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(C)Eriko Kawaguchi 2016-05-27
2000年7月下旬。
旭川に住んでいた祖父(父の父)十四春が亡くなった。75歳であった。祖父は1年ほど前に脳溢血の発作で倒れ、その後、寝たきりの生活をしていたのだが、その日の朝、息を引き取ったということであった。
十四春はニシン漁が盛んだった頃に留萌で漁師をしていた最後の世代である。尋常小学校を出てすぐに漁船に乗り、戦後間もない頃までニシン漁に従事していた。1950年に祖父が乗っていた船が廃船になったのを機に夕張に行って炭鉱夫を10年ほどやった。しかし坑内事故で怪我したことから炭鉱を辞めて旭川に出、郵便局に勤めた。祖父はそれまでずっと独身だったのが、ここで祖母・天子と知り合い結婚、まもなく千里の父・武矢が生まれた。武矢は祖父が36歳になって得た初めての子供である。その後、弟の弾児も生まれたが、武矢は中学を出るとスケトウダラ漁の漁船に乗るべく留萌に行った。武矢は自分の父の見果てぬ夢を追いかけたのである。
祖父は定年まで郵便局に勤め、定年退職した後、それと入れ替わるように弾児が郵便局員となった。若い頃は北海道の各地を回っていたものの、2年前から旭川市内の小さな郵便局(小さいが特定郵便局ではなく普通郵便局らしい)の副局長をしており、市内の十四春・天子が住むアパートに同居していた。
しかし、2人の息子が、本人の前半生の職業と後半生の職業を各々継いでくれたのは十四春にとっては幸せだったというべきだろう。
亡くなったという報せが入ったのが29日(土)先負で、その日の内に通夜をして翌日30日(日)仏滅に告別式という話であった。
父も漁が休みなので、すぐ旭川に行くことにする。
「私、おじいさんに会ったことなかった」
と玲羅が言った。
「小さい頃に一度会わせてるよな?」
と父が言う。
「うん。でも覚えてないかもね。去年倒れた後もお見舞いに行けなかった」
と母。
行けなかった主たる事情はお金の問題だろうなあと千里は想像した。会いに行くとなると、交通費だけでは済まない。お土産代とか飲み代!?まで考えると頭が痛かったろう。
千里と玲羅は小学生なので、葬式自体に参列する訳ではないのだが、黒っぽい服を着せられることになる。
「うーん。あんたたちあまり黒い服持ってないな」
「津気子、途中でジャスコにでも寄って買って行けばいい」
「そうしようかな」
それで留萌郊外のジャスコに寄る。父は車内で寝てるというので母と千里・玲羅の3人で店内に入った。
母はまず玲羅には黒いロングのワンピースを買った。子供は成長するからすぐ服が着れなくなる。しかしワンピースなら少し小さくなってもロング丈がミニ丈になる程度で何とかなるだろうという所である。
「あんたはこれにしようか」
と言って黒いジャケットとズボン、それに白いワイシャツを選ぶ。
「男の子にワンピース着せる訳にはいかないしなあ」
「私、ワンピースでいいけど」
「親戚が集まるんだから、そういう訳にはいかないよ」
「じゃ、せめてワイシャツじゃなくてブラウスにして」
「いいよ。そのくらい分からないし」
それで試着していたのだが、ズボンが合わない。
「私、ボーイズサイズは入らないよ」
「うーん。仕方ない。ガールズのを買うか」
「いつも私の服はガールズの買ってくれてるじゃん」
「まあそうだけどね」
それで結局、ガールズのジャケットとズボンを買った。左前袷なのだが、子供だしいいだろうと母は自分に納得させるかのように言った。
留萌を出たのが10時頃だが、途中ジャスコにも寄ったりしていたので、旭川に着いたのはもう15時近くであった。
祖父の両親は既に亡い。祖父には姉が1人と兄が3人と居たものの、2人が既に亡くなっており、2人は「出てこられない状態」だという話だった。代わりにその息子さんとか娘さんが来ていた。
喪主は故人の妻(千里の祖母)である天子が務めるが、天子は老齢でもあり、実際には長男の武矢が施主として葬儀を取り仕切ることになっていた。しかしその武矢は葬儀場に着くなり弾児と「おぉ、久しぶり」などと言って、一緒にお酒を飲み始める始末であり、母が顔をしかめていた。
