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(C)Eriko Kawaguchi 2015-11-06
「本当に手術していいですね? もう元には戻せませんよ」
と医師が最後の確認をした。既に硬膜外麻酔によって下半身の感覚は無くなっている。
患者は
「早く女の子になりたいです。手術お願いします」
と言った。
それで眠くなる薬が投与され、患者は次第に眠りに落ちていった。
2009年6月中旬。佐藤玲央美から、バイト先の電話オペレータ会社から九州センターに1ヶ月ほど行ってきてくれと言われたのでと聞いた藍川真璃子は、これは1ヶ月間にわたって《現在の佐藤玲央美》と《半年後の佐藤玲央美》が顔を合わせる事故を防ぐための《大神様》のご配慮だなと感じ、出羽の方に向かって『感謝します』と内心つぶやきながらも、
「じゃレオちゃん、練習の仕方はここ1-2ヶ月で分かってきたろうから、福岡では毎日これやってね」
と言って練習メニューを渡した。
そして彼女が九州に行っている間の母賀ローザの練習パートナーを誰か調達したいなと思い、少し考えた末に、旭川L女子高出身の池谷初美を思いついた。
彼女は高校卒業後、関東の有力大学に勧誘され182cmの長身を活かして昨年1年間、大活躍。インカレでも注目された。ところが1月のオールジャパンに出た時、試合中に足を痛め、しかも無理して試合に出続けたことから悪化させてしまう。更に彼女の怪我問題をめぐって監督とコーチが大喧嘩する事態が起きて、チームの分裂をおそれた池谷は責任を感じて退部届を出してしまったのである。
「あの子、そろそろ怪我も治ったんじゃないかなあ」
と独り言を言いながら、彼女と接点のある子に連絡を取ってみると
「初美ちゃん、今大学を休学しているんですよ」
と言う。
「あらら」
「怪我の具合があまり良くないみたいで、どうせ治療するなら旭川に戻っておいで、とお母さんから言われたらしくて」
「そんなに悪かったんだ!?」
それで藍川は彼女の怪我の様子を聞こうと羽田から旭川行きの飛行機に乗った。
藍川は実は15年ほど前に航空機事故で死んでいて、現在は世間一般で言うところの「幽霊」なのだが、あまり幽霊らしい生き方(?)をしていない。ほとんど肉体のある人間並みの行動をする習慣が付いているので、本当は飛行機など使わなくても旭川に移動することは可能なのだが(何度か遠隔地への一気の移動はしたことがある)、とりあえず人間の真似をして飛行機に乗る。
機内サービスでドリンクが出てくるので「ありがとうございます」と笑顔で受け取り、暖かいコーヒーを飲む。肉体を持たない藍川は当然消化器官なども存在しないはずである。それなのに藍川はふだんから飲み物も飲めば食べ物も食べる。むしろ食べないとお腹が空く。そして出す方も、小・大ともにする。食べたものがどうやって消化されるのか、またどうして大や小が出るのか、その仕組みは自分でも疑問だが、考えすぎると自分の存在が消えてしまうかも知れない気がして、深くは考えないようにしている。
藍川は自分の年齢的な外見を自分の意志でコントロールできるので40代前半程度の外見に調整している。本当は1955年5月22日生れで、生きていたら54歳だが、事故で死亡した時は38歳であった。死んだ時より少し年齢を進めているのである。
外見年齢が調整できるんだから、幽霊って性別も変更しようと思ったらできるんじゃないかなあ、などと思ってみたこともあるが、男になってみて、その後女に戻れなくなったら困るのでそういう危ない実験もしたことはない。
どうにもならなくなったら性転換手術?でも幽霊って手術受けられるんだっけ??
