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■女子大生・夏の恋(1)

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ゴンドラの唄 作詞:吉井 勇(1886-1960)作曲:中山晋平(1887-1952)
 
いのち短し、恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日は無いものを
 
いのち短し、恋せよ少女
いざ手をとりて彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を君が頬に
ここには誰れも来ぬものを
 
いのち短し、恋せよ少女
波に漂(ただよ)う舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を我が肩に
ここには人目も無いものを
 
いのち短し、恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお消えぬ間に
今日はふたたび来ぬものを
 
歌詞からタイトルが想像できない歌というのは多いが、これもその最たるもののひとつ。実はこれはツルケーネフ原作の劇『その前夜(Накануне)』公演(芸術座)の劇中歌として歌われたもので、ヴェニス(ヴェネツィア)でゴンドラを待つシーンで松井須磨子が歌ったものである。松井須磨子といえばトルストイ『復活』のヒロイン、カチューシャが当たり役で、日本で半円形の髪飾りを“カチューシャ”と呼ぶのは松井須磨子のファッションに由来する(英語では“Alice band”が近いと言われる:『不思議の国のアリス』の挿絵に由来する。但しAlice bandは日本語でいうヘアバンドの類いまで含まれる)。
 
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松井は『復活』でも『カチューシャの唄』(カチューシャかわいや、別れの辛さ)を歌ってヒットさせて いるが、この曲もヒットさせて連続ヒットとなった。
 
NHKの連続テレビ小説『いちばん星』では佐藤千夜子がこの歌を歌うシーンがあったが、本当に当時佐藤もカバーしたのかは不明(レコードは確認できない)。しかしこの歌は長く歌い継がれ、後に美空ひばりや藤圭子などもカバーしている。
 
でもヴェネツィアといえばゴンドラですね。現在ヴェネツィアには400艘くらいのゴンドラがいて、そのほとんどが観光船になっています。中には動力を積んでいるものもあるらしいですが、多くは船頭(ゴンドリエーレ。女性ならゴンドリエーラ)の櫂の操作で水を掻いて推進しています。昔『ヴェニスのゴンドラ』なんて歌もありました。私のカーナビの 0 (ゼロ)番のフォルダに入れています。
 
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Les_Gondoles_a_Venise
 
ヴェニスのゴンドラもテームズの春も放っといて。ピラミッドもフロリダの太陽も遠くに片付けて。カプリ島は観光客に任せて。スーツケースは開けなくていいわ。でも音楽を少しかけて。そして私の腕を取って。
 
(テームズ川には春には桜がたくさん咲いて見頃となる)
 
音楽を要求するところが仏蘭西人ですね。これが日本の演歌だとお酒を欲しがりそう。
 
歌っているのはシェイラ(Sheila 1945-)とリンゴ(Ringo 1947-)というペア。詳細はよく分かりませんが、各々が独立して活動している歌手で、多分この曲だけのコラボではないかと思います。恐らくは1973年頃のヒット。(1974年頃にNHK教育テレビ『たのしいフランス語』で紹介された)
 
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6月下旬、夜梨子は会津若松市のヤング工芸店を訪れた。千里はこの店から張り子の赤べこ人形を買っている。
 
「来年のえとのウサギ人形が欲しいんですけど、どこか作ってるところを知りません?」
 
すると店員のひとり末田さんが「私の友だちの勤めている店が作ってますよ」と言うので紹介してもらった。
 
会津若松市内の古い商店街の一角にそのお店はあった。“ミート人形店”という看板が出ている。
「ミートって“会津”ですか?」
「そうなんですよ。うちのヤングと同様の語呂合わせですね。でもお肉屋さんと間違われることあるらしい」
「あはは」
 
ヤング工芸店は会津若松の“若松”から採ったものである。しかし元々“会津”という地名が、昔の四道将軍の大彦命(おおびこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が遠征の途中、ここで“会った”ということから命名されたという伝承がある。
 
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(四道将軍とは“初めて国を治めた天皇”と日本書紀が記す崇神天皇の時代に大和朝廷に従うようにと諸国に派遣された4人の将軍である)
 

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それで夜梨子がお店に入ってみると、丸っこいウサギの人形が並んでいる。
「可愛い〜」
 
お店の人が出てくる。末田さんの友人のようである。
 
「これは木目込み人形ですか?」
「似たようなものですが、うちでは“桐のこ人形”と呼んでるんですよ」
「へー」
「桐塑(とうそ)、つまり桐の木粉で作っています」
 
福島県は桐の産地で、会津桐は評価が高い。
 
「なるほど」
「お土産にいかがですか?」
「じゃこのサイズのを取り敢えず40個」
 
お店の人がびっくりする。
 
「お店か何かやっておられます?」
「神社なんです」
「ああ」
 

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40個も在庫が無いということだったので、取り敢えず10個買い、残りは作って送ってもらうことにして住所を書いた。
「北海道と兵庫?」
「その2つの神社に関わっているもので。15個ずつお願いします。まとめてでなくてもできた分から少しずつ送ってもらえたら。北海道のほうがお祭りが近いから、北海道優先で」
「分かりました。しかし随分離れてますね」
 
