[携帯Top] [文字サイズ]
■夏の日の想い出・3年生の冬(1)
[7
Bef *
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
(C)Eriko Kawaguchi 2012-10-12
2012年の各種音楽賞の表彰は11月のBH音楽賞から始まった。私たちは2009年に『甘い蜜』で、当時は活動休止中であったにも関わらずローズ+リリーでこのBH音楽賞を頂いてしまい、お揃いのミニスカの衣装で授賞式に出席した。活動休止期間中の、数少ない公の場へのふたりの出席であった。
昨年はローズクォーツの『夏の日の想い出』でやはりこの賞を頂き、マキ・タカ・サトと4人で賞をもらってきた。そして今年2012年はローズ+リリーの『天使に逢えたら/影たちの夜』での受賞となった。ローズ+リリーとしては3年ぶりの受賞であるが、この曲のクレジットは『Rose+Lily+AYA ft Star Kids』
ということになっているので、AYAおよびスターキッズの宝珠さんと4人で受賞式に出席した。
この授賞式で私たち4人は、高校の制服を着て出て行った。
授賞式でインタビューワーから訊かれる。
「えっと、4人とも女子高校生でしたっけ?」
「私は高校を出た後、どこの学校にも入ってないので、女子高生の残像です」
とAYA。
「『天使に逢えたら』は高校の修学旅行の時に作った曲なので」と私。
「ケイの高校の女子冬服姿って卒業式の時に1度見ただけなので、また見たくなりました」と政子。
「永遠の女子高生です」と宝珠さん。
「これ実際の制服ですか?」
「私とケイの出身高校のものです。高校には特に許可を頂きました。ケイは実は高校の卒業式の日、1日だけこの制服を着たんです」と政子。
「へー。じゃ、ケイさんって女子として高校を卒業したんですか!」
「唐本冬子って名前の卒業証書がうちにありますよ」と政子。
「凄い」
「私は冬ちゃんから借りました」とAYA。
「私は自分のを着たので、まだ持ってた友人から2着借りてきました」と私。
政子は自分の制服を着て、私は仁恵からもらった制服を着ているが、AYAが着ているのは奈緒の制服、そして宝珠さんが着ているのが実は私自身の制服である。私が実は制服(冬服)を持っていたことは若葉などほんの少数の友人しか知らない。(政子も知らないし、特に私に制服をくれた仁恵には絶対に知られたくない)
うちのマンションの鍵は町の鍵屋さんでは複製出来ないというタイプ(Kaba製)でその代り最初から5本もらっている。(マンションに入るには玄関で電子キーと暗証番号が必要。電子キーは鍵のつまむ部分に組み込まれている)この5本の内2本は私と政子が持ち、1本は私の姉の萌依、1本は何かと私たちが不在の時などに用事を頼んでいる友人の礼美に預けているのだが、あと1本余っていた。それを私の姉と麻央の兄が結婚して麻央が私の義姉になったのを機会に麻央に渡した。
麻央がその鍵を最初に行使したのが、姉の結婚式から1ヶ月ほど経った11月23日(祝)だった。その日私と政子はスリファーズのライブに帯同して沖縄に行っていたのだが、同じ日、名古屋に住んでいる友人のリオと美佳が用事があり上京してくるということだったので、どうせ部屋は空いてるし、うちに泊まればいいよ、ということで愛知県に住んでいた当時から私ともリオたちとも親しかった麻央に、うちのマンションの鍵を開けてふたりを泊めておいてと頼んでおいたのである。麻央はぶっつけ本番は怖いと言って事前に鍵を開け閉めする練習までしていた。
沖縄からは翌24日の昼くらいに戻る(一緒に沖縄に連れて行った青葉は千葉市に住む彼氏の所に行くと言うので羽田で別れた。なんでも先週が彼氏の誕生日であったらしい)。私と政子は夕方からまた都内でのスリファーズのライブに行くのだが、それまでしばし5人(リナ・美佳・麻央・私・政子)でのおしゃべりを楽しんだ。
「東京に出てきて、ちんすこうを食べることになるとは思わなかった」
と美佳。
「名古屋のウイロウも美味、美味」
と政子。
「ファンの方から頂いた全国各地のお菓子もあるから、適当に物色して食べていいからね」
「あ、今朝、中家さんという方がどっさりお菓子とお酒を持って来てくれたよ。仙台のずんだ餅は冷凍保存みたいだったから、それだけキッチンの冷蔵庫の冷凍室に入れて、他はあちらの冷蔵庫(もらいもの専用の冷蔵庫)に入れた」
「ありがとう」
「あ、ずんだ餅があるんだ。じゃ食べよう」と政子。
「じゃ冷凍室から出しておくよ。3時間くらいで解凍されるだろうし」
と言って麻央が席を立つ。
