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みんなホッとした表情である、トラブルはあったものの、その影響を感じさせないようにきれいに歌うことができた。穂花は目の端でF女学園の部長さんが天を仰ぐような姿勢をしたのを見た。
転落した由衣は怪我もしていないようで、ステージから降りた他のメンバーと一緒に席に戻った。みんな「大丈夫?」と心配したが本人は「ごめんなさい」と言っていた。
ともかくもこうしてN小のステージは無事(?)終わったのである。
映子は急にお腹が痛くなってトイレに籠もっていたらしい。みんなに平謝りしていた。「やはりお昼の食べ過ぎでは」とみんなから言われていた。最終的に篠笛を吹いた小春は穂花からも先生からも「あなたのおかげで助かった」と感謝されていた。
穂花は「やばい」と思った時、目の端に小春の姿を見て、そうだ、彼女なら吹けるはずと思って頼んだと言っていた。
実を言うと、映子が居ないという事態に、万一の場合を考えて、千里が小春に「歌唱に参加して」と指示したのであった。そして小春にとってはこれが“実体”で演奏するラストステージになった。
20分ほどの休憩時間を経て、審査結果が発表される。審査員長が壇上に登り、発表を行った。
「金賞。留萌市立N小学校」
会場全体から拍手がある。部長の穂花が「小春ちゃん来て」と言って、2人で一緒に壇上に登り、審査員長から賞状と記念の楯を受け取った(小春も後で「あれはいい記念になった」と言っていた)。なお、副部長は映子であった!
「銀賞。F女学園小学校、上川町立K小学校」
F女学園小学校はこれで7年連続銀賞である!K小学校は3年連続銅賞だったが、今年は銀賞になった。
「銅賞。Y女学院初等科、稚内市立H小学校」
Y女学院は2年連続銅賞となった。部長さんは悔しそうだったが、Y女の自由曲歌唱はやや微妙だった。F女学園は完璧だったし、K小も完成度が高かったので、やはりそれが銀と銅の違いだろう。H小も未完成だった。選んだ曲をちゃんと完成させているかというのは重要だ。
しかしこれで千里たちN小学校は3年連続で道大会に行けることになった。
帰りも増車してもらった路線バス(最終便)で留萌に戻ったが、車内は賑やかだった。あまり騒ぐので、馬原先生が
「一応路線バスなんだから、あんたたち控えなさい」
と言った。しかし運転手さんは
「お客さんはあなたたちだけだから、少しくらいいいですよ」
などと言うので、結局全員で1曲ずつリレーで歌って行くことになってしまった。見学者も参加しての楽しいひとときとなった。歌は学校で習うような歌から、合唱でよく取り上げられる歌、歌謡曲、童謡と様々であった。
千里はポルノグラフィティの『アゲハ蝶』を歌った。蓮菜は元ちとせの『ワダツミの木』、小春に言われて代わりに座席に座った小町は島谷ひとみが今年リバイバルヒットさせた『亜麻色の髪の乙女』(オリジナルは1968年・ヴィレッジ・シンガーズ(*8):ヴィレッジ・ピープルではない!)を歌った。
全員1回ずつ歌い、その後4年生が途中まで歌った所で、留萌駅に到着。みんな運転手さんにお礼(おれい)を言って降りたが、運転手さんは
「お陰で眠くなったりしなくて助かりました」
などと馬原先生に言っていた。
(*8)ヴィレッジ・シンガーズ(Village Singers) は1966-1971年に活動した日本の(多分ストレートの)男性グループサウンズ。はじめはヒット曲に恵まれなかったが1967年筒美京平作曲の『バラ色の雲』が大ヒット、翌年の『亜麻色の髪の乙女』と合わせて同グループの代表作となっている。
名前が似ているヴィレッジ・ピープル(Village People) は『Y.M.C.A.』(1978)の世界的特大ヒットで知られるアメリカのゲイ男性グループ。初期メンバーはゲイバーでスカウトし、その後オーディションで集めた。後に女性と結婚したメンバーもあり、バイだったのか実はストレートだったのかは不明。そもそも歌ってる人と映像に出てる人は別らしい!! "Y.M.C.A."は原詩を読めば分かるように相部屋になった男性を誘惑するゲイ・ナンパソングだが、日本では“健全な”歌詞を乗せて西城秀樹が『ヤングマン』のタイトルでカバーした。それで、ゲイソングとは知らない人も多いし、小学生の鼓笛隊で人気の高い曲である。
