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一方、卓也が高校の時、窪田君とデートしてから10日ほど経った5月中旬、旭川駅で唐突に20代の女性から声を掛けられた。そして黒いビニール袋の入った手提げ袋を渡される。
「あなたこれ着けてなさい」
「えっと・・・」
「着け方分かる?」
「いえ」
「教えてあげるから」
と言って女性は卓也と一緒に駅の多目的トイレに入った。
「パンティ脱いで便器に座って」
「はい」
女性はビニール袋に入っていたパッケージから1個取り出すと開封した。そしてシールを剥がすと
「この粘着部分をショーツに貼り付けるんだよ」
と言うので、卓也は言われた通り貼り付けた。
女性は言った。
「あんたは5月3日にセックスした。セックスしたことにより排卵が起きた。もっとも彼氏はちゃんと避妊具を着けていたから妊娠することはない」
「良かった」
「妊娠しなかった場合、排卵の14日後、だから5月17日に月経が起きる。但し初めての月経は多少前後することもある。でもだいたい3日くらいで落ち着くと思うから落ち着くまでナプキン着けてなさい」
「はい」
「月経が起きる前は1日1〜2回の交換でもいいけど、月経中は3時間またはトイレの度に交換して。夜は“夜用”を使ったほうがいいかも」
「はい」
「公共の女子トイレならたいていナプキン捨てる汚物入れはあると思うけどもし無かったらこれに入れといて後で捨てなさい」
と言われて小さな黒いビニール袋ももらった。
「捨てる時は交換するナプキンのシールで包んで、その上でトイレット・ペーパーでもう一回包んでから捨てればいい」
「分かりました」
「それじゃ初めての生理大変だろうけど頑張ってね」
「はい」
「2度目は28日後に来ると思う」
「はい」
生理はその翌日に来た。凄く辛かった。ナプキンの交換は学校やコンビニの多目的トイレを使用した。もっとも女子の保健委員の涼世ちゃんが「生理でしょ?こっち使いなよ」と言って手を引いて女子トイレに誘導してくれたので、結構学校の女子トイレでも交換した。彼女は「クーヤちゃん生理だからこちら使わせるね」と言ってくれた。それで卓也が女子トイレに入っても誰も変な顔はしなかった。なお未使用のナプキンは制服のポケットに入れておいた。生理は3日ほどで収まった。
次の生理は28日後の6月14日に来た。その後もだいたい月に一度くらい生理は来ている。生理の期間中はだいたい女子トイレを使っている。
だけど卵巣も無いのになんで生理が来るの?と彼は時々疑問を感じている。
(いや生理が来る以上、卵巣・子宮があるのだと思いますが?)
また生理が出てくる場所も謎である。
(生理が出てくるのは膣に決まってるじゃん)
ナプキンをくれた女性は“みずえ”と名乗っていた。以前にもどこかで会ったような気がしたが思い出せなかった。しかし彼女にはその後もいろいろ助けてもらった。卓也が10年後に彼女の主人と関わるので助けてくれるのだと言っていた。
高校の時、レナがナプキンを持っていることを変に思った女子はいなかった。かえってよくナプキンの貸し借りなどもした。生理の日は手帳にマーク付けておきなよと忠告してくれたのは涼世だった。
ナプキンは男の娘の佐伯君も持っていたが
「佐伯君のは“生理ごっこ”、レナちゃんのは本当の生理」
などと言われていた。性転換したから生理も来たのだろうと思っている子もいたようだ。レナにヴァギナがあるというのは広く信じられており、ふたなり説もあったようである。
また吉岡君は「レナちゃんは女の子の香りがする」と言っていた。匂いの問題は女子たちからも指摘された。佐伯君が男の子の臭いがするのに対してレナにはそういう臭いが無いと言っている子もいた。(多分それが後にレイプされた原因。それにレナは男性に対して無防備過ぎるのである)
10月末。神様のお留守番の特別体制が終わったので、ロビンは京都南邸に戻り、ゆりは深川に戻り、夜梨子は京都北邸に戻った。
10月31日(日)、和弥たちは姫路に帰還した。11月は内地の七五三である。移動には睦美が付き添って行った。
まず留萌から旭川空港へは2台の車に分乗して行った。
カローラ:
運転席:サハリン、助手席:和弥、後部座席:星弥・月弥
レガシイ:
運転席:まゆり、助手席:睦美、後部座席:日弥・空弥
そして桜ジェットで神戸空港まで飛ぶ。空港には車を2台持って来てもらっていたのでまた分乗して姫路に向かう。
ウィングロード:
運転席:コリン、助手席:和弥、後部座席:星弥・月弥
シビック:
運転席:まゆり、助手席:睦美、後部座席:日弥・空弥
それで睦美はまゆりの母(光子)、祖母(和子)に挨拶し、姫路のお留守番をしていた花絵なども入れて但馬牛の焼肉をする。そして一晩泊まってから翌日コリンの車で神戸空港に行き、桜ジェットで新千歳に送ってもらった。
「すみませーん。私ひとりだけなのに」
「VIPですね」
11月3日は立花K神社の例祭である。神社では宮司のまゆりが神事をおこなった。
