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■女子大生・春は出会い(2)

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千里は北鹿島の作業拠点とするため、昔の海女の作業小屋跡のところに、火炎放射で雪を融かしてから、取り敢えず2DKのユニットハウスを置いた。屋根にソーラーパネルを載せ、電気は自給する。
 
また、鹿無島のヘリポート傍、留萌のC町崎山のヘリポート傍にも同様に雪を融かしてからユニットハウスを置いた。各々電気はソーラーによる自給である。春になったら北鹿島には風力発電のユニットも取り付けようと思っている。発電所みたいに大きなものではなく、但馬などで使っている小形の物である。
 
崎山には北海道組の洞爺という子を常駐させることにした。ヘリポート関連設備の整備をしてもらう。給油ができる設備も用意させるつもりである。給油施設を作るなら常駐者が必要なので彼に居てもらうことにした。彼は危険物乙種第四類の資格を持っている(ので頼むことにした)。
 
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ここはヒグマの捕獲拠点(宴会場)になるかも。旧早川ラボのところにある、ヒグマの貯蔵施設もこちらに移転させようかとも思っている。現在旧早川ラボはキノコ栽培の拠点として留萌新鮮産業が使っているので、北海道組や関東組には気軽に使えなくなっている。
 

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千里は取り敢えずレンタルした小型ヘリ“ベル47”で鹿無島のヘリポートに降りると、ロデムときーちゃんを連れて、鹿無島の住人、吉田さん、田中さん、中村さんの家に挨拶に行った。おたべさんを渡したら「これ見たの20年ぶりだ」と言っていた。
 
結局3家のご夫婦を千里の家に招いてパーティーになってしまった。この島に人が来ること自体、かなり珍しいらしい。但馬牛で焼き肉にしたが
「牛の肉なんて10年ぶりだ」
と言っていた。千里は
「うちの孫の嫁に欲しい」
と言われたが
「婚約者が居るので」
と言って断っておいた。
 
ともかくも
「普段は留萌に居ますけど、急病とかの時は遠慮無く言ってくださいね」
と言って、きーちゃんの電話番号を渡しておいた。
 
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双葉と清香が雅本店(東山)で振袖を注文してくれた。特に清香は買うかレンタルかかなり悩んでいたが
「清香の身長で着れるレンタル品があるわけない」
と双葉に言われ、お金はお母さんが出してくれるということだったので20回払いで購入した。
 
どちらもプリンタ染めの“友禅風”振袖で双葉のが24万、清香のが21万だが、千里の顔で2割引きの各々19万2千円、16万8千円である。これを金利手数料無しの20回払いにする。
 
だいたい2ヶ月程度でできる予定である。
 

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3月19日、雅福岡店の篠崎君と悦美に小倉店への異動辞令が出た。篠崎君が店長で、悦美は“店長補佐”ということになった。ふたりは引越先のマンション(賃貸)は既に確保している。
 
篠崎君と悦美は3月28日(日)まで福岡店で勤務し、29-31日の3日間で移動して、開店準備チーム(四条店のスタッフで構成)から引き継ぐ。4月1日(木)から小倉店で勤務である。小倉店は水曜定休になるらしい。
 

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今年は春分の日が3月21日・日曜日で翌22日(月)が振替休日となり、土曜日の20日から3連休となった。雅福岡店では休みが振り替えられ、水休組の広中・森田・坂口は23日の火曜日から25日の木曜日までが3連休となった。月休組の篠崎・春日・戸倉は翌週の29-31日の月火水が休みで、結果的に3月31日の水曜日は(広中・森田・坂口も休みだから)臨時の店休日となる。篠塚・戸倉はこの三連休を利用して小倉への引越をおこなう。
 
 

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3月31日(水)夕方から、留萌P神社の会議室で今年も桜組の納会が行われた。ロビンはもちろんこれに出席した。いつものように一斗樽で鏡割りをして今後も養殖がうまくいくことを祈った。
「あれ?網元、まだお酒飲めないの?」
「まだ19になったばかりですー」
 