結局母が、弾児の奥さんの光江さんと2人で葬儀社の人たちと打ち合わせをしていた。また弾児の同僚や、故人の元部下などの郵便局員さんが数人来ていて手伝ってくれていた。ちょうど土日なので局員さんたちも出てこられたようである。60代の堂々とした恰幅の加藤さんという男性が、祖父の元部下で今は岩見沢市で特定郵便局の局長をしているらしく、その人が葬儀委員長をさせてくれと申し出、してもらうことになった。この人は天子の従弟の奥さんの遠縁の親戚にもなるらしい。
やがてお通夜が始まる。この日土曜日にお通夜をして、明日日曜日に告別式という話であった。
ホールの方で通夜の準備が進む中、千里と玲羅を含む小学生や幼稚園生たち6〜7人は調理室の端でおやつをもらって食べていた。千里はトイレに行きたくなり部屋を出る。それで探していたのだが見つからない?その内玄関まで出てしまう。
「あんた誰だったっけ?」
と60代かなという感じの黒い和服の女性から声を掛けられる。
「武矢のこどもの千里です」
と名乗る。
千里としてはなかなか「娘」と名乗る勇気は無いものの、「息子」とは言いたくない、ということで性別を問わない「子供」という言い方を結構するのである。
「ああ、千里ちゃんか。あんた凄い霊感あるね」
と女性は言った。
「れいかんって何ですか?天子おばあちゃん」
「ああ、よく私が分かったね?」
「5年くらい前に会いましたよ」
「うん。もう5年くらいになるかね。年寄りにはそのくらい昨日のことのようだよ」
「年取ると時間の経つのが早くなるとか、お母ちゃんが言ってました」
「そうそう。小さい頃は時間の経ちかたって、カタツムリのようだけど、大人になると自転車のように過ぎていき、中年になると汽車のように速くなって年寄りになるとジェット機だよ」
「へー。時間って主観的なものだからでしょうかね」
「それまでの生きてた時間との対比になるから。1歳の子供にとって1年って自分が生きて来た時間と同じ時間だけど、60歳の人の1年は人生のほんの60分の1だから」
「私、分数ってよく分からない」
「あんた算数苦手?」
「苦手です。割り算も苦手」
「算数は大事だよ。しっかり勉強しなきゃ」
「はーい」
「あんたお稲荷さんの守護が付いてるね」
「お稲荷さんの境内でよく遊んでますよ」
「ふーん。そんなに強い守護が付いてるなら要らないかも知れないけど、これもあげるよ」
と言って天子は自分の財布の中から金色の値付けを出した。
「わあ、お猿さんだ」
「うん。日吉大社のお守り」
「ひよし?」
「お稲荷さんのお使いはキツネだけど、日吉さんのお使いはサルだから」
「へー。ありがとうございます」
と言って受け取る。
「それは私がウメさんからもらったものなんだよ」
「ウメって誰でしたっけ?」
「十四春(故人)のお母ちゃん、あんたの曾祖母さんだね」
「わあ、そんなのもらっていいんですか?」
「ウメさんが亡くなる時にもらったんだけど、私には強すぎてね。あんたなら使いこなせそうだし」
「へー。家の鍵に取り付けておこうかな」
と独り言のように言って、千里は鍵頭のホールに結びつけた。
そこに
「いや、うっかり隣と間違った」
などと言いながら、入って来た30歳前後の女性がいた。
「あら、あんた来られたんだ?」
と天子が声を掛ける。
「天子さん、こんにちは、この度はご愁傷様でした」
「ありがとうね。忙しいだろうに、わざわざ来てくれて」
「たまたま札幌に仕事で来ていたんですよ。うまくそちらがケリが付いたのでこちらまで来ました」
「お隣は何か大きな葬儀みたいね」
「それが入ってみたら、私の出た高校の理事長さんの葬儀だったんですよ」
「あらら」
「だから見知った顔がたくさんあって、思わずそちらにも香典出してきました」
「あらあら」
そんなことを言っていたら、
「おーい、忘れ物」
と言って、黒いハンドバッグを持ってこちらにやってくる、やはり30歳前後のブラックスーツ姿の男性がいる。千里は最初、今入って来た女性と夫婦かなと思ったのだが、違うようだ。
「きゃー! 私ったら、とんでもない忘れ物を」
「何か隣の葬儀場と間違って入って来てとか言ってたなと思って、持って来たよ」
「ありがとうございます。先生」
女性の母校の理事長さんの葬儀といっていたから、この人もそちらの学校の先生なのであろう。ただ年齢的にほとんど変わらないので直接習った先生とは思えない。あとで関わりが出来たのだろうか?
