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■夏の日の想い出・ふたりの結婚式(1)

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(c)Eriko Kawaguchi 2012-09-15
 
2025年3月9日(日)大安。私はついに木原正望と結婚式を挙げた。
 
私も正望も政子も、33歳になっていた。
 
正望と交際を始めたのが2011年8月だからそれから13年半。婚約したのが2018年(超多忙年)の6月でそれからでも7年弱。よくまあ愛想尽かされなかったね、と政子にも姉にも言われた。
 
うちの母と正望の母は
「いや、ほんとにここまで長かったですねぇ」
「全くもう自分が生きている間に結婚してくれるのか、やきもきしてましたよ」
などと語り合っていた。
 
最近は結婚式に媒酌人を置くことは滅多に無いが、上島先生が「ぜひやらせて」
と言ってきたのでお願いした。上島先生と茉莉花さんも最近はほんとに安定している感じだ。17年も連れ添えば、もうお互いに全てを許しあっている感じ。上島先生もここ数年は浮気を控えていて夫婦仲はとても良いようである。
 
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ローズ+リリー(マリ&ケイ)の関わりで、私たちが楽曲を提供しているアーティストさんが大量に披露宴にはやってきたし、それ以外にも個人的に交友のある歌手・作曲家などは多いので、ひじょうに大勢が参加する豪華な披露宴となった。
 
スピーチは、私の友人代表は政子が、正望の友人代表は佐野君がしてくれた。政子が「友人代表」というのに、優美香(AYA)や恵里(Elise)、花村唯香、七星さん、など古い付き合いの歌手仲間も、琴絵・仁恵・奈緒・リナ・和実など古くからの親友たちも「愛人代表」の間違いでは? などと笑った。
 
余興など始めたら永遠に続いてしまうから、プロの人の演奏は、特に親しいスイート・ヴァニラズ、ローズクォーツ(私の代わりに政子がボーカルを取るスペシャル版)のみにさせてもらい、他の人は二次会にということにした。
 
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新郎新婦さんへの花束贈呈は、6歳になったばかりの、あやめと、まだ2歳半のかえでの姉妹でやってくれた。ふたりの着る白いドレスが可愛い。
 
あやめは私が結婚式を挙げると言うと、
「えっと、ママとお母ちゃんの結婚式? ママとパパの結婚式? ママとお父ちゃんの結婚式?」
などと訊いた。
 
「ママとお父ちゃんは結婚したりしないよ。ママとお母ちゃんはずっと前にもう結婚してるからいいの。今度はママとパパの結婚式」
と正直に答える。
 
「へー。ママとお母ちゃんの結婚式の写真ある?」
などというので、古い写真を見せてあげると
「わあ、きれい。女の人同士で結婚するのも良いね」
などと言って見とれていた。
 

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ホテルのスイートルームで初夜を過ごした後、ハワイに新婚旅行に行った。出国のところで性別 F のパスポートを出す。このパスポートを作ったのは大学4年生の時だったが、性別 F のパスポートを行使するのが、いまだに気恥ずかしい気がする。しかし Fuyuko Karamoto のパスポートを行使するのもこれが最後だ。帰国したら新規に Fuyuko Kihara のパスポートを作る予定である。
(記載事項変更ではサインなどを旧姓でする必要があり、ややこしくなる)
 
ハワイも何度か来ているが、やはり新婚旅行で訪れると、ダイヤモンドヘッドにしても、マノア・フォールズにしても、カメハメハ大王像にしても、全てが新鮮に見える。そんな時間を過ごしているうちに「ああ、私は結婚したんだ」
というのをあらためて感じた。
 
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ふだん私も正望も忙しい日々を送っているので、一週間の休日を取れたことの方が大きい気もした。こんなに長時間ふたりで過ごしたのは、交際開始して14年も付き合っていて初めてだ。
 
「ん? フーコ、曲を書いてるの?」
「ごめーん。仕事人間で。だって何か感動して、いろいろ思い浮かぶんだもん」
「いいよ、いいよ。それ書き終わったら少し遊ぼ」
「うんうん」
 
私は優しく正望に愛撫されながら、五線紙に曲を書き綴っていった。今の時代に手書きで譜面を書く作曲家はかなり珍しいらしいが、私はやはり古い人間なのか、いったん手書きしてからMIDIを打ち込む方が良い曲が書ける気がしていた。私と政子はここ数年は4本のボールペンを使って曲を書いているが、今回の旅行には、いちばん古くから使っている「赤い旋風」というボールペンを持ってきていた。
 
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政子にとってもいちばんお気に入りのボールペンだが、私がこれを持ってきているから、たぶん政子は「銀の大地」を使って詩作をしていることだろう。
 

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ハワイから戻り、家に帰ると、政子と7人の子供たち、政子の母、うちの母、姉と4人の子供たち、麻央と3人の子供たち、正望の母、が来ていて、あらためて結婚の祝いをしてくれた。平日の昼間なので、男性陣は不在だった。みんなにお土産を配る。しかし子供が14人もいるので、騒がしい!
 
