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「出船」勝田香月(1899-1966)作詞・杉山長谷夫(1889-1952)作曲
今宵出船か、お名残惜しや
暗い波間に雪が散る
船は見えねど別れの小唄に
沖じゃ千鳥も泣くぞいな
今鳴る汽笛は、出船の合図
無事で着いたら便りをくりゃれ
暗いさみしい灯影(ほかげ)の下(もと)で
涙ながらに読もうもの
音楽の教科書にも掲載された名曲だが、元は1928年(昭和3年)2月に藤原義江の歌でヒットした、当時の流行歌である。作詞者の勝田香月は石川啄木(1886-1912)のファンで18歳の時、啄木の足跡(そくせき)を追って東北・北海道を旅行したとき、北海道の小樽(おたる)港や秋田県の能代(のしろ)港で見た情景をもとにこの詩を書いたという。(啄木の姉が小樽に住んでいた) 実際に詩を執筆したのは秋田県の大滝温泉(埼玉県のではない)である。
“便りをくりゃれ”の“くりゃれ”は古い江戸の女言葉とされる。船で旅立つ男を見送る女の立場で歌う歌なのだろう。
“暗い灯影”というのは現代の感覚からは分かりにくいが、昔だからロウソクかランプ、せいぜい白熱電球。そんなに明るくない。BORO『大阪で生まれた女』の「たどりついたら一人の部屋。裸電球点けたけどまた消して」などにも通じる世界か。
千鳥(ちどり)は鴫(しぎ)と近縁の旅鳥で古くから日本人には親しまれている。世界中に近隣種が居る。
淡路島、通ふ千鳥の鳴く声に、幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)
箏曲『千鳥の曲』、童謡『浜千鳥』にも歌われている。千鳥という名前は多数群れているからとも「ちー」という鳴き声からとも。都鳥(みやこどり)とも近縁種。千鳥が左右の足を交差させる器用な歩き方をするので普通ではない歩き方のことを“千鳥足”というようになった。
ちなみに藤原義江は“男性”歌手である。名前だけ見て女性と思われることが多く、苦労したという。「魅惑のテナー、藤原義江嬢来たる」とか書かれたりしたらしい。この『出船』は“最初の流行歌手”といわれる佐藤千夜子のヒット曲『波布(はぶ)の港』(1928.5)よりも早い、日本の最初期の流行歌のひとつである。『波布の港』は藤原義江も同年7月にカバーしている(佐藤と藤原合わせて10万枚という驚異的なヒットとなった)。なお佐藤千夜子のデビュー曲は1925年の『青い芒(すすき)』。
杉山長谷夫は後に日本作曲家協会理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任した作曲家でほかに『花嫁人形』(蕗谷虹児作詞/金襴緞子の帯締めながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう)や童謡『ねんねのお里』などの作品がある。
雅では昨年は大阪店・福岡店・横浜販売所・東京販売所を作ったが、今年は4月に神戸店・小倉店・名古屋店を作った。また姫路・岡山・奈良・金沢にも開店準備中である。金沢店は同地の友禅工房との共同店舗で、雅ではないブランド名を使うことになる。“京加”“彩姫”などのブランド名が候補にあがっている。
千里たちは3月に福井県南部のスーパー“みかた”を買収したが、プリンセスグループの現在の生鮮食品供給元である岡山県からは遠すぎるので、みかたへの商品供給のため、北陸新鮮産業の子会社・福井新鮮産業を設立、タイ・ブリ・牡蛎・アジなどの養殖業者、また主として沿岸物・近海物の漁業者と契約した。
また福井県下で多数の森林を買収、製材所を作った。福井県は杉も結構良いし、栗や樺などの木材も優秀である。後に東の千里も福井県で森林を買収するが、嶺北地区が多い。西の千里は主として嶺南地区で買った。また若葉が小浜市・若狭町の土地を結構買っているが、千里が買ったのは、それより西の、おおい町・高浜町が多い。千里は近隣の京都府舞鶴市・京丹後市・宮津市・兵庫県豊岡市などでも土地を買っている。
一方で“6丁目実業”という会社を作って敦賀、舞鶴(京都府だけど)などで集めた日雇い労働者を使って開墾し、鶏や豚の飼育舎を作成した。
