[*
前頁][0
目次][#
次頁]
食事もけっこう進み、おやつに走っている子も数人出始めた頃、お店に男女7〜8人の集団が入ってくるが、千里と目が合うとその中の1人が手を振ってきた。
近づいてくる。
「おはようございまーす」
と笑顔で声を掛けてきたのはチェリーツインの陽子である。
「おはようございます」
と千里も笑顔で答える。
千里の周囲がざわつく。
「おはようございますって、今夕方だよね?」
と夏美が戸惑うように言うが
「あ!チェリーツインの人たちだ!」
と声を挙げたのは玉緒であった。
彼女たちも近くのテーブルに就き、サイダーで乾杯してから適当に料理を注文していた。
「そちらはどういう集団ですか?」
と陽子が尋ねるので
「バスケットチームなんですよ。今日明日2日間隣のひたちなか市で大会やってるんですけど、今日の試合で取り敢えず全国大会進出が決まったから、その祝いを兼ねて夕食会」
と千里が説明する。
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます」
「でも女子チーム?」
「そうですよー」
「若干性別の怪しい人もいる気もするけど、とりあえず全員女子選手として認定されている」
「そちらの2人も?」
と八雲が監督・コーチの方を見て言う。
「ああ、そちらは監督とコーチ」
「そっかー!びっくりした」
「ああ、私も女子チームみたいだけど、女子に見えない人が何人かいるなと思った」
と陽子も言っている。
「女子チームでも監督とかコーチは男性でもいいのね?」
「うん。女性でないといけないのだったら大変」
「その時は監督とコーチには性転換してもらうということで」
監督とコーチが苦笑している。
「他の男の人はマネージャーとかトレーナー?」
と八雲が訊くので
「ん?」
とローキューツのメンバーは顔を見合わせる。
「ね、ね、どの人とどの人が男に見えました?」
「え?まさか他の人は全員女性?」
「ああ。。。。」
「まあ性別間違われるのは日常茶飯事だけどね」
と国香。
「僕は毎日1回は性別疑われる」
と誠美。
「性転換して女になったという訳でもないのね?」
と八雲。
「お兄さんも、一度性転換して女の子になってみない?」
と菜香子が言った。八雲の視線は明らかに、誠美と菜香子を見ていたのである。
「あ?えっと・・・」
と今度は八雲が困ったような反応をした。
陽子が隣で吹き出す。
千里が説明する。
「こちらの格好良いスリムな人物は女性だから」
「うっそー!?」
と今度はローキューツのメンバーが驚く。
「すんませーん。男になりたい気はするんだけど、男になったらソプラノ歌えなくなっちゃうから性転換できない、取り敢えず女の少女Yです」
と八雲は照れながら名乗った。
「あ、もしかして、あなたとあなたが少女Xと少女Y?」
と玉緒が質問する。
「はい、少女Xでーす。私もたぶん女でーす」
と陽子も名乗った。
「すごーい。少女Xと少女Yの素顔が見られるなんて」
と玉緒は感動している。
「なんか凄いこと?」
と事情を知らないメンバーから質問が出る。
「この2人はライブとかでも絶対に顔を見せないんですよ。名前も付いてないからファンの間で少女X・少女Yと呼ばれているんです」
「へー」
とあちこちから声が出る。
「写真は無しでね〜」
と陽子が言った。
「でも、もしかして皆さん、苫小牧から大洗までのフェリーで来られたんですか?」
と麻依子が尋ねた。
「そうそう。夜中の1時に苫小牧を出て、20時前に大洗に着いた。これから東京に出て夜中から実はビデオ撮影」
と大宅さんが説明する。
「なんてまあハードな」
と夢香。
「交通手段あるんですか?」
「美幌から苫小牧まで車で来たので、そのまま車ごと乗船して、この後もその車で東京に向かいます」