「町添社長から今週中に作って欲しい曲数のリストが来てるよ」
と政子は言った。
「全部で何曲?」
「シングル用に10組20曲、アルバム用に2組20曲。新婚旅行中だから冬に直接メールするのは控えたって言ってた」
「連絡がないからそうだろうと思ってた。でもハワイで一週間の間に30曲書いてるから、行けると思う」
と言いながら、私は「赤い旋風」を政子に返す。政子はボールペンに軽くキスをしながら「うん。さすがさすが」と言った。
 
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「でもこれだけ孫たちがいると、凄く幸せな気分になりますね」
とうちの母がニコニコしながら言う。
「ちょっとうるさいけど、楽しいですね」と政子の母も言う。
「私、政子ちゃんが産んで冬子ちゃんが養子にした4人を自分の孫のように思ってたけど、この14人、全部孫のようなものだと思おうかしら」と正望の母。
 
「ああ、そう思って可愛がってください」と姉も麻央も言った。
「私の子供はみんな冬の子供でもあるから、紗緒里も安貴穂も夏絵も美代さんの孫と思ってください」と政子も言った。
 
「私も去勢した時は、これで自分には子供はできなくなったんだなあと思ってたけど、7人も子供できちゃったから、凄く幸せ」と私も言う。
 
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「誰かがあと1人産めば、ラグビーのチームができるね」
「それはやはり、冬が産むんだよ」と政子。
「あはは。産めたらいいけどね」
 
「でも、冬のお友だちで元男の子なのに子供産んだ人が2人もいるじゃん」と麻央。
 
「あのふたりはどちらも特殊すぎるよ!」
 

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「でも、あんたたち仕事も無茶苦茶忙しいだろうに、よく子供7人も育ててるよね」
と姉が言う。
「いや、姉ちゃんだって4人育てるのは大変でしょ。うちは、琴絵とか仁恵とか、礼美とか小春とか、世話しに来てくれる応援ママさんたちが何人もいるから。何かの時には、お医者さんの奈緒もいるから安心だし」
「お手伝いさんとか雇おうと思ったことないの?」
「家庭内に他人を入れたくないのよね。だから付き人も使わない」
「ああ」
 
「この家、特殊すぎるよね。子供7人はいいけど、母親2人・父親2人。でも、その4人が全員多忙と来てるから」
 
「いちばん時間が取れるのは、やはり貴昭さん?」と麻央が訊く。
「会社勤めだからね。でもだいたい夜は遅いから」と私は答える。
「正望さんは重要な法廷がある前は何日も帰宅できなかったりするね」とうちの母。「でも政子ちゃんも冬ちゃんも、24時間仕事してるからね」と正望の母。
 
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「で、結局日中はどうかすると私ひとりってことがあるんですよ。さすがにもうてんてこ舞い」と政子の母。
「そんな時はいちばん近くに住んでる礼美呼び出し推奨。車もあるからすぐ来れる」
と政子。
 
「それはいいけど、礼美ちゃんが来ると更に子供が4人増えて11人になるから」
「破壊力凄そうね」と姉。
「凄いよ。だから、うちには高い食器は置いてないもん」と政子の母。「全部、マンションに置いてるね。良い食器は」と政子。
 
「よく食べるでしょ?」と麻央。
「唐揚げは5kg作るよ」
「でもそのうち1.5kgくらいは政子が食べたりして」
「ふふふ」
 

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やがて夕方になって、貴昭が帰宅した。ふたりの娘、紗緒里・安貴穂とハグする。すると、あやめと夏絵まで「あ、私も」と言って寄って行ってハグしてもらい、更に幼いかえでまで「私もー」と言って寄って行く。
 
「娘たちとこんなことできるのは、小さい内だけだろうな」
などと貴昭は笑っている。
 

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政子が産んだ4人の子供は、順にあやめ・大輝(だいき)・かえで・博史(たかし)である。
 
あやめは私が大学1年の時に去勢手術を受けた直前に、政子が私の精液を「採取」
(政子的見解)して、冷凍しておき、2018年6月に顕微鏡授精で妊娠し翌年2月3日に産んだ子供である。自分は遺伝子を残すことができなかったと思っていたので、あやめの誕生に、私は天にも昇る思いがした。その時書いた『天使の歌声』という曲は、若いお母さんたちに支持されてミリオンヒットとなった。
 
政子が次に産んだ子が大輝だが、この子の父親は公表していないし認知も求めていない(向こうは認知すると言ったが政子が謝絶した)が、人気俳優である。彼は、認知はしなかったものの、毎月養育費を送ってきてくれている。これも要らないと言ったのだが、これは政子へではなく大輝への送金だから、と言うので、政子は大輝名義の口座を作り、養育費はそこに振り込んでもらうようにしたが、政子はその中身に手を付けていないので、大輝が成人する頃までには、かなりの額になっているだろう。
 
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3番目に産んだ子が、かえでなのだが。この子に関してはいろいろ問題があった。
 