「性転換手術って痛そうだし」
ちんちんはおしっこする時便利そうだけどなあ、とは思う。それにセックスも男の方が気持ち良さそうだし。
結婚していた頃、夫は自分とセックスしていて本当に気持ち良さそうにしていたが、自分は一度も快感を感じたことがなかった。いつも「まだ終わらないのかなあ」とばかり思っていた。まあ、暴力とかふるわれたこともないし、大事にしてもらった気はするから、結婚したことは後悔してないけどね。
夫もスポーツ選手だったので、子供もきっと凄い選手になる、などと周囲から期待されたが、子供ができないまま夫は数え年42歳の厄年に他界した。私も幽霊になっちゃったし、もう子供はさすがに産めないよね?などと考えてみるが、そのあたりも深く考えるとやばそうなのでやめておく。
ただプロ選手だった夫が遺してくれた莫大な遺産のおかげで、自身も死んだ後はまともに仕事もせずに、出羽の修行に参加したり、口コミで霊能者みたいな仕事をしてみたり、気が向いたらどこかでバスケのコーチをしたりしていた(スポーツ関係のコネだけは多い)。夫の遺産を含めた自分の資産は株や債券で運用しているし、年間200万円程度で質素な生活をしているので毎年資産は増えて行っている。
千里が在籍していた旭川N高校で体育館の建て替えをやるという話を聞いた時は、ほんの気まぐれで3000万円寄付したのだが(本当は300万円寄付するつもりが桁を入力し間違ったのである。理事長・校長・宇田先生の物凄く丁寧な直筆お礼状を受け取ってからネットで明細を確認してギャッと思った)、しかしその結果、回り回って千里が3年生のウィンターカップに出られるようになり、あの子と敵として対戦することができたのは、楽しいオマケだったなあ、などとも藍川は回想していた。またやりたいなあ。
「自分の能力に無自覚だってのは、若い頃の私に似てるんだよね、あの子」
などと藍川は独り言をつい口に出して言ってしまった。
旭川に到着し、タクシーに乗って、予め連絡を入れておいた池谷さんの実家に行く。
「初めまして。どうもお邪魔します」
と言って藍川は東京ばな奈を手土産に彼女の実家を訪問した。
「すみません。お名前は聞いていたのですが、どういう御用でしょう?」
と彼女は戸惑うように言った。
藍川は正直にスカウトしに来たのだと言った。
「どういうチームなのでしょうか?」
と彼女は少し興味は持ったようである。
「実はまだチームは決めてないんですよ」
「え〜〜!?」
それで藍川は詳しい説明をする。有能な選手を現在2人抱えているが、2人とも少し心理的なトラブルが起きていてすぐには現役に復帰したくない気持ちでいること。それで今はずっと基礎的なトレーニングをさせているが、秋頃にどこかのクラブチームか実業団チームを「乗っ取って」やろうという魂胆で幾つか目を付けているチームがあること。
「今練習しているのはアンダーエイジの日本代表だった子と、元プロ」
と藍川が言うと
「それ強すぎる気がします。私は多分そんなレベルじゃないです」
と池谷さん。
「いや、あなたは充分強い。それより怪我の状態はどうですか?」
「もうほとんど治っていると思うんですけどね。医者からはまだ練習開始の許可が出ないんですよ」
「日常生活はできる程度?」
「ええ。ふつうに歩く程度はできるから、今とりあえず毎日2km歩いています」
「だったら復帰は近いね。池谷さんは大学には復帰するつもり?」
「復帰すると、バスケ部に復帰できない気がして」
「だったら大学やめちゃったら」
「え〜?」
「充分な給料出せるようにするよ」
「それもいいなあ。実は大学に行くのに、私立の授業料って高いから親に負担掛けているのが心苦しかったんですよね」
帰り際、池谷さんのお母さんがホテルまでお送りしますよと言うので好意に甘えた。それに本人が居ない所でお母さんと少し話したかったのである。
お母さんは正直昨年1年間は仕送りするのに苦労したことを語った。池谷のお父さんはごくふつうのサラリーマンだそうである。旭川L女子高ではバスケが優秀なので授業料を半免してもらっていたので何とかなっていたものの、大学はやはり高額の授業料や寄付金などが重くのしかかっていたので、娘が怪我をしたのを機会に取り敢えずこちらに呼び戻したのもあったらしい。
更に本人もあまり勉強する気が無いようで、実際問題としてこの1年間はバスケばかりやっていて、単位をボロボロ落としたので、少なくとも4年間で卒業できないことは既に確定しているらしい。
だったらいっそどこかお給料もらいながらバスケのできる所があったら、本人にとっても、うちにとっても助かるんですけどねとお母さんは言っていた。藍川は「とりあえずしっかり怪我を治すようにしましょう。それからですね」と言い、その日は「また連絡しますよ」と言って別れたものの、藍川はこの子は使えそうだけど、今すぐローザのパートナーにはならないことを認識した。
それでいったんホテルに戻ってから、旭川ラーメンでも食べるかと思って街に出る。青葉に入って「醤油らぅめん」を頼み、ぼんやりとしながら食べていたら、近くの席にどこかで見たことのあるような女子が居る。藍川は自分の丼を持って彼女の隣に移動した。
「ね、ね、あなた誰だったっけ?」
「へ?」
「あ、ごめん、ごめん。私、藍川真璃子と言うんだけど、バスケの強い子を探しているのよ。あなたの顔、何かで見た気がして。違ってたらごめんなさい」
「あ、はい。旭川R高校女子バスケ部出身の近江と申します。いや、全国大会とかには出たことないんですけど、どこで見られたのかな?言葉のイントネーションが・・・関西方面の方ですよね?」