また高原野菜の農園、若狭牛を飼う牧場なども作った。これらは生産品を出せるまでには1年以上かかるものもあるが、将来的には岡山で展開している農園と並ぶ食材供給源となる可能性がある。
北鹿島の南側斜面に作らせた貯水池について赤石は言った。
「千里さん、千里さん、池から海までつながる川を掘りましょう」
「せっかく貯めた水を流しちゃうの?」
「その途中に田んぼをたくさん作るんですよ。段々畑じゃなくて段々田んぼですよ」
「棚田ね」
「それそれ。それでお米を育てましょうよ」
「なんか楽しそうだね。君たちがするのなら、やってもいいよ」
それで関東組の特に赤石を中心とする両毛系の子たちにより、川と田んぼが造成されたのである。彼らはその川と田んぼを作る工事より前にビニールハウスを作り、プランターを並べてコシヒカリの種を蒔いた。その後で川と田んぼを作った(種を蒔いてから田んぼを作るという泥縄方式:“泥縄”とは泥棒を捕まえてから縄をなうこと)。
彼らは島の全体で工事して、雨ができるだけ多く貯水池(大沼と命名された)に集まるように水路を作った。
(元々赤石の出身地が赤城山の大沼というところである。彼を慕って元子分が10人くらい北海道に来ている:関東では人間が山奥まで入り込み、龍たちの活動がしにくくなっていた背景があった)
正確には彼らは麓にも池“麓沼”を作り、島を周る水路で降った雨水が全部ここに流れ込むようにし、ここから夜間電力を使った揚水ポンプで大沼に引き揚げている。そこから“大川”に流して、棚田に水を供給するのである。
大川の水は全て水田に流れ込み、結局海にはほとんど注がないようになった。田んぼの排水は集められてもう一本の川“小川”(しょうかわ)をなす。小川の水は簡易浄水施設を通って麓沼とは別の“小沼”(しょうぬま)に集められる。大沼の水位が足りない場合は小沼の水も揚水ポンプで大沼に揚げる(水田排水の再利用)。小沼の水位があがりすぎた場合は海に流す。(つまり水は麓沼→大沼(大川)水田(小川)小沼と流れる)
「来年はもう少し早い時期から始めましょう」
「まあ今年は仕方無いね。来年に向けての練習のつもりで」
今の時期に種まきをしたら半月後に田植えをして冬前のぎりぎりの収穫になる。寒すぎて結実しない可能性がある、雪が降る前に収穫できるかは微妙である。なお翌年からは品種は寒さに強い“きらら397”に変更される。また今年より1月くらい前倒しのスケジュールで稲作は行われた。
(この時期はまだ“そらゆき”や“そらきらり”は無い。ゆめぴりかは存在するがまだ少なく入手困難だった。またゆめぴりかよりきらら397のほうが寒さに強い)
また養殖場の排水パイプを斜面に走らせて斜面を暖めることにより、水田が暖かくなるように工夫した。また彼らは製紙工場の木材乾燥機の熱を利用して海水の淡水化を行い、この水も麓沼に注いでいる(だいたい3t/日)。
(乾燥機の熱による蒸発のほか温室を作り太陽熱による蒸発も利用した。一部は夜間の余剰電力による電熱も使っている)
むろん揚水パイプも斜面を暖めるのに使う。むしろ水蒸気のパイプをそのまま山の斜面に走らせている。すると島の冷気で水蒸気は水に戻る。そしてその時の放出熱で水田は暖められる。
たくさん電気も使っているが、その電気は主として風力で起こしているから、まあいいだろう。風力発電の風車は山の南面に設置されているが、偏西風のお陰でいつも回っている。そもそも海の孤島は風が強くなりがちである。
麓の家(彼らによると“海女荘”)では半透膜を使用した海水淡水化(RO法)をおこなっており、赤石たちとは別の方法であった。しかし彼らがたくさん淡水を作ったのでそこから分けてもらうことにした。実は半透膜で作った淡水より蒸留法で作った淡水のほうが高品質である(残留塩分濃度が1/20程度と言われる)。それで麓沼の近くに浄水施設を作った。なお2022年の映画では島の南側は一切映してない。また小沼の水はそのままトイレやお風呂に利用することにした。水田では農薬を使ってないので排水を浄化した後お風呂に使っても問題無い。
この島でのオペレーションが本格的になり始めたので海女荘は少し大きな家に置換した。1階が広間(宴会場?)で2階には仮眠できる個室(山側)を4個とゴロ寝用のカーペットを敷いた大部屋(海側)を作った。4つの個室は、千里、サハリン、きーちゃんと予備と考えた。