なおヴィレッジ・シンガーズもヴィレッジ・ピープルもどちらも名前の由来はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ(Greenwich Village)である。
マンションへの引越の後、照絵は結構後片付けに手間を取られていた。
引っ越し屋さんは、収納関係に入っていたものは、どれの何段目に入っていたかというのをきちんと段ボールに記録しておき、そこにちゃんと戻してくれているので、衣服などはほぼそのままで問題無かった。しかし食器や本などは、やはり微妙な好みの問題で並べ直し作業が必要になった。
「でもここまでしてもらったら問題無いよねー」
などと呟きながら、照絵は楽譜書き(清書や編曲、時に作曲!を含む)、育児、家事などの合間にそれをしていっていた。
お風呂だが、高そうなマンションだけに素晴らしかった。好みの温度と湯量を設定しておくと、ちゃんとそれで入れてくれて「お風呂が入りましたよ」と音声でお知らせしてくれるし、“湯温保持”ボタンが点灯していると(お風呂を入れたら自動点灯)その温度で保ってくれる。“一時加熱”ボタンを押すと2度湯温があがる所まで加熱される(その後は元の湯温に戻るまで加熱停止)ので、湯上がり前の全身浴に良い。また脱衣場と浴室にはヒートショック防止のため暖房が入っているので、冬でも寒い思いをしなくて済みそうだ。この暖房のおかげで乾燥も速く、カビが生えにくいらしい。
バスタブも、千葉のアパートで交換してもらった新しいバスタブより更に広いもので、大人2人で入っても充分ゆとりがある感じであった。これ新婚の頃なら英世と一緒に入りたかったなあ、などと思った。
英世は現在はワンティスの音源制作や練習でなかなか帰宅しない。どうもワンティスのギターは実際問題として、ほぼ英世が弾いているようである。高岡さんはむしろ歌とプロデュースに専念しており、ライブでも当て振りしているようだ。
「あの人のギター演奏技術は微妙だし」
と実際に弾いている所を何度か聞いたことのある照絵も思った。
テレビでは決して高岡さんの指を映さない!
元々高岡さんは前のボーカルが辞めた後、後任のボーカルとしてスカウトされた人らしいし、もうひとりのギタリスト(崎守英二)はデビューに参加しなかったらしいし。
この時期のワンティスはギターは英世、キーボードは本坂伸輔が弾いていた。(初期の頃はギターは滝口将人、キーボードは原埜良雄が主として弾いていたがこの頃はいづれもドリームボーイズの活動のため離れている)
キーボード兼ボーカルの上島雷太は後に自分は弾き語りが苦手で、歌う時はキーボードは弾いておらず(ボリュームをゼロにしていた!)サポートの人が弾いていたことを告白するが、高岡は告白する前に逝ってしまう:高岡は弾き語り以前にギター自体が素人の範囲を越えなかった。
なお、英世を雇っていたのは高岡であり、事務所は関与していない。英世の給料や照絵がもらう編曲料も高岡が個人的に出している。本坂も同様に上島から個人的に給与をもらっている。
結局、龍虎の存在も高岡夫妻と、事務所社長の奥さんのみが知っていた。社長自身が知っていたかどうかは微妙である。レコード会社の“担当”は夕香に「堕ろせ」と言ったので中絶されたものと思い込んでいた。かばったのも出産費用を出してあげたのも事務所社長夫人(*9)の村飼千代さん:“高岡龍子”のホロスコープを作った人である。夕香が妊娠中に代理コーラスを手配したのも彼女である。
(*9)肩書きは専務だが実はオーナーである。1960年代に活躍した歌手。社長は当時のマネージャーで引退後数年してから結婚した。ただし経営は基本的に社長に任せていた。ワンティスがこの事務所が売り出した最初のアーティストだが、高岡の死、そして千代の死により、実質唯一のアーティストになってしまった。龍虎はいわば千代の遺産のようなものである。千代には子供は居なかった(ことになっている)。
千里たちの学校では、9月に入ってから、来年の児童会長の選挙が行われ、3〜5年生の投票により5年2組の山本君が次期会長に選ばれた。3年ぶりの男子の会長である。彼は正式には1月から現在の川崎典子から会長を引き継ぐ。2学期の間は児童会のことを色々勉強し、1月の就任後も、卒業式までは典子がバックアップする。
なお児童会長は(よほどリズム感が悪くない限り)鼓笛隊のドラムメジャーも務める。10年ほど前に絶望的にリズム感の無い児童会長がいて、他の子がドラムメジャーをしたことはあったらしい。
9月13日(金).
