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翌6月8日は朝8時に三泊第5岸壁に集合した。武矢は玲羅(本当はライラ)に焼きニシンとふのりの味噌汁の朝御飯を作ってもらって食べた後、歩いてここに来た。玲羅は武矢が御飯を食べている間に学校に出た(本当はロゼ家に行った。本物の玲羅は6:40頃にロゼ家を出て登校している)ので、武矢は食器をシンクに置いてから出かけて来た。(昔は食卓に放置だったから、かなり進化している)
漁船に乗っていた時と同様の黒い雨合羽に防水ズボンで出て来たが、船長の西口さんに
「村山さん、漁船じゃないから、普通の格好でいいよ」
と言われる。
「そうですか?じゃ今度から」
船は岸壁に出船形式で停めてあるが、荷物の樹木は既に積まれている。他に島への補給用で灯油の入ったポリ容器や、米袋、小麦粉の箱、乾麺の箱、缶飲料の箱なども積まれている(実は油揚げの箱もある)。
7人は船に乗り込み、所定の位置に就いた。尾鍋さん、および事務の女性・佐々木さんに手を振って見送られ船は8時半頃出港した。
航海中、司厨の島本君(島本さん?)が缶コーヒー・ペットボトルのお茶とお煎餅を持ってきてくれたので作業の間に食べていた。武矢はトイレに行くとき(山門君に留守番してもらう)以外はずっと機関室に居るのだが、モニターで外の景色も見えるので、これいいなと思った。
鹿無島の沖合を通過し、三泊を出てから3時間ほどの航海で北鹿島の東側に到達する。
港は浚渫(しゅんせつ)してるから充分な深さがあるとは聞いていたが船長は慎重にゆっくりとした速度でバックで港に入れ、“とも付け”(*4)で岸壁に停めた。係留ロープを岸壁のボラード(係留柱)に掛ける。荷下ろしがしやすいようにランプを開けて岸壁に掛ける。船長の指示で武矢はエンジンを停めた。
(*4) 船を接岸させる場合に船尾を岸に付ける停め方を“とも付け”(スターン・ツー:和製英語。本当の英語ではstern first)という。逆に船首を付けるのは“やり付け”(バウ・ツー:同左。英語ではbow first)という。横(通常左舷)を付けるのは横付け(アロングサイド alongside)である。
これはあくまで岸壁・埠頭に対する向きであり、港口に対する向きを言う入船・出船とはまた別。特に岸から垂直に飛び出た桟橋・埠頭に停める場合、横付けが入船になる場合と出船になる場合がある。海岸に沿った岸壁に停める時は、とも付けすれば出船になる。
(この岸壁は2022年の映画撮影の時は一時的に撤去された)
船長から下船の指示があるので全員降りる。オフィサーっぽい制服を著た女性が寄ってきて
「みなさんお疲れ様です。私は尾白と申します。出港は15時半ですので、それまでこちらでお休みください」
と言ってみんなを案内する。7人は付いていく。工場っぽい建物の向こうに民家っぽい家が一軒建っている。
「この向こう側には何かあるんですか?」
「養殖場ですよ」
「何養殖してるの?」
と言って行って見る。
「牡蛎(かき)かあ」
「10月くらいになったら食べられますから、ご提供しますね」
「ああ、今は食べられない季節だね」
「Rの付く月だからね」
(September October November December January February March April /NG:May, June, July, August)
彼ら、特に武矢などがその向こう側の水槽も見たら、スケソウダラやニシンを見て興奮したであろうが、牡蛎だと「なんだ。牡蛎か」だった。
休憩所に戻る。
「この中でお休みください。2階にはベッドのある寝室にカーペット敷きのサンルームもありますので仮眠したい人は自由にお使いください。寝室は使用後はホテルと同様に『掃除してください』の札をドアノブに掛けておいてください。キッチンの水道は飲料水ですが、トイレとシャワールームの水道は飲用に適しませんのでご注意下さい」
「ここ電気があるんですね」
「はい。風力で起こしています。周波数は北海道本土と同じ50Hzです。携帯の充電とかご自由に」
