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お産はかなり進行している。青葉と朋子が桃香の手を握って励ましていたが、やがて千里3が朋子と交代し、青葉と千里3が手を握る形になった。
出産を直接介助する場所、桃香の左側のお股付近には若い助産師さんが居るが、経験が浅いようで心細そうな顔をしている。そこで千里は傍に寄ると「任せて」と言って、その位置に自分が入った。
「はい、いきんで」
と桃香に声を掛ける。
そろそろ11時になる。千里2は分娩室の隅で不可視の状態で待機している《つーちゃん》に時報と同時に彼女に預けている自分の携帯のストップウォッチを押してくれるよう頼んだ。
赤ちゃんは少しずつ産道を進んでいる。
そしてとうとう赤ちゃんの頭が出てくる。千里2は「いきむのはやめて。短い呼吸に切り替えて」と桃香に声を掛ける(この段階でいきむと、赤ちゃんが一気に飛び出して膣口が激しく裂けるため)と、手を使って補助し、赤ちゃんの身体をできるだけ抵抗が少ないように姿勢制御しながら、外に出してあげた。
実はここで千里2の中に《きーちゃん》が入って、助けてあげていたのである。《きーちゃん》は過去1000年ほどの間に数百回お産に立ち会っている。産婆さんが間に合わずに彼女が取り上げた子も数十人居る。もっとも今回は約60年ぶりの出産介助であった。千里の女性眷属の内、若い《すーちゃん》以外の5人は全員出産介助の経験もあるし、自分が出産した経験もある。
(鳥族のすーちゃんはひょっとして卵で産むのだろうか?と千里は訊いてみたことはあるが『ひ・み・つ』と言っていた。天女族のきーちゃんは胎生である)
千里2は赤ちゃんの身体が全部出てきた所で、シートの上に置き、お股を確認した。
お股には何も付いていない。
「女の子ですね」
ともうひとりの若い助産師さんが声を出した。その若い助産師さんが赤ちゃんの身体をガーゼで拭いている間に、千里2は赤ちゃんの外形に奇形などの異常が無いかを確認する。この作業は一緒に居る医師もしているはずである。
《高園》とネームの入ったネームプレートを赤ちゃんの足に装着する。その上で医師が臍帯を結索して切断する。
その次の瞬間くらいに、それまでヒフッヒフッという感じで呼吸をしようとしていた赤ちゃんがとうとう「おぎゃー」という声を出した。部屋の中にホッとした空気が流れる。
その産声が聞こえた瞬間、分娩室の隅にいた《つーちゃん》が預かっていた千里の携帯のストップウォッチを停めた。つまりこの子の出生時刻を計時していたのは実は《つーちゃん》であった。
千里2は赤ちゃんを抱いて支えたまま桃香に抱かせる。桃香は形だけ抱きしめる。とてもしっかり抱くだけの体力はない。そのあと千里2は赤ちゃんを千里3に渡した。
千里3が嬉しそうな顔で赤ちゃんを抱いて撫でている。赤ちゃんはその後、千里3から、祖母である朋子に直接渡される。それを見て千里2は若い助産師さんに「ちょっと向こう見てくるからお願い」と声を掛けて分娩室の外に出た。そして外で待機していた朱音に
「女の子でしたよ」
と告げた。
千里2はそのままさっきの空き病室に入り、助産師の服を脱いで、元の服を着た。この助産師の服は、この病院でいちばん背の高い助産師さん:赤木さん:の服から予め作っておいたクローンである。この服は《つーちゃん》が持ち出して処分する。
やがて《きーちゃん》からの直信に促されて、千里3が分娩室から外に出てきて、桃香の病室に移動する。そして元の服装に着換えた上でフランスに再転送された。
それを見て千里2はまた分娩室の方に戻った。
つまり、分娩室にいる人には、千里がいったん外に出るもすぐ戻って来たように見える。
なお分娩室では、赤ちゃんは千里3が朋子に渡した後、朋子が青葉に抱かせていた。
千里3は、赤ちゃんは桃香の次に自分が最初に抱いたと認識している。
しかし実は赤ちゃんを最初に抱いたのは千里2で、その後、桃香→千里3→朋子→青葉だったのである。
その後、桃香は出産直後に分娩室の中で眠ってしまうという大胆なことをしたものの15分ほどで起きて
「あそこが痛い」
と言う。
「まあ痛いだろうけど、本番は終わったから、あとは傷が治るのを待つだけだね」
と朋子は言っていた。
「実際問題としてかなりの安産だったけどね」
と朋子が付け加えると
「あれで〜〜!?」
と桃香は言っていた。
16時頃、病院の外を焼き芋屋さんの「いーしやーきいーもー」という声が聞こえて通り過ぎていった。
それを聞いた朋子は唐突に言った。
「そういえばお昼食べてなかったね」
すると千里2が言う。
「私が付いているから、お母ちゃんと青葉はごはん食べてくるといいよ」
「そうだね。じゃそうしようか」
と朋子も言い、2人は出て行った。
それを見送るようにして千里は《つーちゃん》に桃香を見ておいてもらい、いったん部屋の外に出て、1階のロビーで休憩した。
千里1はシアトル・タコマ国際空港に現地時刻の21:33に到着した。1週間ほど滞在したテキサス州の時刻に時計を合わせたままの子が多く、その子たちの時計では23:33であり、みんなかなり眠そうであった。
しかし「晩御飯は?」などと言い出す食欲旺盛の子もいる。結局、寝たい人はそのまま部屋で寝て、御飯食べる人は一緒に食べに行こうということになる。
