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「千里さ、中学になっても剣道だけは続けなよ」
と小春は言った。
「そう?私うっかり相手を殺しちゃったりしないか不安で」
と千里は正直な気持ちを言う。
「だから、そんなことがないように自分をコントロールする術(すべ)を身に付けるのにも剣道は続けた方がいいんだよ。でないと、千里、剣道でなくてもいきなり背後に立った人を反射的に殺しちゃうかもよ」
と小春。
「それは恐いね!」
と千里も言った。
それで千里も剣道については再度考えてみることにした。
小町と落ち合い、お土産を持って美輪子のアパートに行く。
ここは昨年まで美輪子が住んでいた1Kの学生アパートではなく、中心部から少し離れるが2SDK(実質3部屋)の広さがあるアパートである。千里は中学時代ここに頻繁にお泊まりするようになり、高校はこのアパートに下宿させてもらって3年間通うことになる。
ベルを鳴らしてドアを開けてもらう。
「美輪子お姉ちゃん、こんにちわぁ」
と言って入っていったが、美輪子は
「待ってたよ。一緒に来て」
と言って千里を連れだした。駐車場に駐めている車、赤いウィングロードに乗り込む。
「車買ったの?」
「うちの会社、残業が多いからさ。帰りが遅くなってタクシー使うことが多くて。タクシー代掛かりすぎるから、いっそ車買っちゃおうと思って」
「タクシー代くらい会社から出ないの?」
「そんな上等な会社ではない」
「残業して疲れている身体で車を運転するのは危ないと思う」
「きつい時は車の中で寝ちゃう」
「凍死しない?」
何でも30万円だったのを夏のボーナスで半額支払い、残りは12ヶ月の分割払いにしたらしい。30万円と聞いて千里は「車って高いんだなあ」と思ったが、30万円の車というのが、とんでもない安物であるとは知らない。ちなみに千里の母が使っているヴィヴィオは10万円!で買ったものである。
やってきたのは市内のスタジオのような所である。
「おはようございまーす」
と言って美輪子が入っていくので、千里も
「おはようございます」
と挨拶したが、もうお昼近くなのにと思った。
「これうちの姪なんですけど、使えません?」
「おお、可愛い!」
「髪も長くて素敵だ」
「君女子中生?」
「小学6年生です」
「じゃこっちに来て」
と言われて、千里は髪にヘアスプレーを掛けられブラシを入れられ、スチームを掛けてドライヤーでブローもされる(髪留め2個はバッグに退避させた)。
眉毛も少し整えられ、それから化粧水で顔を拭かれる。
「この服着て」
と言われて、裙がふわっと広がる、いわゆるAラインのシルクのドレスを着せられた。高そうと思う。髪には銀色のカチューシャを付けられる。
「これ持って」
と言われてフルートを渡された。渡された瞬間「重い!」と思った。
「これもしかして銀ですか?」
「そそ。総銀のフルート。普段は洋銀のフルートか何か吹いてる?」
「私、フルート吹いたことありません!」
「ああ、別にいいよ。でもフルート吹いてるみたいな感じで横に構えて」
「はい」
それで千里は、こんな感じかな?と思ってフルートを構えた。
「様になってる、様になってる」
「やはり横笛を吹く少女は美しい」
「音出なくていいから、何か適当に吹く真似して」
と言われたので、適当に指を動かし、息を吹き込むと音が出た。
「なんだ、フルート吹けるんじゃん」
「あ、ちょっと待ってください」
自分でも音が出たのにびっくりしたのだが、折角ならというので千里は『アルルの女』の『メヌエット』を吹いた(*14).
ミッミーレ・ドレミファ・ソミ↑ドソ・ミ
という曲である。
(*14) 『アルルの女のメヌエット』としてあまりにも有名であるが、実は元々は『アルルの女』とは無関係。『アルルの女』はビゼー作曲の劇付随音楽だが、この劇は極めて不評で全く上演されなくなった。ビゼーはその音楽の中からいくつか楽曲を抜き出して“第1組曲”を作ったが、ビゼーの死後、彼の友人エルネスト・ギローは更に“第2組曲”を編成した。
『メヌエット』はそのギロー編・第2組曲の中の第3曲である。が実はこの曲はビゼーが書いたオペラ『美しきパースの娘』の曲で、『アルルの女』には含まれていない。しかし一般には『アルルの女のメヌエット』として名前が通っている。
千里がフルートで『メヌエット』を吹くと「素晴らしい!」と言われ、それで30分くらい撮影が続けられた。
「今度はこれ着て」
と言って渡されたのはセーラー服である。ドキッとする。
「6年生なら来年の4月からはセーラー服着るんでしょ?ちょっと予行練習ね」
「はい!」
千里は凄く嬉しくて、喜んでセーラー服を着たが、リボンの結び方が分からなかったので、これは撮影スタッフさんに結んでもらった。
それでまた撮影するが、同じ曲では芸が無いと思ったので、今度は瀧廉太郎の『花』を吹いた。
「レパートリー多いんだねぇ」
と言われた。
「私フルート吹いたの初めてです」
と千里が言うが
「またご冗談を」
と笑われて全く信用してもらえなかった!
