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■女子大生・秋の実り(1)

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今日は歌ではないですが、名詩を。
 
落葉/上田敏(1874-1915)
 
秋の日のヰ゛オロンの
ためいきの身にしめて
ひたぶるにうら悲し。
 
鐘のおとに胸ふたぎ
色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや。
 
げにわれはうらぶれて
こゝかしこさだめなく
とび散らふ落葉かな。
 

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この名詩はポール・ヴェルレーヌのフランス語の詩を訳したものです。
 
Chanson d'Automne(秋の歌)Paul Verlaine (1844-1896)
 
Les sanglots longs
Des Violons
De l'automne
Blessent mon coeur
D'une languer
Monotone
 
Tout suffoncant
Et bleme, quand
Sonne l'heure
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure.
 
Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deca, dela,
Pareil a la
Feuille morte.
 

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(大意)
 
秋のヴァイオリンたちの
長いすすり泣きが
私の心を突き刺して
モノトーンの
憂鬱を引き起こす
 
全てが息苦しく
青ざめて、やがて
時を告げる鐘が鳴り
私は思い起こす
古い日々を
そして私は涙する
 
そして私は落ちぶれて
悪い風に吹かれ
連れて行かれる
ここかしこに
そしてやがて
枯葉のようになる
 

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ここで上田敏の訳をあらためて見ると、あまりにも美しすぎてコメントできない。でもなんで上田はタイトルまで「秋の歌」から「落葉」に変更したんでしょうね。
 

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今年の雅の振袖で7月10日に注文を締め切った“準友禅”は8月30日(月)までに全て完成し、注文者に通知した。
 
これを縫ったのは東山工房のだいたい5年目以下の人たちで、昨年はベテランの人に指導されながら本友禅の振袖を縫っている。経験はまだ浅いものの技術は高い人たちである。そして若いので作業が速く、2ヶ月経たない時間での完成となった。
 

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丹後の、蝶々縮緬製作所の営業を引き継いだトンボ縮緬製作所では8月に旧式織機と新型織機の半々で織った縮緬を立山呉服に納品したのだが、特に苦情も無かったので(両者を見比べて違いが無いことは、絹恵・千里・千鶴子の目と手の感触で確認している)、旧式織機を撤去し、新型織機に入れ換えた。これでトンボの織機は全て新型の電子ジャガードになった。
 

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千里の森林買収は2010年の後半は、福島県・宮城県・山形県などで進めた。福島県の買収林ではすぐに樹木の伐採をおこない葉枯しをした。伐採は10月で中止し、年内に麓におろして製材することにした。これはH大神の指示である。製材後は岩手県北部の倉庫に貯蔵する。この東北関係の事業の指揮をしているのはB'(ビーダッシュ“ボニー”)である。羽黒木材社長の藤島月華はほとんど名前だけである。
 
ロビンはむしろ今まで空白地帯だった石川・富山などの山林買収を進めた。この地域は2007年に能登半島沖地震、中越地震と大きな地震が続き、放置林が増えていて買収は想定以上のペースで進んだ。
 
なお新潟の森林買収は2010年の前半に進め、権利書は全部虚空の秘書である楠本京華に送っている。虚空からは「ありがと」と書かれた爆弾入りのゆうパックが来ていたので、洋上でライフルで撃って爆破処理しておいた。「赤の線か青の線かどちらかを切れば停まります。間違えると爆発するよ」という紙が付いてたが、どちらを切っても爆発するに決まっている。全く楽しい人である。
 
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10月に予定されていたU20アジア女子バスケットボール選手権が開催地インドの事情(総選挙や大きなお祭りにぶつかり治安が悪化する)で突然日程が変更された。
 
この結果、U20アジア選手権に出る選手はチェコで開かれるフル代表の世界選手権には出られないことになり、急遽代表選手の組み替えがおこなわれた。ところが今度は、あらたに代表に選ばれた帰化選手が、帰化前に元の国でアンダーエイジの代表になったことがあったことが判明し、日本代表にはなれないことが分かった。(日本代表になってほしいと言われて帰化したのに)
 
