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■夏の日の想い出・あの子は誰? who's that girl(4)
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翌日の月曜日。大学が終わってから、事務所に出て行くと、何と★★レコードの町添部長が来ていた。
「済みません、お待たせしてしまったでしょうか?」
「ああ。大丈夫。ちょっとくだらない会議があったから、抜ける口実にも使わせてもらったから」
「ああ、くだらない会議もあるんですね」
「まあ、会議の8割はくだらない」と町添さん。
「うん。まあ、会社勤めしてたら、そんなものだよ」と美智子も言う。
「へー」
美智子、そしてちょうど事務所に出て来た政子と一緒に応接室に入る。悠子が極上のコーヒーをミルで挽いて入れて持って来てくれる。
「それで、今日はちょっと企画ものの話を持って来たのだけどね」
「はい」
「クァルテットを作りたいんだ」
「へー。誰かいい素材がいるんですか?」と私が訊くと、
「うん。ここに」
と町添さんは私を指さした。
私は左右を見るが、やはり私が指さされているようである。政子はニヤニヤしていて、美智子は当惑した様子。
「申し訳ありませんが、今ケイはローズクォーツとローズ+リリーで手一杯で。でも、誰と組ませたいんですか?」と美智子。
「ケイちゃん1人で4人分歌う」と町添さん。
「はあ?」
「ケイちゃんって、いろんな声持ってるでしょ」
「ああ、七色の声とか言われてましたね」と政子。
「実際何種類の声があるの?」
「えっと・・・・数えたことないですが・・・・」
と私は焦る。
「『天使に逢えたら』で使ってるソプラノボイスでしょ、ふつうに使ってるアルトボイスでしょ、それから最近はあまり使ってないけど、初期の頃に『その時』とか『遙かな夢』のメロディラインで使ってた中性的な声があるよね。あと男の子の声も」
と政子は最後にちょっと悪戯っぽく付け足す。
「うん。少なくともあと2つあるよね。ノエルちゃんや真紅ちゃんの指導する時に使ってる、すごく可愛い声、それとソプラノボイスよりひとつ上の声」
「ソプラノの上のトップボイスはあまり使えないんです。響きが極端に少ない機械的な声で、言葉もあまり明瞭に出ません」
「あの可愛い声は?」
「自分ではメゾソプラノボイスと呼んでるんですが、実は可愛すぎてあまり使いたくないというか」
「んじゃ、ソプラノボイス、アルトボイス、中性ボイス、男声でカルテットする?」
「いやだ。男声は使いたくない」
「じゃ、開き直って可愛い声使いなよ」と政子。
「そうだなあ」
「その4種類で多重録音してカルテットにするんですよね?」と政子。
「そうそう。趣旨が分かってるじゃん」
「ちょっと面白いかも知れないですね」と美智子も言う。
「とりあえず、何かサンプル作ってみたら?」
「うーん。。。。。」
私はその場で、松任谷由実の『卒業写真』の女声四部編曲をして、社内の防音室を使って、ソプラノボイス、メゾソプラノボイス、アルトボイス、中性ボイスで各パートを歌った。
「ねえ・・・今聴いてて気付いたけど、この中性ボイスって実はテノールなんじゃないの?」
と町添さん。
「よくおわかりで。音域的に完全にテノールの音域です。実はテノールの発声から、息づかいを変えて、声道をコントロールして低い音が発生しないように気をつけながら倍音だけ出して、中性的にまとめたものなんです。笛が同じ指使いでも吹き方でオクターブ上の音が出るのと同じ。低い音が混じってないから、女の子の声と思って聴くと、女の子の声にも聞こえるんですよね」
「そうだったのか!」と政子が感心している。
「『ふたりの愛ランド』裏バージョンで使っている男声がバリトンボイスです」
「ほんとに、ケイちゃんっていろんな声を開発したんだね」
「けっこうそれぞれの声が不安定だったんですよ。声変わりが始まった頃から終了するまでの間。うまく出ないから、他の出し方の声を試してみて、なんてやってたら、いろいろな声が並行して出来ていったんです」
「それって、いつ頃?」
「小学校の4年生頃から高校1年頃まで。ローズ+リリーを始めて間もない頃でもまだ微妙に不完全だった」
「へー!」
「でもアルトボイスか中性ボイスのどちらかは、いつも出てたんだけどね」
「私の前ではだいたいアルトボイスで話してたよね」
