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飛鳥は結構、男と女を使い分けている。最初に勤めた飲食店では
「あんた女にしか見えないから女の子ということでいいよ」
と言われて採用してもらっている。
運搬船の仕事では
「へー。君男の子なんだ?だったら頼むよ」
と言われて採用されている。
健康保険証も最初の飲食店でもらったものは性別女になっていたが、運搬船の仕事では性別男になっていた。
中学高校でも授業は男子制服で受けていたが、放課後は女子制服に着替えて部活をしていた(本人主張)。
部活は中学時代は吹奏楽部に籍を置き、コーラス部は助っ人だった。高校では吹奏楽部とコーラス部を兼部していた。中学でも高校でもコーラス部は女声合唱である。吹奏楽部の楽器は中学の時はフルートだったが、高校の時はフルートが満杯でサックスに回った。フルートは自前(白銅製)だが、サックスは学校の備品でマウスピースだけ買った。コーラス部は本来は女子しか入部できないところを顧問の先生はピアニスト名目で入れてくれた。実際ピアニストも務めたが歌っているほうが多かった。
飛鳥の時代はまだ中学の武道は必修科目ではなかった。空手は小学生の頃習っていた。でもいつも女子と組んでいた。男子は組むのを嫌がった。道場の先生も男子と組ませるのは危険と言っていた。なおスチール缶を握り潰すのは空手とはあまり関係無い、ただの“わざ”である。あれは要領があるのだと本人は言う。
剣道は空手道場で一緒だった子に誘われて、女子剣道部にマネージャーとして入った。顧問に言われて病院で性別検査を受けたら「間違い無く女性」という診断書が出たので!?大会にも出たが、いつも一回戦で負けていたのでいいだろう。しかしそれで段位試験を順調に受けていき、23歳で五段になった。むろん女子の五段である。
運搬船の仕事をしていた時押し倒されたことはあるが
「冷静になって。ぼく男だよ」
と言ったら自分でやめてくれた。
「ごめんね。あまりにも可愛いからつい。でも君おっぱいは本物なんだね」
「女性ホルモン飲んでるから」
「ああ。やはりその内性転換手術とかするの?」
「30歳になる前には受けるつもり」
「すごいねー」
卓也の高校の時の出来事。
ある日バンド“ガーベジ・ボーイズ”の練習場所に行くと
「おお波多君、いい所へ。君もあみだ引いて」
と言われる。
どうもまずい所に来たようだなと思いながらもあみだくじに名前を書く。
ちなみにこのバンド名は、彼らがいつも“まじめに”掃除をしていたので、ゴミ捨てを担当していたから名づけられたものである。
あみだくじは卓也が当たった。
「波多君が当た〜り!」
「何するの?」
「今度の文化祭の演奏では女子制服着て」
「え〜!?」
それで女子制服を渡される。
「これどこの制服?」
「E女子高。姉貴が着てた制服だけど、君にあげるから、これからはいつも着てね」
「そんなあ」
「ブラウスと下着は自前で用意してね」
「下着もなんですか〜?」
「だって女子制服着る時は身も心も女子にならなくちゃ。だから下着も女物を着る。パンティにブラジャー着けてね」
「え〜え!?」
「この機会に性転換手術してもいいよ」
「それはやだ」
しかしそれで卓也は母に頼んでブラウスと女の子下着を買ってもらい、パンティとブラジャーを着け、ブラジャーの中には靴下を丸めて入れ、更にキャミソールも着て(キャミソールの感触はやみつきになりそうだった:それでやみつきになったのね?)ブラウスを着て女子制服の左前ブレザーを着てスカートを穿いた。母は「眉毛少し切ったほうがいい」と言って眉毛を細く切ってくれた。これで凄く女の子っぽくなったのでびっくりした。
更に文化祭の前日には美容院に連れて行かれ、可愛い髪型にされてしまった。(もはや男には戻れないね)
母は面白がって並んだ記念写真も父に撮ってもらっていた。
「美容院で髪切ってもらったついでに、病院でちんちん切ってもらう?」
「そういうくだらないダジャレはやめてほしい」
そして文化祭ではその服装で演奏したのである。バンドメンバーの紹介では
「キーボード&ボーカル、レナ」
と呼ばれた。どっから“レナ”なんて名前が。
(あれ?ボーカルではないと言ってなかった?)
