広告:ここはグリーン・ウッド (第5巻) (白泉社文庫)
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■女子大生・春は出会い(12)

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6月23日(水)は遠駒恵雨さんの一年祭(仏式の一周忌に相当)だった。数理会の恵雨系各派では追悼の行事をした。大阪教団、東京教団、名古屋集団、仙台教団などである。札幌の紀美は集会などはしないと言っていたものの、千里は貞美を連れて車で紀美の札幌の自宅にお邪魔し、玉串奉奠だけさせてもらってきた。
 
(お邪魔してもいいかと訊いたら貞美を連れて来てほしいと頼まれたので、サハリンの運転する車に一緒に乗って札幌に行った)
 

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6月下旬、春に頼んでいたヘリコプターが納入されたが、千里はきーちゃんに訊いた。
 
「なんで2機あるの?」
「2機使うんじゃなかったんだっけ?」
「まあいいや」
 
それで一機(ロビンソンR-44)は留萌の崎山に、一機(ベル204)は鹿無島に駐めておくことにした。
 

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このヘリコプターが来た翌週、きーちゃんに病人搬送依頼の電話があった。
 
鹿無島の住人、吉田さんのおじいさんが倒れたのである。千里はすぐロデムを鹿無島に転送した。吉田さんを千里ときーちゃんでヘリに乗せる。
 
取り敢えず離陸させてから留萌市民病院に電話してみたのだが、ヘリならいっそ旭川に運んだ方がいいと言われる。それで旭川の病院への連絡をお願いして、千里は杉村蜂郎さん(真広の父)に連絡し、ヘリが降りられる場所を確保してもらった。救急車も杉村亭の敷地に来てもらうことにした。そしてロデムの操縦で鹿無島から30分ほどで吉田さんは旭川に運ばれた。
 
結局ヘリは大学病院屋上のヘリポートに着陸した。それで吉田さんは一命を取り留めたのである。
 
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へりが無かったら助からないところだった。船での搬送なら小平町まで(船自体を本土から回送するから)4〜5時間、更にそこから救急車で留萌へでも30分かかる。留萌から旭川に転送すれば+1時間である。つまり合計で6〜7時間かかっていた。そんなに掛かっては助かる命も助からない。
 
今回はたまたま鹿無島にヘリが一機駐まっていたのも運が良かった。
 
この件はローカルのテレビニュースでも報道されたが“留萌市内の養殖業者のヘリ”と報じられていた。
 
「本日小平町の、人口6人の離島・鹿無島で87歳のお年寄りが急病で倒れましたが、偶然にも留萌市内の養殖業者のヘリコプターが居たので緊急搬送をお願いし、お年寄りは旭川市内の大学病院に運ばれ、無事でした」
 
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しかし吉田さんが退院するまでの約2ヶ月、鹿無島の人口は4人になっていた。(おばあさんも旭川に行っていたため)
 

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中村さんのお孫さんが来て
「じいちゃん、ばあちゃん、病気になったら心配だからうちにこない?」
と誘ったものの
「何かの時はヘリを頼めるから大丈夫」
と言っていたらしい。お孫さんは稚内に住んでいる。
 
そんなこと言われると、ますます鹿無島にヘリを一機置いておかなくては。
 
お孫さんはヘリポートそばの宿舎にも訪ねてきた。西風が応対してくれた。
 
「うちは北鹿島に養殖場と製紙工場を持ってましてね。留萌と北鹿島をヘリで結んでいるんですよ。鹿無島は中継ポイントなんで7割の確率でヘリが居るんですよ。何かの時は御近所のよしみでお運びしますから、遠慮無く言ってくださいね」
と言って、きーちゃんの電話番号を渡していた!
 
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(鹿無島には北鹿島の龍族の子が交替で留守番している。西風はこのグループではないのだが、たまたま来ていたらしい)
 

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なお、お孫さんは、この日は島に物資を運んでくれている漁船に同乗させてもらって島に来ていた。この島への公共交通機関は無い。この補給船は週一回の運行で、島民が頼んでいた食料(米やお肉など)も運ぶ。また郵便局・ヤマト運輸と契約しており、手紙や宅急便も運ぶ。
 
なおこの島には水道もガスも無い!水は一応、島で唯一の水源である小原池(通称)から取水して浄水後3軒の家に給水しているが、池の貯水量が小さいので、夏にはしばしば断水する。なお“簡易水道”とは受益者100人以上(5000人以下)のものをいうので、これは簡易水道でも無い。
 
千里は小平町長から相談されたので、北鹿島の海女荘で初期の頃使っていた海水淡水化装置をこの島に移設することにした。これで今年からは断水に悩まされずに済みそうである。これまではしばしば自衛隊のお世話になっていた。
 