「うん。話すのにはいいけど、歌で安定するようになったのは9月頃。ちょうど『その時/遙かな夢』を吹き込んだ頃だよ。ローズ+リリー始めてから泥縄的に8月の間、猛練習したから」
「ああ、そういえば、あの時期、カラオケに毎日行ってたね。女の子の声の出し方研究するって言ってたけど」
「うん。だから、アルトボイスを安定させる練習だよ。あの時期にやってたのは。いわゆるメラニー法に近い発声なんだよね、アルトボイスは。その後、ソプラノボイスの開発頑張って、結局そちらを使ったのは『甘い蜜/涙の影』
からだけどね」
4つの声を重ねて再生してみる。
「おお、ちゃんと出来てる」と町添さんは嬉しそうである。
「ほんとに4人の女の子で歌ってるみたい」と政子。
「声質が違う4つだからね」と私。
「これ、結構行けそうな気がしますね」と美智子。
「このユニット、最初フォアローゼスと名付けようかと思ったんだけどね」
と町添さん。
「それはまずいでしょ」
「うん。商標権が面倒。それでキャトル・ローズにしようかと」
「フランス語にしてみましたか!」
「どうするんですか? 正体は隠してCDリリース? Who's that girls?」と政子。
「ああ、それも面白いね」
「でも、さすがにすぐバレますね」と私。
「よし。私も協力してやろう」と政子。
「マリ、どれかひとつパートを歌う?」
「ううん。これはケイがひとりで全部歌うというのが面白いから。私は伴奏してあげるよ」
「ああ。それは助かる。女声合唱の欠点は低音が無くて聴いてる側も落ち着かないことなんだ。だから、それを楽器の伴奏で補う必要がある。リリーフラワーズとか市ノ瀬遥香の歌が、美しいけど聴いてて疲れるのはそれだもん。これがベビーブレスだと、高音のデュオなのに聴きやすいでしょ。伴奏楽器をうまく使っているからだよ。マリがピアノ弾いてくれたら助かる」
「私ピアノ弾けないよ」
「え?だってこないだの『Rose Quarts Plays Classic』では『エリーゼのために』
の冒頭のピアノを弾いたじゃん」
「いや、あれをやって2度とピアノは弾かんと決めた」
「練習すればいいのに」
「私はヴァイオリン弾いてあげるよ」
「ヴァイオリンだけじゃ足りないなあ。ヴァイオリンの最低音はアルトの最低音程度だから」
「じゃヴィオラとかチェロとかも入れれば良いのかな?」
「うん。チェロが入るとかなり安定するけど、マリ、チェロも弾けるの?」
「触ったこともない」
「七星さんに相談してみるかなあ」
この「お遊び」のカルテットの曲は吉住先生に書いていただいて、それを私が女声四部に編曲して歌った。『記憶はいつも美しい』という4ビートの曲である。これを歌唱者名を出さずにテレビでお酒のCMで流してみたのだが、即日「歌ってるのはローズ+リリーのケイちゃんでは?」という問合せが殺到した。
私も町添さんも笑って、CMにも「歌:キャトル・ローズ」という表示を入れることにした。そしてマリ&ケイ作の『甘い誘惑』と組み合わせて11月末に発売した。
12月初め。ちょっと近くまで来たので、実家に寄ったら、姉が来ていた。発売されたばかりの『記憶はいつも美しい/甘い誘惑』のCDを母と姉に1枚ずつ渡す。
「おお、これ何か郷愁を煽るような曲調が好きだなあ」
「ジャズっぽいよね」
「うん。As time goes by とか Sweet Memories の路線」と姉。
「そうそう。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンがいてもいい感じ」などと母。
「でも伴奏はフルート・ヴァイオリン四重奏だから」
「ああ、札幌でやった演奏ね」
「そうそう。でも少し組合せが違う。宝珠さんが本職のフルート、政子がヴァイオリン、鷹野さんがヴィオラで、チェロは鷹野さんのお友だちの宮本さんという人が弾いてる」
「へー」
宮本さんという人も鷹野さん同様、音楽大学を出た後、スタジオミュージシャンをしていて、ふだんは主としてギターとマンドリンを弾いている。本来の専攻がチェロである。
「クレジットは、キャトル・ローズ with リリー・カルテットか」
「私が歌ってて、政子が伴奏してるって分かりやすいでしょ」
「なるほどねえ」
「政子のヴァイオリンもかなり上達したよ。鷹野さんから、これだけ弾けたらアマチュア楽団でなら演奏できる、なんて言ってもらってた」
「頑張ったんだねえ、あの子も」
「ヴァイオリンやってるおかげで、歌う時もかなり微妙な音程差が分かるようになってきたみたい」