「今日は13日の金曜日だ」
「殺戮の臭いがする」
などと言っている子たちがいた。
朝出欠を取ったら、絵梨が居ない。それで我妻先生が言った。
「それなんですが、実は那倉(絵梨)さんは風邪を引いてしまって、寝ているそうなんです」
と我妻先生が言う。
「え〜!?」
「だったら明日の学習発表会は?」
「申し訳ないけど、どなたか代役を頼めないかと」
すると優美絵が立ち上がった。
「代役、私にやらせてください」
おぉ!とみんなから歓声があがる。
「2年前、私は主役だったのに直前にダウンして、みんなにご迷惑おかけしました。あの時のみんなへの借りをお返しする番です」
「うん。積極的でいいね、じゃ代役は新田さんで」
と我妻先生は言った。
「ゆみちゃんセリフ大丈夫?」
「頑張って覚える」
「誰かプロンプターに付こう」
「私がやる」
と優美絵と仲の良い佐奈恵が言い、佐奈恵がプロンプターを務めることになった。佐奈恵は南の魔女役で最後にちょっと出てくるだけなので、その他はずっと付いていられる。
また優美絵がやるはずだった北の魔女は、千里が“巨大な顔”と二役で務めることになった。これは、“優美絵は誰の衣裳でも着られる”が、優美絵の衣裳が着られるのは千里くらいという事情がある!
この日は午後の5-6時間目を使って写生大会が行われた。北海道の9月はもう結構寒いので。みんな暖かい服を着て学校周囲に散る。何かあったらいけないので、必ず3人以上で行動するように言われた。
千里は、蓮菜・恵香・留実子と4人で学校の裏山に登った。
「でも、るみちゃんがいたら安心ね」
「千里がいれば道に迷う心配もないし」
「男子を混ぜると、デート気分になって道に迷いやすい」
ということで、この組合せは結構“最強”なのである。
20分ほど登った所に天狗岩というテラス状になった岩があり、ここがとても見晴らしが良い。4人はここに陣取って絵を描き始めた。
「夏休みはみんな、どこまで“行った”の?」
などと質問がある。
「私は旭川でデートしたけど、抱き合っただけだよ。密かに期待したけど、キスはお預け」
と千里。
「なかなか進みそうで進まないな」
「会う機会が少ないからだと思う」
「千里、旭川の女子中学に進学しなよ」
「入れてくれないよ!」
「千里は男子中学にも入れてくれなさそうだし面倒だ」
「るみちゃんは?」
「ぼくの胸に生で触らせたし、あいつのちんちんにパンツの上から触ったけどまだセックスはしてない」
と留実子。
(“パンツ”がズボンの意味かブリーフの意味か微妙だと思ったが誰も質問しない)
「君たちは半年程度以内にはセックスに進むな」
と蓮菜が言う(この予言は的中する)。
「蓮菜はセックスしたの?」
「したよ。とうとう入れさせた」
「すごーい!」
「だから私はバージン卒業」
やはりあの日は“お泊まり”した後だったんだなと千里は思った。
「やはり蓮菜たちがいちばん進んでいる」
「妊娠に気をつけなよ」
「妊娠しにくい時期だったし、ちゃんと着けさせたから」
「妊娠しにくい時期というのは当てにならないよ」
「それは分かってる」
「みんな凄いなあ。私はまず相手を見つけなきゃ」
などと恵香は言っている。でも結果的に最初に結婚したのは恵香!