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■夏の日の想い出・2年生の春(4)
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目次 8
時間索引 #
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泰世(やすよ)は長野県内の高校を卒業した後、すぐにタイに渡って性転換手術を受けた。半年ほど身体を休めたあと、昨年秋に松本市内の洋服屋さんに女性店員として就職した。小学5年生の時からずっと女の子として暮らしてきたので、どこをどう見ても女性にしか見えないし、細かいことに気が回る性格なので、あなたほどの人なら戸籍上の性別は気にしませんよ、と言ってもらえたらしい。
しかし泰世もいまだにダイレーションの苦痛とは闘っていると言っていた。
「辛いよね〜。でもちゃんとやっとおかないと女としての機能使えないもんね」と泰世。「うん。自分で選んだことだから、辛いけど私も頑張る」と私。
「それってたとえると、どういう痛さなの?」と政子。
「そうだねー。歯医者さんで毎日3回顎が外れるくらい口を大きく開けさせられて1時間くらい歯を削られているような痛さというか」
「うーん。。。女になるのも大変なんだね」
と政子はマジで同情するかのように言った。
「私最初から女で良かった」
「だけど女として勤めさせてくれるところ見つかって良かったね」
「うん。門前払いの所が多くて。でも8件目でやっとOKもらえたんだよ」
「私も去年の秋頃までは自分は大学出たらどうするんだろ?なんて思ってた面もあるんだけどね」と私。
「冬ちゃんは歌手・作曲家として活動していけばいいじゃん」と泰世。
「うん。でもそれで生活が成り立つかどうかという問題があってね」
「震災の後で、ローズ+リリーの『神様お願い』無茶苦茶掛かってるじゃん。あれ印税が凄いことになってない?」
「あれの印税はね、全額岩手県・宮城県・福島県に寄付する契約」
「えー!? それって数千万円じゃない?」
「たぶん」
「ぎゃー。なんかもったいないような、でも偉いような」
「震災で苦労している人たちが放送局とか有線とかにリクエストしてくれてそれで発生した印税が、結局その人たちのために役立つんだから、私たちはそれでいいかな、と」
「やっぱり、冬ちゃんたち偉いよ!」
この時期、自分自身は出歩くことができなくても、創作活動の方はけっこう頑張っていた。
4月下旬に制作するELFILIESの新曲2曲、花村唯香の新曲1曲、富士宮ノエルと坂井真紅の新曲2曲ずつ、と更に別のアイドル歌手・山村星歌にも新曲2曲を依頼された。
とにかく業界全体が3月いっぱい活動停止状態にあったのが、4月になってからやっと動きだし、それで延期されていた制作スケジュールが一斉に動き出したのであった。
私自身は4月26日まではひたすら政子の家の居間に置いた簡易ベッドに寝たまま作業をして、MIDIデータの打ち込みなども政子と、手伝いを買って出てくれた春奈にお願いして作業を進めた。特に春奈は譜面を見ながらその場で歌ってくれるので曲調などを確認するのに助かった。(さすがに私も歌えなかった)
「でも、ほんと大変そうですね」と春奈。
「春奈ちゃんも、そのうち手術するんだろうけど、この痛みは覚悟しててね」
「思わずためらいたくなるけど、できるだけ早い時期に受けたいです。なんか自分の身体にあんなものが付いていることが、もう我慢できない気分で」
と春奈は言う。
「うん。私もそれが我慢出来なかった」
「でも私、ヴァギナを作るべきかどうか悩んでるんです」と春奈。
「作らないと、男の人とセックスできないよ」
「そうなんですよね〜。でも私、あまり男の子に興味なくて。どっちかってっとレズなんですよね」
「ああ」
「レズならヴァギナなくてもいいし。それならヴァギナ無しの簡易性転換でもいいのかなと」
「本格性転換と簡易性転換では、簡易の方が傷の治りも早いし、痛みも小さいし、女性器のできあがりもきれい。本格は治るのに時間が掛かるし、ダイレーションでずっと痛い目に遭わないといけないし、仕上がりも簡易ほどきれいにはならない」