「凄い凄い。政子ちゃん、昔は歌下手だったのに、凄くうまくなったもんね」
「でもCMで流れてるし、かなり枚数売れるんじゃない?」
「どうかな。初動は8万。夏に出した『Angel R-Ondo』に似た雰囲気かも。あれは初動7万のあと、コンスタントに売れてて、今20万まで来たから」
「ああ、あの曲も面白いよね」
「それで、新婚生活はどう?」と私は訊く。
「快適、快適。御飯も美味しいしね」と姉。
「・・・お姉ちゃん、御飯はどちらが作ってるの?」
「もちろん和ちゃんだよ。私食べる人」
「ああ。麻央も言ってたな。小山内家でいちばん御飯作るの手伝ってたのは和義兄さんだって」
「そうなんだよね。麻央ちゃんはあまりやってなかったらしいね」
「うん。麻央も、料理の得意な男の子と結婚するんだ、なんて言ってる」
「うん、それが楽でいいよ」と姉。
「まあ、その夫婦それぞれだろうけどね」と母は笑って言っている。
「だけど、冬も萌依も出て行って、何だか家が寂しくなっちゃったよ」
「子供は巣立っていくものだから」と私。
「お前たちもその悲哀を20〜30年後には経験することになるよ」
「まあ、その前に子供作らなきゃね」
「冬はいつ頃、子供作るの?」と姉。
「うーん。。。。政子は27歳で子供を産むと言ってた。政子の子供は私にとっても子供みたいなものだと思ってる」と私。
「あんたたち、ほとんど夫婦みたいなものだもんね」と姉。
姉は私と政子が結婚していることを知っているが、さすがに母の前ではその事までは言わない。
「じゃ、政子ちゃんが産んだ子供は私にとっても孫みたいなものかねぇ」
「うん。そう思って可愛がってあげて」
「ちょっと楽しみにしてようかな」と母。
「お姉ちゃんはいつ頃子供作るの?」
「もう避妊せずにHしてるからね。いつできてもおかしくないけど、新婚期間中って意外にできにくいものだとも言うね」
「やりすぎで、薄くなるからね」と私は笑って言う。
「うんうん。今はお互い猿だもん」
「ふふ」
この時、ふと私は2年半前の、政子と1度だけした男女間セックスのことを思い出していた。私は中学3年の秋以降、一度も自慰はしていなかったが、その後、ずっと1ヶ月に1度くらい夢精が来ていた。政子とセックスしたのは前回の夢精からちょうど1ヶ月くらい経ったころ。あの時、政子の中に放出してしまった精液はたぶんかなり濃いものだったろう・・・・・
しかし、それで政子を妊娠させたりはしなかったのだから、自分が子供を作る唯一のチャンスは結局空振りだったのだろう。むろん、あの時、政子を妊娠させていたら、それはそれでとても困ったことになっていたのだが。そんなことを考えていて、ふと私は
「冷凍しとけば良かったかなあ」などと口に出してしまった。
「何を?」と姉から訊かれる。
「あ、昨日作ったカレー。珍しく政子が残したんだよね」
「それは不要だよ。もう冬がマンションに帰る頃には無くなってるって」
「そうだよね!」
と言って、私は笑った。
「あ、そうそう。新婚旅行のお土産、冬に渡すのまた忘れる所だった」
と言って、姉は何か小箱を2つ取りだした。
「わあ、何だろう。開けていい?」
「うん」
中を見ると、パワーストーンの花形ブローチだ。
「可愛い!」
「カエデの形のはインカローズ、アヤメの形のはアメジスト。政子ちゃんとふたりで好きな方を使うといいよ」
「ありがとう」
私がそのふたつのブローチを手に持った時、何かを思い起こさせるかのような空気を感じた。
私が自宅に戻ると、政子は姉の土産のブローチを見て「わあ、可愛い!」と言った(カレーはもちろん無くなっていた)。結局、政子がインカローズのカエデのブローチ、私がアメジストのアヤメのブローチを使うことにした。
「あ、そうそう。これ買っちゃったのよ」
と言って、政子が鈴を取り出す。
「あれ?これ春にもらったのと色違い?」
「そうそう。今日、道治の車で日光までドライブしてきたんだけどね。何か叶鈴とか売ってたから、買ってみてびっくり。同じ物とは気付かなかった」
春にリュークガールズの人たちからもらった鈴は青い鈴だったのだが、今回政子が買ってきた鈴は、赤い鈴である。
「私は既に1個持ってるしなあ」と政子。
「じゃ、春にもらって、余ってるのと一緒にCDケースに入れておく?」
「うん。そうしよう。チェーンもお揃いの買ってきて付けてあげよう」
と言って、政子は楽しそうにしていた。
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