「だったら、ライブの出がけに食べられるな」
「またゲリラ・ライブ行こうよ」と政子。
「うん。あれも何となく続いてるね」と私。
「ゲリラライブ?」
「そうそう。私たちが時間取れた時に突然東北のどこかに行って30分くらい路上パフォーマンスして帰ってくる。仙台を中心に松島とか一ノ関辺りまで足を伸ばすこともある。一度青森でもやった」
「へー」
「震災以来、もう15回くらいやったかな」
「そんなに!」
「でもブログとかに書かれたことないね」
「そもそも正体ばれてない雰囲気の時多い」
「東北に来るアーティスト多いしね」
「あまり歌わないしね」
「歌わないの?それで何するの?」
「私はヴァイオリン、冬はフルートやウィンドシンセ」
「へー」
「福島でもまたしたいね」
「来月は福島に行こうか」
「うん」
「あ・・・」
「どうしたの?美佳」
「いや、やっぱり麻央って、あぐらなんだなと思って」と美佳。
「あ、ボクは昔からだいたいそんなものじゃん」
「冬はお姉さん座りなんだ」
「あ、私は昔からそんなものだよ」
「お姉さん座りや女の子座りだったね」とリナ。
今日はソファーよりこっちがいいと言って居間のカーペットの上に直座りなのである。
「へー。冬って昔からお姉さん座りや女の子座りだったのか?」
と政子は昔の話には興味津々の様子である。私は話をずらす。
「麻央って、大学でも男の子の友だちの方が多いみたいね」
「それも昔からそんなものだよ」
と麻央は笑っている。
「麻央は小学校の高学年の頃も中学の頃も、男の子たちとサッカーとか野球とかばかりしてたね」とリナ。
「ってか、中学の野球部ではエースで4番だったよね」と美佳。
「まあ公式戦には出られなかったけどね」と麻央。
「高校では野球しなかったの?」と政子。
「うちの高校、野球部無かったから」
「あら」
「冬は女子しか入れないはずの合唱部とかチアリーダーとかしてたみたいね」
と政子。
「ああ、やっぱりボクと冬って性別逆転してるね」
と麻央。
そこに私の携帯に着信があった。佐野君からだ。
「やっほー」と私はオフフックすると言った。自宅なのでハンズフリーのセットのところに置いている。
「おお、唐本、愛してるよ〜」と佐野君。
これは昔から佐野君が私に電話してきた時の「いつもの挨拶」だ。しかし今日は間が悪い。
「へー。佐野、私のこと愛してるの?」
「もちろんだよ、まいはにー」
「ここに麻央がいるんだけど」
佐野君が咳き込む。
「ちょっと代わるね」
と言って、私はハンズフリーのセットから携帯を取ると、麻央に渡した。
「やあ、佐野君、おはよう」と麻央。
それから数分のふたりのやりとりは書かない方が良いであろう。
「でさ、冬、敏春が今度の大分のチケット何とかならないか?って言ってるんだけど」と麻央。
「何枚?」
「私のと2枚」
「うーん。主催者枠がもう残り少ないんだけど、麻央なら何とかするよ」
「ありがとう」
と言って麻央は電話に向かい
「ということで、2枚取れるってよ、佐野君」
などと言って、更に少し話してから電話を切った。麻央は今日は終始「佐野君」
とは言っていたが、笑っているので、そんなに怒っている訳ではないようだ。
私はすぐに氷川さんに電話し、大分のライブに自分の義理の姉が行きたいと言っているので本当に申し訳ないが、何とか後2枚チケットを頼むと言い、OKをもらった。(本当は特別な人から頼まれた時のためにちょうど残り2枚だけ留保してもらっていたのである。その最後の枠を使い切った)
「やはり大分のチケット、みんな取れなかったみたいね」と美佳。
「という私も冬に頼んじゃった訳だけど」
「うん。結局友だちとかから全部で20枚くらい頼まれたよ。でもこれで最後だから、後はごめんなさいということで」
「私は一般発売でゲットしたからね」とリナ。
「運が良いね。抽選は倍率5倍くらいだったっけ」
「うん。そんなもの」
翌日。スリファーズの全国ツアーも昨日の東京に続き、今日の横浜で打ち上げになる。私は春奈の体力がよくもったなと思い、春奈の頑張りを称讃したい思いと、ずっとツアー中、春奈の身体をヒーリングしてくれた青葉に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
スリファーズは★★レコードでも5本の指に入るくらいの稼ぎ手だ。大事なアーティストであるがゆえに、本来なら春奈には無理をさせずにゆっくりと回復を待ちたいところであるが、私は町添さんと話し合い、あの子は仕事をさせた方が早く回復するタイプだ、ということで意見が一致した。そこで春奈のいちばんの理解者である彼女のお姉さんとも話し合った上で、性転換手術の2ヶ月後から音源制作、そのあと全国ツアーなどという計画を作ったのであった。
