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9月12日(日)、玲羅が受験を予定している札幌文化大学の音楽科で第1回目のプレ講座が開かれ、玲羅は出席した。プレ講座は9-11月に毎月2回おこなわれる。
さて、玲羅が出掛けていると村山家ではご飯を作る人が居ない。一応プレ講座にしろ先月のオープンキャンパスにしろ土日だったので、津気子は仕事が休みである。しかし津気子の料理は適当である、先日のオープンキャンパスの時は
「あなたー、出前一丁とチャルメラとどちらがいい?」
ということでインスタントラーメンだった。朝はふりかけご飯だった。
今回は
「あ、もう夕方か。何か買ってくるね」
というので、何か料理の材料を買ってくるのかと思ったら
「お弁当2つ買ってきたよ。からあげ弁当とハンバーグ弁当、どちらがいい?」
ということでコンビニのお弁当だった。
武矢は来年4月からの食生活に一抹の不安を感じた。(多分万抹くらい不安があると思う)
9月、武矢が毎週木曜日に作業している、ホタテ稚貝養殖を運営している福居海産の福居和夫さんが入院した。入院は長期になりそうだった。和夫さんは社長を辞任し、話し合いの結果、奧さんの祥子さんが社長を引き継ぐことになった。なお実務は孫の忠行が全てしている。しかし忠行は他にも仕事を持っているので、稚貝の養殖は適当な時期に終了するかもしれないと言っていた。
9月14日 - 任期満了にともない民主党代表選挙が投開票され、菅直人が小沢一郎に勝利し、再選を果たした。
この結果、震災の処理は菅直人に託されることとなった。
9月18日(土)、大学剣道の秋の関西地区大会がおこなわれた。京教女子は、るり・えりと2年生の3人で参加。準優勝となり全国大会に駒を進めた。
9月16日、近畿日本鉄道が直接の前身会社である奈良軌道創業以来、100周年を迎える
9月16日、タレント田代まさしがコカインを所持していたとして麻薬及び向精神薬取締法違反の現行犯で逮捕された。
9月18日-11月14日 - 第27回全国都市緑化ならフェアやまと花ごよみ2010開催。
スオミ(フィンランド)で千里は南部でもう廃業しようとしていた製材所を買収し経営を引き継いだ。機械を新型に更新したり、若い人を雇ったりして経営の改革を進めた。ここは“白樺製材所”というところである。ここをモデルにいくつか製材所を作りたいとも考えており、コンサルタントを招いて色々試みをしてみる。
清香の父・木里蔵人さんが経営している母里酒造の子会社、母里食堂の板長さんがこの春にガンで入院し、しばらくお店はその板長さんの古い友人で、大阪の飲食店の次板をしていた桜井さんという人に臨時で見てもらっていたのだが、8月、とうとう板長さんは亡くなった。今後のことが未定なのでお店はいったん8月末で閉めた。
桜井さんは大阪に帰らなければならないらしく、内部に板長ができるような人が居ないので、木里さんは和食の調理人の経験者を募集した。しかしなかなかいい人が見付からない。
そこに30代の台湾人兄弟(日本の永住権所持)がやってきて「日本食頑張って覚えます。雇ってください」と言った。木里さんは募集の趣旨と違うと説明して帰ってもらおうかとも思ったのだが、ふと思いついて
「君たち、中華料理は作れる?」
と尋ねた。
「はい。神戸の上海料理の店で10年働いていました」
「でもそこが飲茶(やむちゃ)の専門店になって、点心自体も多くが工場生産品が使われるようになり、大半の料理人が解雇されたんです」
「君たち採用」
それで木里さんは、これまでの“母里食堂”を“母里酒家”と看板を掛け替え、和食あらため中華料理の店に変えてしまったのである。兄の楊進一を料理長、弟の楊進二を副料理長とする。そして9月末に新装オープンした。
スタッフはフロアスタッフも調理スタッフも全員残ってくれた。フロア係の人たちは
