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5月8日(金・なる).
ついに『富嶽光辞』四巻(遠駒来光著・遠駒恵雨読み下し)が富嶽出版社から出版された。
本は各ページの上半分に原本の写真から製版したもの、下半分に恵雨さんが書いた読み下し文を掲載する。
実際には恵雨さんが単独で読み下ししたものは全体の4割程度であり、残りは千里が朗読し、それを専門家がテープ起こししたものに恵雨さんが校正を加えたものである。しかし恵雨さんと千里の直接対談で、全て恵雨さんの名前で発表することにした。印税を払うと言われたが辞退した。千里としてはあまり教団に関わりたくない。
恵雨さんは現在かなり体力が衰えているらしく、発売記者会見には、孫の高木真理(紀美たちの母)と、反恵雨派の中心人物であった遠駒春来が出席した。この2人が並ぶこと自体が異例であるが、ふたりとも遠駒来光の孫である。2人は記者会見場で握手までしていた。会見の進行は中立派の教師・弘田月影が行った。
真理と春来は「祖父来光が命と引き換えるようにしてこの世にもたらした富嶽光辞が出版できたことは喜ばしい」とする共同声明文を発表した。声明文を朗読したのは弘田である。
また真理は近く光辞の解説本も刊行されることも語ったが、著者などについては明言しなかった。実際には湯元雅成が書いた解説書の第1巻が7月に刊行されたので、多くの人は真理が言っていたのは、これだろうと思った。湯元の解説本は8巻程度が予定されており、全て刊行するには数年かかるものと思われた。
5月頭、千里(夜梨子)はイーグレット美術館の白井館長に紹介してもらい、京都市在住の彫金師・松田春秋さんのもとを訪れた。(夜梨子の外出中、立花K神社には夜詩子が入っている)
クトネシリカの写真を見せる。
「これは美事な装飾だね」
「実はこの金銀の龍のレプリカを作りたいんです。詰まらない仕事で申し訳ないのですが。これほどの作品は、レプリカを作れる人もかなり限られていると言われて松田さんを紹介して頂きました。報酬は材料費別で50万円お支払いします」
「ふーん。まあいいよ。でも実物も見てみたいね」
「ではお連れします」
それで千里は松田さんを連れて神戸空港から桜ジェットで旭川に飛ぶ。
「この飛行機は?」
「うちの自家用機ですが」
「へー。凄いね」
それで留萌三泊P神社に行って実物を見せた。
「これは凄い」
と感動していた。
「これはかなり名のある人の作品だよ」
などと言っている。レプリカの製作と聞いた時は面白くなさそうだったが、実物を見て、俄然やる気を出したようである。写真もたくさん持参のルミックスで撮っていた。
「ねね、この龍だけじゃなくてさ、この刀全体のレプリカを作らせてくれない?」
「いいですよ。ただし刀は竹光(たけみつ)(*17)か木製あたりで」
「これは真剣?」
「抜いてみていいですよ」
それで松田さんはクトネシリカを抜いてみた。
「美しい」
「刀剣に詳しい方に見ていただいたのですが、たぶん室町時代の備前の刀だと思うと言っておられました」
「貴重なものだね」
オキクルミが義経なら、平安時代のはずである。ただしこれ自体がレプリカである。かなり後の時代に作られたものだろう。
アイヌが北海道に定着したのは鎌倉時代といわれ、オキクルミはちょうど義経と時代が一致している。
備前は古くからの刀生産地である。平安時代には大和や山城でも刀は生産された。平安初期の伝説的な刀工・天国が大和の人。鎌倉時代になって相模でも刀の生産が始まった。有名な関(せき)は実はこれらよりも新しい。村正は伊勢だが、室町末期である。以前にも書いたが、関孫六(せきのまごろく)と村正は関連が深い。
(*17) 竹で作った模擬刀身を竹光(たけみつ)という。これは刀工の名前に長光とか吉光とかあるので、それになぞらえて竹に“光”を付けてしゃれたもの。
日本刀の値段は江戸時代でも今のお金にして50-100万円はしたので、浪人など貧乏な武士は本物は売り飛ばして竹光を代わりに差していた。
松田さんはすぐ刀を鞘に戻した。
「鞘は朴(ほお)の漆(うるし)塗りです。この塗り方も室町時代の様式らしいです」
「なるほど」
「この龍は本物の金と銀だね」
「はい。金龍の眼はレッドスピネルで銀龍の眼は翡翠です」
「ああ。ルビーではなくスピネルか」
「ルビーとスピネルはよく似てますよね。本当に金銀をお使いになるのでしたら材料費は出しますが」
「やってみたいけど、やめとこう。あまり豪華にしすぎるとレプリカの意味が無い」
「ですね!」
それで材料は真鍮と白銅を使うことにした。ただし、金銀でメッキして仕上げる。眼はガラス玉を使うことにした。
「お祭りは10月なので夏頃までに作って頂くと助かるのですが」
「うん。間に合わせるよ」
一応期限を言っておかないと3年くらいかけて立派なのができそうである!