「やはりハードだ」
「それでここで1時間ほど休憩してから行こうと」
「でも夜中から仕事を始めるというのが凄い」
「この業界は太陽の運行を無視しているから」
と八雲。
「というか世間の人たちと6時間くらいずれてる気がする」
「確かに芸能界の昼12時が一般人の朝6時だよね」
「その子供は?」
「チェリーツインの新メンバー」
「嘘!?」
「という訳でもないけど、マスコットガールかも」
と陽子。
「取り敢えず私の子供ということで」
と桃川。
「そんな大きなお子さんがいたんですか?」
と玉緒が驚いている。
「内緒にしておいてね」
「いいですよー」
千里は不思議に思った。1月にマウンテンフット牧場に行った時はこの子を見ていない。あるいは父親の所で暮らしていたのだろうか?しかしこの人、いつ結婚したのだろう。こんな大きな子供がいたのなら、その彼女が2年前に自殺しようとしたのは不可解である。子供がいるなら母親は物凄く強くなる。
というところまで考えてから、ふと桃川が元男性であったことを思い出す。あれれ?ということはこの子は桃川さんを父親とする子供か?それなら母親の所に居たのを事情で引き取ったのだろうか。しかし女性として完璧な桃川さんが女性と恋愛をしたのが今度は信じられない。いやレスビアンか??
「でも今回は実は苫小牧−大洗のフェリーに乗って、その間に曲を4曲作れという指令だったんですよ」
と大宅は言う。
「そういう指令があるんですか?」
と夢香が呆れている。
まあ、そんなこと言い出すのは雨宮先生だな、と千里は思う。
「でもその子、名前は?」
「ももかわ・しずか」
と本人が答える。
「へー。しずかちゃんか」
「可愛いね〜」
「小学生?幼稚園?」
「4月から小学校なんですよ」
「おお、すごい」
「学校頑張ってね」
千里たちがチェリーツインの人たちと楽しく交款しながら食事やおやつを食べていた時、老人の団体が20人ほどでお店に入ってきた。席はまだ充分あるのだが、何人か視線を交換する。
「そろそろ帰ろうか」
「そうだね。ぐっすり寝た方がいいし」
「待って。このサンデーを食べてから」
「あんたよくこの真冬にそんな冷たいの食べるね〜」
「このあとお風呂で温まるから大丈夫」
「取り敢えず精算してくるよ。伝票取って。私が取り敢えず払っておくから」
と千里は伝票の近くにいる浩子に声を掛ける。
「お金ある?」
と浩子が心配して訊く。
「うん。現金はいつも余裕もっているから」
と千里。
「じゃ旅館に戻ってから集金しようか」
と浩子。
それで千里はレジの所に行き、2万円ほどの代金を払った。レシートをもらって財布にはさみ、みんなの所に戻ろうとしていた時のこと。
老人会の集団に居た、ひとりのおばあさんがトイレに行くのに、通路を歩いていたのだが、向こうからウェイトレスが水の入ったコップをお盆に乗せてこちらに歩いて来ていた。おばあさんを見てウェイトレスが脇に寄って通路を空ける。その動きを見て、おばあさんはそのウェイトレスに会釈をした。
ところがその会釈をした拍子にバランスを崩してしまった。
「あっ」
と声をあげて倒れる。
そしてよりによって、その脇によけてくれたウェイトレスにぶつかってしまう。
千里はその様子を少し離れた所から見ていて、ありがちな事故だなと思った。おそらくあのおばあさんは三半規管が弱いのだろう。三半規管が弱い人が会釈などで頭を動かすと、それで身体のバランスが取れなくなり、ふらついてとても危険なのである。
ウェイトレスがおばあさんをよけきれずに倒れる。
持っていたお盆が吹き飛び、ちょうど近くに座っていた、しずかの所に飛んできた。しずかに近い位置に居た誠美がしずかをかばうようにしたものの、コップのいくつかは、しずかに当たってしまった。
ガチャガチャーンと物凄い音がする。