そのための再調整が深夜遅くまで続き、(東の)千里たちも遅くまで振り回された。
 

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スオミ(フィンランド)でも管理林が広がった。これはここまでに管理委託した人からの口コミで広まったものである。いっそ森林を買ってくれという依頼もあった。これが全体の3割ほどを占めた。
 
また地域が広がるにつれ、“勇者たち”の人数も増えて行った。フィオーラ様の指導でメイセーたちの“中部団”とスオミ南部の“南部団”に分けて管理することにした。南部団の中心になったのはヘボネンという子である。
「女なんかに従えるか」
と言って、千里に挑んできたが、首に村正を突きつけられて屈服した。
 
「馬鹿な。俺の間合いに入るなんて。今の動きが捉えられなかった」
 
そのあと道具など使わずにアカマツを輪切りにしてみせたら全員千里に従った。
 
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「ヤパニのニンジャ?」
「クノイチ?」(←変な言葉を知ってる)
「私は女サムライだよ」
「へー」
 
この手のパワーのデモンストレーションは大事である。誰よりも強いからこそ親分と認められる。誰も弱い奴には従わない。
 

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今年の雅の振袖で7月18日に注文を締め切った“京友禅・光”(山崎工房製)は9月6日(月)までに全て完成し、注文者に通知した。山崎工房は若い独身者が多く「たくさん残業したい」という人が多かったので、馬場工房長は社長と話し合い、夜7時までの残業と土曜日の休日出勤を認め(日曜日は休む)、割りとハイペースで作業が進んだようである。
 
こちらが山崎のスタッフを使うので先行した準友禅は東山の若手スタッフで進めた。
 
なお8月8日で締め切った“友禅風”も染めは8月25日くらいまでに既に完了しており縫製待ちである。
 

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千里が3月に福井県の山中に作った養豚場では、この秋から出荷が始まった。千里は福井県敦賀市にハム工場を建設してハム・ウィンナーも製造するようにした。福井・滋賀・京都などの店舗に供給する。
 
塩は石川県珠洲市で伝統製法により作られている“珠洲の塩”を使用する。姫路の工場で使用している赤穂(あこう)の塩に負けない名品である。
 
 
 
この工場を運営するため、北陸姫北ハムという会社を設立。姫北ハムの常務さんにここの社長になってもらった。またエレガントの京都西部店の加工肉担当者にもアドバイザーとして入ってもらった。
 
なお養豚場と同時期に作った養鶏場からは既に夏から卵や鶏肉が出荷されている。
 

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千里はH大神の指示により、大神のお膝元である鶴岡市に食品工場を作り、新米が出始めたので安く買えるようになった昨年度の米を使用し、おこわなどの缶詰や無菌化包装品をどんどん製造した。寒河江(さかえ)市や二戸(にのへ)市などの倉庫に貯蔵する。また大神はトラックをたくさん買うように指示したので4tトラック20台のほか“5t限定”免許でも運転できる2tトラックを年末までに40台買い、ドライバーも取り敢えず20人雇って、備蓄用物資の倉庫までの運搬の仕事をしてもらった。
 
千里は“大災害”の起きる日が近づいているのを感じた。
 
大神様は何もおっしゃらないが、千里は紫微経由で、歓喜の親戚の予言力の強い人(沙本)が「東北方面で大地震が起きる」と予言したと伝え聞いた。
 
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また熊本から畳もどんどん運んでもらった。これは姫路近くのたつの市に中継倉庫を作り、いったんそこに移動した。熊本から姫路、姫路から十和田等への移動には4tトラックを使用した。これは“8t限定”免許でも運転できる。但し実際に運転したのは大半が大型免許所持者である。
 

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千里は2006年に姫路に来た時から、兵庫県内の“一族”のおキツネさんたちの寄生虫駆除をしていたのだが、京都近辺にも“一族”が結構居ることが判明したので、一族の長老たち、またM大神などとも話し合い、京都でも寄生虫駆除を始めた。生肉を食べることを禁止し、虫下しの薬なども飲んでもらう。これで多分10年後くらいには一族の大半が寄生虫フリーになると思われる。たぶん寿命も伸びる。
 