レプリカの製作が決まったので、千里は常弥と話し合い、姫奉燈の巡行では松田さんに作ってもらうレプリカを持ち歩き、鹿を切るところでオーロラから託されたほうを使うことにした。
千里はきーちゃんに頼み、念のためクトネシリカを3Dプリンタでコピーしたものも作らせることにした。3Dプリンタで作る物は樹脂製になるが、これを貞美ちゃんに内職で色塗りしてもらう。報酬は1万円と言ったら張り切っていた。
5月9日(土)、剣道の四教戦が行われた。関西地区の4つの教育大学、京都教育大学・大阪教育大学・奈良教育大学・兵庫教育大学による試合である。今回の会場は兵庫教育大で加東市まで行って試合をした。京教女子はこういうオーダーで臨んだ。
先鋒:木里清香
次鋒:島根双葉
中堅:村山千里
副将:横田浩美
大将:立浪恵海
しかしオーダーはほぼ意味が無かった!清香がひとりで他のチームの全員を倒し、京教が優勝した。「強ぇ〜!」という声があがっていた。
「木里さん何年生ですか?」
「1年生です」
「4年間は京都の天下だな」
と諦め気味の声も聞かれた。
なお男子でも先鋒に指名された公世が他の学校の全員を倒した。
「あのぉ先鋒さん、女子ではないよね」
「女子ですけど男子の部に出る許可をもらっています」
「男子に出たい訳が分かる。誰も勝てねぇもん」
京教は男女ダブル優勝で、ホルモン焼きで打ち上げをした。みんなお酒を飲んでいたが、千里・清香・双葉は自粛して、最初の乾杯のビールだけにさせてもらった。でも公世は
「君も男子ならお酒くらい飲めなきゃ」
とか言って飲まされていた!(ほぼFTMと思われている)
5月11日、大阪地方裁判所、昨年11月に6億円に上る巨額詐欺事件で逮捕された小室哲哉に対し、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。
事件は小室が自身の楽曲の著作権を二重売りしようとしたものである。
小室はT M Networkを皮切りに様々な音楽活動をしてきた。1990年代にはプロデューサーとして注目され、安室奈美恵、trf、globe など多くのアーティストを売り出した。しかし2000年代以降はブームも去り、収入も落ち込んでいた。この事件が起きた当時、彼の楽曲の著作権は既に彼の手元を離れていたが、それにも関わらず自分の楽曲の著作権を譲渡すると持ちかけて、諸費用の一部として5億円などを騙し取ったものである。
5月15日、福岡高等裁判所、2006年8月25日に福岡市東区で発生した福岡海の中道大橋飲酒運転事故の控訴審で、一審の福岡地方裁判所による判決を破棄、危険運転致死傷罪を適用し、懲役20年とする判決。
5月上旬、紫微が千里(ロビン)に連絡してきた。
「駿馬ちゃん、榧(かや)の植林をしてるんだって?」
「耳が早いですね」
「榧に投資するの?」
「友人で榧の碁盤を欲しがってる子がいるので」
「宮崎県の山奥の日向榧(ひゅうが・かや)をあげようか」
「ください」
「ただ、凄い山奥で人力では運び出せないんだよ」
「それはうちのスタッフが搬出します」
「1本3万円でどう?」
「買います」
「2本搬出してくれないかなあ。1本は私がもらう」
「いいですよ」
それで千里はロデムと九重を連れて宮崎に向かい、ロデムのヘリコプターで現地に入った。2人乗りのヘリなので何度も往復して、紫微・千里・九重を運んだ。
そして現地で九重にチェーンソーで榧の木を2本切らせ、千里と九重の2人がかりで横倒しにした。取り敢えず現地に放置する。このまま自然乾燥させ、半年後に九重を連れてきて搬出させればよい。
(この“葉枯らし”と呼ばれる自然乾燥で樹木の重さはだいたい3分の1になる)
千里たちはそのあと、木を運び込む製材所も紫微に案内してもらった。
ここの山は紫微の関連企業の所有らしい。製材所は紫微の配下の会社の運営である。紫微は千里が搬出したもう1本の榧からたぶん数百万円の利益を得るのだろう。