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実は最初あまり予算が無いのだけど、物資の補給を手伝ってもらえないかと頼まれ、週1回くらいなら無料で運びますよと言った。それで、補給船が水曜日に運行されているので、こちらは日曜日に運ぶことにした。主として鮮度を要求するお肉・お魚を運ぶことにし、夏は水も頼むと言われる。それで水なら作ればいいですよと言い、余っていた淡水化プラントを町に寄贈したのである。淡水化装置で作った水はその後浄水が必要なので、小原池に注ぐことにした。この池は北鹿島の大沼より小さい。またこの島は平坦だし森林が無いので保水力が無い。(森林は大きな湖である)
 

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元は森林があったのだが、明治から昭和初期に掛けてニシンがたくさん穫れていた時期、ニシン粕(かす)を作るのに燃料として木をたくさん切った。それで森が失われたのである。
 
(ニシン粕とはニシンを茹でて搾ったもので、肥料(金肥)(*9)に使用した)
 
それで千里は町と話し合い、鹿無島で植林をおこなうことにした。
関東組を動員して取り敢えず苗場を作り、植樹ポット(V字型で傘立てみたいな形のもの)に赤松や千島桜の種を蒔いた。苗木が育つのを待ち、数年後に植林することにする。
 
また一部は北鹿島の木を挿し木した。北鹿島は遠すぎたし入り江も浅くて小舟しか付けられないこともあり、人の手があまり入ってなかったので森林が残っていたのである。鹿無島が良港に恵まれたため開発が進んだのと好対照である。この植林活動については町から補助金が出るようにしますよと町長さんは言っていた。
 
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北鹿島でも実は南面以外には森が無い。北は日当たりが悪いため、西は海風の塩分のためと思われる。東は謎だが、鹿無島の田中さんは、戦時中に米軍が落とした爆弾で燃えたのかもと言っていた。しかし東は入り江に近いから人間が切ったのかもという気もする。
 
なお水田を作るのに南で結構木を切ったが、その分主として東〜南東に植林している。切らずにそのまま移植した木もかなりある。
 
北海道組の温那(彼は“おんな”という名前の男)などはこの島の北では植物は苔くらいしか育ちませんよと言っていた。
 
「そういや北斜面は苔がいっぱい生えてるね」
 
実はそれでパッと見には森林のある南面と似ていて船からは見誤りやすいのである。むろん冬には一様に雪で覆われる。
 
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「千里さん、苔は“蒸す”というんですよ」
「ああ、“苔の、む〜す〜まーで”だね」
「それです。苔が蒸すのに何百年もは掛かりませんけどね。条件が良かったら数ヶ月で蒸しますよ」
「へー。苔ってどんな花なんだっけ?」
「苔は花とか無いですよー。胞子植物ですから(*11)」
「そうか。なんか『苔の花』って歌があった気がしたから(*10)」
「勘違いでしょう」
「こけにするって何でこけなんだっけ?」
「あれはこのこけじゃ無くて仏教用語で“虚無僧”の“虚”に“仮面ライダー”の“仮”と書くんですよ。“虚仮”は、中身が無いこと、嘘とか馬鹿という意味です」
「そうだったのか」
 
一瞬、虚無僧がバイクに乗って怪人と戦う場面を想像した。しかし虚空ちゃんって嘘ばかり言うから虚空なんだったりして。
 
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(*9) 金肥(きんぴ)とは農家がお金を払って購入する肥料。逆に言えば肥料として販売できるもの。対義語は自給肥料(堆肥など)。現代では化学肥料が一般的だが、昔はニシン粕は干イワシ・油かすなどと並ぶ重要な金肥だった。
 
もっとも江戸時代の江戸周辺の農村では、船で江戸に野菜などを売りに行き、帰りは屎尿を買って船に積んで帰り、肥料にしていた。(長屋の屎尿を売ったお金が大家(おおや)の収入になる)
 
合鴨農法では鴨君達の糞尿がそのまま肥料になる。これは自給肥料の一種だろう。
 
また伝統的な稲作では収穫前の水田にレンゲ草の種を蒔き、育ったところで、翌年の田植え前にそのまま土にすき込む。このようなものは“緑肥”という。一般には冬の間に育ち根が深くて、深い所から養分を吸い上げてくれる植物が選ばれる。
 
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(*10) 『苔の花』尾崎左永子作詞・佐藤眞作曲(合唱組曲『蔵王』より)
 
高原(たかはら)の木漏れ日ゆれる岩
はかなく咲ける苔の花、花
笹原の山風、光る川
やさしく咲ける苔の花
山より流れて、ここにせせらぐ
水のしぶきにぬれる花、花
冷たき夏の山原に
咲きて過ぎゆく、苔の花
 