でもこのセーラー服での演奏も30分くらい撮影した。
「お疲れ様でした」
「ありがとね」
「これ謝礼ね」
と言って渡された封筒を見ると中に5万円も入っているのでびっくりする。
「こんなにもらっていいの?」
と美輪子に訊くと
「まあモデルとして最低ランクのギャラだね」
と言われた。
「へー!」
「でもあんたフルート吹けるんだね」
「フルートなんて初めて手にしたから、適当に吹いたんだけど」
「もしかして普段ピッコロ吹いてるとか?」
千里は唐突に疑問を感じた。
「これ何の撮影だったの?」
「あれ?言ってなかった?不動産屋さんのCMたよ」
千里は不安になる。
「まさかテレビで流れたりしないよね?」
「テレビCMたよ」
「それって流れるの、旭川だけ?」
「北海道全部で流れると思うけど」
「じゃ留萌でも流れる?」
「流れると思うよ」
千里は焦った。
「どうしよう?友だちに見られたら」
「あんたのお友達は千里が女の子の服を着てても騒がないって」
「うちのお母ちゃんが見たら」
「あんたにセーラー服が似合うことを再認識してくれると思うよ」
「お父ちゃんが見たら」
「きっと似た顔の女の子だと思うよ」
「そうだよね!」
慈久(海藤天津子の祖母)はその日、市内の信者さんの所に行って祈祷をしていたのだが、教会に帰ってくると声を挙げた。
「何?何がどうなっちゃったの〜〜〜!?」
この日を境にXX教の“旭川教会だけは”まともな場所になったのであった。本部との霊的な関係は切れちゃったけど!
慈久は「何か変わった」ことは認識したものの「神様が換わった」(正確には“神様に代わった”)とは思いもよらなかった。神様に“代わっちゃった”ことに気付いたのは天津子(小1)のみである。
「あ、本物の神様になってる」
と天津子は呟いた。
「美人の神様だなあ」
と天津子が言うと、神様は嬉しそうに微笑んでいた。
この日天津子は最初は境内の様子を見て
「誰よ掃除しちゃったのは?チビの餌が無いじゃん!」
などと文句を言った。その後で神様が入っていることに気付いた。
いつも天津子はここでたっぷりチビ(虎)に悪霊を食べさせていたのである。でも居心地が悪いから、自分ではあまり境内に入らないようにしていた。でもこの後は結構境内に自分も入るようになった。
これまであまりここに来たがらなかった天津子が、呼ぶといつでも来てくれるようになり、天津子の祈祷は信者さんに人気があるので、慈久は機嫌がよかった。この頃の天津子は信者さんたちから「生き神様」と呼ばれて崇拝されていた。
青葉がここを訪問して1泊するのは、この2年後のこと。千里が“掃除”して、その後は本物の神様が居るようになったことで、ここはクリーンに保たれるようになり、青葉は安眠できた:躾の悪い虎と戦うことにはなったけど!
2000 キャンプ場で虎が千里にやられて小さくなる。天津子が拾ってペットに。
2002 千里がXX大神宮の“掃除”をする
2004 虎、千里(中2)に叩きのめされ、青葉(小1)にペシャンコにされる。
2006 虎、また千里にやられて再度小さくなる。天津子(小5)が“生き神様”を辞めて、叔母の所に身を寄せる。
9月30日(月).
合唱コンクール道大会・金賞の賞状はこの日午前中に到着した。コーラスサークルの部員は昼休みに音楽室に集合し、教頭先生が馬原先生に賞状を渡し、部員たちから拍手が沸き起こった。
しかし千里が在籍したこの3年間、道大会の賞状はまともな形での表彰式では渡されていない。
2000年は会場の壁破壊で、時間が延びたことから、賞状は隣接する体育館で事務局長から渡された。昨年はビデオ審査になり、金賞の賞状は郵送されてきた。そして今年もまた郵送である。
「道大会の表彰式に出るのは、津久美ちゃんたちに任せた」
と穂花が言うと、津久美はキョロキョロしてる。
「なぜ私の名前が?」
「え?来年の部長なのでは?」
「無理です〜。私人望が無いですよ。部長はスミレちゃんよろしく」
「え〜?私、そんながらじゃないですー。私副部長しますから、部長は津久美ちゃんよろしく」
「じゃここは妥協して部長は希望ちゃんで」
「なぜ私の名前が?」
と3人は譲り合っていた。
来年の部長は、クリスマスコンサートも終わった後、年明けに選任されることになるだろう。
千里が撮影したCMは一週間後の月曜日、10月7日から、お昼や深夜などの広告料の安い時間帯に流れ始めた。
このCMを見た津気子は頭が痛くなり、千里は学校でさんざん話題にされた。
「千里、セーラー服やはり似合ってる」
「4月からはセーラー服着るんでしょ?」
「え〜?そんなの許してくれないよぉ」
「千里男子として中学に入るにはその髪の毛切らないといけないよ」
「千里、髪の毛じゃなくて、折角ちんちん切ったんだから、ちゃんとセーラー服着よう」
「だいたい千里が学生服なんか着てたら、何ふざけてるの?ちゃんとセーラー服着なさいと言われるよね」
千里はその話題で留実子が暗い顔をしているのを目の端で見た。るみちゃんはセーラー服着たくないんだろうなあ。学生服着たいんだろうなぁ。
晋治はわざわざ電話して来て
「あのCM、可愛いね」
と言ってくれた。
「あれ、千里が進学する中学の制服だっけ?」
「ただの撮影用衣裳だよぉ」
「でもセーラー服着るんでしょ。制服作ったら試着写真こちらに送ってよ」
「学生服着ることになるかも」
「千里が着られる学生服は存在しないと思う。千里女子としても細いのに」
「確かにそうかも」
「それに千里、本当はバストあるのでは?」
「内緒」
「バストがあるなら、それ学生服に収まらないし」
なお、父はテレビでは野球くらいしか見ないし、このCMはゴールデンタイムには流れないので、父の目には入らなかった。