千里1は空を飛んでいる最中に『産まれた』という報せを《きーちゃん》からもらい、更に着陸直後、生まれたての赤ちゃんの写真が桃香のスマホから千里1のiPhoneに送られて来ていた。それで早く1人になって日本に飛んでいきたい気分だったのだが、高梁王子が
「最後の合宿地でもいいゲームができるように前祝いしましょう」
といってかなり強引に千里と玲央美を誘ってレストランに行ったので結局付いていくことになる。
それでやっと1人になれたのは23時(日本時間の15時)すぎであった。それで《きーちゃん》に連絡すると『転送できるタイミングを少し待って下さい』というので、しばらく待機していた。
結局0時(日本の16時)をすぎて少しした頃
『今なら大丈夫です』
というので、日本に転送してもらった。
病院の廊下である。
見ると透明なガラスの向こう側が新生児室だ。
「あそこに寝ているのが桃香の赤ちゃんですよ」
と実体化して《天野貴子》の状態になっている《きーちゃん》が言った。
「わあ」
「だっこしたいよね?」
「うん」
それで《きーちゃん》がちょうど近くを通った赤木助産師に声を掛けた。(赤木助産師は《きーちゃん》を千里の親友・天野さんと認識している)
「ああ、赤ちゃんのパパでしたよね」
と助産師さんが言い、千里1だけ中に入れてくれた。
手で抱っこすると凄く幸せな気分になった。京平に続く2人目の子供である。自分は京平の母親になったが、この桃香の子供については父親になっている。父親という所が少し引っかかるものの、自分の遺伝子を受け継ぐ子の誕生に千里1は感激していた。
5分くらい抱っこしてから新生児室を出た。
「桃香は?」
「病室で寝ているけど、どうする?」
「ちょっと顔だけ見て行こうかな」
「うん」
それで《きーちゃん》の案内で千里1は桃香の病室に入った。すると千里1が入って行った途端、桃香が目を覚ました。
「桃香、頑張ったね」
と千里1が言う。
「ありがとう。千里こそ朝4時頃から赤ちゃん出てくる11時すぎまでずっと手を握ったりお腹さすったりしてくれてありがとう」
と桃香が言う。
千里1が首をひねるが、《きーちゃん》が唇に指を立てて「しーっ」というポーズをする。それで千里1は桃香の記憶が混乱しているのだろうと思い、話を合わせることにした。
「赤ちゃん今どんな感じかな」
と桃香が言うので
「今新生児室でだっこしてきたけど、すやすや眠っていたよ」
「そうか。私も寝せてもらおう」
「それがいいよ。産気づいてからほぼ1日頑張ったもんね」
「うん。なかなか大変だったよ。千里も前産んだ時大変だった?」
「ああ、結構苦労したよ。青葉に助けてもらった」
「今回も青葉がなんかヒーリングしてくれているって感じで助かったよ」
「まあ青葉が自分で産む時は、誰も助けてあげられないけどね」
「その時は私と千里で手を握ってあげよう」
「うん。それがいいね」
千里1と桃香が話している間《きーちゃん》は廊下に居たのだが、この機会に《小春》との交信を試みた。
『謎の男の娘さん、いますか?』
『あなたは・・・貴人さん?』
『去年の春のツアーの時に共同作戦しましたね』
『ええ。あれは結構面白かったですね』
『でも良かった。千里があなたと交信できないといって心配していました』
『ごく近くで鍵を共有している人としか交信できないのかも。千里に呼びかけても気付いてくれない』
『落雷のショックかな』
『私自身、もう余命幾ばくもないのです。実際もう足腰も立たないし。それで力が衰えているから遠くまでは交信できないのかも』
その話はこの正月に聞いていた。小春は本来は千里が12歳の時に死亡する予定だったらしい。それがある事情のために、生きながらえていたのである。
『私は昨年の作業の都合で千里から鍵を預かっていたんですよ。それが生きているみたい。千里に鍵を返します。それで多分交信できるようになりますよ』
『助かる!』
千里と桃香は30分くらい話していたが、千里があくびが出てしまう。
「ごめんごめん」
「いや。千里も疲れたろう。少し寝るといいかも」
「それもいいかな。じゃ桃香もまた寝るといいよ」
「うん。私もまた眠くなってきた。少し寝るよ」
「じゃおやすみ」
「おやすみ」
それで千里が部屋の外に出てきた所で《きーちゃん》は千里の手を握った。
『あっ』
『小春さんの鍵を渡しました』
『小春?』
『良かった。千里!交信できた』
「じゃ転送します」
と《きーちゃん》は言って、千里1をシアトルに転送した。
それが終わると、ロビーで待機していた千里2が病室の所まで戻って来た。
「桃香さん寝ちゃった」
「うん。お疲れ様でした。きーちゃんも寝てて。ずっと起きてたでしょ?」
「うん。じゃ少し寝るから何かあったら、つーちゃんに」
「OKOK」
それで千里2は《きーちゃん》を自分の中に吸収して《気の海》の中で眠らせた。そして病室に入って、眠っている桃香のそばの椅子に座った。
それで青葉たちが食事から戻るのを待っていたのだが、千里2自身もいつの間にかうとうととしていたようである。戻って来た青葉に起こされる。
「ちー姉も私たちと同じホテルに泊まる?」
「あぁ、それがいいかも。ここからアパートまで運転して戻っていて居眠り運転でもしたら怖いし」
「それは絶対危ないよ」
と朋子が言う。
「じゃホテル取ったら部屋番号メールするね」
「うん」