朝霧夕霧、若葉とざして
霧の流れに揺れる花、花
さみしき夏の山原に
咲きて過ぎゆく、苔の花
 
冒頭「ゆれる岩」のところは岩が揺れるのかと一瞬思うが、揺れているのは木漏れ日(こもれび)である。
 
苔には本当は花は無いものの、胞子嚢あるいは“さく”と呼ばれる白や紫の丸い器官を作り、これが通称“苔の花”と呼ばれる。“苔の花”は夏の季語にもなっている。
 
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木漏れ日があるような環境は苔にとっては最適な場所である。苔は光合成で栄養を作っているから光のあるところでないと生きられない。しかし日差しの強い所では乾燥して死んでしまう。
 
この曲は合唱曲として人気の曲である。組曲『蔵王』の中では『どっこ沼』、『蔵王讃歌』とともによく歌われる。ロビンは中学でも高校でもコーラス部の助っ人をたくさんしているので、その時に歌ったのであろう。(一方で夜梨子は吹奏楽部の助っ人をしている)
 

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(*11) 苔は胞子による有性生殖のほかに“無性芽”を出して自らのクローンを作る無性生殖もおこなう。ただし種類によっては、無性生殖と有性生殖のどちらか片方しかしないものもある。
 
なお“こけ”と呼ばれている生物の中には、苔植物以外に、地衣類や一部の藻類などもある。実は動物もいる! 元々は樹木の表面に付着するようにしていた生物を“樹毛(こけ)”と呼んだものである。
 
北極圏に多い地衣類は、菌類と藻類の共生体である。菌類は藻類の光合成の力で栄養が取れる。一方藻類としては菌類の身体で守られて低温などの厳しい環境にも耐えている。地衣類のトナカイごけはトナカイの重要な食料である。リトマス試験紙は地衣類のリトマスゴケから作られる。
 
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へり輸送のお陰で、島では40年ぶりにアイスクリームが食べられるようになった(小平農協からのプレゼント)。千里はこの日本にアイスクリームの食べられない集落があったことに驚いた。船では2時間かかるから冷凍で運ぶ必要のあるものは厳しかった。
 
この島の電気は昭和20年代に本土との間に海底ケーブルを敷設したので、利用できている。当時はニシンやスケソウダラ漁の基地の一つで人口も数百人居た。小学校の分校があり、飲み屋や売春宿まであったらしい。しかし昭和40年代以降はどんどん人口が減っていった。
「オロロン鳥も人間も居なくなった」
と田中さんのおじいちゃんなどは言っていた。今は天売島(てうりとう)のほかはロシアが実効支配する歯舞諸島などにしか居ないオロロン鳥が
昔は鹿無島にもたくさん居たらしい。
 
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この島ではガスはメンテが困難であることからプロパンガスも無い。調理は薪(囲炉裏)と電気コンロ、それに石油ストーブ、お風呂は灯油ボイラーによる給湯である(80年代に薪釜で沸かすものから更新された)。灯油は補給船で運ばれている。
 

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千里は坂下君たちがヘリコプター学校を卒業するまでの間、ロデムのお友達のロプロスに留萌に常駐してもらい、日曜日の運搬を担当してもらうことにした。このヘリに波多・島本が同乗する。
 
お年寄り宅でストーブの給油などもしてあげる。(水曜日には補給船の人がしてくれる)
 

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ローゼンはタリスネンさんの林など管理している林で間伐をおこなわせ、切った枝などは麓におろして、製紙工場の木材乾燥機で乾かした。
 

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6月26日大学剣道の全日本大会(個人戦)と東西対抗戦(団体戦)が今年も女子は静岡県藤枝市の静岡県武道館で行われた。
 
千里・清香はいづれも昨年準決勝で当たった相手と今年は準々決勝で当たってしまい、去年よりは善戦したが勝てなかった。ふたりともベスト8である。清香に勝った人が優勝した。双葉は昨年と同じベスト16である。るり・えりは2人ともベスト32だった。(女子は参加者120名)
 
東西対抗戦では千里・清香・双葉ともに勝った。全体でも西軍の勝ちだった。
 
男子のほうは東京の武道館でおこなわれたが、公世はベスト8だった。龍馬・武蔵はベスト32であった。(男子の参加者は212名)
 
東西対抗は公世は勝ったが全体では東軍の勝ちだった。
 
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男女が別会場なので打ち上げもそれぞれでおこなった。女子は藤枝市内で焼肉を食べた。男子は都内で焼き鳥屋さんに行ったらしい。

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6月28日 - 高速道路無料化社会実験の開始。

 
 
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女子大生・春は出会い(12)

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