みんなには、京都で水揚げされたズワイガニ(間人蟹:たいざがに)を使ったカニ飯を配った。
 
ズワイガニは地方名・地域ブランド名が多い。
 
舞雪(まいせつ)ガニ:秋田県
加能ガニ:石川県
越前ガニ:福井県
間人ガニ:京都(間人漁港)
舞鶴ガニ:京都(舞鶴漁港)
柴山ガニ:兵庫県柴山漁港
津居山かに:兵庫県津居山漁港
浜坂ガニ:兵庫県浜坂漁港
松葉ガニ:山陰
 
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間人を“たいざ”と読むのはなかなか難しい。なお聖徳太子の母・間人皇女は“はしひとのひめみこ”。実は間人皇女ゆかりの地である。
 
間人皇女が一時期この地に滞在なさっていたが、やがて都(桜井市の倉梯宮?)にお戻りになった。つまりこの地を“退座”なさったので、ここを“たいざ”と呼ぶようになった、という伝承がある。(なんか凄い苦しい説明)
 

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千里は納会前に柳里君と“密談”をして、紅葉水産という会社を作り、桜水産がそこに養殖の技術指導をおこない、指導料として紅葉水産から桜水産に年間2000万円を支払うことにした。青石を紅葉水産の社長とする。
 
ほとんど子会社で、桜−紅葉という言葉遊びなのだが、事業が失敗した時に桜水産側に被害が及ばないように、敢えて資本関係を作らないのである。
 
紅葉水産の養殖場は春になってから作成することにする。
 

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紅葉水産というのは、北鹿島(海女島)に養殖場を作るプロジェクトである。鹿−紅葉という発想である。また桜水産が軌道に乗ってきていたので、そろそろ青石を引き上げたかったというのもあったので、紅葉水産の社長として派遣してもらうことにしたのである。
 
青石は岡山で鰤の養殖を勉強させてから、桜水産の桜鱒の養殖と、関東組のニシン養殖に関わって来て両者をうまく進行させる重要な働きをしてきた。しかしどちらもうまく回っているので、ここらで区切りを付けることにした。
 
安野さんに高額報酬を払って留萌に来てもらったのも実は青石の発案だったが、あれで凄くうまく行った。桜鱒プロジェクトは安野さんの力無しではとても成功できなかった。
 
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あれは桜組としては養殖の指導をしてもらって助かったし、安野さんは借金を返してもらって助かったし、白川漁業は派遣料をもらえて会社の運営が楽になったし、三方一両得であった。
 
なお青石と同時期に牡蛎の養殖の勉強をさせていた赤石を紅葉水産の副社長にする。
 

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留萌の貞美の家の2階に、貞美たちの母・真理の妹、絵理さんが引っ越して来た。目的は2つある。
 
・高3になり受験で多忙になる貞美のサポート
・光辞の番人
 
貞美たちの家に隣接する鈿女(うずめ)神社の地下倉庫には光辞の写しのひとつが保管されている(*1). 貞美の家がここにあるのはその番をするためなので、この家は空にできない。しかし貞美が来年春に札幌の大学に進学するとここに住人が居なくなるので、それを避けるというのが大きい。来年春に引っ越してきてもいいのだが、その前に来れば貞美の御飯を作ったりもしてあげられる、というので1年早く引っ越して来た。真理はさすがに大阪を離れることはできない、真理と藤子のいるところが事実上の教団本部である。
 
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絵理さんは峠の丼屋さんのセントラルキッチンにお勤めすることにした。ここは割と時間の自由がきくのがいいところである。絵理さんは大阪府枚方(ひらかた)市の新聞販売店に勤めていたのを退職して北海道にやってきた。教団内の勢力争いに距離を置くのに関西から離れたいのもあったようだ。
 
もっとも紀美・貞美の姉妹に絵理まで居て光辞の写しがあれば留萌が教団の重要拠点(*2)になっている気もする。
 

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(*1) “留萌系”光辞の写し(2002-2005作成)の保管場所
 