ウェイトレスがすぐ立ち上がって
「申し訳ありません!」
と言って、まずは倒れたおばあちゃんを助けようとするが
「任せて」
と言って薫が飛び出して来て、おばあちゃんを助け起こしてやった。
「お怪我はありまんか?」
「大丈夫。でもごめん。あんたにぶつかってしまって」
「いえ私は大丈夫ですよ」
とウェイトレスは言うが
「あんた今腰を打ったでしょ?大丈夫?」
と薫が言う。
「このくらい平気ですよ」
「ちょっと貸して」
と言って薫はそのウェイトレスの腰の所に手を当てて、どうも気功で治療してあげているようだ。
レストランのスタッフが何人か飛んできた。
「どうしたの?」
と店長らしき人。
「すみません。私が転んでしまって」
とウェイトレス。
「いや、その人は悪くない。おばあちゃんがふらついて、そのウェイトレスさんにぶつかっちゃったんだよ」
と大宅が店長に状況を説明した。
「分かりました。お客様、お怪我は?」
と店長はそのおばあさんに尋ねる。
「大丈夫みたい」
とおばあさん。
すぐ別のスタッフが掃除道具を持って来て床に落ちて割れたコップを軍手をはめて拾い集めている。
「**君、怪我は?」
「私は大丈夫です。でもそちらのお客様に水を掛けてしまって」
しずかと、彼女をかばった誠美がかなり服を濡らしている。
「僕はもう帰る所だったから、旅館に戻って着替えるよ」
と誠美は言う。
「しずかちゃん、着替えある?」
と千里が桃川に訊く。
「車から持ってくる」
と言って、桃川は外に飛び出して行った。
店長は誠美の分としずかの分の代金をタダにすると言ったのだが、誠美は全然平気だから、ちゃんと払いますよと言ったら、お土産にとピザを持って来てくれた。
「これはビールのおつまみができたな」
などと言っている子がいる。
桃川が車から持って来た着替えを持ち、しずかを店内のトイレに連れて行き、着替えさせてきた。
しずかに関しても大宅が別に平気ですからと言ったら、そちらもチキンをサービスで持って来てくれた。
千里は騒動を見ていて唐突にトイレに行きたくなったので、桃川たちと入れ替わるようにしてトイレに入った。それで用を済ませて外に出ようとしたら、洗面台の所に女の子の着替えがあるのに気づく。
持って出る。
「桃川さん、洗面台の所にこれあったんだけど」
「きゃー。ごめんなさい。気づかなかった」
「ああ、ハルちゃんは忘れ物が多いから」
と秋月が言っている。
千里は微笑んで着替えを桃川に渡すが、その時、しずかの服のタグの所に名前が書かれているのを見る。
「ああ、名前をちゃんと書いてあるんですね」
「ええ。保育所に行ってるから、何かで着替えるようになった時、他の子の服と紛れないようにというのもあって」
「牧場には他には小さい子供はいないんですか?」
「ええ。大学に行っている、オーナーの息子さんと娘さんは札幌市内のアパートで暮らしていますし」
「なるほどー」
などと言っていた時、千里はその名前の書かれ方が気になった。
「このタグに書いている名前ですけど、左書きと右書きがあるんですね」
と千里は何気なくことばに出す。
「ん?」
横から覗き込んだ麻依子も「あ、ほんとだ」と言っている。
「この上着のタグには、右から『しずか』、シャツのタグには左から『しずか』と書いてある」
と麻依子。
「あれ?ほんとだ」
と大宅も近寄って見て言う。
「ハルちゃんって、わりと適当だもんね」
と大宅。
「この上着のタグはうっかり左から読んだら『しずか』じゃなくて『かずし』になっちゃうね」
と夏美。
「『かずし』じゃ男名前だから、そういう間違いは起きないよ」
と夢香が笑って言った。
それでみんな笑っていたのだが、千里はその時、桃川が、世にも奇妙なものでも見たかのような、何とも形容のしがたい表情をしているのを見て、どうしたのだろう?と疑問に思った。