当時、政子は密かにロック歌手の百道大輔と付き合っていたので、私はてっきり百道の子供なのだろうと思っていた。その件に関して政子は少し言葉を濁していた。やがて子供が生まれて、百道は子供が生まれた病院にも来て、赤ちゃんを可愛がっていた。凄く幸せそうにしていたので、このままこの人と結婚すればいいのに、と私は思っていた。当時、政子も「私、もしかしたら彼と結婚して、この家を出るかも」などと言っていた。
 
「いいよ。あやめと大輝は私が育てるから、気にしないでお嫁にお行きよ」
と私も政子を応援していた。あやめも大輝も生まれてすぐ私は養子縁組をしたのだが、かえでに関してはしばし保留していた。
 
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しかしその百道が、かえでが生まれて1年もしない内に突然死んでしまった。当時政子は物凄くうちひしがれていて、2ヶ月間、全く詩が書けなかった。あんな政子を見たのは初めてであった。
 
百道には前の奥さんが産んだ子供・夏絵がいた。政子は百道と結婚するつもりだったので、夏絵をよくかわいがっていたし、夏絵も政子になついていた。そこで、政子は百道のお母さんの了承を得て、その子を引き取り養女にした。従って夏絵の苗字は中田である。
 
夏絵を引き取ってから、政子は、「かえでも、あやめ・大輝と同じように冬の養子にしてあげてよ」と言うので、私はかえでと養子縁組をした。それでかえでの苗字は唐本になる。
 
私は夏絵とかえでは姉妹なのに、苗字が違ってもいいのかなと少し心配したのだが「それは大丈夫」とだけ、その時政子は言った。
 
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政子が百道の死のショックから、やっと立ち直り始めた頃、私たちは久々に開かれた高校の同窓会(2023.04)で懐かしい人物に会った。それは高校2年の時の政子のクラスメイトであった、松山貴昭であった。私は高校時代彼とキスしたことがあったので、ちょっと面はゆい感じもした。
 
彼は高校卒業後阪大に進学したので、東京にいる私たちとは接触の機会は減ったのだが、私と政子の「新婚旅行」の時に、天河に連れて行ってくれたのを機会に政子と時々連絡を取るようになっていたようであった。政子は当時別のボーイフレンドがいたので、彼との関係は恋人のようなものにはならなかったものの、政子が松山君と話している時の様子を見ていると、好意以上のものを持っている雰囲気があった。
 
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彼は2014年に阪大卒業後、大阪に本社を置く総合電機メーカーに就職。2016年に同期の女子と社内結婚して2人の子供(紗緒里・安貴穂)をもうけた。この時期はさすがに政子も彼に連絡を取るのは控えていたようであった。
 
ところがこの日同窓会で松山君は実は昨年、奥さんが亡くなったこと。そして、自分としても心機一転したかったのと、子供の世話をやはり男親だけではしきれないので、母に手伝ってもらうことを考えて、東京支店への異動を志願し、つい先日東京に引っ越してきたのだと語った。
 
「子供って何歳?」
「紗緒里が6歳、安貴穂が3歳」
「会社行く時とか困るでしょ、その年では」
「うん。だから保育所に預けてるけど、仕事が遅くなる時とか可哀想で。東京に来てからは、母が夕方引き取りに行ってくれるようになったけど、親の家には兄貴夫婦が同居してるから、あまり迷惑掛けたくないんだよね」
 
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「じゃ、今はアパートか何かで暮らしてるの?」
「うん」
「住所は?」
「あ、メモ書いとくよ」
と言って松山君が住所を書いたのを見ると、政子の家の隣町である。
 
「これうちの近所じゃん。うちも4人子供がいるからさ、そこに2人くらい増えても構わないから、うちに連れておいでよ。御飯くらい食べさせるよ」
「わあ、それ助かるかも」
 

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そうして、紗緒里と安貴穂は日中、政子の家で過ごすようになった。あやめ・大輝・夏絵などとも仲良くなり、まだ赤ちゃんのかえでのお世話を一緒にしたりもしていた。貴昭もまた時間がある時は、政子の家で自分の子供だけではなく、あやめや夏絵たちの遊び相手にもなってあげていた。特に日曜は私と政子が高確率で仕事で外出しているため、貴昭がひとりで6人の子供の世話をしていることもあった。
 
あやめたちは、政子のことをお母ちゃん、私のことをママ、正望のことをパパと呼んでいたが、貴昭のことはお父ちゃんと呼ぶようになった。
 
「僕、子供の世話をしてあげるからと言われて、ここに娘たちを預けに来たのに、なんだか僕が主として子供6人の世話をしているような気がするんだけど」
などと貴昭は言っていたものの、楽しそうだった。
 
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そして政子も子供の数がにわかに増えたものの、そのお世話をしていることで百道の死のショックから立ち直っていった。それは貴昭も同じで、6人の子供の世話をしている内に妻を亡くしたショックから少しずつ立ち直っていった。
 
そんなふたりが愛し合うようになるのは、ごく自然なことだったと私は思う。
 
やがて政子は貴昭の子供を身籠もった。
 
そして2024年6月に政子は自分が産む子供としては4人目の子供、博史を産んだ。
 

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夏の日の想い出・ふたりの結婚式(1)

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