「そうなんですよねー」
「だけど、後からやっぱりヴァギナが欲しいと思った時にどうしようもない」
「そうなんですよ!」
「自分の一生のことだからね。よくよく考えようね」
「はい」
4月27日。その春奈たちスリファーズの新曲『愛の祈り』が発売された。性転換前の3月に音源製作しておいたものである。私は帰国以来初めて公の場に出ていき、彼女たちのピアノ伴奏をした。私は終始笑顔でいたが、さすがにトークには参加しきれないので、そのあたりは政子に任せておいた。
それでも私がずっと笑顔だったので、後から(スリファーズの)彩夏が
「ケイ先生、もう大丈夫なんですか?」
と訊いたが
「辛い。でも辛い顔する訳にはいかないから頑張ったよ」
と答えた。
私が性転換手術を受けたことは、特に親しい友人とUTP関係者(正確には美智子・花枝とローズクォーツのメンバー、および宝珠さん)・★★レコードの一部の人(南さん・北川さん・加藤課長・町添部長・松前社長)以外では、スリファーズの3人と花村唯香、それに上島先生と下川先生くらいにしか話していない。
4月28-29日にはELFILIESの新曲録音作業があったので、スタジオに出向いて、制作の指揮を執った。私が体調悪そうな顔をしているので、ELFILIESのハルカが「ケイさん、具合悪そう。大丈夫?」と訊いたが
「ごめん、ごめん。ちょっと体調崩してて」
と言っておいた。彼女たちにも性転換したことはわざわざ言っていない。
更に30日・5月1日には富士宮ノエル、2〜3日には坂井真紅の音源製作でも実質的な指揮を執ったが、私の体調を心配した宝珠さん(当時はまだUTPと契約関係は無かったものの、半ばUTP関係者みたいなもの)が来てくれて、細かい技術的な指導をしてくれたので、助かった。しかし6日間スタジオに通い詰めて結果的にはそれで、私もエンジンが再稼働したような感覚があった。
4日(水)には徳島、5日(木)には高知でローズクォーツのライブがあった。私はここでステージに立ち歌を歌ったことで、完璧に体調が回復した。お客さんの熱狂が私に力を与えてくれた。
それで6日(金)は日中はやっと講義が開始された大学に出たあと、飛行機で松山に入り、夕方からライブをするなどということもそれほど苦痛なくすることができた。7日広島、8日岡山とライブを続ける中、私の体調はどんどん良くなって行った。
9-10日には東京で今度は山村星歌の音源製作があったが、ここではもう私はほぼ完璧な体調で制作指揮を執ることができた。なお、花村唯香の音源製作はスイート・ヴァニラズのEliseとLondaが指揮したので、私は4月下旬にちょっと顔を出すだけで済ませてもらった。そして山村星歌の音源製作の後は11日からローズクォーツの初アルバム『夢見るクリスタル』および次のシングル『一歩一歩』
の音源製作に突入した。こちらは制作指揮は美智子が執るので比較的楽だった。そしてローズクォーツの音源製作が終わると、続けてスリファーズの次のシングルの音源製作に入った。
一方で、ELFILIES・SPS・富士宮ノエル・坂井真紅・山村星歌の新曲発売が続き、私と政子は音源製作の合間をぬって、これらの発表イベントにも顔を出してきた。
こうして私は、4月上旬に性転換手術を受けたのだが、4月中こそ自宅で静養していたものの、その間にも多数の曲を書き、5月にはライブにレコーディング(自分たちのものと、マリ&ケイで曲を提供したアーティストのもの)、そして新曲発表会にと忙しく動き回る日々を過ごした。国内で私の手術の経過をチェックしてもらう病院で、先生から「4月頭に手術を受けた人とは思えない元気さですね」と言われた。
そして私は6月には1ヶ月で岩手・宮城・福島の避難所300箇所を巡るという超ハードなツアーを敢行したのであった。その避難所巡りの中で、私は青葉や和実たちと遭遇して「クロスロード」の交流が生まれることになる。
私はこの年の5月は、びっちりとレコーディングでスケジュールが埋まっていたのではあるが、私たちは一応学生なので、スタジオに顔を出すのは夕方からで良いことになっていた。