「留萌の出身で、姫路の高校に行ったんですよ」
「お父さんの転勤とかで?」
「スポーツ特待生で」
「凄いですね。水泳か何かですか?」
「剣道なんです」
「おぉ」
 
「段位とか持っておられます?」
「ええ。五段です」
「凄い。さすが特待生だ」
「五段って剣道でいちばん強いんでしょ?」
「五段最強説というのはありますね。六段になる頃には体力が衰え始めるから。剣道では六段って五段を取ってから五年経たないともらえないんですよ」
「やはりピークの年齢がありますよね」
 
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「そんな何年とか置かなくても強い人にはどんどん上の段位あげればいいのにね」
「特例はありますけどね。私も五段は本来23歳にならないともらえないのを全国大会優勝のご褒美に18歳で五段をもらいましたから」
「全国大会で優勝って凄っ」
 

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6月30日(水).
 
大祓である。
 
和弥と光子(まゆりの母)はお昼過ぎ、立花K神社(北町社)で星弥・月弥を連れて茅の輪くぐりをした。
 
14時半頃、京都から千里(ロビン)が来訪する。
 
千里と和弥が星弥・月弥を連れてウィングロードに乗り神戸空港に向かった。運転は千里がした!(和弥より千里のほうがうまい)和弥は助手席に座り、後部座席のチャイルドシートに座る星月の様子を時々見ている。ふたりとももう2歳なのでよくしゃべっていた。
 
空港で桜ジェットに乗せるが楽しそうである。やはり男の子は乗り物が好きだ。16時半頃神戸空港を離陸する。離陸・上昇の間は少し怖そうにしていたものの、安定飛行に入るとすぐ元気を取り戻す。外の景色を見てはしゃいでいた。千里がチャーハンをあげたら美味しそうに食べていた。それを食べ終わった後はようかんもあげた。(洋服をあまり汚さないようなものを選んでいる)
 
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18時頃、旭川空港に着陸する。カローラに4人で乗り、出発前に車内でご飯を食べる。食事はサハリンが用意しておいてくれた。そして星月はお着替えをする!
 
そのあと留萌に向かう。運転は千里がして、和弥は助手席である。
 

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20時頃、留萌P神社に到着する。札幌から睦美(和弥の母)が来ているので、星弥が和弥に手を引かれて、月弥はお祖母ちゃんの睦美に手を引かれて、茅の輪をくぐった(どちらも男周り)。千里も茅の輪をくぐった(女回り)。
 
もう20時だから子供たちはすぐ寝かせ、睦美に見ておいてもらい、21時過ぎから神事をする。氏子さんが持参あるいは郵送してきていた人形(ひとがた)を境内の小川に流す。ただし20mほど先で回収する。流す役は常弥(宮司)、回収は和弥(禰宜)がおこなった。
 

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同じ頃、姫路の立花K神社でも同様の神事が行われる。こちらは流す役は花絵(権禰宜)。回収は越智(出仕)である。
 
そして留萌でも姫路でも23時すぎに回収した人形(ひとがた)をお焚き上げした。
 
そして24時前に留萌では和弥(P神社禰宜)が、姫路では花絵(立花K神社権禰宜)が大祓の祝詞(おおはらえののりと)を神前で奏上し、大祓の行事は終了した。
 
和弥さん、だいぶ祝詞(のりと)上手くなってきたな、とロビンは思った。
 
和弥は夏祭りまで留萌に留まるが、ロビンは神事が終わったところで、洞門の鏡を通っていったん京都に戻った。
 

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P神社境内のこの小川の水源は田代君のお祖父さんによると“ひょうたん沼”という話だったが、実際に確かめた人はほとんどいない、国土地理院の地図にも記載が無い。
 
この小川は遡ると、市営住宅の一番奥の村山家のそばも流れている。村山家の左手には車が入れない細い道(通商“奥の道”)があるが、小川はその道に沿って流れている。

 
“奥の道”は冬は雪で覆われ、夏は雑草が生い茂るので、5月頭の雪解け直後短い期間しか通行できない。しかし最近はヒグマが出るからとして通行止めになりバリケードが置かれている。しかし千里は中学の時、すーちゃんを連れて入ってみたことがある。すると1kmほど行ったところに確かに小さい沼があった。それが多分“ひょうたん沼”なのであろう。そこに流れ込む川とかは見当たらなかったので多分湧水があるのではと思われた。
 
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P大神に一度お伺いしたが、今は岸が崩れて四角い形になってしまったが、昔は真ん中がくびれていて、ひょうたんの形をしていたらしい。「寿老人」と書かれた鳥居もあったがもう倒れて朽ちて久しいらしい。
「別に復興とかしなくていいぞ。別にあそこには神様はいないから」
「はい」
「せいぜいタヌキが住んでいた程度だ」
「タヌキと神様じゃ随分違う」
「自称神様のタヌキは多いがな」
「多いですね!」
「そんなものよりこの神社に寄付でもしてくれ」
「じゃ儲かったら」
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