足の毛を処理するようになったのもこの時以来である。
それ以来、軽音のフェスティバルなどにも女子制服あるいは私服のスカート姿(母が面白がって色々買ってきた)で演奏に参加した。「結構女の子に見えるよ」「このくらいの女子は居るよ」などと言われ、数人の女子の友人とも記念写真を撮った。彼女たちからも「レナちゃん」と呼ばれた。
彼は喉仏もあまり目立たないし撫で肩だし、身長も165cmくらいで結構女子の中に埋没していた。声も結構高い声が出る。実はアルトが歌える。バンドではELTとかブリグリとかの女声ボーカルバンドの曲を原キーでコピーしていた。
(きっと最初からレナちゃんに女子制服着せるつもりで、あみだをしてるね)
女子の友人たちとは一緒に町に行って甘い物を食べたり、お洋服とかアクセリー、サンリオグッズとかを買った。それで今でもシナモロールのクリアファイル、クレージュのボールペンとか、可愛いセーラーの万年筆とか持っている。また彼女たちとは一緒にバレンタインのチョコとかも買いに行った。(それ男の子に渡したんだよね?)
当時、ほんとに女子と思われていたようで男子トイレに入ったら注意された!
(それで仕方無いから女子トイレに入ったと?)
「規定の人数に足りないから協力して」
といわれてこの学校の女子制服を貸してもらい、女子コーラス部の大会に参加して雛壇に並んだこともある(最初はクチパクでいいと言われたが彼はアルトが歌えるので結局実際に歌った)。
(バンドで渡されたのはE女子高の制服。卓也の高校は工業系で元々女子が少ない)
コーラスの大会ではその学校の生徒であることだけが条件で、女声合唱・男声合唱で本人の性別は不問なので、これは違反ではない。
しかしその後、母がこの学校の女子制服をヤフオクで落としたので、その後は卓也(レナ?)は自分の学校の女子制服を著るようになった。ジョークとは思うが、教頭先生は
「それで通学してもいいよ」
と言っていた。(いやきっとマジだ)
また野球の応援ではチアやってと言われ、ブルマを穿いた上でミニスカートを穿きボンボンを持って踊っている。これも元々女子の少ない学校なのでチアの頭数が少ないのもあった。全校女子が動員され、レナちゃんまで動員されたようである。
もっともこの時は他にも“運動部に入ってない”男子が30人ほどチアに動員されている。“運動部に入ってない”というのは、運動部の子は身体がたくましいのでスカートが似合わないからである。ミニスカはチアのユニフォームとして備品を使用しているが、ブルマは各自自分用を買ってもらっている。足の毛も剃ってもらっている。自分ではうまく剃れず、お母さんなどに剃ってもらった子も多かったようである。
ブルマの下の下着は任意だったが女子用ショーツを穿いた子が半数くらいあった。中にはこれをきっかけに道を踏み外した子もいたかも!?
なお彼らには「トイレはちゃんと男子用を使うように」という指示があったので結果的にミニスカを穿いたチアたちが多数男子トイレに入ることになる。
この“男子チア”は地元のテレビ局も取材に来た。この時、レナは普通の女子のチア部員と思われたようでテレビ局から
「男子のチアをどう思いますか?」
とマイクを向けられ訊かれた!レナは
「男女平等でいいんじゃないですか?」
と答えておいた。
なお近年では男子のチアチームは存在するが、スカートは穿かない。
ベースの吉岡君には
「レナちゃん、デートごっこしようよ」
と言われて、スカート穿いて町で会い、映画を見たりマクドナルドに行ったりまたプリクラを撮ったりした。
(本格的なデートじゃん)
元々女子の少ない学校という背景もあったのではないかという気もする。
しかし映画代やマックの代金も彼が出してくれたので女の子役ってお得かもと思った。
(誰がヘテロのつもりだったって?バンコランとマライヒの自分がマライヒだったのか?)