その日は政子は横浜の中華街で買物をしたいということだったので別行動になり私は横浜駅で政子と別れて、みなとみらい線に乗り、会場へ向かった。駅を降りて会場に向かっていたら、バッタリとマキと出会った。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
と挨拶を交わす。ちなみに今は昼の12時半である。
「冬ちゃん、こちらは仕事だっけ?」とマキ。
「ええ。スリファーズのライブの付き添いで。まだ時間があるから、いったん顔を出してから、散歩でもしようかと思ってたんですけどね。ヒロちゃんは?」
お互いを「ちゃん」付けで呼ぶのは、まあこれも「おはようございます」同様、この世界の習慣である。もっとも最近はふつうに「こんにちは」の人も増えてきている。
「俺は、来月結婚1周年なんで、何か彼女にプレゼントをと思って」
「ああ、いいですね。おふたり凄く仲よさそうで微笑ましいです」
「うん。彼女のこともあるし俺も頑張らなきゃいけないなあとは思うものの、どうも調子が出ない感じで。今年はゴールドディスク出てないしなあ。。。」
(『あなたとお散歩』は最終的に10万枚/DLを越えたのだが、この時点ではまだ越えていなかった)
「少しお茶でも飲みます?」と私は言ってみた。
「あ、そうだな」
ということで、私たちは近くのビルの中のカフェに入った。あまり話を聞かれないよう、奥の方の席に座る。
「冬ちゃんと政子ちゃんって、凄く曲書くのが速いよね」
「上島先生からモーツァルト型って言われました。私も政子も途中で筆を止めないんですよね。一気に書き上げる。でも、書き出す前に頭の中で構想を練っている時間が実は数時間あったりするんですよ」
「へー。それでも数時間か」
「モーツァルトはむしろ上島先生だと思うんですけどね。だって、どう考えても年間1000曲くらい書いてますよ」
「恐ろしい・・・俺は1曲書くのに1週間、どうかすると1〜2ヶ月掛かるからなあ」
「ベートーヴェン型ですね」
「ベートーヴェンみたいなレベルの曲が書けたらいいけどね」
「でも震災の後の避難所巡りしてた時は毎日曲を書いてましたよね」
「うん。あれは鎮魂のためと、自分を鍛えるためにね。その日回った地域で亡くなった人への鎮魂のために曲を書いていた」
「あの1ヶ月は私も忘れられません」
「でも冬ちゃんは毎日2-3曲、書いてた」
「浮かんでくるんですよ。あそこ回ったら自然に」
「俺さ・・・」
と言って、マキは語り始めた。
何だか話が長くなりそうだ。ちらっと左手首内側のBaby-Gの文字盤を見る。今1時。公演は3時からだ。2時には会場に入らなければならない。彼の話を聴けるのは1時間以内だ。私は念のためスリファーズのマネージャーの甲斐さんに「今隣のビルにいます。2時前後にそちらに移動します」というメールをテーブルの下でほぼ指の感触だけで打った。これができるから私はスマートフォンには乗り換えない。一時期iPhoneも持ち歩いてはみたものの、アプリを使う端末としてはiPadに乗り換えて電話はやはり従来型の端末(フィーチャーフォン)を使い続けている。
「最初、ケイちゃんの話を須藤さんから聞いた時、アイドル歌手に毛の生えた程度の子かと思い込んでいたんだよね」
「まあ、実際そんなものですよ」
「で実際に会ってみると、クォーツの曲をその場で譜面見て初見できれいに歌ってしまう。アイドルにしてはなかなかうまいと思ったものでね」
「ふふ」
「だけどその後、ふたりで一緒に民謡教室に通わされたじゃん。そしたら冬ちゃん『佐渡おけさ』をいきなり、すごく上手にコブシまで回して歌って、先生に褒められたでしょ。それで何て器用な子なんだと思ったよ」
「言ってませんでしたっけ? 私の祖母が高山で民謡教室を開いてたんです。今は伯母が引き継いでますが。私の母も民謡の先生の資格持ってますよ」
「えー?そうだったんだっけ?」
「私も小さい頃、こども民謡大会で入賞したことあるし、『佐渡おけさ』は幼稚園の頃、けっこう歌ってました。あの時は12年ぶりに歌いましたけど」
「それは知らなかった」
「もっとも私が物心付いた頃、母はもう民謡には挫折してたんです。だから私は母が民謡を唄ったり三味線弾くところを見たことないんですよね」
[7
Bef *
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
夏の日の想い出・3年生の冬(1)