「料理の中味はあまり関係無いし」
と言い、板前さんたちは
「色々な料理を経験するのが勉強になる」
と言っていた。実は桜井さんまで「中華料理勉強したい」と言って残った。
店を中華っぽくするのに、お店の改装に200万掛けた。中華っぽい絵を千里も描いて寄贈した。そのほか、調理器具や食器を揃えたり制服を変えたりで結構掛かった。ただし食器の大半を“伊万里”で買ったのでかなり費用は抑えられた。それでも全部で1000万近くかかっている。木里さんは費用は銀行から借りようと思ったようだが、銀行は最初(適当な担保が無いため)融資してくれなかった。清香に頼まれたので千里は個人で保証することで播州銀行から融資を受けることができた。
立花K神社の北町社・上町社の境内を流れている小川は、有明川の分流で立花川という川である。
(本流に合流する川を支流と言い、本流から分かれていく川を分流という。立花川は元々江戸時代に用水(水道)として人工的に造られたもの)
この立花川の水は名水だとしてペットボトルやポリタンクに汲んでいく人もよくある。昨年にはこの川の水を使用して、姫路サイダーという清涼飲料水の工場も作られている。
ところで母里酒造は有明川の水を使って酒造りをしていたのだが、立花川の水で清涼飲料水が作られるようになったと聞き、本流の有明川より分流の立花川のほうがひょっとするとよいのかもと考え、こちらの水を使った試作品を作ってみた。
すると多くのテスターたちが立花川の水で作られたお酒のほうが美味しいと判定した。
それで母里酒造は全面的にこちらに水源を切り替えたのである。
姫路サイダーの工場は立花川の源流、旧浄水場の近くから取水しているが、こちらは神社の境内で最も上流の真名(まな)池への流入口近くから取水している。
9月中旬、留萌三泊P神社では秋祭りの練習が始まった。小学生巫女の舞いに出る小学生たちも練習を始めた。2年生のアキは今年は2列目で舞う。
魔女っ子千里ちゃんが出て来て言う。
「そろそろ女の子にならない?」
「その内頼むかも知れないけど今はまだいい」
「わかった」
「でも“魔女っ子千里ちゃん”って長いから、単に“千里ちゃん”とかじゃだめなの?」
「千里は30人くらいいるんだよ」
「そんなに?」
「みんな同じ名前だとまぎらわしいから、ひとりひとりには付加的な名前が付いてる」
「ふか?」
アキには言葉が難しくて分からない。
「一番偉いのがグレースって子で、ぼくは下っぱのオーリン」
「オーリン?」
「アイン・ゾフ・アウル(オーリタ)が付けてくれた名前だけど、アキちゃんもぼくのことオーリンと呼んでいいよ」
「じゃ今度からオーリンと呼ぶよ」
「うん」
京都教育大の剣道部では4年生が卒業準備で離脱するので新しい部長を決めた。
女子では3年生の平田芳恵が部長になった。
「木里さんか村山さんが部長でもいいと思うけど」
「順番で」
「大会には全く出ない部長になるな」
今年の雅の振袖で8月1日に注文を締め切った“京友禅・夢”(東山工房製)も9月24日(金)までに全て完成し、注文者に通知した。これで残りはプリンタ染めの廉価品“友禅風”(と振袖21)のみである。
9月24日、ヘリコプター学校に行っていた坂本・松下がヘリコプター学校を卒業、ライセンスを取得した。千里は最初、長距離の運用がある真広用に男性の坂本、短距離の補給用に女性の松下と考えていたのだが、真広が女性パイロットを希望した。
「だって女社長に女パイロットって格好いいじゃん」
真広って女のつもりだったのか!きーちゃんに
「なぜ自分を女にした?」
と抗議してたくらいだし、女の子と結婚したし、男の子の意識なのかと思ってた!(実際にはきーちゃんは何もしてない(と言ってる)。ただの突発性女性化症候群だろう←きーちゃんの見解)
真広は「女の身体であるメリットは女子更衣室や女湯に自由に入れること」なんて危ないこと言ってたし:痴漢じゃないのか?