母はジョークとは思うが
「名前レナに改名する?性転換手術受けてもいいよー」
などと言っていた。
自分では記憶が無いものの小さい頃も時々スカートを穿いていたらしい。
「あんた女の子になれば、札幌の女子大にはあんたの学力でも入れる所あるよ」
「うーん・・・」
(うんうん。それで女子大生になればいいじゃん)
母は
「念のため精液の冷凍保存してから、ちんちん取ればいいんだって」
とか
「性転換手術では邪魔なちんちんとたまたまを取った上で膣も造るんだって。だからちゃんと男の子とセックスできるようになるらしいよ。あんた男の子が好きだよね?手術受けたら男の子に愛してもらえるようになるよ」
とか
「旭川市内に上手な先生がいるんだって。完全な性転換手術は100万円かかるけど、ちんちん切るだけなら30万でできるらしいよ。あんた切ってもらう?ちんちん切ればおしっこは女の子と同じ出方になるらしいよ」
とか
「女性ホルモン半年くらい飲んでたらおっぱい大きくなるらしいよ。取り敢えずしばらく飲んでみる?」
などとも言っていた。
どこまでジョークなのかよくわからない。(きっと全部マジ)
また母は
「大豆がおっぱい育てるのにいいらしいよ」
と言って、毎朝食卓に納豆と豆乳が並ぶようになった。(母さんは本気だ)
8月29日(日)、剣道国体の関西ブロック予選があったので双葉は補欠ではあるが、会場まで行って来た。
京都は大坂との決勝戦に敗れて本大会への出場はならなかった。先鋒戦の椎田さんは勝ったが、中堅戦・大将戦で敗れた。
「ごめんねー」
「いえ。ベテランの方々の技を見せていただきましたから」
やっぱり国体って国民が年齢に関わらず体育をするための大会なんだな、と双葉は思った。
8月29日(日)、また鹿無島への補給の仕事があったが、吉田さんが退院して戻ってきたので、やり方が少し変わった。
これまで波多・島本の2人だったが、山門も加わって3人で行く。それで波多が吉田さん、島本が中村さん、山門が田中さんの家に物資を届けた。その後の3人のスケジュールは下記である。
島本
1:00 中村妻の入浴
1:30 田中妻の入浴
2:00 吉田妻の入浴
2:30 吉田家で洗濯
波多
1:00 中村家の掃除
1:30 吉田夫の入浴
2:00 吉田家の掃除
2:30 中村家で洗濯
山門
1:00 田中家の掃除
1:30 中村夫の入浴
2:00 田中夫の入浴
2:30 田中家で洗濯
各家ごとに見るとこうなる。Xはヘリポートの駐在者である。
田中家
1:00 風呂のお湯溜め・掃除(山門)
1:30 妻の入浴(飛鳥)
2:00 夫の入浴(山門)
2:30 洗濯(山門)
中村家
0:30 風呂のお湯溜め(X)
1:00 妻の入浴(飛鳥)・掃除(波多)
1:30 夫の入浴(山門)
2:00
2:30 洗濯(波多)
吉田家
1:00 風呂のお湯溜め(X)
1:30 夫の入浴(波多)
2:00 妻の入浴(飛鳥)・掃除(波多)
2:30 洗濯(飛鳥)
3時過ぎには全員の作業が終わり、ヘリコプターで留萌に帰還する。崎山にはだいたいサハリンが迎えに行くようにしている。最初は実は誰が迎えに行くか決めてなかった!
補給の仕事には積載量の大きなベル204を使用する。真広用には10月以降エキュレイユ2を使うようになりR-44は非常用として鹿無島に移した。
ベル204 定員7・巡航速度200km/h・航続距離400km
エキュレイユ 定員6・巡航速度250km/h・航続距離650km
R44 定員3・巡航速度200km/h ・航続距離560km
204は長くは飛べない代わりにたくさん積めて補給用に向いている。真広のお仕事用には速くて遠くまで飛べるエキュレイユが向いている。(エキュレイユ2"twin star"は双発機。スペックはほぼ同じ)
また旭川の杉村家には固定のヘリポートが盛り土して作られた。崎山・鹿無島・北鹿島のヘリポートは面積を広げて2機が楽に離着陸できるようにした。