5月11日水曜日。震災からちょうど2ヶ月。この日はローズクォーツの初アルバム『夢見るクリスタル』の録音作業が始まることになっていて、クォーツの3人は朝からスタジオに入っていたのだが、私と政子は大学の授業が終わってからスタジオ入りすることにしていた。
しかしこの日の早朝、政子は言った。
「ね、大学サボって私に付き合ってよ」
「いいよ」
政子はヴァイオリンのケースを持った。そして私にフルートを持っていくように言った。私たちは一緒に東京駅に行き、4月29日にやっと全線復旧したばかりの東北新幹線に乗った(ただしこの時期はまだ減速運転中)。
私たちは無言で、福島・宮城の鉄道沿線の風景を眺めていた。私たちは8時半に仙台駅に降り立った。
私たちはバスに乗って、市内のあちこちを見て回った。私も政子も無言だった。
私たちはやがて公園の芝生の上に座った。
「・・・・これって何とかなるの?」と政子は訊いた。
「何とかしなくちゃね」と私は答えた。
「演奏しようよ」と政子は言った。
「何を弾くの?」と私は訊く。
「まずは青葉城恋歌」
「OK」
政子がヴァイオリンを取りだし、私はフルートを取り出す。政子の前奏に続いて私のフルートがメロディーを奏で始めた。政子のヴァイオリンがそれにハーモニーを付けていく。
折しもちょうどお昼休みで公園を歩いている人も多い。みんな突然始まった演奏に一瞬足を止め、けっこうこちらを見ながら聴いてくれている人たちがいる。
演奏し終わると拍手が来た。
私たちはお辞儀をして、その後『荒城の月』『主よ人の望みの喜びを』そして『空も飛べるはず』『神様お願い』と演奏した。『神様お願い』を演奏したので、聴衆の一部が私たちの素性に気付いた感じもあった。私たちはあらためて笑顔でお辞儀をしてから『オー・シャンゼリゼ』を演奏する。ベガルタ仙台の応援歌のひとつである。笑顔で手拍子を打つ人たちがいる。
私はフルートを口から離して、『斎太郎節』を唄い始める。政子はちょっと驚いた感じだったが、ヴァイオリンで「ララミミ・ララミミ」というバックコーラスを入れながら所々合いの手的なオブリガートを入れて伴奏してくれた。聴衆の手拍子がそれに付いてくる。
「アレワエーエ、エトソーリャ。復興するぜー」と私は唄った。
演奏を終えて私は聴衆の前で語った。
「つたない演奏を聴いてくださってありがとうございます。ホントに何から手を付けたらいいか分かりませんが、できる所から少しずつしていきましょう。頑張れと言われても何を頑張ればいいんだって感じですけど、1日0.1歩ずつでも、歩いていけるといいですね」
と言うと、頷いている人たちがいる。
「マリちゃん、ケイちゃん、アンコール!」
という声が掛かった。
私たちは顔を見合わせて笑う。
「歌う?」と私は政子に訊いた。
「歌ってもいいよ」
「じゃ、神様お願い」と私。
「OK」
フルートで最初の音を出す。そして私たちは一緒に、今回の震災の後、物凄い数のリクエストが来て、とんでもない数のダウンロードがあった、その曲をアカペラで歌い出した。
聴衆がじっと聴いている。涙を浮かべている人が何人もいる。私は胸が熱くなってきた。
「神様、お願い。ただひとつの」
「頼みを聞いて欲しいのです」
「やれるだけのことはやります」
「あと少し助けてくれませんか」
というサビの部分で、私も政子も歌いながら涙が出てきた。そして歌いながら思った。神様、今回だけは「あと少し」と言わず「たくさん」助けて下さいと。
歌い終えて、拍手の中お辞儀をする。私たちは楽器をケースにしまうと、立ち去った。去り際、何人かの人にサインをねだられたので、書いてあげた。
この件、私は誰かがツイッターとかブログに書くかも、とも思ったが誰も書かなかったので、政子が人前で歌ったことは、その場にいた人以外には知られていない。
私たちは仙台駅に向かい、駅弁を5個買ってから、東京行きの新幹線に乗った。窓際の席で駅弁を凄い勢いで食べる政子は少しだけ笑顔になっていた。
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