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京都の呉服業界では多くの企業体が製造だけをしているところ、販売だけをしているところ、その仲介をする問屋に分かれており、雅のように製造と販売の両方をしている会社は希(まれ)である。雅の場合は元々、京友禅を作っていた宮田呉服店と衣料品全般を販売する備前屋が合併して生まれたという特殊な経緯があった(宮田+備前→宮備→雅)。2年前に倒産した横山呉服なども同様に製造会社と販売店の合併でできた会社だった。それでも横山は製造部門と販売部門が別会社に近い運用がされていた。雅のように両者が一体化している会社は少ない。
 
近年和服市場はとても縮小しており、売上が落ちて閉店する販売店も多い。結果的に販路を失い、廃業する製造所も多く、問屋もかなり減っている。経営の苦しいところが頑張っているところに救済を求めてくるケースも多く、昨年雅が多数の縫子派遣をしてもらえたのは、ひとつにはそういう背景もあった。また雅は2009年は既に倒産していた横山と平井を実質吸収し、横山の販売スタッフで福岡店を作ったが、2010年もふたつの呉服販売店を吸収し、そのスタッフで姫路店・奈良店、米原店を作った。
 
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また3つの製造会社を吸収して、職人さんたちを主として東山工房に入れている。これは職人さんの年齢が概して高いので、伝統的な作業環境の東山のほうが馴染みやすいだろうという配慮である。若い縫子さんなどは山崎や姫路に移している。山崎や姫路は合理主義だし、自由度も高いので若い人には快適である。更に同性愛者や性同一性障害の人にはラボ長自身が姓転換者である姫路は居心地がいい。雅では同性婚でも家族手当を出すし、女装勤務・社内通称使用もOKである。(店頭での女装と女子トイレ・女子更衣室の使用は各々個別審査)
 
元々女性の多い会社なので女性同性婚は昭和40年代から結構あった。当時の社長の決断で結婚お祝い金、家族手当を支給している。またFTMの人の男装勤務も当時から認めている。MTFの女装勤務を認めたのは1990年代から。但し個別審査としている。当時は女装勤務なら女子トイレOKだった。つまり当時は審査基準が厳しかった。現在は内勤者については、女装通勤を3ヶ月以上した人が女装勤務を宣言すれば無審査で女装勤務OKである(ただし服装性別の変更は一度のみであり、元の性別の服装に戻すことはできない)。
 
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9月8日(水)、この日は飛鳥の誕生日である。水曜日でお仕事は休みなので、波多と飛鳥は1日飛鳥のアパートで過ごした。ケーキとチューハイを買ってきてお祝いをした。
 
「だけど“飛ぶ鳥”と書いて“あすか”と読むのは慣れてるから読んじゃうけど難しい読み方だよね」
 
「アスカという地名はあちこちにたくさんあったらしい。それで奈良のアスカを“飛ぶ鳥のアスカ”と枕詞(まくらことば)を付けるようになって、この枕詞を由来にして、“飛ぶ鳥”と書いても“あすか”と読むようになったらしいね。そういう枕詞ができたのは鳥さんがたくさんいたからだって」
 
「田んぼとかたくさんあって鳥の餌が多かったのかな」
「かもねー」

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北鹿島の棚田では9月に入ってから稲の開花が多数確認され、結実の期待が高まった。稲は風媒花で自家受粉する:ビニールハウス内は温風導入やヒーターによる熱対流により微風が吹いている。
 

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8日は、飛鳥は卓也にスカートを穿かせてスカート同士で過ごした。
 
「たっくん女の子になりたかったのならタック知ってるでしょ?」
「別に女の子になるつもりはないけどタックは知ってる」
「じゃやってみよう」
「え〜?タックしたらセックスできないじゃん」
「入れてあげるから」
「ぼくが入れたい!」
 
ということで飛鳥の手で卓也はタックされてしまった。
 
「わーい。たっくんが女の子になった」
「これ凄いよね。考えた人は天才だと思う」
「女湯とか入ったことある?」
「入れるわけない。おっぱい無いし」(怪しい!)
「それは残念だね。ねえレスビアンごっこしよ」
 

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女子大生・秋の実り(1)

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