「充電させてもらお」
「ここはちゃんと電波が来てるね」
「はい。ドコモ・エーユー・ソフトバンク3キャリアの共同基地局を設置しています。ウィルコムはごめんなさい」
「3キャリア使えるのは凄い。鹿無島はエーユーしか使えないのに」
「ドコモしか使えない地域やエーユーしか使えない地域があるよね」
「だから2台持ち歩く人も多い」
「ソフトバンクは田舎ではすべからく使えない」
「ウィルコムも都会で無いと無理っぽい」
「ここの1階はパントリーと冷蔵庫にある食材は自由にお使いください。島本さん、お食事の用意をお願いできますか?」
「分かりました。やっと出番が来た」
「欲しい食材とかおやつとかがあったら私にでも佐々木の方にでもお伝えください。来週までに用意しておきます」
「分かりました。メモを作っておきます」
「来週までに用意ってこの島への交通機関は?」
「頼めば桜水産の船に寄ってもらえますし、少量のものならヘリコプターで運びます」
「飛び道具か」
「朝遅刻した人もヘリでお運びしますね」
「そんな恥ずかしいことはできない」
「船長の俺が遅刻したりして」
と西口さん
「手漕ぎボートで頑張って追い付いてもらおう」
と甲板長。
それで島本さんが回鍋肉(ほいこうろう)っぽいものとワカメのお味噌汁を作り全員に配った。御飯は到着時間に合わせて炊かれていたようである。食器は洗う手間が不要な紙製である。箸も割り箸だ。こういう場所ではきっと水も貴重だから洗わず捨てられるものを使うのだろうとみんな思った。
(使用後の紙食器や割り箸などは暖房の燃料に使っている)
「おお。こういう場所でこんな本格的料理が食べられるとは」
「すぐ作れるものを作っただけですけどね。シチューとかは煮込むのに時間が掛かるから」
しかし彼(彼女?)は翌週は航海中に船内で煮こんでおき到着してから仕上げる手法でシチューを作ったのである(“司厨(しちゅう)の作ったシチュー”)鍋を運ぶのは山門君がやってくれた(飛鳥ちゃんはスティール缶を握り潰す人だから鍋くらい平気だと思うけど)。
「へー、ここの自販機も100円だ」
「船のと同じだね」
食事の後はみんな2階にはわざわざ行かず、その辺でゴロ寝していた。ただし船長は島本君(島本さん?)には
「みんなの目の毒だから君は2階の寝室で休みなさい」
と言って2階に行かせた。
「鍵はちゃんと掛けてね」
「はい」
やがて3時になるので西口船長がアラームで目を覚まし、その他仮眠していた人も起き出す。島本さんも降りて来る。最後に熟睡していた山門君が波多君に起こされ、全員で港に戻った。
樹木等は全部降ろされ港に積み上げられている。代わりに多数の段ボール箱が積まれている。トイレットペーパーなのだろう。全員配置に就き尾白さんに見送られて、15時半に出港した。
帰りの航海では島本はみんなに缶コーヒー・お茶とポテチにおにぎりを配っていた。
船は順調に航行し、18時半頃、三泊に戻った。夜間航海・夜間着岸を覚悟していたのだが日没前に到着できた。この日の日没は19:14である。冬になると日没後航海はやむを得ないだろうが初航海が往復とも日没前にできたのは良かった。(むろん、今回は、そうなるように出港時刻を決めた。冬至の12/22は留萌の日没は15:59で日没後航海は避けようが無い。北海道は日本列島の中でも東にあり、地球自転の向きの先のほうになるから日出も日没も早い)
エンジンを停め、全員下船して解散した。武矢以外はみんな車で来ていたようでそれで帰宅する。西口さんはカムリ、会田さんはシビック、山門君はアテンザ、波多君はランサー、島本さんはパッソである。(武矢は車種とかさっぱり分からない。かろうじて四輪とバイクが区別できる!程度である)
波多君が島本さんに
「ね、少しドライブしない?」
と誘っていた(ナンパ?)が
「ごめーん。今日は早く帰りたいからまた今度」
と言われていた。