海側の部屋は全面窓にして、太陽の光で暖められるようにしている。サンルームである。屋根はスティールで雪の重みに耐えるようにしている。スティールの屋根は超撥水加工して雪が滑り落ちやすくした。降雨や融けた雪は道の側溝から全て麓沼に流れ込む。屋根から滑り落ちた雪は龍族の子たちによりどんどん雪掻きして麓沼やその上部に捨てられる(北海道は6月でも雪が降る)。雪掻きは何だか楽しそうにやっていた。なおこの島は立ち小便禁止である。
海女荘をモデルハウスとして、同じような仕様の家を養殖場の上方に6軒建てた(“龍荘”)。各家の個室は主として女子用、大部屋は主として男子用とする。この北鹿島で作業している龍族は男子40名・女子20名ほどである。雑用担当でおキツネさんも男女10名くらいずつ入っている。レイプしない限り恋愛は自由と言っている。
6軒の家で龍族の女子たちは全員個室に収容できるはずである。男子たちは適当に寝るだろう(サンルームや1階のリビングで寝ているようである)。以前は製紙工場内で男子は西側、女子は東側で寝ていたらしい。工場内は木材乾燥機の熱でわりと暖かい。でも荒っぽい連中用には山の斜面に洞窟を幾つか掘らせてそこに寝せている。壁を壊して、洞穴行きになった女子も数名居た(洞穴自体は男子が掘ってくれた)この島は寒いので龍族といえども野宿は辛い。
元の2DKは工場の裏手に移し、これはキツネたちの宿舎とした。2部屋を男子用と女子用にするつもりだったが、
「男女を分けてください」
という要望があったので2DKは1個追加した。男狐邸と女狐邸である。玄関に彼らの手でオギツネとメギツネの絵が描かれたが、千里は「区別が分からん」と思った。彼らには分かりやすいらしいから、いいのだろう。(赤石たちにも分からないらしい)男狐邸と女狐邸は間に置いた広間“交流館”でつながっている。食事もだいたいここで取っている。
男の娘は男の子たちと一緒だが
「なんか凄いもてます」
と言っていた。みんなが隣に寝たがるらしい(くじ引きになった)。
「変なことされたら言いなよ」
「大丈夫です。みんなが守ってくれるから」
待遇は良いようである。作業は女の子たちと一緒にお料理作りとか紙製品の箱詰めとかをさせている。(男の子たちは草むしり、ゴミ拾いや薪作り・小枝の収集・運搬、伝令などをしている)
暖房への燃料(主として薪)追加も男の狐(おとこのこ)たちの担当にしている。暖房の燃焼炉は工場に隣接した木材倉庫、通称“宴会場”の中にあり、ここから海女荘、男狐邸・女狐邸のほか、洞穴などにも暖気を供給している。狐邸や洞穴の排気は水田に導いている。この燃焼炉も海水の蒸発に使っている。
この島には大型野生動物は居ないが、食料は青石たちが北海道本土でヒグマやエゾシカを狩って運んでいるし、黒石たちは海でクジラ捕獲に燃えている。クジラはさすがに1人では厳しく5人がかりらしい。そんな大物を狙わなくても上石たちが日々たくさん魚を獲っている。スケソウダラやニシンの餌にするイワシの類いを獲るのが目的だが、大きい魚は自分達で食べている。
キツネたち用には大量の油揚げを空輸してきている。また青石たちは、ウサギやリスはキツネたちにあげている。エキノコックスが怖いので生食は禁止している。交流館に置いたストーブで焼いて食べているようである。
また中石が
「千里さん、豚を飼ってもいいですか?」
というので許可した。九重たちがやっている月の輪熊の飼育よりよほど安全だし、豚のほうがずっと旨い。屋根付きの豚舎を建てそこで飼っているようである。この島がバイオ・スフィア化したりして?
(バイオ・スフィアとは1990年代に行われた、閉鎖空間で人間が2年間暮らす実験。遠い星へ何年も掛けて旅する場合を想定してその基礎技術検証のための実験だった。家畜を飼って食料も自給したし酸素も内部で作っていた:実際には人間以外のほとんどの生物が死滅した。一方ゴキブリは大量繁殖した!本当に遠い星への旅がおこなわれたらゴキブリだけが到着するかも? 参加者(8人)は常に空腹を訴えており、酸素も不足してやむを得ず外部から空気の緊急補給をした。食料に関してはマスコミは持ち込み疑惑を報じたものの関係者は否定している。いづれにせよ色々課題は浮き彫りになった。なお原子力潜水艦はバイオスフィアに近いが食料は補給に頼っている)