた2008年である。この社長のもとでMM化学は会社の営業成績も以前の5倍に成長していた。
しかし2014年にまだ50歳だった社長が急病で倒れ執務不能になる。後任の社長(前社長の叔父)は大口の契約の更改にいくつも失敗。就任半年で営業成績を半減させて解任される。その後、銀行から送り込まれてきた社長が何とか建て直すものの、バスケ部の予算は削減され、スポーツ手当も大幅に減額された。
2015年春には大規模なリストラが行われ、高倉部長も退職して地元の千葉に戻る(翌年春、ローキューツの運営会社社長に就任)。そして2016年1月には船越監督も辞任した。チームの主力選手も次々にリストラの対象となり、結果的に貴司は主将兼アシスタントコーチに就任した。貴司はC級コーチライセンスを持っており、船越監督の後任の監督はD級しか持っていないので上位の大会に出るには実は貴司の存在が必要だ。もっとも今のチームの状況では上位の大会は望むべくもない。2016-2017シーズンでは1部で7位になり、入れ替え戦に出る羽目になった。何とか2部2位のチームに勝って1部残留を決めたものの、もう来期はヤバいのではという雰囲気だ。
千里は、貴司が今回落とされたのは、その自分のチームの成績の問題もあるのではという気がした。
5月10日の出産以来、ずっとさいたま市大宮の彪志のアパートに滞在していた桃香と早月は、6月10-11日の土日を使って、世田谷区経堂のアパートに移動した。移動の際は千里2がオーリスを持って来て、彪志のフリードスパイクと2台で荷物を運んだ(この時期、千里1はヨーロッパ遠征中である)。
「久しぶりだけど、かび臭くもないな」
と桃香は言う。4月16日の晩に赤ちゃんが暴れて区内の産婦人科に駆け込んで以来、約2ヶ月ぶりの我が家である。
「まあ結構私が使っていたからね。こないだはお母さんも来てたし」
「そうか!母ちゃんがここに来たんだ。やばいもんは見つかってないかな」
「今更だと思うけど」
ヨーロッパに遠征している千里1はスペイン(5.24-29), マケドニア(5.30-6.05), セルビア(6.06-6.11)と移動しながら小さな大会などにも出て、次の便でモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港経由で帰国した(ベオグラードと成田の間には直行便は無い)。
BEG 6/12 13:20(SU2091 737-800WL)17:15 SVO (2:55)
SVO 6/12 19:00(SU260 A330-300) 6/13 10:35 NRT (9:35)
千里1は解団式を終えてから13日の夕方、経堂のアパートに戻った。
「桃香ずっと放置していてごめんね!」
と言って桃香にキスする。千里から桃香にキスするというのは、わりと少ない。
「うん、まあ大丈夫だよ」
と桃香は言う。ホントに“病気”は深刻だなあと桃香は思う。
「これマドリードで買ったアリオリソース、スコピエ(*1)で買ったチョコレートだけど、よく見たらメイド・イン・ハンガリーと書いてあった。ごめん。それとベオグラードで買ったミントティーのセット。これは間違い無くセルビア産っぽい」
桃香はどこまでが現実で、どこまでが千里の頭の中の夢の世界なのか分からんなあと思ったが、取り敢えず話を合わせておいた。
「千里、この後はどこか行くの?」
「18日からまた合宿が始まるんだよ。その後インドに行ってくるから。今年の海外遠征はそれで終わりの予定」
「了解〜」
(*1)旧ユーゴスラビアが解体されてできた国(の2017年現在)の名前と首都は下記。
マケドニア共和国(スコピエ)
セルビア共和国(ベオグラード)
スロベニア共和国(リュブリャナ)
クロアチア共和国(ザグレブ)
ボスニア・ヘルツェゴビナ(サラエボ)
モンテネグロ(ポドゴリツァ**)
コソヴォ共和国(プリシュティナ)
(**)モンテネグロの首都は憲法上はツェティニェだが、議会と政府機関はポドゴリツァに設置されていて、ポドゴリツァが事実上の首都である。但し大統領府だけはツェティニェに置かれている。ポドゴリツァはモンテネグロの経済の中心地でもある。
モンテネグロという日本名はイタリア語(正確にはヴェネチア語)のMontenegroからの音訳と思われる。モンテネグロ語ではツルナゴーラ。黒い山という意味。
ベオグラードはかつてのユーゴスラビアの首都である。
「マケドニア」という名の使用に関して、元々のマケドニア地域の約半分が所属するギリシャが強行に反対しており、同国他、マケドニアという名前を認めていない国では「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という暫定名を使用している。
サラエボは第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件(1914.6.28)が起きた地であり、1984年には冬季オリンピックが開かれた地である。この当時はユーゴスラビアであった。
コソヴォの独立を認めていない国は「コソヴォ・メトヒヤ自治州」と呼称し、セルビア共和国の一部とみなしている。セルビア共和国自身、コソヴォの独立は認めていない。
セルビア共和国にはヴォイヴォディナ自治州というのもあり、独自の憲法や議会・政府を持っているが、現状では独立の動きは無いように見える。
千里2は千里1が帰国した翌6月14日、《きーちゃん》から《すーちゃん》経由で確保してもらっていたセルビアのラキヤ(果実酒)とお菓子を持って、冬子のマンションを訪ねた。
「昨日帰国したけど、アルバムの進捗状況どう?」
と尋ねると、悩んでいるようである。
「実は・・・」
と言って見せられたのが、青葉と七星さんが書いた“ケイ風の曲”である。見せてもらって、やはり想像した通りだと千里は思った。
「ケイになりきってないなあ」
と言って苦笑する。
青葉と七星さんに電話して、この楽曲をこちらで改訂させてもらうことの了承を取った。そして千里2がこの2曲の譜面とCubaseのデータを持ち帰った。
そして2日間掛けてこれを「ケイ色に染める」作業をした。
6月16日に再訪する。
「これだと本当に私が作ったみたいだ」
「こういうのは要領があるんだよ。長年ゴーストライターやってた人にしかできないかも知れないけどね」
と言って千里2は微笑んだ。
これでケイは「ケイ作」の楽曲を自身の本当の作品3曲を含めて7曲確保できたことになる。