「うん。生まれは島根だけど滋賀県に長く住んでたから。そうか。一昨年の国体道予選に出てたよね?」
「はい。予選なら。決勝で札幌選抜に負けてしまったんですけど」
「ちょっと気になる子がいたんで見に来てたのよね〜。そうか。それで記憶があったんだ。あなた今どこのチームに居るの?」
「フリーです。高校を出た後、関東方面のチームに入りたいと思って、神奈川県の大学を受けたんですが、落ちちゃって」
「あらら」
「この大学に落ちる奴がいるのか?って高校の進路指導の先生に呆れられました」
「どこの大学?」
「T女子大なんですけど。一応関女2部で」
「あそこに落ちる人いるの?名前書けば通ると聞いたよ」
「名前は書いたんですけど」
と言って近江は頭を掻いている。
「男と間違われたんじゃないよね?とか言われたけど。まあ性別間違えられるのは慣れてるけど」
「まあバスケ選手やバレー選手には多いね」
「それでどうしようと思っていた時、千葉県のフドウ・レディースという所に居た先輩が誘ってくれたので、その人を頼って出て行って入れてもらったんです」
「そこかなり強い所じゃん」
「そうなんですよ。実業団やプロのOGも入っていて。でもそこはお給料とか出ないので生活費を稼ぐのにと思って、福祉介護施設にバイトで入ったら、そこの仕事が凄まじくて」
「あぁ・・・・」
「仕事が終わったら、次の勤務時間帯までひたすら寝ていても体力が回復しない感じだったんです。私を誘ってくれた先輩には本当に申し訳なかったんですが、完全に幽霊部員になっちゃって。バスケするのに関東まで出て行ったのに、そのバスケが全然できなくて」
「で結局帰ってきたの?」
「その施設が1ヶ月間の業務停止命令くらったんで」
「あらあら」
「それで取り敢えず実家でしばらく休ませてもらおうと思っていったん戻ってきたんですよ。来月また出て行かないといけないです」
すると藍川は言った。
「そこ辞めちゃいなよ」
「え?でも生活費稼がなきゃ」
「だって、あんたそこに居たらバスケできないじゃん」
「それはそんな気もしていたんですけど」
「生活費は私が何とかしてあげるからさ。それでうちのチームに入ってよ。あなたの籍はまだフドウ・レディースにあるの?」
「いえ、3月末で外してもらいました」
「じゃこちらに入っても問題無いね」
「どういうチームなんでしょうか?」
「まだ決めてない」
「え〜!?」
近江満子は藍川が作る予定のチームに入ることを了承してくれた。そしてバイト先の福祉施設は退職して、来月ちょうど佐藤玲央美が福岡に出張するのと入れ替りくらいに千葉県に出てきてくれることになった。藍川は思わぬ拾い物をしたなと楽しい気分であった。
それでその日は良い夢を見て眠ることができた。
(藍川は幽霊なのに眠るし、夢も見る。そのあたりの仕組みも本人はやや不思議に思っている。私、ひょっとしてまだ生きているのでは?と思うこともあるが、彼女はその気になると壁なども何の抵抗もなく素通りすることができるので、やはり自分には実体は無いようだとも認識している)
翌日、藍川は北海道まで来たついでに、インターハイの道予選を見に行こうと思い、釧路市に移動した。昨日のうちに借りていたレンタカーで朝4時に出て現地に8時に到着した。この日はインターハイ道予選の男女決勝リーグ第2戦・第3戦が行われるのである。
会場に着いた藍川はまずは9:00から行われた女子の決勝リーグ第二戦を見る。自分が多額の寄付をしている旭川N高校はやはり気になるのでそちらを中心に見るがN高校は釧路Z高校相手に苦戦していた。
「やはり千里が抜けた穴は大きいな」
などと独り言を言いながら見ている。試合は終始Z高校がリードしていたものの、最後に相手ファウルから絵津子がフリースローを2本入れて逆転した後、雪子のスティールから久美子がスリーを放り込んで4点差で辛勝した。N高校は昨日旭川L女子高に負けているので、これで1勝1敗で暫定3位である。L女子高は昨日N高校に勝ち、今の時間帯の試合でP高校に負け同じ1勝1敗。しかしL女子高の午後からの相手はZ高校、N高校の相手は札幌P高校である。圧倒的にL女子高有利だ。
「千里が卒業したし、私も別にN高校に寄付する義理は無いから、もうやめようかなあ」
などとも考える。
続いて10:30から男子の決勝リーグ第2試合が始まる。
「ん?なんで女子がひとり出てるのよ?」
と思う。旭川N高校側は、男子チームのはずなのに、どう見ても女子にしか見えない子がひとり入っているのである。しかもその子がチーム内で一番巧い!
藍川は興味を持ってその子を見ていた。彼女(彼?)は居並ぶ背の高い相手チームの選手を華麗なフットワークで抜くとスリーをきれいに放り込む。それで、全体的には相手が押しているものの、こちらもその子ひとりで頑張って得点を重ねていくのである。たまらず相手がファウルで停めようとしても、きれいにボールを放り込んで、バスケット・カウント・ワンスローで一気に4点取ったりする。
「この子が女子チームにいたら強力なのに」
などと思って見ている。しかし試合は結局相手チームとの全体的な力の差で負けてしまった。N高校男子は昨日も負けているのでこれで2敗である。この時点で他の3チームが2勝・1勝1敗・1勝1敗で、午後からはその1勝1敗チーム同士が当たり、どちらかは2勝になるため、N高校は決勝リーグ3位以下でインハイには行けないことが確定した。