しかし山門君も波多君も島本さんを女性に分類してるっぽい。武矢は“分類”とかでなく、女なのだろうと思っている。西口船長は、女性なのか男の娘なのかは分からないが女性扱いでいいだろうと思っている。荷物を持つのとかは山門君と波多君に頼んでいる。島本さんも凄い筋力持ってるから平気だと思うけどね。ただ島本が何か持っていると山門・波多が「僕が持つよ」と言って代わってくれる。今日も食材(キャベツなど)を入れたバッグを2人が持っていた。
こうして武矢のお仕事の1日目は終わったのである。次は一週間後である。武矢は歩いて自宅に戻った。
19時半頃、玲羅(本当はライラ)が帰宅する。
「お父ちゃんお疲れ様。お仕事どうだった?」
「うん。まあまあだな」
などと言っているが顔は楽しそうある。漁船が廃船になった後は養殖の見回りに使うモーターボートしか動かしてなかったから、本格的なエンジンを持つ船を動かせて楽しかったのである。今日動かした“第八西海丸”は5年前まで乗っていた漁船・第7$$丸より出力が大きい
(日本では船名に(できるだけ)“丸”を付ける(逓信省公達・明治33年)ので海外では日本の船のことを Maru ship ともいう。左記の規約は2001年に廃止され船名は自由化された。またこれは“できるだけ”なので“さんふらわあ”のように丸が付いてない船もある)
それで玲羅がハンバーグを作ってくれたので(本当は作ったのはロゼ)、それをプロ野球中継を見ながら食べた。玲羅はビールも出してくれたので飲んだ。もちろんサッポロビールである。
なお津気子は20時過ぎに帰宅したが、そのまま布団に入った。会話は無かった。いつもの通りである。玲羅が「お母ちゃんチーズオンクラッカー食べる?」と言って出すと「ありがと。これ好き」と言って摘まんでいた。
むろん北鹿島で製紙プラントを動かしているのは、武矢の仕事を作るためである。ただあの島は赤石たちにも、いいおもちゃになっているようである。いつ行っても何か楽しそうに土木工事をしている。彼らは元々山を崩して川を堰き止めたり湖を作ったりするのが大好きである。子供の泥遊びとあまり変わらない。
何かいつの間にか池の数は5つに増えていたし!(上から順に大沼・一の沼・中沼・三の沼・麓沼らしい。揚水ポンプも段階的に水を揚げるように動かしている)
なお荷物の積み下ろしの間、クルーに休憩させるのは、彼らが重機も使わず軽々と樹木を運ぶところを見せないためである。
「こんな船なんか使わなくても俺たちが運ぶのに」
と白石たちは言うが、船の運航のほうが目的である、また最近の船は機関が自動化されており船橋で機関の始動停止逆転などができ、機関士不要の船もあるが、それでは武矢の仕事が無いので、自動化されてない船を買った。
スオミ(フィンランド)の千里(ローゼン)は日本で作っているトイレットペーパーをオットーネンさんに見せてみた。
「ああ、これはアメリカ規格だね」
「あ、そうなのかも」
「アメリカのトイレットペーパーは横幅が4.5インチ、メートル法では11.4cmなんだけど、ヨーロッパは9.8cmなんだよ」
「それに合わせます」
(アメリカでも最近クリネックスは幅をヨーロッパ並みに10cmにした。スコッティはもっと狭く9.5cmにした。なおヨーロッパでもイギリスは幅広の11.5cmで日本の規格に近い。アジアでもタイが11.5cmである)
「それとこれ柔らかすぎると思うなあ。母さんどう思う?」
と彼はお母さんの意見を聞いた。
「私はこのくらい柔らかいほうが好きだ。高級トイレットペーパーにはこのくらい柔らかいのもあるよ」
とお母さんは言う。紙の硬さに関してはふたりの意見が分かれた。ただ紙の厚さに関してはふたりとも「薄すぎる。頼りない」と言った。お店で使っているトイレットペーパーを見せてくれたが、確かにかなり厚い。これも合わせることにした。
6月13日22:51 - 小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した。
はやぶさに関してはトラブルから一時は帰還が絶望視されたが、多くのアイデアと工夫の積み重ねにより、奇跡的に帰還に成功。アポロ群の小惑星イトカワ表面の土を持ち帰った。地球の重力圏外の天体からの土持ち帰りは世界初の快挙である。