A:姫路の立花元町の司令室地下金庫
B:鈿女神社の地下倉庫
C:P神社の倉庫(4つある)のどれか
D1:AのPPC:P神社の“光辞堂”
D2:AのPPC:P神社の宮司住居の書斎
D3:AのPPC:仙台C神社の金庫
E:Cを作った時のカーボン紙(陰影が残る):菊子の実家の地下収納
 
(A) 真理が原本から書写したもの
(B) (A)から千里が書写したもの
(C) (B)の書写をした時同時にカーボン紙で写したもの
(D) (A)をコピー機でコピーしたもの
 
P神社の倉庫で“本物”が入ってない所には代わりに小春の“悪戯書き”が納められている。普通の人には、かなりそれっぽく見える。倉庫に納める時、常弥が箱を用意し。世那がどれをどこに納めるという指示を出したので、本物がどこに納められたのかは、常弥も世那も知らない。
 
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光辞の写しにはもうひとつ2007-2008年に作られた“大阪系”がある。それについては真理が管理しているので筆者も詳細は知らない。
 
なお原本は一宮市の民家の保管室に置かれている(マンションから移動した)。この保管室は部屋がまるごと耐火金庫のようになっている凄い部屋である。この家では火の使用が一切禁止になっている。隣接する家に真理が雇った管理人が住んでいるが、そことの間に防火壁がある、各々の家屋が壁との間に3m空いている。
 

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一方札幌の大学に通っている紀美は、札幌近郊に100m四方ほどの土地を確保し、そこに千里に頼んで3DKの家を建ててもらった。家の規模に対して土地が広いのはここに来る人たちが、駐車場に使うためである。
 
紀美自身はあまり宗教活動をするつもりは無いのだが、紀美に“背中を叩いて”ほしいという信者さんが多数いて、それまで住んでいたマンションでは近隣の一般住民に迷惑なので一軒家を用意したのである。紀美はここで集会とか祈祷・祭祀とかをするつもりはない。ただし物凄い額のお布施をもらうので税金処理のため、税務署には祈祷師として青色申告の登録をしている。紀美は土日には留萌に戻るのでここに滞在するのは平日のみである。しかも昼間は大学に通う。一応待ち合いのため数十人座れる喫茶スペースを作り、紅茶・コーヒーや軽食を出すようにした。ここのオペレーションは千里の古い友人でもある祐川雅海に頼んだ。彼女は友人2人と組んでここを運用してくれている。
 
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紀美は儲けるつもりは無かったので、この喫茶コーナー“子鹿”のメニューは比較的安めに設定した。
 
ウバ・ディンブラ 300円
アッサム・アールグレイ 400円
ダージリン・キーマン 500円
ロイヤルミルクティー(ディンブラ) 500円
モカ・サントス・スマトラ 300円
ブルーマウンテン 600円
キャラメルコーヒー(サントス) 500円
赤飯おにぎり 300円
ハニートースト 300円
ぜんざい 400円
パンケーキ 500円
フライライス&サラダ 500円
わかめそば・とろろそば 400円
掻き揚げそば 500円
フライドポテト・フライドオニオン 300円
 
すると安いので待ち合いの信者さん以外も来るようになり、お店はかなりの利益が出てしまった!特に美味しい紅茶を飲みに来る人が結構あった。一般にコーヒーは銘柄が選べて本式に入れても紅茶は単に“紅茶”というメニューのみでしかもティーバッグという店が多い。
 
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(*2) ※現在の“数理会”の陣容(湯元氏の推測)
 
・大阪教団(遠駒藤子)10万人
・東京教団(布置啓示)4万人
・尼崎教団(遠駒春来)1万人
・三重教団(遠駒時子)4000人
・名古屋集団(高橋令子)1万人
・仙台教団(湯元雅成)3000人
・山口教団(岡本昭博)1000人
・徳島教団(弘田月影)500人
・関東在住信者 3万人
・関西在住信者 2万人
・北海道在住信者 5000人
・その他全国の信者・共感者 30万人
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・淡路井戸会 300人
 