境内には、大学生のグループ、作業所の人などによる出店がいくつか出た。千里はカキフライ・フランクフルトのお店と、来年のえとの、ウサギ人形を売る店を出した。
11月、北鹿島の棚田で収穫を行った。
結実していたのはだいたい8割くらいであった。
「これだけできたら充分だね」
「今年は種を蒔いたのが遅かったですからね」
「来年は4月から始めよう」
「品種もきらら397にしましょう」
「そのほうが寒さに強そうだね」
今年はコシヒカリを使った。「コシヒカリが一番美味いですよ」という声があったからである。きららを推す声もあったが挙手でコシヒカリになった経緯があった。しかし結実できなかったものが多かったことから来年はやはり寒さに強い品種ということになった。もっとも今年は始めた時期が遅かったという問題があったので、きららでもうまく行ったかは微妙である。でも今年コシヒカリを推したメンバー達は↓稲藁の鹿無島への運搬で頑張ってくれた。
今年の米は自家消費することにした。食べる子はたくさんいる。千里は島に脱穀機を持ち込んで木材倉庫(通称:宴会場)に置いた。
なお赤石たちは楽しく鴨葱パーティーをしたようである。
棚田のビニールシートはいったん外した。これは雪対策である。来年春にまた新たにシートを掛ける。また稲藁は鹿無島の牛たちの餌にした。
鹿無島の牧場では11月末まで放牧を行った。放牧場は7月には取り敢えずビニールシートを掛けておいたのだが、9月までに屋根部分は雪の重みに耐えられる鋼板に交換しておいた。そして雪が降ると龍族の子たちに屋根の雪掻きをさせ、雪は浜池に流れ込む水路沿いに捨てさせた。また夜間は通電して少量の雪は融かすようにした(通電中は周囲に赤いランプを点灯させる。通電していない時は緑のランプが点いている。もっとも危険なほどの電流ではないし、彼らは丈夫なので少々の電気は平気である。更にセンサーで電気を止めるようにしている)。これで雪のシーズンでも本格的な冬が来る前の11月くらいまでなら放牧が可能になった。
なお冬の間の餌になるサイレージは今年の冬は本土から船で運ぶ。来年は島にも牧草サイロを作る予定である。
鹿無島の住宅の雪下ろしは去年までは補給の人がしていたのだが、千里は桜組の柳里君や小平ファームの高島さんと話し合い、千里のところ(天野航空)で引き受けることにして龍族の子たちにやらせた。人間には危険な作業だが、彼らにとっては遊びのようなものである。雪は水路に捨てる。水路沿いにはヒーターを設置し雪を融かすようにし、冬の間に水不足が起きないようにした。この島も北鹿島も風力のおかげで電気は豊富である。
鹿無島の“コンビニ”では宅急便の発送代行を始めた。受け付けたら“一週間程度以内”に発送する、というのんびりした運用である。留萌市内の本物のコンビニのサブステーション扱いにしてもらった。距離的に近い小平町のではなく遠い留萌市のコンビニにしたのは、小平町との連絡船は週に一回しか運行されないのに対して、留萌市との連絡ヘリは毎日運行されるからである。ただしクール便、こわれもの、大型荷物などは取り扱わない。しかしそれでも助かると言われた。
なおこの島に郵便ポストは無い。水曜日の連絡船の人に投函を依頼する。これは法的な問題がある。郵便職員以外が私信に関与できないのである。連絡船は郵便会社との契約を引き継いでいる。この島への郵便も連絡船のスタッフが届ける。
しかしみんな結構夕方に留萌に行くメンバーに投函を依頼しているようである。(ヘリに乗れるのは2人まで。ファームの駐在者はだいたい4人前後。時期により変動する)
またこの島への宅急便は、正式住所を書くか、またはカンピ留萌支所気付にする。前者は週一回の連絡船で運ばれる(公式ルート)。後者は毎日夕方のヘリで運ばれる(非公式ルート:隣の人に預かってもらうのと同じような扱い)。鹿無島の住人までカンピ留萌支所気付を使っている:天野航空のスタッフが届けてあげている。
ホタテ稚貝の養殖をしている福居海産であるが、忠行君の時間が取れないのでもう事業をやめようかとも言っていたのだが、社長の祥子さんと津気子!との話し合いで、養殖の作業のほとんどを武矢がすることにして忠行君の負担を減らし、事業は継続することにした。これで武矢の木曜日の仕事は続くことになった。
しかし武矢だけでは心許ないので!、グレースは留萌出身だがこの夏に札幌で失業した新田君という20代の男性を雇い、作業の一部をやってもらうことにした。
福居海産は、東の千里の所管だがブレンダ本人は忘れている!ここは一応、きーちゃんが会長、福居祥子さんが社長である。営業や出荷も新田君にやってもらうことにした。すぐ人と喧嘩する武矢に営業ができる訳無い!武矢は車も運転できないし。
忠行君も「車が運転できる人が入ってくれて助かった」と言っていた。新田さんには“営業部長”の肩書きを与え、健康保険証も渡した。このあたりの手続きは祥子さんが頑張ってやってくれた。
朝日が妊娠したというので、子供はできないものと思っていた和彦は物凄く喜んだ。一応ゴールデンウィーク明けから出産後3ヶ月までを産休とすることになった。なお母や姉は
「まああんたなら妊娠するかもね」
と言っていた。(きっと思考停止)