「中を開けたら何か分厚い札束が入っているみたいだし、君の名刺があったんで、隣にいると思うから僕が持っていくよと言って持って来た」
「そうなんです。札幌でお仕事して頂いた報酬を銀行に入金する前にそのままこちらに来ちゃったものだから」
「そりゃ無くしたら大変だったね」
と先生と呼ばれた男性が言う。
「拾っていただいたお礼の1割で30万円、差し上げますね」
「そんなにもらえないよ!」
「だったら、そちらの部への寄付ということで」
「それなら歓迎。いや、去年もインターハイに出場できたから、今年はダメだったけど、また来年こそはって期待されているんだけど、インターハイ狙うには、それなりの強化もしないといけないし。といって予算も無くてね」
「強くなったら強くなったで大変ですね。私たちの頃なんて地区大会の2〜3回戦で負けていたのに。私もポジション曖昧なまま何か適当に出て適当にプレイしていたから。それが先生が着任なさってから変わりましたからね」
「僕はたまたまだよ。やはり天地コンビとかが凄かったから」
「でもその天地コンビを見いだしたのが先生なんでしょ?」
「まああの子たちはバレー部の補欠だったんだよ。それで補欠ならこちらで人数足りないし貸してよと言って借りてきたら、その2人の活躍で地区大会優勝しちゃったからね」
「水に合ってたんでしょね〜」
「だよね。それでインターハイ2年連続出ちゃったし」
2人はしばらく立ち話していたのだが、受付の所にいた女性が
「あのぉ、そろそろ通夜が始まりますが」
と言うと
「わ、ごめん。じゃまた後で」
と言って先生と呼ばれた男性は隣の葬儀場に帰っていき、先生と立ち話していた女性もホールの中に入っていった。彼女はホールの中に入って行きながら、ちらりと千里を見て「あら?」といった感じの顔をした。
その様子を見送ってから千里は、ここに来た用事を思い出した。受付の所にいるお姉さん(弾児さんが勤める郵便局の局長さんの娘さん)洋子さんに尋ねる。
「済みません、洋子さん。トイレどこにあるか分かりませんか?」
「ああ、トイレならそちら左に行った所の奥だよ」
「ありがとうございます」
「でも私の名前覚えてくれたのね」
「さっきから何度かそう呼ばれていたから」
「すごいすごい」
それで千里は言われた方に行く。
すると、あったのは女子トイレである!
「まあいいよね」
と千里はひとりごとを言って、ふつうに女子トイレに入り、個室で用を達し流して出る。手を洗っていた所に60歳前後の女性が入ってくる。これは確か葬儀委員長を買って出てくれた加藤さんの奥さんだよな、と千里は思った。むろん千里は女子トイレで他の人と遭遇しても何も慌てない。
「あ、君、みさとちゃんだったっけ?」
「ちさとですが」
「あ、そんな名前だったかな。明日のお葬式の時、最後のお別れに花を捧げる役をやってもらおうと言ってたのよ。頼んでいい?」
「あ、はい」
「じゃ、ちょっと来て。衣装を手配するのに寸法を調べたいから」
それで加藤さんがトイレを終えるのを待ってから女性用控室に行く。ここはもうすぐ通夜が始まるというので全員ホールに移動したところなのでほぼ空っぽである。加藤さんがメジャーを取り出して、肩幅、胸回りや腰回り、それに肩から膝までの長さを測られた。
「ドレス丈は95cmでいいかな」
と加藤さんが言うのを千里は何となく聞き流していた。