しかしそれで松下さんを事実上真広の専属パイロットとし、鹿無島航路に男性の坂本さんを使うことにした。
また10月から、ヴィクトリアと一緒に柴田さんという男性(新規採用)にもヘリコプター学校に入ってもらうことにした。
それ以外に既にヘリコプターの免許を持っている男の娘を年末までに10人、また助手の男の娘を10人雇った。別に性別は何でもよかったのだが、きーちゃんに任せておいたら男の娘ばかり集めた。(完璧に趣味に走ってる)
彼らには勤務の服装は男女どちらでもいいと言ったら全員女装を希望し、認めた。女子トイレの使用も認めた。春頃までには完全な女性になってる人が多数出そうな気もする。
また二戸(にのへ)市・寒河江(さかえ)市・十和田(とわだ)市などの倉庫のそばにヘリポートを設置した。
またヘリコプター自体も10機買って分散して駐めた。当面東北各地の写真撮影などをしてもらう。物資投下の練習もさせた。練習の目的はあまりに恐ろしくて言えない。
9月26日(日)、玲羅が受験を予定している札幌文化大学の音楽科で第2回目のプレ講座が開かれ、玲羅は出席した。ここはプレ講座6回のうち4回以上出席して『トルコ行進曲』か『小犬のワルツ』を弾けたら入れてもらえる。玲羅は全回出るつもりである。曲のほうはどちらでも楽勝である。
なお土曜日の留萌・村山家の夕食はサッポロ一番・みそラーメンだった!(玲羅はロゼが転送してくれたトンカツを食べた)
10月1日(金)、お昼過ぎ、和弥・まゆりたちは昼食後、2台の車に分乗して神戸空港に向かった。
ウィングロード:
運転席:コリン、助手席:和弥、後部座席:星弥・月弥
シビック:
運転席:まゆり、助手席:光子、後部座席:日弥・空弥
10月は北海道は七五三の季節である。参拝集中日は10月9-10,16-17日になると思われる。
神戸空港で桜ジェットに乗る。日空はベビーベッドに載せる。シビックは空港の駐車場に駐めておき、ウィングロードはコリンが持ち帰る。
飛行機は子供たちと、まゆり・和弥・光子を乗せて3時頃離陸し、旭川空港まで飛ぶ。
旭川空港からはまた2台の車に分乗して留萌に向かう。
カローラ:
運転席:サハリン、助手席:和弥、後部座席:星弥・月弥
レガシイ:
運転席:まゆり、助手席:光子、後部座席:日弥・空弥
6時すぎに留萌P神社に到着する。札幌から(和弥の両親の)民弥・睦美も来ているので日弥・空弥をお披露目する。日空に人気が集まっているので星月が面白く無さそうである。サハリンはふたりを抱き締めて、別室に移動してレゴで一緒に遊んであげた。
「日弥や空弥はレゴができないよね」
「そうだね。星弥も月弥もお兄ちゃんだからレゴができるね」
「うん」
嫉妬ってたいへんだなあ、とサハリンは思った。
まゆりと和弥および子供たちは10月末まで留萌に留まるが、光子は一晩だけこちらに泊まってから、翌日にはサハリンの運転する車で旭川空港に行き、桜ジェットにひとりで乗って神戸空港に戻り、空港に駐めておいていたシビックで姫路に帰還した。ひとりでジェット機に乗るのは恐縮していた。
「済みませんね。私ひとりだけなのに」
「気にしないでください。回送のついでですから」
なお、まゆりと和弥が留萌に行っている間、姫路立花K神社の留守は花絵(権禰宜)と越智(出仕)が預かる。夜梨子(実は出仕!)もできるだけサポートする。夜梨子は神職課程で既に1年半学び来年3月には卒業するからもうかなりプロに近い。
「私が卒業したら次は師範(越智)が神職課程に行きません?」
「この年(52)では無理だよ」
「でも教えられる内容は既にほとんど知っておられるし」
「女房が嫌がってるし」
「ああ」
それが無かったら越智が宮司を継げば何も問題は無かった。奧さんの響子さんとしては神社なんて“しんきくさい”物事にあまり関わりたくないのである。もっとも既に多くの氏子さんが越智を宮司だと思い込んでいるが!
実際:
まゆり:宮司、和弥:禰宜、花絵:権禰宜、越智:出仕
氏子さんたちの思いこみ:
越智:宮司、和弥:若宮司、まゆり:巫女長、花絵:副巫女長
ただし上町社は「女の神様を祭る女の神職の神社」と雑誌やテレビが紹介したことから、まゆりと花絵が宮司・禰宜であることはかなり知られている。(上町社ではまゆりが宮司、花絵が禰宜、和弥は権禰宜。御祭神は豊受姫と天照大神)
響子さんは先代宮司(まゆりの祖父)平田茂行の従妹に当たる。
越智総次は姫路に来て以来、親戚のよしみで病弱だった茂行の手伝いや代行をしている内に神社の儀式等の次第を覚えてしまったのである。元々若い頃にも北海道で神社のバイトをした経験があったらしい。