時子は来光の姪孫(弟の孫)であり、最後期の河洛邑の中心人物だった人である。河洛邑のあった恋の道温泉に今でも住んでいる。
 
高橋令子さんというのは弟子では無いのだが、恵雨さんのお世話を最後までしてくれた信者さんでずっと恵雨さんのそばに居たので実は御祈祷の言葉が全て唱えられる。それで名古屋近辺の信者さんたちの代表のような立場にある。彼女はあくまで信者の一人なのでここは“教団”とは書かず“集団”と書いている。毎月7日(遠駒来光の命日)には御祈祷の集まりをしている。本人はマッサージ師の資格を持つが結構サイキックの力もある人である。
 
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理数協会は解散したが昨年税務処理のため一時的に数理会という法人を作ったのでネットではこの集団を数理会教団と呼ぶ人が増えた。数理会の理事長は真理であったが副理事長の遠駒春来も同等の権限を持っていた。
 

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3月30日、京都四条通りに雅きもの会館がオープンした。ここを新本店とし、大阪から千絵さんが戻って来て店長を務める。きもの会館の会館長は沢村専務である。
 
●雅きもの会館
B2 小ホール
B1 飲食店街(銀馬車・サンデーファミリー・マベルレジェ、ユーハイム・フレッシュネスバーガー・杵屋・ミスタードーナツ・など)
1F 浴衣・街着・小紋、絣(かすり)
2F 振袖・振袖21
3F 付下げ・訪問着・留袖・色無地・紬(つむぎ)など・男性用和服
4F フォトスタジオ、着付け室、茶室、畳の広間、エレガントカフェ、具(そなえ)
5F 平安文学資料館
6F 酒井ビジネス専門学校
7-8F 雅文化センター(着付け教室・和裁教室・料理教室など)
 
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・紬(つむぎ)は普段着なので当初1階を考えていたが、高価なので格は低いが3階に並べることにした。高価な普段着というのは困った存在である。
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小ホールのこけら落としは当時はまだ無名に近かった女の子6人のアイドルグループがやってくれたが満員だった。千里達も全然名前を知らなかったのでそんなにお客さんが来てびっくりした。
 
マベル・レジェは“メイド喫茶”マベル初の支店(レジェは“軽い”という意味)だが「お帰りなさいませ」などの挨拶は使用しない。ウェイトレスさんの服装は当初“電子友禅”の振袖だったが、徐々に本友禅に置換された。知らない人はオムレツ・オムライスの専門店かと思ったと思う。
 
コーヒーも美味しいし、様々なラテアートもみんな感心していた。写真を撮っている人がたくさんいた。またエスプレッソもスタバなどのように全て機械任せの店とは違い、みんなしっかりタンピングの練習をしているから、コーヒー自体の評価も高かった。
 
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ここの店長(兼チーフメイド)になったのは、後に博多にプラントンを作る宮沢優花である。クレアの工藤和実・ムーランの山吹若葉と並ぶ貴族組合・第2世代のひとりである。4階のエレガントカフェとカフェが2つできたが、階が違うし、エレガントカフェはペーパーフィルター・カフェオレ、マベルはエスプレッソ・カフェラテ(ラテアート入り)である。コンセプトが違うので競合しない。エレガントカフェは逆にいまどき少数派になったペーパードリップの味を求める客が来た。またどちらでも他ではあまり見ないセレベス(トラジャ)が飲めるが、主力はマベルはサントス、エレガントはモカである。
 

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新四条店(新本店)がオープンしたことから、仮店舗は役目を終えたが、ここの所有者は
「いっそここを買ってくれませんか」
と言った。それで2億円で買い取ることにした。
 
千里は土地の引き渡しを受けたら1晩で旧店舗を撤去し、軽量鉄骨+ユニット工法で1日で2階建ての建物を建てさせた。店舗面積としては2フロアで40坪くらい確保できた。ここを“四条別館”と称し、6月のオープンを目指す。
 

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女子大生・春は出会い(2)

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