[*
前頁][0
目次][#
次頁]
勤務日の火曜日を置いて、9月1日(水)、その日は卓也のアパートでデートしていた。
「そろそろお昼だね。コンビニでお弁当でも買ってくるよ」
と言って卓也が出掛ける。
戻って来ると飛鳥は卓也のパソコンで何かビデオを見ている。
「凄いビデオ見付けちゃった」
「あ、こら。人のパソコン勝手に見るなよ」
「パソコンのパスワードを誕生日にしておくのはよくないと思うよ」
「うーん」
「これからはレナちゃんって呼んであげるね」
「え〜?」
「歌うまいじゃん。それにこんな高い声が出るんだ」
「まあね」
「何か歌ってみてよ」
「じゃ『Omens of Love』というか」
「『ウィンクキラー』ね(*2)」
「そうそう。小泉今日子版で。伴奏してよ」
といって、卓也はキーボードを指し示す。
「OK。キーは何だったっけ?」
「Fメジャー」
「了解」
といって飛鳥は弾きだすが卓也は言った。
「こら、さりげなくGで弾くな」
「すごーい。耳良いんだ?」
この曲はFメジャーの曲だが、飛鳥はそれをわざと1音(全2度)高い Gメジャーで弾きだしたのである。キーボードはこういう移調演奏が容易である。しかしそれに気付いた卓也は凄い。これが川泉パフェみたいな素直な子だと、気付かずに、高いキーでそのまま歌ってしまうところだ。(アクアはみんなからさんざん騙されたので、さすがに気付くようになった)
(*2) 『Omens of Love』はThe Squre(後のT-Squre)の代表曲のひとつ。吹奏楽やエレクトーンでもよく演奏される。
この曲自体はインストルメンタル曲であるが、松本隆が歌詞を付けたものを『ウィンクキラー』のタイトルで、野村宏伸と小泉今日子が歌った。(松本は男性用の歌詞と女性用の歌詞を書き、野村と小泉にそれぞれ提供している)
なお野村宏伸版は小泉版より5度低いB♭メジャー。
しかし飛鳥はFで弾き直し、卓也はきれいに女の子のような声で歌った。飛鳥は拍手した。
「ほんとにうまいね」
「ありがとう」
「ちょっと手術して“女性”歌手になる気無い?私マネージャーしてあげるよ」
「そういう気は無い」
「ちんちん取るとかお股の形を直すのは後でするとして、取り敢えずおっぱい大きくするとか」
「しない」
この時、和服を着た小さな女の子が出て来た気がしたが、飛鳥がおにぎりを渡すと女の子の姿は消えた。
「でもよくそんな高い声が出るね。睾丸取ってるんだっけ?」
「取ってないよ。ただのカウンターテナーだよ。米良美一(めらよしかず)さんなんかと同じ」
と言って卓也は
「はりつめた弓の・・・」
と米良美一の名を世に知らしめた『もののけ姫』の主題歌をアルトボイスで歌ってみせた。
「あの人、睾丸取ってないの?」
「取ってないよ。ただの発声法だよ」
「すごいね」
「フルートとクラリネットって管の長さはほとんど同じなのに、フルートはクラリネットよりオクターブ高い音が出るでしょ。それと同じ原理」
「へー」
そういえばオーリンにもフルートとクラリネットの話は聞いた気がした。オーリンは快感とか何とかとも言ってたなあと思ったが思い出せなかった。配管?景観?霊感?
(開管と閉管ね)
雅の四条別館は6〜8月は廉価品の浴衣・甚平を売っていたが、浴衣の季節が終わったので、9月からはウールやコットンの街着・室内着などの廉価和服を売る店に模様替えした。
桜水産は季節のずれた水槽で魚を飼育しているので、その環境を利用して季節逆転牡蛎を育てていたのだが、2010年夏に初めて出荷された。
最初新鮮産業に買ってもらおうと思ったのだが、真広は言った。
「悪いけどうちでは扱えない。消費者が牡蛎は夏には食べられないと思ってるから、出しても売れないんだよ」
試しにプリンセスの店頭に出してみたのだが、やはり売れなかった。ところがこの牡蛎にプリンスの田上が興味を持ってくれたのである。
「やり方次第では売れると思う。安く売ってよ」
というので、取り敢えず少量売った。田上はこれを全品牡蛎フライにしてプリンスの市街地のお店に並べた。するとこれが売れたのである。
田上は言う。
「都会の人はわりと旬に鈍感だから、こういうのは都会のほうが売れる。それと多くの人は冷凍牡蛎だろうと思った。だから生牡蛎より牡蛎フライのほうが売れる。あと北海道産と明記したのがうまく行った。北海道は本州と季節感が違うから、冬にしか食べられない牡蛎が北海道なら夏にでも穫れるのかもと思った人たちがいた」
それでプリンセスでも“北海道産牡蛎使用”と明記して牡蛎フライを市街地の店舗で出したら、やはり売れたのである。また銀馬車亭でも“牡蛎フライ弁当”や“牡蛎飯”が結構売れた。その後神戸市を本拠とするファミレスチェーンのサンデーファミリーや福井県本拠のレストランチェーン“小浜屋”でも牡蛎フライ定食が結構出た。
飛鳥は母に電話して、男の人にプロポーズされ、指輪ももらったことを言った。母はびっくりして一度実家に来なさいというので行ってきた。
「えっと、あんたがお嫁さんもらうんだっけ?あんたがお嫁さんになるんだっけ?」
「私がお嫁さんになるんだよ」
「でもあんた凄く女っぽくなってる」
「女の子は24にもなったら女らしくなるよ」
「あんた性転換はしたんだっけ?」
「彼とはいつもセックスしてるよ」
「あんた中学高校も女子制服で押し通したしね」
「私、自分が男だなんて思ったことは無いもん」
(何か卓也に話したのとは随分話が違う気がするんですが?)
「彼氏はあんたが生まれた時は男だったこと知ってるの?」
「話したけど信じてくれない」
「信じられないかもね。でも事実と知ったら捨てられないかね」
「彼は本来ゲイだったみたい。でも女の子も愛せるみたいね」
「ああ。パイセクシャルとか言うんだっけ?」
「バイセクシャルあるいはパンセクシャルね」
「なんか難しい。でも一度連れてきなさいよ」
「うん」